一章 二〇話 前哨戦〈3〉
「公国との同盟ですか?」
初めて道雪に真正面から見つめられたランドは、多少戸惑いつつも頷いた。
「は、はい。タヴァレスタットが陥落すれば、公国は帝国と隣接します。そうなれば、独力で抗うのは難しい。ならば、公国と帝国との間にタヴァレスタットがある状況は望ましいだろうと。我々としても、後方に味方があれば少しは安心できますし、物資の援助も期待できます。既に、公国の有力者には繋ぎを付けているそうです」
「なるほど。なるほど……。……ふむ……。でも、そんなのあの国は認めないだろうし……。いや……、でも……」
ぼそぼそと独り言を零しつつ考え込み始めた道雪が、普段の態度とは全く違う事に、ランドは戸惑っていた。ランドからすれば、道雪は人付き合いの苦手な子供という印象であり、これまではその印象から外れた行動はしなかった。
だが、道雪は今、相手に頓着する暇もない程に思考に没頭している。他者の目に見える自分に拘う事はなく、興味の対象以外は世界から排除された状態だ。その姿は、それまでランドが見てきた道雪とは別人のようだった。
そして、なにかに思い至った様子でニヤニヤと笑い始める道雪。
「ハハハハ。そういう事かぁ。上手いなぁ。このタイミング、この状況を狙いすましたかのようだ。いや、実際狙ったんだろうけど、頭いいなぁ……」
「なぁ、どういうこった? アタシにはさっぱりわかんねえんだが?」
アラナイの質問に、ユーレス、シカトリス、ランドが一様に頷く。対する道雪は、手品の種明かしでもするように、稚気に満ちた笑顔だ。
「公国との同盟、と聞いてアラナイさんはそれがどういうものだと思います?」
「どういうものったって、服属するより緩い繋がりで、対帝国の共同歩調を取ろうって話だろう?」
アラナイがそう言うと、再び残りの三人が首を縦に振る。三人とも、彼女と同じ認識だったようだ。
「ええ、そう思うでしょうね。ですが、もしタヴァレスタットが服従する場合、相手国は一国に限られますが、同盟は違います」
「あ! そらそうだ。ついつい、服属って前提があったから失念してたが、同盟なんだから複数国が参加してもいいわな」
「はい。市政館の面々も、その前提があるから勘違いしているでしょう。だからこそ、今ならこの意見も通りやすい。もしかしたら、公国の首脳陣も勘違いしているかも知れません。まぁ、流石に王国は勘違いしないでしょうが」
「王国?」
「おそらくですが、公国との同盟が締結されたら、次は王国をこの盟に加えようと動くんじゃないですかね。そして、それはかなりの高確率で成立するはずです」
「王国、公国と組んで帝国と戦おうって? でも、そんななぁ現状の明文化に過ぎねえんじゃねえのか? ほっといたって、その二国は反帝国の動きをするだろうさ。それになんの意味があるってんだい?」
わけがわからないと、アラナイは肩をすくめる。三人が三度首肯している。「赤べこか!」というツッコミを心中でしつつ、いつになくテンション高めな道雪は続けた。
「たしかに、王国にとって帝国は差し迫った脅威です。帝国がタヴァレスタットを攻略しようとしているのも、要は王国侵略に邪魔だからです。タヴァレスタットが帝国と戦闘を開始すれば、頼まずとも協力してくれるでしょう。もしかしたら、勝手に参戦してくるかも知れません」
「うわっ!? なんだいそりゃ? スゲー面倒臭いぜ?」
「そうですね。でも、そこはこの際どうでもいいです。その都度、役に立つようなら利用し、立たないようなら無視しましょう」
相変わらず楽しそうに話す道雪だったが、それを聞いた面々は真顔で押し黙った。普段の気弱な道雪とは思えない言動だ。仕方がないだろう。もっとも、アラナイとシカトリスは直後、楽しそうに笑みを深くし、ユーレスも少し口元が緩んでいた。
「たしかに、そんな同盟を結んでも現状の追認でしかない。王国は勝手に動くでしょうし、公国だって明日は我が身と思っているでしょう。どちらにしろ、王国も公国も反帝国勢力です。だから、その同盟がなにをするものであるのかっていうのは、この際どうでもいいんですよ」
勿論、共通認識の確立として、条約を明文化するという意味はあるだろう。徒党を組んで、巨大な敵に立ち向かう。スイミーが教えてくれた教訓だ。
だが、現状を明文化しただけの同盟が、帝国にとってなんの脅威になるというのか。『知ってた』と鼻で笑われてお終いだろう。
「わっかんねえなぁ! 小難しい話はよしてくれよ、ミチユキ様。わかりやすく、結論だけ教えてくれ」
ボリボリと頭を掻いてそう言ったアラナイに、道雪は苦笑しながら結論を口にした。
「この同盟の肝は、我々タヴァレスタットの立場を確固たるものとする点にあるのですよ」
「立場?」
「我々の独立に対する、王国、公国の承認です」
「へ……?」
思いがけない結論に、間抜けな声を上げたアラナイと違い、ユーレスとランドは「ああ、なるほど……」と頷いた。
「現在、タヴァレスタットの領有権を有している国家として、正当性があるのは帝国です。ですが、我々を帝国の一都市として盟を結ぶなどというのは、道理が通らないでしょう。対帝国の同盟なのですから。じゃあ、王国の一都市と公国が同盟を結ぶ? あるいは、自国の一都市と王国が盟を結ぶ? ありえないでしょう?」
「……あ、ああっ!! そういう事か!! 要は、この軍事同盟を、事実上のタヴァレスタット独立宣言にするってぇ話なのか!」
わが意を得たりとばかりに笑みを深くする道雪。
タヴァレスタット、公国、王国の三勢力が盟を結ぶ。国力差など、この際問題ではない。重要なのは、曲がりなりにも他の二国とタヴァレスタットが、肩を並べる存在であるという証が立つという点なのだ。
「でもこれ、王国は難色を示すんじゃねえのか?」
これを認めるという事は、王国がタヴァレスタットの領有に関し、一切の権利を放棄するという宣言に等しい。そもそも帝国に売り渡されている時点で正当性が薄いのだが、そんな正論を覆すくらいには、タヴァレスタットという都市は利を生む金のガチョウなのだ。
アラナイの指摘に、道雪はそこが手品のタネだとでも言わんばかりの表情になる。
「ですから、表向きは軍事同盟なのですよ。まず公国を引き込む事で、反帝国勢力の結束を主眼に置くのです。王国も公国も、帝国に危機感を持っているのは変わりません。そんな中で、王国だけが反帝国の同盟に難色を示す意味を考えてください。まして、王国は一度帝国に敗れ、タヴァレスタットを割譲しているんですよ?」
「つまり、帝国側についたとみなされると?」
「そこまでいかずとも、反帝国勢力に組み込むのには不安を覚えるでしょう。足並みを揃えられない仲間など、足を引っ張られるのと同義です」
タヴァレスタットが失陥すれば、もしくはそのまま帝国に併合されれば、帝国は後顧の憂いなく王国戦に臨める。そうなれば、もはや勝敗は火を見るよりも明らかだろう。公国は帝国と国境を接する状況に陥り、直接その脅威に晒される事になる。両国とも、そんな状況は望まない。同盟の成算は高いだろう。
道雪の理屈に、それでも納得がいかないと首を捻るアラナイ。物事を、自分たち有利に考えすぎているんじゃないのか、そんな上手い話があるのかと、不安になっているのだ。
「まぁ、たしかにタヴァレスタットにとって、好条件すぎるように思えるかも知れません。でも、この同盟を締結すれば、まず真っ先に戦場になるのが、ここタヴァレスタットになるんです。王国にとっても公国にとっても、それだけでも大きな利でしょう。そして、タヴァレスタットがあっさりと失陥するのは、大きな不利益です。どちらにとっても、危急存亡の秋です」
「なるほどなぁ。尻に火が付いてるから、タヴァレスタットの所属なんざ、両国にとっちゃどうでもいいって?」
「王国にとっては、一度捨てた都市です。まぁ、多少惜しくは思うでしょうが、服属させたところで守り切れるとも思っていないでしょう。タヴァレスタット防衛の策があるなら、そもそも帝国に割譲なんてしませんよ」
「アタシらも負けるのが当然で、どうせ潰されんなら、独立くらい認めても構わんってか? 王国と公国が独立を認め、それを認めないだろう帝国とタヴァレスタットが揉めてくれれば、むしろ好都合だってか?」
渋面を浮かべて吐き捨てるアラナイに、瀕死のネズミを弄ぶ猫を想起させる笑みを湛えた道雪が、心底おかしそうに言葉を続ける。
「だからこそ、ですよ。一度防衛してからでは、たぶん王国はこの同盟に乗りません。タヴァレスタットが帝国に抵抗する力を持っていると思えば、それを自分たちの戦力に組み込みたがるはず。これまで以上に服属を迫ってくるでしょうね。ですが、そのときに三国で同盟を結んでいる事には、大きな意味が生まれる」
「……そいつぁ……、……上手い事考えるヤツがいたもんだぁな……」
「ええ、卓見です」
つまり、対帝国勢力として同盟を結んでおけば、あとから「やっぱりそこ、ウチのものだから!」と言い出しづらい環境を作れる、という事なのだ。ここまでしても、截然と防げないというのが政治というものの宿痾だろう。
ともあれ、タヴァレスタットが有効的な防壁として機能するとわかれば、公国はますますタヴァレスタットの独自性を承認したがるだろう。再び王国領になり、再び帝国に譲られては、たまったものではない。同盟の三勢力中、二勢力がタヴァレスタットの独立を認めているのなら、王国とて軽々に異見を唱えられない。
それだけ、この同盟には大きな意味があるという事だ。
「公国との同盟に積極的なのは、アルナッツ商会のイーシェンハティ殿ですね。既に、公国側からは好感触を得ているとの話でした。まぁ、王国、連合王国服属派も、好感触は得ているとの事ですが……」
「ふふふ。そうですか。イーシェンハティさんですか。やっぱあの人、デキるんですね。もう話を通してるってところから見ても、あの人もこの同盟をタヴァレスタットの独立承認の手段にするつもりなんでしょう」
ランドが最後に付け加えたセリフは、道雪も含めて全員無視した。
「ランドさん、僕の考えが本当に合っているのか、イーシェンハティさんに訊ねてきてください。もしかしたら、全然違う考えかも知れませんので」
「は、はい」
「それと、防衛軍は公国との同盟に賛成です。三国同盟を目標に推し進めて欲しい、と。もしもイーシェンハティさんの認識が違っていてもです」
「了解しました。同盟の裏に、タヴァレスタットの独立を承認させるという意図については、議会の場で話してもよろしいのでしょうか?」
「できればそれは、市政館の方々にも黙って進めてください」
「ど、どうしてです?」
ランドが驚いて訊ねると、道雪はクスクスと笑いながら、彼の目を見返した。
「タヴァレスタットの独立が他国から認められるという事は、服属派の意見が完全に否定されるという事です。面白くは思わないでしょう」
「そ、それは……、つまり我々の足を引っ張ろうとする、と?」
「引っ張られて、転んでから気を付けても遅いですから」
自明の理のように語る道雪。その表情は笑っているのに、茶褐色の瞳は冷え冷えと凍てついているようで、ランドは背筋に冷たい汗が流れるのを自覚した。
「さっきも言ったでしょう? 足並みを揃えられないというのは、故意か否かにかかわらず、足を引っ張られるのと同義なんです。その危惧があるのなら、回避の手段は講じておくべきかと」
「こ、このような状況で、味方の足を引っ張るような者がいるとは思えないのですが……」
「そうですか? むしろ僕は、いるだろうと思っていますし、いなかった場合も、いると仮定して備えておいた方がいいと思っています」
道雪の言葉に、アラナイ、シカトリス、ユーレスはそろって肯ずる。最初から全員の足並みがそろっているはずだと、妄信するのは危険だと全員が考えていた。それをランドは察した。危機意識を持っていれば当然の思考だろう。だがそれは、彼らが市政館の重鎮のなかに、帝国に通じている人間がいるのではないかと、疑っているという事であるとも理解していた。
絶句して黙ったランドの表情に、道雪の意識は現実に戻る。ランドの顔から、ドン引きされていると察し、しどろもどろに言い訳を始める。
「あっ! えぁ、えと……、も、もしもそうでなければ、そ、それに越した事はありません……。さ、最悪の場合の、滑り止めみたいなもの、です……」
「…………」
「そ、それに、ほら! これを軍自同盟だと思い込んでてもらえないと、スムーズに承認されない可能性が、その、ありますし……。えぁっと……、て、帝国だけじゃなく、王国にもこれが筒抜けになるのは……、よくない、かと……」
拙い口調で言葉を重ねるも、ランドの顔色はしばらく回復しなかった。そんな二人を、アラナイとシカトリスは意地の悪い笑みを浮かべて眺めていた。ユーレスは無表情だったが、どこか頑張る孫を見守っている好々爺のような風情があった。




