88:霧中の襲撃
10/29 内容を一部改稿しました。
宿の主人がなんの脈絡もなく襲いかかってきたことを踏まえ、急ぎ一階で待つイリスたちのもとへ。オル爺がついているのでさほど心配はしていなかったが、万が一というのもありえる。
「どうした、イリス!? なにがあった!?」
「あ、キリクさん!」
駆けつけた先では、自分よりも小さなシュリにしがみつき、情けなく体を震わせているイリスがいた。
抱きつかれる側のシュリは、眠くてどうでもいいのか、やれやれと迷惑そうな表情を浮かべているだけ。
「で、なにがあったんだよ? なんでそんなにびびってるんだ?」
「ええっとですね、外から変な声が聞こえてくるんです。子供の笑い声みたいで、なんだか恐くって……」
イリスの報告を受け、外に繋がる扉へ目を向ける。そこではオル爺が、剣に手をかけ警戒しつつ外の様子を窺っていた。
俺も窓際に近づき、目を閉じ耳を澄ます。
……うっすらと聞こえてくる、甲高い不気味な子供の笑い声。正体を探ろうと窓から外を窺えば、霧の中にぼんやりと小さな人影が浮かんでいた。
声が徐々にこちらへと近づくにつれ、抽象的だった影はその輪郭を浮き彫りにしていく。
目を凝らせば視認できる距離まで影がやってくると、その正体はいつぞやに会った覚えのある人物。
背丈と声色から判断して、夜中にアッシュと走り込みをしていたときに遭遇した、あのときの幼い少年であった。
夜明けの時間帯で、ましてや視界の悪い霧の中を子供がたったひとり。怪訝に思いつつも、この子ならなにか知っているかもしれないと考え、宿から飛び出し小走りで近づく。
少年は笑いを止めず、ずっと俯いたまま。近づく俺の存在には気付いている様子だが、決して顔を上げようとはしなかった。
「なぁ、宿でなにがあったのか知らないか? 知っていたら、兄ちゃんに教えてくれ」
「うん、いいよ。えっとね……」
こちらがしゃがんで目線を合わせようと務めているの対し、少年は終始顔を伏せたまま。単純に恥ずかしがりやなのかと思ったが、どうにも雲行きが怪しい。
「あのね、今は狩りの時間なの。お姉ちゃんが、よそ者を狩りなさいって。だから――」
初めて少年が顔をあげる。目と目が合い、背筋が凍った。
子供らしいつぶらな瞳はそこになく、覗くのは真っ白な眼球だけ。焦点どころか見えているのかすら定かでない白い眼が、口角を吊り上げながら俺を見据えていたのだ。
「お兄ちゃんも、獲物だよ?」
戦慄が走る。同時に、脇腹に熱を感じた。視線を下ろせば、刃の半ばまで突き刺さる包丁。凶器の柄を握るのは、爛々と白目を輝かせて笑う少年の細い指。
咄嗟に少年を突き飛ばす。反射的に加減抜きで突き飛ばしたので、軽い子供の体躯は霧の奥まで転がっていってしまった。
遅れて襲い来る痛み。
冷や汗を垂らし苦悶を浮かべながらも、脇腹に突き刺さった包丁を引き抜く。栓の抜けた傷口からじわりと血が滲み、手で押さえるもやがて溢れ出す。
「おいガキんちょ、なに考えてやがんだ……! それにさっきの言葉、あれはどういう……」
口調を荒げ、睨む目つきで少年に真意を問いただす。が、当の少年はすでに姿をくらませており、どこにも見当たらない。
代わりとして霧に浮かぶ無数の人影。クワやスキ、草刈り鎌といった武器とも言えぬ道具を手にし、列を成す村の住人たちだった。
ざっとだが五十人はおり、この寂れた村のどこにこれだけの人数が潜んでいたというのか。
村人は皆一様にして目が血走り、老若男女問わず感情の消えた表情を浮かべている。異様な集団の姿に、さすがの俺も恐怖を覚えた。
「キリク君、僕の肩に掴まって! 逃げるよ!!」
駆け寄ったアッシュが膝をつく俺を助け起こし、腕をまわして肩を貸してくれる。
二人三脚で仲間が手招きする宿に逃げ込むと、扉に鍵をかけた。簡単に侵入されぬよう、扉だけでなく窓にまで室内にあった家具をあてがい、外と通じる入り口全てを厳重に封鎖する。
ドンドンと力任せに叩かれる扉、窓、壁。数は次第に増え、四方から打ち付ける音が止まない。
篭城なんて愚かの極み。ろくな備えもないまま行えば、ジリ貧となるのはわかっていた。しかし疲労困憊だった俺たちに、走って逃げきるだけの余裕がなかったのも事実。そのうえ手傷を負った俺の存在が足を引っ張っぱる。
「キリクさん、私に傷を診せてください! すぐに治しますので!」
俺の返答を待たずして、有無を言わさぬ手際で服をめくりあげ、患部を露出させるイリス。
腹部の刺傷はぱっくりと口を開き、絶え間なく血を吐き出し続けていた。臓物が飛び出すほど大きな傷でないのが、せめてもの救いか。
イリスはそっと傷口に指を這わせると、血で汚れることもいとわず優しく手をあて、治癒の神聖術を唱え始める。
手の平から放たれる柔らかな光が、包み込むようにして患部を覆う。痛みはすぐに和らぎ、瞬く間に傷口は癒えて塞がっていった。
さすがは聖女様。このときばかりは、イリスの存在が誰よりも頼もしく思える。
「キリク様、大丈夫なのです!? 死んじゃったりしないです!?」
負傷した俺の心配をし、涙目で不安がるシュリ。零れそうになる雫を汚れてない指で拭ってやり、心配はいらないと頬を撫でてやった。
「この程度の傷で死んでられっかよ。……心配してくれてありがとな、シュリ」
「……はい!」
シュリは尻尾を大きく振り、目を細めて小さく笑みを零す。大丈夫だとわかれば両手を広げ勢いよく飛びつき、これでもかと強く抱き着いてきた。まったく、微笑ましい子だよ。
その傍らで、汚れた手を布で拭いながら不満そうに両頬を膨らませるイリス。
「ふーんだ。私だって心底心配をしたのに、なにもなしですか。怪我だって私が治してあげたんですから、お礼の言葉くらいはあって然るべきじゃないんですかねー?」
「なに拗ねてんだよ、イリス。勿論、ちゃんと感謝してるってば。ありがとな」
シュリの勢いに押され、おかげで後回しにされてしまったイリスは、つーんとそっぽを向いてしまう。俺がどれだけ感謝の言葉を並べても、不満はなかなか収まってくれなかった。
「のう、お前ら。いちゃついておる場合ではないぞ。いい加減、扉が限界じゃ」
「裏口の様子を見てきたけれど、あっちも同じね。破られるのは時間の問題よ」
古い木造建築の宿は堅牢と言い難い。斧や鎌が幾度となく突き立てられ、扉や壁はボロボロの穴だらけ。空いた隙間からは、建物内を窺う無数の目が覗く。
アリアを抱き上げ、二階へと避難する。時を同じくして、一階から扉を破られた音が響いた。
逃げ場を失い、奥へ奥へと追い込まれていく。木製の階段は俺が石を投げ崩しておいたが、一時凌ぎにしかならないだろう。梯子なりを用い登ってくるのは時間の問題だ。
客室の一室に逃げ込み、焼け石に水とわかっていても扉を家具で塞ぐ。
いよいよとなれば、襲いくる村人たちとの全面衝突を覚悟しなくてはならない。閉所を利用して少数ずつ相手にすれば、比較的安全に戦えるはず。だがあの数を相手に戦うには、疲労が体に重くのしかかる。
行き帰りの山中で遭遇した魔物。予想だにしていなかった、背信者ゼインとの対峙。極めつけが村人総出での襲撃だ。続けざまに訪れる過酷な試練に、体だけでなく心さえまともに休める暇がない。
さらには子供相手に、油断から負ってしまった手痛い傷。流した血量。主戦力となる俺とオル爺は、半ば気力だけで動けているといった状態だった。
とち狂っているとはいえ、たかが村人の五十人程度、全員が本調子であれば難なく勝てる。しかし現状の疲労困憊な身では、犠牲なしに完勝できるか怪しい。
もしイリスを守りきれなければ、村人全員を退けたとしても負けなのである。
どうしたものか、とうなだれる。刻一刻と悪戯に時間が経過していく。
村人たちはその間にも、崩れた階段をどうにかし、二階まで上がってくる手筈を整えているだろう。
今すぐにでも客室のベッドに身を投げ、現実を忘れてしまいたい。甘い睡魔のまどろみに、欲望が赴くまま身を任せてしまいたかった。
「……ん? あの光はなんだろう?」
重たい沈黙の中、声を発したのは窓の外を眺めていたアッシュ。指さす先を見れば、霧の中で横にふたつ並んだ金色の目が光っていた。
「あれは……! あの光、間違いないわ! あれは魔導車が灯す、ランプの光よ! きっとダリルだわ!!」
喜色に頬を綻ばせ、童心に還ったように飛び跳ねるカルナリア嬢。暗く沈んでいた彼女の瞳には、いつも通りの光が戻っている。
垣間見えた光明は重い空気を吹き飛ばし、お嬢だけでなく俺たちの中にも希望が生まれていた。
魔導車は霧を突き抜け、肉眼で視認できる距離まで近づいてくる。お嬢が声をあげ呼びかけると、声に応じて車窓からダリルさんが半身を乗り出し、俺たちに向け手を振った。
「お嬢様、皆さん! 急いでこちらへ、早く!!」
大声をあげ、自分の存在をアピールするダリルさん。
必然的に村人も彼の存在に気付き、何人かが武器を振り上げ走っていく。視界に現れた人影に、慌ててダリルさんは魔導車を急停止させた。
その隙を見逃さず、先頭を走っていた村人が車体に取りつく。ダリルさんはすぐさま舵をきり、視界の悪いなか激しく蛇行して振り落とすと、そのまま踵を返して霧の向こう側へ。追ってくる村人を振りきり、走り去ってしまう。
「……っく! すみません、お嬢様! こちらからは近づけそうにありません! 私は村の入り口付近にて待機し、皆さんの到着をお待ちします! どうか、ご武運を……!」
「ちょ、ダリル!? 待ちなさいよ、薄情者ー!!」
去り際にダリルさんが残していった言葉。お嬢は薄情者と罵ったが、この有り様では仕方がない。無理に留まって、そのせいで魔導車を破壊されでもしたらそれこそ本末転倒。逃げる足を失ってしまう。
外は視界が悪く、村人の接近を察知しづらい状況下である。騒動の輪から離れて待つのが最善と、そうダリルさんが判断したってしょうがなかった。
なにはともあれ、窮地から脱出できる希望を見つけた俺たちは、宿の外に出ることを決意する。
各部屋からベッドのシーツを集め、結び合わせ一本の太いロープをこさえた。柱に括り付け強度を確認してから、窓から外に垂らし逃げ道を作りあげる。
外界と地獄を繋ぐ細道。さながら一本の白い蜘蛛の糸。
先にお嬢、シュリ、俺の順でおり、周囲の安全を確保する。お荷物状態のアリアは、以前にイリスを背負って行動した実績のあるアッシュに託した。アッシュのあとにイリスが続き、殿はオル爺に任せる。
流れが決まれば、早速行動を開始した。
高所とはいえ所詮は二階。お手製ロープで地面までの距離を少しでも稼げれば、残りは壁を蹴ってジャンプし、悠々と着地できる。身軽なシュリはロープすら使わず、窓から直で飛び降りていた。
アリアを背負ったアッシュは慎重に、無茶はせず安全を最優先とし、最後までロープを伝い地面に下りてくる。
残すはイリスとオル爺のふたり。この段になるとさすがに村人にも勘付かれ、あっという間に数人に取り囲まれてしまった。
カルナリア嬢が愛槍を手元に呼び寄せ、威勢よく横薙ぎで振るって牽制する。広範囲の攻撃に、村人たちはおいそれと近寄れず二の足を踏む。どうしても生じてしまう大振りの合間を、剣を抜いたアッシュとシュリが補った。
俺は長物の武器を持った相手を率先して狙い、頭のない骸に変えていく。
驚いたことに村人たちは、同郷の知人が目の前で凄惨な死を遂げたというのに、尻込みどころか表情ひとつ変えやしなかった。
ひとりふたり見せしめにすれば、怯えて逃げ出す奴が現れると踏んでいただけに、目論みが通じずつい舌打ちをしてしまう。
「イリス! こっちは気にせず、ゆっくりでいいから着実に下りて来い!」
恐がりながらも窓から身を乗り出し、ロープを伝い自力での降下を試みるイリスに声をかける。イリスの身体能力からして、ひと思いに飛び降りろと言えず、焦らなくていいとだけ伝えた。
イリスがロープを下り始めた直後。家具で塞いでいた扉が破られたのか、部屋の中から重く質量のある音が外にまで響く。
金属同士を打ちつける音があとに続き、男女問わず何人もの悲鳴が木霊する。オル爺が窓を背に一歩も退かず、迫り来る村人達をせき止めてくれているのだろう。
上と下、どちらも小競り合いが始まり、慌しくなる。
中間に位置するイリスは頭でわかっていても、焦りと怯えから手が震え、動きを止めてしまっていた。窓から出てすぐの場所で身動きできず、必死にロープにしがみついて小さな背を震わせていた。
部屋からは息を切らせた声でオル爺が、駄目押しとばかりにまだかと急かす。
イリスが位置する場所は、下から見上げるとたいした高さではない。だが心理的に追い立てられ、余計に恐怖を煽ってしまったのだろう。
「ったく、しょうがねぇな。イリス、俺が下で受け止めてやるから、思い切ってそこから飛び降りろ!」
「ふぇ!? そんなぁ、無理ですよぅ……」
俺の呼びかけに振り返り、下を見て涙目となるイリス。
しがみつく手により一層力が込められ、蓑虫のように縮こまってしまった。
「大丈夫だ、安心しろって。絶対に受け止めてやるから! それとも、俺が信用できないか?」
「うぅ、キリクさん……。し、信じてますからね! 絶対、絶対に受け止めてくださいよ! 失敗したら、承知しませんからね!」
見詰め合うこと数秒、ようやくイリスは覚悟を決めてくれた。
俺は腰を深く落とし、両手を大きく広げて受け止める体勢をとる。そして、いつでも来いと身構えた。
ぶつぶつとなにやら天に祈りを捧げ、深呼吸をしてから思いきり壁を蹴り、宙に舞う聖女様。
落下地点を見極めて素早く位置を調整し、落ちてくるイリスをがっちり受け止める。だが疲労のせいで足の踏ん張りがきかず、受け止めたはいいものの勢いのあまり尻餅をついてしまった。
「いてて……。なぁ、イリス。帰ったらご飯の量を減らして、少し痩せような?」
「ふぇ!? な、なんてことを言うんですか!? わた、私、そんなに重くないですよ!? 重くない……ですよね?」
慌てて自分のお腹をさすり、肉の付き具合を確かめる聖女様。少しだが腹の肉が摘めてしまい、口を真一文字にし顔を青褪めさせていた。




