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第37話:血によらない粛清

「いっそ斬るか」――。芹沢鴨の粛清を巡り、土方歳三は非情な暗殺を口にします。

しかし主人公は、血で血を洗う内ゲバを避けるため、これを制止。

代わりに提案したのは、情報を武器に外堀を埋め、会津藩の手で芹沢を処分させるという、血を流さない冷徹な策略でした。



 土方の部屋には、刀油の匂いと、持ち主の激情が冷えて結晶したかのような、張り詰めた静寂が満ちていた。俺と土方さんの間には、「法と規律による組織改革」という、熱く、そして危険な合意が成立していた。


「――法度の草案は俺が作る。お前も知恵を貸せ。だがな、永倉」


 獰猛な笑みを収め、土方さんは再び真一文字に唇を結んだ。その瞳の奥で、揺らめいていた怒りの炎が、さらに凝縮されていくのが分かった。


「規律だの法度だの、そんなもんで芹沢を…あの男を抑え込めると思うか? 奴は理屈で動くタマじゃねえ。法度を突きつければ、それを鼻で笑い、破り捨てるだけだ」

「……」

「新見はしょせん小物だ。法で縛り、会津藩に突き出せばそれで終わる。だが、本丸は芹沢だ。奴をどうにかしねえ限り、壬生浪士組に未来はねえ」


 土方さんは手入れしていた刀を鞘に収めると、カチリ、と冷たい音を立てた。それは、まるで何かの合図のようだった。


「いっそ、斬るか」


 その言葉は、あまりにも静かに、そして自然に紡ぎ出された。まるで、明日のおかずを決めるような気軽さで。だが、その内容は俺の背筋を凍らせるには十分だった。


「……本気ですか、土方さん」

「本気も冗談もあるか。奴は組織にとって害悪だ。ならば、斬る。それ以外に何がある」


 これが土方歳三か。目的のためならば、いかなる非情な手段も厭わない合理性の鬼。史実における「新選組副長」の姿が、今、俺の目の前にあった。史実では、この男の冷徹な判断が、芹沢鴨を粛清へと導いたはずだ。


 だが、俺は知っている。その粛清が、後にどれほどの禍根を残したかを。


「反対です」


 俺は、きっぱりと首を横に振った。


「絶対に、それだけはやってはならない」

「……ほう。理由を聞こうか」


 土方さんの目が、面白いものを見つけたかのように細められる。試されている。俺の覚悟と、その思考の深さを。


「土方さん。力には力で対抗すれば、必ず内部に遺恨が残ります。芹沢派の隊士は、芹沢局長個人の人柄や、あるいはその強さに惹かれて集まっている者たちです。その頭を、俺たちが一方的に斬り捨てたとあっては、彼らが黙っているはずがない」

「反発する奴は、それも斬るまでだ」

「その先に何が残りますか!試衛館派と芹沢派の血で血を洗う内ゲバです。組織は内側から崩壊する。それに、水戸藩との関係も悪化します。芹沢局長は、水戸天狗党とも繋がりがある。彼の死が、ただの内部抗争で済むとはお考えにならない方がいい」


 俺は、霞が関で嫌というほど見てきた光景を思い浮かべていた。強引なトップダウンで反対派を粛清した組織の末路を。一時的には改革が成功したように見えても、必ずどこかで歪みが生じ、より深刻な問題を引き起こす。恐怖による支配は、決して長続きしない。


「ではどうしろと言うんだ。お前の言う『法』とやらで、あの化け物を縛れるとでも?」

 土方さんは苛立たしげに吐き捨てた。彼の言うことももっともだ。芹沢鴨という男は、常識や法規範の枠外にいる。


「縛るのではありません。追い詰めるんです。そして、俺たちの手ではなく、会津藩自身の手で、奴を『処分』させる」

「……会津藩に、だと?」

「ええ。血を流さずに敵を制す。それこそが真の兵法です」


 俺は身を乗り出し、声をさらに潜めた。ここからが、俺という元・現代日本エリート官僚の、真骨頂だった。


「我々がやるべきは、武力による粛清ではない。情報戦です」

「情報戦……?」

 聞き慣れない言葉に、土方さんが眉をひそめる。


「山崎が集めている芹沢派の金の流れ、商家への押し込み、乱暴狼藉の数々。これらの情報を、ただ会津藩に提出するだけでは効果は薄い。下手をすれば、内部の告げ口として、逆に俺たちの立場が悪くなる可能性すらある」

「……続けろ」

「重要なのは、情報の『加工』と『拡散』です。誰が、いつ、どこで、その情報を耳にするか。それを俺たちが制御するんです」


 俺は指を折りながら、具体的な策を提示していく。


「まず、芹沢局長に金を渡している堺屋や菱屋といった豪商たち。彼らの元へ、『会津藩が芹沢の金の流れを内偵している』『下手に繋がりを持つと、不忠の輩として目をつけられる』という噂を、それとなく流します。山崎や斎藤の配下を使えば、容易いことでしょう」

「……」

「金の流れが止まれば、芹沢派の遊興費は枯渇します。奴らは間違いなく、さらに強引な手段で金を集めようとするでしょう。そうなれば、被害を訴える声はさらに大きくなる」


 次に、俺は人差し指を立てた。


「第二に、その『被害の声』を、俺たちが拾い集め、整理する。いつ、どこで、誰が、どのような被害に遭ったか。具体的な証言を集め、書面にまとめる。これは、単なる噂話ではなく、動かぬ『証拠』となります」


 そして、三本目の指を立てる。


「最後に、それらの情報を、最も効果的な相手に、最も効果的な頃合いで届ける。会津藩の公用方、京都所司代、あるいは幕閣に繋がりのある人物。さらには、市井の噂として、民衆の間に広く拡散させる。『壬生浪士組の芹沢鴨は、京の治安を守るどころか、乱している張本人だ』と。そうやって、外堀を埋めていくんです」


 俺の言葉に、土方さんは腕を組み、黙って目を閉じていた。彼の頭の中で、俺の描いた策が、その是非を天秤にかけられているのだろう。


「目的は、芹沢鴨を『斬る』ことではありません。彼を『壬生浪士組にとって、そして会津藩にとって、もはや制御不能な厄介者』として、藩の上層部に認識させることです。そうなれば、会津藩は自らの体面を守るために、彼を排除せざるを得なくなる。それは、俺たち試衛館派による暗殺ではなく、あくまで会津藩による『公式な処分』という形になります。これならば、水戸藩への角も立たないし、内部に遺恨も残りにくい」


 俺は一気に言い切った。暴力は、知恵のない者の最後の手段だ。俺には、史実という知識と、官僚として培った組織論、そして情報操作のノウハウがある。それを最大限に活用して、最悪の未来を回避する。それが、この時代に転生した俺の使命のはずだ。


 しばらくの沈黙の後、土方さんはゆっくりと目を開けた。その瞳には、先程までの激情とは違う、冷たい光が宿っていた。


「……永倉。お前のやり方は、陰湿だな。まるで、蜘蛛が巣を張るようだ」

「褒め言葉と受け取っておきます」

「だが、そんな回りくどい手で、本当にあの化け物を抑え込めるのか?痺れを切らした奴が、力づくで全てをひっくり返しに来るかもしれんぞ」


 土方さんの懸念はもっともだ。俺の策は、効果が出るまでに時間がかかる。そして、その効果は不確実だ。


 それでも、俺は賭けるしかなかった。血を流す以外の、唯一の可能性に。


「暴力に訴えれば、その瞬間は勝てるかもしれません。ですが、その勝利は必ず次の争いの火種となる。俺は、そんな不毛な連鎖を断ち切りたい。近藤先生が目指す、真に強固な組織を作るために」


 俺は土方さんの目をまっすぐに見据えた。その瞳の奥に、俺自身の覚悟を映し出すように。


「血を流さずに敵を制す。それこそが、この乱世を生き抜くための、俺の兵法です」


 俺の言葉に、土方さんは再び黙り込んだ。部屋に落ちる沈黙が、やけに重く感じる。やがて、彼はふっと、まるで自嘲するかのように息を漏らした。


「……面白い」


 その口元に浮かんでいたのは、獰猛さとは違う、未知のものに対する好奇とでも言うべき笑みだった。


「気に入ったぜ、永倉。お前の言う『兵法』とやら、見せてもらおうじゃねえか。蜘蛛の巣で、あの化け物を絡め取れるというのなら、乗ってやる」


 半信半疑。それが土方さんの正直な気持ちだろう。だが、彼は賭けることを選んだ。俺という男の、その得体の知れない知恵とやらに。


「ありがとうございます」

「礼を言うのはまだ早い。まずは、近藤先生を説得するのが先だ。あの人は、お前の言う『情報戦』なんぞ、卑劣なやり方だと反対するかもしれん」

「そこです。だからこそ、まずは『局中法度』の制定を進言するんです。あくまで『組織の規律を正すため』という、誰もが納得する大義名分を掲げて。近藤先生も、それならば反対はしないでしょう。情報戦の件は、俺と土方さん、そして山崎や斎藤といった、ごく一部の者だけで進めればいい」


 俺たちは、敵を欺く前に、まず味方から欺かなければならない。そのことに、胸の奥がちくりと痛んだ。だが、これも、近藤勇という清廉すぎる男を頂点に戴く、この組織を守るためには必要な嘘だった。


「……分かった。そこまで筋書きが描けているのなら、俺はそれに乗ろう」


 土方さんは立ち上がると、障子の方へ向かった。


「今夜はもう休め。明日、近藤先生のところへ行くぞ。お前も同席しろ。法度の必要性を、お前の口からもしっかりと説明してもらう」


 その背中は、まだ俺の策を完全に信じ切ってはいないものの、それでも、新たな可能性に踏み出すことを決めた男の、力強さに満ちていた。


 俺は一人、部屋に残ると、静かに息を吐いた。


 血によらない粛清。それは、泥沼の暗闘の始まりを意味していた。だが、俺はもう、引き返すつもりはなかった。この手で、最悪の未来を塗り替えてみせる。たとえ、その手がどれだけ汚れることになろうとも。



主人公の「情報戦」という策を、土方は「陰湿」と評しつつも受け入れます。

二人はまず、近藤局長を動かす大義名分として「局中法度」の制定から着手することを決意。

血によらない粛清という、泥沼の暗闘が静かに幕を開けます。

未来を変えるため、その手が汚れることも厭わない覚悟でした。

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