74:憐れな矛先
『右 ヴァンガル伯領首都方面』
『左 キロト山脈方面』
王都を経った直後のゴタゴタ以降は、これといった問題事もなく順調に進んでいた。まぁ強いていうのなら、アッシュが日に日にやつれていたくらいか。
無事ヴァンガル領入りをし、暫くしてからさしかかった岐路。昼の休憩がてら別れ道の手前で停車し、古ぼけた木の看板を前に今後の予定を確認しているところである。
「ご覧の通り、右に進めば私の父が治める街に着くわ。で、左のキロト山脈が聖女様が目的とする聖地のある場所ね」
「我々はひとまず、皆様を件の地がある麓の村までお送りいたします」
ヴァンガルの街までは、ここから魔導車であればすぐらしいのだが、俺たちが目当てとする聖地のある左方面。キロト山脈までは倍以上距離がある。遠くで、薄っすらと連なっている山麓の影、あれがそうだな。
「そうなると、いよいよ便利な魔導車ともお別れか。帰りは歩きって考えると、憂鬱になるな」
「若いくせにだらしないの。なんのために足がついておる。歩きこそ、旅の醍醐味じゃろうが」
そりゃ、オル爺の言うことはごもっともだけどさ。移動が早く済むのは大きな利点だが、味気なく感じてしまうのも事実。だが、それでも俺は便利なほうがいいな。
「そっか、もうすぐしたら歩き旅になるのかぁー。あは、あはははは……。そうなったら僕、いつ寝たらいいんだろう……?」
「アッシュ様、大丈夫なのです……? 顔色が悪いのです……」
「心配してくれてありがとう、シュリちゃん。でも大丈夫。師匠のしごきが想定以上にきついとか、そんなこと全然ないから……」
いや、全然あるだろ。アッシュの弟子入り宣言を聞いてからというもの、移動時以外は素振りや走り込みをほぼ休みなくこなしている。それだけでなく夜間の野営時には、魔物が襲ってきたら相手が群れであろうと、アッシュ単独で相手をさせられているのだ。
基本的な鍛錬以外にも、オル爺がつきっきりで実戦形式の稽古しているし、オル爺が疲れたら今度は若手の兵たち全員を相手に一対多の組み手である。俺やシュリも何度か付き合わされた。そのあまりのスパルタぶりに、俺とはまた違う理由で吐き戻していたほどだ。
「なぁ、アッシュ。一日くらい休んでもいいんじゃないか? やりすぎは逆によくないぞ」
「僕もそうしたいのはやまやまなんだけど、でも……」
「休みたければ休んでもよいぞ。ただし、その時点で落第じゃ。わしとの師弟関係は終了じゃの。寝る時間がしっかりと確保されとるだけ、アリアに課した日課よりは甘くしてやっとる」
今のアッシュより過酷だったとか、えげつねぇな。しかもアリアはそれを耐え切ったってんだろ? ……幼い頃の印象としては華奢な少女であったが、乳か大胸筋だか判別つかないほどのマッチョに進化していたらどうしよう。
「そういうわけだから……。貴重な休息時間を無駄にしないためにも、僕はもうひと眠りさせてもらうね……」
ふらふらとした足取りで、魔導車へと乗り込むアッシュ。筋肉痛や怪我なんかはイリスの支援があり問題ないが、むしろイリスがいるからこそ、嫌でも体を動かせるのでより過酷になっている。
「そういや、オル爺さん。ちょくちょくシュリにも短剣の扱い方を教えているみたいだけどさ、俺にも教えてくれよ」
「うむ、却下じゃ」
「そっか、助かる。それじゃこの休憩時間にでも早速――って、え? なんで?」
俺の聞き違い……じゃないな、「却下」とはっきり言った。それって嫌ってことだよな。なんでだよ。アッシュとシュリだけで手一杯ってのならわかるが、傍観していた限りそこまでオル爺自身は忙しそうではない。シュリの稽古に関してはお遊びに近い感じがあり、アッシュとは天と地ほど差がある。
「シュリちゃんはの、あの子もまた伸び代がある。じゃがキリク、お前は才能がないとまではいわんが、わしが教えを授けるほどではない」
ううむ……。つまり俺はオル爺さんにとって、琴線に触れるだけの逸材ではないのか。対してシュリは、オル爺が片手間のお遊びに付き合うだけの価値がある、と。
「なによりお主には、ほかに注力すべき本命があるじゃろ。極めたからと天狗になって、鍛錬を怠っとると足元を掬われるぞい」
「ぐむ、仰る通りで……」
イリスの護衛をするようになってから、日課だった石投げも徐々にサボりがちになっていた。もうこれ以上極まりはしないと、勝手に決め付けていたな。身についた技術はそうそう失われやしないが、怠れば衰える。日々の鍛錬はなにも単なる向上だけでなく、維持をするためでもあるのだから。
初心を思い出し、この休憩時間は久方ぶりに本気で日課をこなすとしよう。特にククリナイフに慣れるためにも、この新調した武器の扱いに重点を置くのがいいか。
「あ、ねぇキリク。今晩の野営に使う用の薪が殆どないの。あなたも集めるのを手伝って……って?」
俺がひとりで投擲訓練に勤しんでいる最中、なにか用事でもあったのか、顔を見せたカルナリア嬢。彼女が現れたのは、人よりも僅かに太い樹木を、投擲されたククリナイフが切断した瞬間であった。
木を分断したナイフは勢いそのままに、標的を失っても後方の遥か先を目掛け空を裂いていく。このまま黙って見送っては、手元へ呼び戻す際にマナの消耗が増えるだけ。すぐさま能力を発動させ、右手に召喚する。そして手を休めることなく、倒れる真っ只中の木に再び投げ放った。
無駄な消耗を抑えるためにも、命中後は即座に能力の行使を心がける。辛い思いを経て得た教訓だな。
「……うーん、最速でやっても、倒れるまでには三、四回が限界かね。で、お嬢。薪が必要だって? ならそこらに転がってる丸太を使えよ。この時期なら、ミズカレの木は乾燥させる必要がないし」
「え、ええ。そうさせてもらうわ。……あたり一面に転がっている倒木、全部あなたが切り倒したのよね? やりすぎて、自然破壊になってないかしら?」
指摘されて周囲を見回すと、倒木が一本、二本、三本……両手の指だけでは足りず、すぐに数えるのをやめた。小さな雑木林だったのだが、随分と見晴らしがよくなったものだ。
「ちょっと夢中になりすぎたかなー……なんて。み、ミズカレの木は、放っておいても数年したらまた元通りに生えてくるから! それに、全部の木を倒したわけじゃないし!」
もはや見苦しい言い訳である。とはいえ、このぐらいで生態系が崩れるほど生き物はやわじゃない。なにも山ひとつ分伐採したわけじゃないんだから。
「いえ、べつにいいのだけれど。落ちてる丸太を薪割りしておくよう、うちの子たちに命じておくわ。あと、もう少ししたら出発よ。きりのいいところで戻ってきなさいね」
「はいよー」
返事をしたはいいものの、これ以上木を切り倒すのはよろしくないな。十分な手応えはあったし、ここらで切り上げるか。それにマナを消費しすぎると、またもや体調に異常をきたしかねない。
水筒の水でタオルを濡らし、汗を軽く拭う。気持ちさっぱりとしたところで、皆のもとへと戻った。
別れ道を看板に従い、左のキロト山脈へ向けて走り出す。
「なぁ、なんでこんなに荷物が載せられてるんだ? めちゃくちゃ狭いんだが」
移動を再開した魔導車の車内には、なぜか後続車に任せていた食料やらの荷が積み込まれていた。ただでさえ七人も乗って手狭だったのに、もはやぎゅうぎゅうである。運転席と助手席に座るカルナリア嬢とダリルさんには余裕があっていいが、後部に乗るこっちは荷物とごっちゃになっていて辛い。
「カルナリア様、後ろの兵士さんたちが乗る魔導車が、反対の方向へと走って行ってるです。一緒に行かないですか?」
シュリの質問に反応し、荷物の隙間から窓の外を眺めれば、逆走し小さくなっていく二台の魔導車。
「あの子たちには、先にお父様のところへ帰ってもらったの。ほら、いい加減魔導車をお返ししないと、お父様も困ると思うから」
「……お嬢様、嘘はいけません。ご自身が帰られたときのため、先に部下たちを槍玉にし、少しでも怒りの矛先をそらそうとお考えなのでしょう?」
「そそ、そんなことはないわよっ! そんな邪な考え、これっぽっちも……ないとは言い切れない……けれど……」
あー、そういうことね。全員一緒に帰れば、一番お叱りを受けるのは長であるカルナリア嬢だ。一身に降り注ぐ怒りを回避するため、あらかじめ生贄を差し出しておき、少しでも軽減しようって腹か。出発前になにかもめているなと思ったが、理由を知って納得がいった。
「……てへっ!」
舌を出し、おちょけた表情を見せるお嬢。そんな主の姿を、ダリルさんは冷ややかな目で一瞥し、無言のまま魔導車を走らせた。
後ろの俺たちも他人のお家事情には口を出せず、車内に気まずい沈黙が流れる。誰にも一切触れられない状況は想定していなかったのか、みるみる顔を赤らめるカルナリア嬢。恥ずかしいのならやらなければよかったのに。




