表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
143/169

第143話:公議政体の胎動

京の都に満ちる新しい時代の予感。

二条城にて、新八は容保公に「公議政体」を説きます。

 五月。

 京の都は、かつてない熱気に包まれていた。

 それは、血なまぐさい戦の予感ではなく、新しい時代が幕を開けようとする、希望に満ちた高揚感だった。


 二条城、黒書院。

 広げられた大判の和紙を前に、俺は筆を走らせていた。

 傍らには、京都守護職・松平容保公が、感嘆のため息を漏らしながらその様子を見守っている。


「……永倉。これは、真に実現可能なのか?」

 容保公が指差したのは、俺が書き上げたばかりの『新体制大綱』の一節、「議会開設」の項目だ。

「可能です。いや、やらねばなりません」

 俺は筆を置き、容保公の誠実な瞳を見据えた。

「薩長が掲げる『王政復古』は、結局のところ、権力を徳川から彼らに移すだけのもの。それでは、また新たな藩閥政治が生まれるだけです。我々が目指すのは、広く天下の公論を採り入れ、万機を公論に決する仕組み――すなわち『公議政体』です」


 俺は言葉を継ぐ。

「帝を国家元首として戴きつつ、行政権は将軍家が担う。しかし、その権力行使は、諸藩の代表者からなる『上院』と、広く有識者を集めた『下院』による議会の承認を必要とする。これにより、独裁を防ぎ、国全体の総意として政治を行うのです」


 容保公は腕を組み、深く考え込んだ。

「……帝の権威と、徳川の統治能力を融合させる、か。確かに、それならば朝廷も諸藩も納得せざるを得まい。だが、身分によらぬ人材登用、というのは……」

「そこが肝要です」

 俺は力を込めて言った。

「これからの日本に必要なのは、家柄ではなく、実力です。農民だろうが町人だろうが、才ある者は国のために働く機会を与える。それが、欧米列強に対抗できる強い国を作る唯一の道です」


 その時、襖が静かに開いた。

「永倉の言う通りだ、肥後守ひごのかみ

 現れたのは、将軍・徳川家茂だった。

 健康を取り戻した彼の顔には、自信と活力が満ち溢れている。

「上様!」

 容保公が慌てて平伏しようとするのを、家茂は手で制した。

「よい。今は公式の場ではない。……永倉、その大綱、余に見せてみよ」


 家茂は俺が書いた『新体制大綱』を手に取り、食い入るように読み始めた。

 議会制度、身分制の撤廃、そして……。

「『日本中央銀行』の設立……か」

 家茂が呟く。

「はい。各藩が勝手に藩札を発行している現状では、経済の統一は図れません。統一通貨「円」を作り、中央銀行が一元管理する。これにより、日本の経済力は飛躍的に向上します」

 俺の説明に、家茂は大きく頷いた。

「金は天下の回りもの、と言うが、その流れを制御できれば、国は富む。……良いな。実に面白いぞ、永倉」


 家茂は顔を上げ、少年のように目を輝かせた。

「これを、やるのだな。余の手で」

「はい。上様ならば、必ずできます」

「……うむ。肥後守、そなたも力を貸してくれるな?」

 家茂の問いに、容保公は居住まいを正し、深く頭を下げた。

「はっ! この容保、身命を賭して、上様の理想実現にお仕えいたします。会津の武士道にかけて!」


 家茂は満足げに微笑むと、懐から一通の書状を取り出した。

「実はな、すでに帝より勅許をいただいてるのだ」

「なんと……!」

 容保公は息を吞んだ。

「『公議政体』への移行、そして幕政改革の断行。帝は『家茂の思うままにせよ』と仰せられた。これで、大義名分は我にある」


 家茂は窓辺に歩み寄り、京の街並みを見下ろした。

「……余は、この新しい日本を、早く宮さんに見せてやりたいのだ」

 その声は、優しく、温かかった。

「江戸にいる宮さんに、文を送った。『もうすぐ、誰も見たことのない素晴らしい国ができる。その時こそ、胸を張ってそなたを迎えに行く』とな」


 史実では、家茂の遺体が江戸に帰り、和宮が涙に暮れた。

 だが、この世界では違う。

 生きて、新しい時代を切り拓いた英雄として、彼は最愛の妻の元へ帰るのだ。


「和宮様も、きっと首を長くしてお待ちでしょう」

 俺が言うと、家茂は照れくさそうに笑った。

「ああ。返事が来たのだがな。『待ちくたびれて、首が鶴のように長くなってしまいます』と書いてあった。あの方は、時々妙な冗談を仰る」

 場が和やかな笑いに包まれた。


 しかし、俺の心の一部は、冷静に現状を分析していた。

 光が強まれば、影もまた濃くなる。

 幕府主導の改革が成功すればするほど、倒幕を掲げる薩長の立場はなくなる。

 彼らは、追い詰められている。

 そして、追い詰められた獣ほど、恐ろしいものはない。


「……上様、容保公。油断は禁物です」

 俺は表情を引き締めて言った。

「改革が進めば進むほど、既得権益を失う者たちの抵抗は激しくなります。特に、薩長は……」

「分かっている」

 家茂の瞳から、笑みが消え、鋭い光が宿った。

「彼らは、手段を選ばぬだろう。だが、余はもう逃げぬ。帝の信頼と、そなたたちの助けがある限り、どのような陰謀も打ち砕いてみせる」


 その言葉には、一国の主としての揺るぎない覚悟があった。

 俺は改めて、この若き将軍に一生の忠誠を誓った。

 現代知識を持つ俺が、彼の剣となり、盾となる。

 歴史の荒波を、この手でねじ伏せてやる。


 その夜。

 新選組屯所の一室で、俺は土方歳三と酒を酌み交わしていた。

「……へえ。いよいよ、国造りってわけか」

 土方は盃を干し、ニヤリと笑った。

「お前が最初にここに来た時、ただの剣術バカかと思ったもんだが……まさか、将軍様の知恵袋になるとはな」

「俺も、こんなことになるとは思ってませんでしたよ」

 俺は苦笑しながら、酒を注ぎ足した。

「でも、やるしかない。この国を、滅茶苦茶にさせないためには」


「ああ、分かってる」

 土方の目が、鋭く光った。

「俺たちの仕事は、お前らが描いた絵図面を、血で汚そうとする連中を排除することだ。……最近、京の街が妙に静かだ。嵐の前の静けさってやつか」

「ええ。岩倉たちが、何か企んでいるのは間違いない」

「山崎に探らせているが、尻尾を出さねえ。相当、慎重になってやがる」


 土方は煙管を取り出し、紫煙をくゆらせた。

「だが、焦りは禁物だ。向こうが動くのを待つ。動いた瞬間、叩き潰す。……総司の調子もいいしな」

「ああ、琴さんのおかげですね」

「ふん、あの朴念仁が。まあ、悪くはねえがな」


 土方は憎まれ口を叩きながらも、その表情はどこか嬉しそうだった。

 俺たちは、それぞれの場所で、それぞれの戦いをしている。

 政治の場で戦う俺と家茂。

 剣の場で戦う土方や沖田。

 そして、その全てを支える多くの人々。


 公議政体の胎動は、確実に始まっている。

 それは、誰にも止められない時代の奔流だ。

 だが、その流れを堰き止めようとする黒い影が、すぐそこまで迫っていた。


 俺は窓の外、暗闇に沈む京の街を見つめた。

 遠くで、犬の遠吠えが聞こえた。

 夜明けは近い。

 だが、その前に訪れる最も深い闇を、俺たちは乗り越えなければならない。


「……行くぞ、新八」

「おう」

 俺たちは盃を合わせ、静かに決意を新たにした。


家茂の英断と容保公の覚悟に胸が熱くなります。

しかし、光が強まれば影も濃くなる予感が漂います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ