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第150話:好敵手からの文

将軍行列襲撃事件の後、負傷した新八は山南の手当てを受けていました。

松本良順と共に医療体制の不備を痛感する中、一通の手紙が届きます。

 京の街に漂う硝煙と血の匂いは、夕暮れ時になっても消えることはなかった。

 新選組屯所、西本願寺の一角にある医務室。

 俺は上裸になり、左肩に巻かれた包帯を交換されていた。


「痛みますか、永倉君」

 穏やかな声と共に、手際よく包帯を巻いてくれるのは、総長・山南敬助だ。

 本来なら、彼は元治二年に切腹して果てているはずだった。だが、俺が歴史に介入し、彼の脱走を未然に防ぎ、その悩みを聞き入れたことで、彼は今も新選組の良心としてここにいる。

 学者肌で温厚、しかし芯の強いこの男は、隊内での人望も厚い。特に、血気盛んな隊士たちの精神的な支柱となっていた。


「いえ、山南さんのおかげで随分と楽になりました。傷自体は大したことありません」

 俺が強がると、山南は眼鏡の奥の瞳を細めて苦笑した。

「銃創は見た目以上に体に負担をかけるものです。無理はいけませんよ。……それにしても、まさか白昼堂々、将軍行列を襲うとは」

 山南の手が止まり、その表情が曇る。

「ええ。奴らはもう、なりふり構っていられなくなったのでしょう。公議政体への移行が決定的になった今、武力でひっくり返すしかなくなった」

「獣は追い詰められると、最も凶暴になる……か」

 山南は静かに呟き、最後の一巻きを終えた。


 その時、障子が開き、松本良順先生が入ってきた。

 幕府医学所頭取であり、将軍の侍医も務める日本医学界の最高権威だ。

「永倉、傷の具合はどうだ」

「先生。おかげさまで、弾は貫通していましたし、骨にも達していません」

「運が良かったな。だが、感染症には気をつけろ。消毒は徹底するよう指示してある」

 良順先生は俺の肩を一瞥し、そして深刻な顔で腕を組んだ。

「今回の襲撃、負傷者は新選組だけで十名、会津藩兵にも多数の死傷者が出た。……こちらの医療体制の不備を痛感するよ。野戦病院のような仕組みが必要だ」

「野戦病院……ですか」

「ああ。欧米では、戦場のすぐ後方に治療拠点を設け、速やかに処置を行うシステムがある。今の京には、それがない。搬送に時間がかかり、助かる命も助からない」


 良順先生の言葉は、未来の知識を持つ俺にとっても耳の痛い話だった。近代化を進めてきたつもりだったが、医療というインフラの整備が追いついていない。

「先生、その件、早急に進めましょう。必要な予算は私がなんとか工面します」

「頼む。お前の『未来の知識』とやらには、いつも助けられるが、今回ばかりは俺たちの準備不足だ」


 そこへ、一人の隊士が駆け込んできた。

「永倉先生! 急ぎの文が届いております!」

「文? 誰からだ」

「はっ、それが……差出人の名はありませんが、使いの者が『長州の客人からだ』と」

 長州。

 その言葉に、室内の空気が凍りついた。

 山南が鋭い視線を俺に向ける。

「永倉君、これは……」

「開けてみましょう」

 俺は封を切り、中身を取り出した。

 そこには、独特の癖のある、しかし勢いのある筆致で、短い文章が記されていた。


『拝啓 新選組二番隊組長殿

 京の暑さは如何ばかりか。

 さて、単刀直入に申す。貴殿の命、今はまだ薩長の好きにはさせぬ。

 奴らの狙いは、京の将軍首だけにあらず。

 東の空、江戸の剣客小町にも、黒い影が忍び寄っていると知れ。

 我が命を救いし借りは、これで返したつもりだ。

 死ぬなよ、永倉。貴様とは、いずれ戦場で決着をつけねばならんのだからな。

 狂人より』


 署名はない。だが、「狂人」という名乗り、そしてこの文面。

 高杉晋作だ。

 以前、俺が松本良順先生を通じて結核の治療法を伝えたことへの、彼なりの義理立てか。

 だが、その内容は衝撃的だった。

「江戸の……佐那さんが?」

 俺は思わず立ち上がりそうになり、肩の激痛に顔をしかめた。

「永倉君! 動いてはいけません!」

 山南が俺を制する。

「しかし、山南さん! これは……!」

 俺は手紙を山南に渡した。彼はそれを読み、目を見開いた。

「……千葉佐那殿が標的だと? まさか、岩倉たちは江戸でも事を起こすつもりなのか」

「あり得ます。将軍が不在の江戸を撹乱し、幕府の足元を崩す。そして、千葉道場の佐那さんを狙うことで、私を動揺させる……」


 卑劣だ。

 だが、戦略としては合理的だ。

 岩倉具視と薩摩の大久保利通。彼らならやりかねない。


「どうするつもりだ、永倉君」

 良順先生が静かに問うた。

「今すぐ江戸へ戻るか?」

 俺は唇を噛み締めた。


 戻りたい。今すぐにでも飛んで帰りたい。

 だが、今俺が京を離れれば、家茂公はどうなる? 公議政体への移行という、歴史の転換点はどうなる?

 俺がここにいるからこそ、防げている悲劇がある。

 しかし、佐那を失うことなど、考えたくもない。


「……戻れません」

 俺は絞り出すように言った。

「俺がここを離れれば、全てが水泡に帰します。家茂公を、京を、見捨てるわけにはいきません」

「だが、千葉の娘さんはどうする」

「信じます」

 俺は窓の外、東の空を見上げた。

 夕闇が迫る空の向こうに、江戸がある。

「佐那さんは強い。北辰一刀流の免許皆伝です。それに、彼女には仲間がいる。……そして、この手紙が届いたということは、高杉も何らかの手を打ってくれているのかもしれない」

 敵であるはずの高杉が、わざわざ警告を送ってきた。それは、彼自身が薩長のやり方に反発している証拠でもある。

 「貴殿の命、今はまだ薩長の好きにはさせぬ」

 その言葉の裏には、彼なりの美学と、奇妙な友情のようなものすら感じられた。


「山南さん、頼みがあります」

 俺は山南に向き直った。

「江戸の留守居役に、早馬を出してください。佐那さんの身辺警護を強化するようにと。それと……小栗忠順様にも、江戸市中の警備を厳重にするよう伝えてください」

「承知しました。直ちに手配します」

 山南は力強く頷き、部屋を出て行った。彼の背中には、かつてのような迷いは微塵もなかった。


 部屋に残された俺と良順先生。

 先生はため息をつき、俺の肩に手を置いた。

「お主も辛いな。世の中を変えるというのは、これほどの痛みを伴うものか」

「……覚悟の上です。俺は、誰も死なせたくない。家茂公も、新選組の仲間も、そして佐那さんも。そのために、俺は修羅になります」

「修羅か。……だが、体だけは大事にしろよ。お主が倒れたら、それこそ終わりだ」

 良順先生はそう言い残し、治療道具を片付け始めた。


 一人になった俺は、再び東の空を見上げた。

 一番星が輝き始めている。

 佐那。

 君は今、何を見ているだろうか。

 俺の無事を祈ってくれているのだろうか。

 俺も祈る。君の無事を。

 そして誓う。必ず生きて、君の元へ帰ると。


 その夜、俺は夢を見た。

 燃え盛る江戸の街。

 炎の中で、佐那が薙刀を構えて立っている。

 その周囲には、無数の敵。

 俺は叫びながら駆け寄ろうとするが、足が動かない。

 佐那が振り返り、微笑む。

『新八様。私は大丈夫です』

 その笑顔が、炎に包まれて消えていく――。


「はっ!」

 俺は飛び起きた。

 全身びっしょりと汗をかいている。肩の傷がズキズキと痛んだ。

 悪い夢だ。

 だが、それは単なる夢ではないかもしれない。

 予知か、あるいは虫の知らせか。


 俺は枕元の刀を引き寄せ、抱きしめた。

 冷たい鞘の感触が、少しだけ心を落ち着かせてくれる。

 高杉の手紙。

 それは、俺に新たな覚悟を強いるものだった。

 京と江戸。

 二つの戦場で、同時に戦わねばならない。

 距離は離れていても、俺の心は佐那と共にある。

 そして、彼女もまた、俺と共に戦ってくれているはずだ。


 夜明けは近い。

 だが、その前に訪れる闇は、かつてないほどに深く、濃いものだった。


高杉晋作からの手紙は、敵味方を超えた絆を感じさせると同時に、新たな危機の始まりを告げるものでした。

京と江戸、離れた場所で同時に進行する陰謀に、新八の苦悩が深まります。

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