第163話:鬼の反撃
伏見街道は、敗走する薩長兵と、それを追う幕府軍の戦場と化していました。
土方歳三、沖田総司、そして中沢琴。
鬼神の如き強さで敵を圧倒する彼らの胸には、深い悲しみと怒りが渦巻いていました。
京の南、伏見街道。
かつては旅人や商人で賑わったこの街道も、今は敗走する薩長兵の悲鳴と、それを追う幕府軍の怒号で埋め尽くされていた。
それは、もはや戦争ではなかった。
一方的な狩りだった。
「逃がすな! 一人残らず討ち取れ!」
土方歳三の声が、戦場に響き渡る。
彼は愛刀・和泉守兼定を片手に、鬼神の如き形相で敵陣に切り込んでいた。
その剣筋には、一切の迷いがない。
彼にとって、薩長はもはや敵ですらなかった。
皇子を殺し、日本の未来を汚した、ただの害虫だった。
「ひ、ひぃぃぃ!」
薩摩の兵士が、恐怖に顔を歪めて逃げ惑う。
だが、土方はその背中を容赦なく斬り捨てた。
鮮血が舞い、男が崩れ落ちる。
土方は、返り血を拭おうともせず、次の獲物を探した。
「……こんなものか。維新の志士とやらの正体は」
彼の瞳は、氷のように冷たく、そして底なしに暗かった。
彼は知っていたのだ。
この戦いが終わっても、失われたものは戻らないことを。
だからこそ、彼は鬼になることを選んだ。
二度と、こんな悲劇を繰り返させないために、恐怖という名の楔を敵の心に打ち込むために。
その少し後方では、沖田総司と中沢琴が並んで戦っていた。
沖田の剣は、病魔に侵されているとは思えないほど鋭く、そして速かった。
彼の「三段突き」が閃くたびに、敵兵が音もなく倒れていく。
だが、その横で戦う琴の姿は、さらに凄まじかった。
「許さない……!」
琴は、大薙刀を風車のように振り回し、敵兵をなぎ倒していた。
その目には、涙が溢れていた。
「子供を……あんな小さな子供を殺すなんて……! あんたたち、それでも人間なの!?」
彼女の怒りは、理屈ではなかった。
純粋な義憤であり、母性にも似た慈愛の裏返しだった。
彼女にとって、睦仁親王は遠い雲の上の存在ではなく、守るべき未来そのものだったのだ。
「琴さん、落ち着いて!」
沖田が、暴走しかける彼女を制した。
「怒りに飲まれないでください。……剣が鈍ります」
「でも……! 総司だって、悔しいでしょう!?」
「悔しいですよ。……はらわたが煮えくり返るほどにね」
沖田は、静かに微笑んだ。
だが、その笑顔は、いつもの無邪気なものではなく、どこか壊れた人形のような不気味さを湛えていた。
「だからこそ、確実に殺すんです。……痛みも感じさせないほど、素早くね」
二人は、修羅の道を駆けていく。
その背中には、悲しみと怒りが、黒い翼のように広がっていた。
一方、藤堂平助は、逃げ遅れた長州兵の一団と対峙していた。
その中には、かつて京の町で顔を合わせたことのある若者もいた。
「……藤堂さん、か」
若者は、震える手で刀を構えた。
「あんたとは、酒を飲みたかったよ」
「……ああ。俺もだ」
平助は、切なげに眉を寄せた。
もし時代が違えば、彼らは友人になれたかもしれない。
同じ国の未来を憂い、語り合える仲間になれたかもしれない。
だが、今は違う。
彼らの間には、皇子の血という、決して越えられない川が流れている。
「悪く思わないでくれ」
平助は、迷いを断ち切るように叫んだ。
「俺は、新選組だ! 幕府のために、そして死んでいった親王殿下のために、お前たちを斬る!」
彼は踏み込み、一閃した。
若者の体が崩れ落ちる。
平助は、その死顔を見ることなく、次へと進んだ。
その目には、もう迷いはなかった。
あるのは、選んだ道を突き進む覚悟だけだった。
そして、戦場は陸だけではなかった。
大阪湾。
榎本武揚率いる幕府海軍の艦隊が、敗走する薩長軍を待ち構えていた。
旗艦「開陽丸」の艦橋で、榎本は望遠鏡を覗いていた。
「……見えたな。哀れな敗残兵どもが」
彼の声には、侮蔑と憐憫が入り混じっていた。
かつては、日本の夜明けを共に夢見たかもしれない相手。
だが、彼らは道を誤った。
そして、その代償を支払う時が来たのだ。
「全艦、砲撃用意!」
号令が下る。
巨大な砲身が、陸の敵影に向けられる。
「撃てぇぇぇ!!」
ドォォォォン!!
轟音と共に、無数の砲弾が空を切り裂いた。
それは、逃げ惑う薩長兵の頭上に降り注ぎ、大地をえぐり、炎の華を咲かせた。
圧倒的な火力。
近代兵器の暴力的なまでの威力が、精神論だけで戦おうとした彼らの幻想を粉砕していく。
「これが、新しい時代の戦いだ」
榎本は、炎上する海岸線を冷ややかに見つめた。
「刀や槍で国を変えられる時代は終わったんだ。……それを理解できなかったお前たちの負けだ」
京の御所。
徳川家茂は、遠くから聞こえる砲声に耳を傾けていた。
彼の表情は、勝利者のそれではなく、重い十字架を背負った巡礼者のようだった。
「……終わらせてくれ、みんな」
彼は、祈るように手を合わせた。
「この悲劇を、二度と繰り返さないために。……すべての罪は、私が背負うから」
鬼たちの反撃は、慈悲なき殲滅戦となって続いた。
それは、単なる復讐ではない。
狂ってしまった歴史を、力ずくで正そうとする、血塗られた手術だった。
そして、その手術が終わった時、日本という国は、全く別の姿へと生まれ変わることになるだろう。
陸では新選組が猛威を振るい、海では榎本武揚率いる艦隊が圧倒的な火力で敵を粉砕しました。
慈悲なき殲滅戦の果てに、家茂は全ての罪を背負う覚悟を固めます。
狂った歴史を正すための、血塗られた手術が続きます。




