第167話:大和創生戦争
二条城の大広間で、家茂は薩長討伐を「大和創生戦争」と名付け、新たな国造りのための戦いであると宣言します。
慶応三年、冬。
京の二条城大広間には、張り詰めた空気が漂っていた。
上段の間には、将軍・徳川家茂公が威儀を正して座している。その左右には、会津藩主・松平容保公をはじめとする譜代、親藩の重臣たちが並び、下段には各藩の代表者たちが平伏していた。
俺は、末席ではなく、家茂公のすぐ傍ら、御側御用取次に準ずる席を与えられていた。異例中の異例だが、今の非常事態において、身分を気にする者は少なかった。
「面を上げよ」
家茂公の凛とした声が響く。
諸大名が顔を上げる。その表情には、不安と緊張、そして決意が入り混じっていた。
朝廷から「薩長討伐」の勅命が下ったとはいえ、相手はあの薩摩と長州だ。鳥羽・伏見での勝利はあくまで防衛戦の結果であり、これから敵の本拠地へ攻め込むとなれば、話は別である。
「此度の戦、単なる逆賊討伐と思うてはならぬ」
家茂公は、静かに、しかし力強く語り始めた。
「薩長は、帝の愛し子を奪い、京を火の海にしようとした。その罪は万死に値する。だが、我々が目指すのは、彼らを滅ぼすことではない」
家茂公は一度言葉を切り、広間を見渡した。
「古き膿を出し切り、この日本を生まれ変わらせる。……これは、そのための産みの苦しみである。故に、余はこの戦を『大和創生戦争』と名付ける!」
大和創生戦争。
その言葉に、広間がどよめいた。
単なる内乱ではない。新しい国を創るための聖戦であるという宣言だ。
史実の戊辰戦争が「旧幕府軍の抵抗」として処理されたのに対し、家茂公はこれを「新生日本の建国戦争」と定義したのだ。
「松平肥後守(容保)」
「はっ」
「陛下の勅により、そなたを征討大将軍に任ずる。全軍の指揮を執れ」
「謹んで、お受けいたしまする」
容保公が深々と頭を下げる。その目には涙が浮かんでいた。孝明天皇の信頼篤い彼にとって、この戦いは義戦そのものなのだ。
「そして、永倉新八」
突然、俺の名が呼ばれた。
視線が一斉に俺に集まる。
「はっ」
「そなたを、征討軍『総参謀』に任ずる」
広間が再びざわめいた。一介の浪士上がり、新選組の隊士が、全軍の作戦を立案する総参謀とは。
だが、家茂公の視線は揺るがない。
「異論は認めぬ。……永倉は、未来を見通す眼を持っている。この難局を乗り切るには、古き慣習に囚われぬ知恵が必要なのだ」
俺は拳を握りしめ、頭を下げた。
「……御意。この命に代えましても、勝利を献上いたします」
軍議の後、俺は別室に設けられた作戦司令室にいた。
そこには、巨大な日本地図が広げられている。
俺は、集まった軍幹部たち――松平容保公、そして各藩の軍事責任者たちを見回した。
「単刀直入に申し上げます」
俺は指示棒で地図上の西国を叩いた。
「この戦争、長引かせれば我々の負けです」
「負けとはどういうことだ? 兵力差は歴然ではないか」
ある藩の重臣が怪訝な顔をする。
「兵の数ではありません。……『時間』です」
俺は説明を続けた。
「薩長は追い詰められています。彼らが生き残るために頼るのは、異国……特にイギリスです。もし戦争が泥沼化し、イギリスが『自国民保護』や『貿易の安定』を名目に軍事介入してくれば、日本は植民地化の危機に晒されます」
俺の言葉に、室内の空気が凍りついた。
アヘン戦争の二の舞。それは、誰もが恐れる最悪のシナリオだ。
「故に、勝負は短期決戦。……圧倒的な火力と機動力で、敵が体勢を立て直す前に中枢を叩く。それが唯一の道です」
「しかし、それには莫大な物資と、高度な連携が必要となるぞ」
容保公が懸念を示す。
「ご安心ください。そのための準備は進めています」
俺は合図を送った。
襖が開き、一人の男が入ってきた。
黒縁の眼鏡をかけ、洋装に身を包んだ男。武田観柳斎だ。
かつて新選組で軍事方として振る舞いながらも、どこか胡散臭さが拭えなかった男だが、今の彼は違っていた。その目には、自信と野心がみなぎっている。
「ご紹介に預かりました、武田観柳斎でございます」
武田は慇懃に一礼すると、持参した図面を広げた。
「永倉総参謀の指示の下、我が軍の編成案を練り上げました。……これまでの『藩』ごとの部隊編成を改め、装備と練度によって再編した『師団』制度を導入します」
「師団……?」
「はい。小銃隊、砲兵隊、騎兵隊を機能的に組み合わせ、単独で作戦行動が可能な部隊単位です。……これはフランス陸軍の方式を参考に、日本の地形に合わせて改良したものです」
武田は流暢に解説を始めた。
ナポレオン戦術からプロイセンの参謀本部制度まで、彼は貪るように吸収していた西洋の軍学知識を、ここぞとばかりに披露する。
「特に重要なのは、火力の集中運用です。各藩でバラバラに撃つのではなく、指揮官の号令一下、弾幕を張る。……これで、薩長のゲリラ戦術を封じ込めます」
武田の説明は論理的で、説得力があった。
史実では裏切り者として粛清された彼だが、その才能を正しく使えば、これほど頼もしい男はいない。彼は「認められたい」という欲求が強いだけなのだ。
「武田、頼むぞ。現場の指揮官への教育は、あんたに任せる」
「お任せあれ、総参謀殿。……ふふ、私の軍略が天下を動かす日が来るとは、長生きはするものですなぁ」
武田はニヤリと笑った。その笑顔は相変わらず少し鼻につくが、今はそれが頼もしく思えた。
軍事面の見通しは立った。次は、それを支える「兵站」と「金」だ。
俺は、もう一人の男を呼んだ。
渋沢栄一。一橋家の家臣であり、この時代の日本で最も経済に明るい男だ。
「渋沢さん、状況は?」
俺が尋ねると、渋沢は書類の束を抱えて苦笑いした。
「いやはや、永倉さん。とんでもない大仕事ですよ、これは」
彼は書類を机に置いた。
「諸藩からの献金だけでは、近代戦の戦費は賄えません。……蒸気船の燃料、新型銃の弾薬、兵糧。計算すればするほど、目が回ります」
「で、どうするんです?」
「……新しい仕組みを作ります」
渋沢の目が鋭く光った。
「『大和創生公債』の発行です」
「公債?」
聞き慣れない言葉に、周囲が首を傾げる。
「簡単に言えば、幕府が商人や豪農、さらには一般の民衆から金を借りるのです。そして、戦に勝った暁には、利子をつけて返す。……国の借金ですね」
「幕府が民に借金をするだと? そのような恥知らずな……」
古い家臣が顔をしかめるが、渋沢は一歩も引かなかった。
「恥ではありません! これは、民衆に『この国への投資』をしてもらうということです。……薩長を倒し、新しい豊かな日本を作る。その夢に金を賭けてもらうのです」
渋沢は熱弁を振るった。
「戦費を強制的に徴収すれば、民心は離れます。しかし、公債という形で協力を仰げば、民衆もまた『自分たちの戦争』として当事者意識を持つようになる。……これこそが、近代国家のあり方です」
俺は頷いた。
さすがは、後の日本資本主義の父だ。彼はすでに、封建社会の枠組みを超えた経済システムを見据えている。
「上様には、私から説明して許可をいただきます。……渋沢さん、あんたが日本の財布を握ってくれ」
「ええ、任されました。……ソロバン勘定で、薩長に勝ってみせましょう」
渋沢は力強く請け負った。
夜、俺は一人、城郭の櫓に上った。
冷たい風が頬を撫でる。
武田観柳斎の軍略、渋沢栄一の経済力、そして松平容保公の統率力。
役者は揃った。
史実の戊辰戦争では、旧幕府軍はバラバラで、指揮系統も混乱し、物資も不足していた。
だが、今の我々は違う。
明確なビジョンと、統一された指揮系統、そして近代的なバックアップ体制がある。
「……見ていてください、親王殿下」
俺は夜空を見上げた。
星は見えない。だが、雲の向こうには確かに星があるはずだ。
「俺は、もう迷わない。……この戦いで、必ず平和な時代を切り開いてみせます」
翌朝、大手門が開かれた。
朝日を浴びて、新式の軍装に身を包んだ幕府軍の精鋭たちが、整然と行進を開始する。
その先頭には、「大和創生」の文字が染め抜かれた新しい旗が翻っていた。
錦の御旗ではない。過去の権威にすがるものではなく、未来への意志を示す旗だ。
俺は馬上の人となり、家茂公の傍らに並んだ。
「行くぞ、新八」
「はい、上様」
号令と共に、歴史の歯車が大きく回り始めた。
目指すは西。
日本の夜明けを、この手で掴み取るために。
新八は、外国の介入を防ぐため短期決戦を主張します。
その切り札として現れたのは、新選組軍事方・武田観柳斎でした。
西洋軍学を吸収した彼は、師団制度の導入を提案し、自信に満ちた笑みを浮かべます。




