第43話:古高俊太郎という男
ついに黒幕、古高俊太郎の正体が明らかに!
池田屋事件の引き金となる重要人物の登場です。
全ての証拠が揃い、あとは土方の決断を待つばかり。
しかし、あまりに上手く進みすぎた展開に、山崎烝は違和感を覚えます。
果たして、これは仕組まれた罠なのか?
「霞が関」に指令を下してから、わずか二日。山崎烝は、驚くべき速さで次の報告を携え、薬部屋に姿を現した。彼の目の下には深い隈が刻まれていたが、その瞳は獲物を見つけた狩人のように、鋭い光を宿していた。
「永倉様、見つけましたぞ。惣兵衛と長州藩士を繋いでいた、もう一人の男を」
山崎さんが地図の上に置いたのは、一枚の似顔絵だった。そこには、人の良さそうな、人の良いだけが取り柄のような、柔和な笑みを浮かべた四十男の顔が描かれている。
「この男は?」
「名は、枡屋喜右衛門。四条木屋町で、薪炭や雑貨などを手広く商う大店の主人です。表向きは、ですが」
山崎さんは、一呼吸置いて続けた。
「裏の顔は、古高俊太郎。肥後熊本藩の出身で、数年前に脱藩。その後、京で商売を始め、今では羽振りの良い商人として知られていますが、その裏では、稼いだ金を尊王攘夷派の志士たちに流し、彼らの活動を支援する大物……いわば、長州の『金蔵』でございます」
俺は、似顔絵に描かれた男の顔を睨みつけた。枡屋喜右衛門、本名・古高俊太郎。史実における池田屋事件の引き金となった、あの男だ。歴史の知識がなくとも、山崎さんが集めた情報だけで、彼が今回の騒動の黒幕であることは明白だった。
「惣兵衛は、この古高の紹介で、長州の連中と繋がったようです。古高の店は、単なる連絡拠点に留まらず、武器や弾薬、そして活動資金の供給源ともなっておりました」
「武器や弾薬……。やはり、ただの焼き討ちで終わらせるつもりじゃなかったんだな」
俺の脳裏に、前世で読んだ歴史書の一節が蘇る。「強風の日を選び、御所に火を放つ。その混乱に乗じて、中川宮朝彦親王を幽閉し、一橋慶喜、松平容保らを暗殺。そして、帝を長州へ攫う」。それが、古高らが目論んでいた計画の全貌だ。池田屋で会合を持っていたのは、その最終確認のためだったと言われている。
「山崎さん、よくやってくれた。これで、ようやく鬼の副長を動かすことができる」
俺は、安堵の息をついた。古高俊太郎という大物の名前、そして彼が武器や資金を供給していたという確固たる証拠。これだけの材料が揃えば、いかに慎重な土方さんと言えども、動かざるを得ないはずだ。
「土方さんのところへ行くぞ。準備を」
俺が立ち上がろうとした、その時だった。
「お待ちください、永倉様」
山崎さんが、俺を制した。彼の表情は、先ほどまでの高揚感から一転、硬質なものに変わっていた。
「土方副長には、まだお伝えになりませぬよう」
「どういうことだ? これだけの証拠が揃っていながら」
「証拠が揃いすぎているのです。それが、どうにも腑に落ちませぬ」
山崎さんは、地図の上に散らばった情報の紙片を、指でなぞった。
「我々が古高の名に辿り着くまで、あまりに事が上手く運びすぎている。まるで、誰かが我々を導いているかのように」
確かに、山崎さんの言う通りだった。惣兵衛の店の焼け跡から見つかった、都合の良い燃え残りの書状。そして、あまりにもあっさりと判明した、古高俊太郎という黒幕の存在。まるで、出来すぎた芝居の脚本を読んでいるかのようだ。
「それに、もう一つ。斎藤様からの報告によりますと、惣兵衛と接触していた長州藩士たちのうち、数名が京から姿を消しているとのこと。まるで、潮が引くように」
「トカゲの尻尾切り、か」
俺は、舌打ちをした。古高という大物を捕らえるために、下っ端の藩士たちを切り捨てた、ということか。だが、何のために?
俺は、腕を組み、思考の海に深く沈んだ。
前世の官僚時代、俺は数々の国際的な謀略や、情報戦の裏側を垣間見てきた。そこでは、敵を欺くために、味方すら駒として利用する非情な作戦が、当たり前のように行われていた。今回の件も、それと同じ匂いがする。
長州は、なぜ俺たち新選組に、古高という重要な金蔵の存在を、わざわざ教えるような真似をしたのか。彼らを捕らえさせ、計画を頓挫させることが、長州にとって何の得になる?
いや、違う。
頓挫させること、それ自体が目的なのではないか。
(まさか……)
俺の背筋を、冷たい汗が伝った。
一つの、恐ろしい仮説が、脳裏に浮かび上がる。
「山崎さん、もし、この一連の騒動が、全て長州が仕組んだ罠だとしたら?」
「罠、でございますか?」
「ああ。古高は、もともと長州にとって『消したい』存在だったとしたら? 例えば、金の使い込みが発覚したとか、あるいは、幕府側に寝返る恐れがあったとか」
俺は、言葉を続けた。
「長州は、自らの手で古高を始末すれば、内部に動揺が走る。だから、俺たち新選-組を利用した。俺たちに古高を捕らえさせ、計画の全貌を自白させる。そうすれば、長州は一切手を汚すことなく、邪魔者を排除できる」
「しかし、永倉様。それでは、長州の計画そのものが露見してしまいます。彼らにとって、何の得がありましょうか」
「得はあるさ。大きな得がな」
俺は、地図上の「御所」と書かれた一点を、強く指さした。
「連中の本当の狙いは、御所じゃない。俺たち新選組でもない。連中が本当に潰したいのは……」
俺は、言葉を切り、窓の外に広がる京の街を見渡した。
「会津藩、そして、その背後にいる幕府だ」
この計画が新選組によって阻止され、その詳細が白日の下に晒された時、最も大きな打撃を受けるのは誰か。それは、帝の御膝元で、このような凶悪なテロ計画を未然に防ぐことができなかった、京の守護職である会津藩主・松平容保だ。そして、その責任は、必然的に会津藩を京に送り込んだ徳川幕府へと及ぶ。
「長州は、この一件で幕府の権威を失墜させ、朝廷内での発言力を一気に高めるつもりなんだ。帝を長州へ、などという荒唐無稽な計画は、そもそも実行する気などなかった。あれは、俺たちを誘き出すための、壮大な『餌』だったんだよ」
山崎さんは、息を呑み、絶句した。彼の聡明な頭脳が、俺の言葉の裏にある、恐るべき謀略の全貌を、瞬時に理解したのだろう。
「なんという、恐ろしい策……」
「これが、情報戦だ。山崎さん。敵は、常に我々の想像の斜め上を行く」
俺は、再び地図に目を落とした。古高俊太郎という男の似顔絵が、まるで俺を嘲笑っているかのように見えた。
このまま、史実通りに古高を捕らえ、池田屋に踏み込めば、俺たちは長州の描いた筋書き通りに踊らされることになる。新選組は、一時的な名声を得るかもしれない。だが、その代償として、幕府は計り知れないほどの打撃を受けるだろう。それは、俺が目指す「徳川幕府の魔改造」という壮大な目標から、大きく後退することを意味する。
(どうする……。どうすれば、この長州の策を逆手に取り、俺たちの有利な状況に持ち込むことができる?)
俺は、思考を巡らせた。
長州の狙いは、幕府の権威失墜。ならば、俺たちがやるべきことは一つだ。
「山崎さん、土方さんへの報告は、もう少し待ってくれ」
俺は、決然とした口調で言った。
「この件、俺に預からせてもらえないか」
「しかし、永倉様。あまりに危険です。一歩間違えば……」
「分かっている。だが、このまま黙って長州の掌で踊らされるのは、我慢ならん」
俺は、山崎さんの肩に手を置き、力強く言った。
「俺に、策がある。長州の描いた筋書きを、根底から覆す策がな」
俺の目には、未来の知識を持つ者だけが宿すことのできる、絶対的な確信の光が灯っていた。
それは、歴史という巨大な奔流に抗い、自らの手で未来を切り拓こうとする、一人の男の覚悟の光でもあった。
「古高俊太郎……。お前の首、ただで貰うと思うなよ。お前という駒を、最大限に利用させてもらう」
俺は、まだ見ぬ強敵に向けて、静かに宣戦を布告した。
京の空に、新たな戦いの火蓋が切られようとしていた。それは、刀と刀がぶつかり合う、物理的な戦いではない。情報を制する者が、全てを制する。静かで、そして熾烈な情報戦の始まりだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
敵の狙いは、味方であるはずの古高俊太郎の抹殺でした。
長州藩が仕掛けた巧妙な情報戦の罠に、新八はいち早く気づきます。
史実では新選組の活躍として知られる池田屋事件。
その裏に隠された真実を知った上で、彼は、新選組はどう動くのか?




