第155話:禁門の変、再び
蛤御門に、再び嵐が迫ります。
翻る錦の御旗、渦巻く狂信、そして試される武士の誠。
新八は土方や仲間と共に、御所を守る最前線へ立ちます。
京の都は、かつてない熱気と殺気に包まれていた。
蛤御門。
かつて長州藩が禁裏への侵入を試み、敗れ去った因縁の場所。
俺は、その門の内側に立ち、眼前に広がる光景を睨みつけていた。
「……出やがったな」
隣に立つ土方歳三が、苦々しげに吐き捨てる。
御所を取り囲むように展開する薩摩・長州の連合軍。その先頭には、鮮烈な赤地の錦に、金糸で日月の紋章が刺繍された旗が翻っていた。
錦の御旗。
朝廷の軍、すなわち「官軍」であることを示す絶対の証。
だが、俺たちは知っている。あれが岩倉具視と大久保利通らが密造した、真っ赤な偽物であることを。
「見ろ、この旗を! 我らこそが官軍である!」
「君側の奸、会津と徳川を討て! 帝を穢す逆賊に天誅を下せ!」
敵陣から上がる鬨の声が、ビリビリと空気を震わせる。
その声には、狂信的な響きがあった。彼らは本気で信じているのだ。自分たちが正義であり、幕府こそが悪であると。あるいは、そう信じ込まなければ、帝に向けて弓引く恐怖に耐えられないのかもしれない。
門を守る会津藩兵たちの間に、動揺が走るのがわかった。
「錦の御旗……まさか、我らは朝敵なのか?」
「帝は、薩長にお味方されたのか……」
無理もない。数百年にわたり、武士の魂に刷り込まれた「朝廷への畏敬」は、理屈で消せるものではない。あの旗を見ただけで、足がすくむのが当時の日本人の常識だ。
「狼狽えるな!」
その動揺を一喝で断ち切ったのは、京都守護職・松平容保公だった。
病弱で知られる容保公だが、今日の彼は違った。陣羽織を纏い、愛刀を佩いたその姿は、まさに会津武士の鑑そのものだった。
「あの旗は偽りである! 帝は、我ら会津と徳川を深く信頼しておられる! 先日の謁見にて、帝ご自身がそう仰せられたのだ!」
容保公の声が、朗々と響き渡る。
「帝の御心を無視し、偽りの旗を掲げて御所を犯そうとする彼らこそが、真の朝敵! 逆賊である! ここを通すわけにはいかん! 一人たりとも、帝の御前には近づけさせるな!」
「おおおおっ!」
会津兵たちの目に、再び光が宿る。主君の迷いない言葉が、彼らの恐怖を勇気へと変えたのだ。
俺は、愛刀・播州住手柄山氏繁の鯉口を切った。
「聞いたか、野郎ども! 容保公の仰る通りだ!」
俺の後ろには、新選組の精鋭たちが控えている。そしてその横には、庄内藩預かりの「新徴組」が並ぶ。今や俺たちとは兄弟のような組織だ。
「へっ、偽物の旗なんざ、俺たちの『誠』の旗でへし折ってやらあ!」
原田左之助が槍を回し、不敵に笑う。
「面白い。どちらが本物の正義か、剣で語り合うとしよう」
斎藤一が、静かに構える。
そして、我らが局長・近藤勇が前に進み出た。
彼は大きく息を吸い込むと、腹の底から声を張り上げた。
「新選組、抜刀! 今こそ武士の本懐を遂げる時ぞ! 我らの剣は、帝のため、幕府のため、そして京の安寧のためにある! 薩長の野望、この蛤御門で打ち砕けぇぇっ!」
「うおおおおおっ!!」
新選組と新徴組、そして会津藩兵、庄内藩兵の怒号が重なり、巨大なうねりとなって敵陣へとぶつかった。
ドォォォン!
開戦の合図となる砲声が轟いた。
薩長軍が一斉に押し寄せてくる。
歴史上、「禁門の変」として知られる戦いは、長州藩が暴発し、幕府軍がそれを鎮圧する図式だった。だが今回は違う。薩摩と長州が手を組み、周到な計画のもとに攻めてきている。
しかも、彼らの装備は最新鋭だ。
ミニエー銃の乾いた発砲音が連続して響き、鉛玉が門柱を削る。
「撃てぇっ!」
こちらの銃撃隊も応戦する。先に導入した後装式ライフルのシャスポー銃に加え、多銃身の葡萄弾銃の導入を急がせたおかげで、火力では負けていない。
だが、敵の数が多い。波のように押し寄せる兵士たちが、死体を乗り越えて門へと殺到する。
「来るぞ! 白兵戦だ!」
俺は叫び、最前線へと飛び出した。
目の前に現れたのは、奇妙な部隊だった。
髷を結わず、洋装の軍服に身を包み、散兵戦術を駆使してくる集団。
長州藩・奇兵隊だ。
その指揮を執っているのは、馬上の男、山県有朋。
史実では後の日本陸軍の父と呼ばれる男だ。
「旧態依然とした剣客集団が。時代遅れなんだよ、お前たちは!」
山県が叫び、指揮刀を振り下ろす。
奇兵隊の兵士たちが、銃剣を構えて突撃してくる。
確かに、彼らの動きは洗練されている。個人の武勇よりも、集団としての統率を重視した近代的な戦い方だ。
だが。
「時代遅れかどうかは、斬られてから言いな!」
俺は踏み込み、先頭の兵士の銃剣を払い除け、その勢いで袈裟懸けに斬り伏せた。
速い。
自分でも驚くほどの反応速度だ。
史実の知識と、この時代で培った実戦経験。そして何より、「負けられない」という意志が、俺の剣を極限まで研ぎ澄ませていた。
「なにっ!?」
山県が目を見開く。
「新選組を舐めるなよ! 俺たちは、ただの人斬り集団じゃねえ!」
俺に呼応するように、沖田総司、斎藤一ら、隊長格が次々と敵陣に斬り込む。
彼らは銃弾を紙一重でかわし、銃剣の隙間を縫って、確実に敵を仕留めていく。
近代戦術といえど、接近戦に持ち込まれれば、剣の達人には敵わない。特に、京の狭い路地や門前での乱戦は、我々の独壇場だ。
「くっ……引くな! 射撃を続けろ!」
山県が焦りの色を見せる。
俺は戦況を見渡した。
右翼では会津藩兵が、伝統の長槍と鉄砲で薩摩兵を食い止めている。
左翼では新徴組と庄内藩兵が、その特有の勇猛さで敵を押し返している。
そして中央、蛤御門。
ここを突破されれば、御所は火の海になる。
「土方さん! あそこだ!」
俺は指差した。
敵の後方、安全圏と思われる場所に、ひときわ豪華な駕籠と、それを取り巻く指揮官たちの姿が見えた。
大久保利通、そして木戸孝允(桂小五郎)。
彼らがこの戦の絵を描いた張本人たちだ。
「ああ、見えたぜ。……首魁を叩けば、烏合の衆は崩れる」
土方がニヤリと笑う。
「総司! 斎藤! 俺と永倉で道を開ける! 突っ込め!」
「了解!」
沖田が弾むような声で応える。
俺と土方は並んで駆け出した。
銃弾が頬をかすめる。だが、止まらない。
俺たちの背中には、家茂公の、そして帝の信頼がある。
そして何より、俺自身が誓ったのだ。
この国を、薩長の独裁国家にはさせない。
徳川と朝廷が手を取り合い、誰もが笑って暮らせる新しい日本を作るのだと。
「どけぇぇっ!」
俺の剣が閃く。
奇兵隊の防衛線が崩れた。
その隙を逃さず、沖田と斎藤が疾風のように駆け抜ける。
大久保たちの表情が、驚愕に凍りつくのが見えた。
だが、敵もさるもの。
すぐに予備兵力を投入し、厚い壁を作る。
一進一退。
戦況は膠着しつつあった。
しかし、それは幕府軍にとって有利な状況ではない。
敵は数に勝る。時間が経てば、包囲網は狭まってくる。
そして何より、彼らには「切り札」があった。
ドォォォン!
先ほどとは違う、重い衝撃音が響いた。
御所の塀の一部が崩れ落ちる。
「アームストロング砲か……!」
俺は舌打ちした。
佐賀藩などが導入していた最新のアームストロング砲。それが薩長軍にも配備されていたのだ。
その破壊力は、旧来の大砲とは桁が違う。
「御所を砲撃する気か! 狂ってやがる!」
原田が叫ぶ。
帝の居所を砲撃するなど、前代未聞の暴挙だ。
だが、今の彼らにとって、帝は「奪うべき象徴」でしかない。抵抗するなら、力ずくで屈服させる。それが彼らの「維新」の正体だった。
黒い煙が、御所の上空に立ち上り始めた。
火の手が上がったのだ。
京の街が、悲鳴を上げている。
「……許せねえ」
俺の中で、熱いものがこみ上げてきた。
歴史を守るためではない。
今、ここで生きる人々を守るために。
俺は剣を握り直し、燃え上がる炎に照らされた戦場を睨みつけた。
「ここからが本番だ。……行くぞ、新選組!」
俺の咆哮に、仲間たちが応える。
禁門の変、再び。
だが、結末は史実通りにはさせない。
俺たちの「誠」が勝つか、彼らの「偽りの御旗」が勝つか。
京の街を焦がす業火の中で、運命の歯車は狂ったように回り続けていた。
偽りの御旗に揺らぐ心を、容保の檄と新選組の誠が奮い立たせました。
最新装備の薩長軍が押し寄せる中、新八は白兵戦へ踏み込みます。
禁門の因縁が、今度こそ決着へ向かいます。




