一章 十五話 交易都市タヴァレスタット〈5〉
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「ハッハァ!! 命のいらねえクソからかかってきやがれ!!」
まるで山賊のような口調で、アラナイさんがフランキスカを振りかぶる。彼女が投擲した手斧はくるくると回転し、一人の男性の胸のど真ん中に、どすんと突き刺さった。彼の命の灯は、その土台ごとアラナイさんに叩き折られてしまった。
勿論、僕らはジェノサイドに興じているわけではない。これは、れっきとした防衛軍の任務である。
近隣の農村から、山賊出没の報をうけ、軍事訓練がてら討伐に赴いたのである。つまり、山賊はアラナイさんではなく、さっき死んだ男の方だったのだ。
……見た目完全に女山賊である点は、この際見なかったフリをしたい……。
タヴァレスタット防衛軍は、即成とは思えない程きちんと纏まって動けていた。行軍用の縦陣から、横陣への展開もそつなくこなせていたし、戦闘に際しても浮足立ったところはない。予想以上に、防衛軍は軍として練成されている。
「おっしゃぁ!! 三人目ェ!! 次ぁどいつだ!?」
自前で用意していたらしい、フランキスカよりもしっかりとした造りの手斧――タバルジンっぽい斧を赤く染め、アラナイさんは意気軒昂に声を上げる。他の兵士も、フランキスカ以外の近接武器を、自前で用意している者が多い。まぁ、フランキスカは半分、投擲武器みたいなものだしね。
逃げ惑う山賊たちだが、彼らは精々十数名。こちらはここにいるだけで三〇〇名近くであり、それを含めて今回動いているのは一〇〇〇名の防衛軍兵士だ。最初から山賊たちに勝ち目などない。次々と、防衛軍兵士の槍に、山賊たちは沈んでいく。
僕はそれを、しっかりと見ていた。
人が、まるで木でも伐採されるかのように殺されていくような光景を。悲鳴を上げて倒れていく山賊。すでに動かなくなり、血だまりに沈んでいる山賊。逃げていく山賊たちの背に、矢を射かける兵士。その矢を受け、バタバタと倒れていく山賊。
それを、余すところなく僕は見ていた。
一〇分も経たず、山賊はそのほとんどが息絶え、戦闘は終了した。生きて逃走できた山賊は皆無だ。まだ息のある者も、すぐにその人生を終えるだろう。
「ミチューキ様、大丈夫ですか? だいぶ顔色が優れませんが……」
「……だ、だいじょうぶ、です……」
今、僕の傍らには、アラナイさんの代わりに一人の老人が立っている。アラナイさんの副官の一人である、元軍人のユーレス・ベルキストさんだ。
この人は、王国で軍に所属し、それなりに出世をした人だ。平民出だから、そこそこどまりだったけど、結構優秀な軍人だったらしい。引退していたそうなのだが、今のタヴァレスタットには必要な人材である為、かなり無理を言って軍に参加してもらっている。
まだまだ矍鑠としているので、今の僕は引退していたという話の方が、ちょっと信じられない。
「ハハハ。まぁよ、爺さんにも覚えがあるだろ? これは、ミチューキ様の通過儀礼だ。筆おろしに口出しするなんざ、無粋以外のなにものでもないさね。だから姉さんも、ミチューキ様をアタシらに任せて、ああしてはしゃいでんのさ」
アラナイさんのもう一人の副官であり、元傭兵のお姉さんが煙管を燻らせながら、そう言った。真っ赤な紅を引かれた唇が、引き裂かれるように吊り上げられ、その唇の端から延びる古傷で、表情が大きく歪む。まるで口裂け女だと思ったが、当然そのような言葉を口から零す愚は犯さない。
シカトリス・ケヒさん。元々タヴァレスタットを拠点にしていた傭兵団の長であり、一七〇センチを超える長杖を携える、魔術師のお姉さんだ。
「……。……品のない物言いは控えよ。ミチューキ様の御前だぞ」
「はッ。へーへー、わかりましたよ」
シカトリスさんの言葉を否定する事なく、ユーレスさんは無礼を咎めるにとどめる。対して、つまらなそうに鼻を鳴らし、やる気なく返事をするシカトリスさん。
そう、これは必要な事なのだ。
今日、僕が軍事訓練に参加した理由。それは、これから戦争をする為には、死を直視しなければならないからだ。
死というものに触れなければならない。命の潰える瞬間を、死神が鎌を振るう瞬間を、肉体がただの肉になる瞬間を、命というこの世のなによりも大切なものが、台無しになる瞬間を――
――味わわなければならない。
それがどれだけ苦かろうと。それがどれだけ甘かろうと。
大丈夫。大丈夫。武士の子なら、十二、三歳で死刑囚で試し斬りを経験したそうだ。つまりは、小中学生で、人殺しを体験したという事だ。高校生の僕が、自ら手を下すわけでもないのに臆してどうする。
「たしかに、死に触れるのは必要な経験です。ですが、死に慣れてはいけません」
ユーレスさんが、低い声音で僕にそう言った。なんだか、おじいちゃんに諭される孫のようだと思った。ちなみに、僕のおじいちゃんは、こっちの世界に飛ばされる段階では、どちらも普通に存命だったので、湿っぽい感慨はない。
「……ど、どういう意味ですか……?」
「ミチューキ様はどうも、無理に死を身近に感じて、死に慣れようとしているように見受けました。それはあまり、よろしくない事にございましょう」
「……そ、うなのでしょうか……?」
言葉少なに返しつつ、僕は考える。
軍人であったこの人は、これまで多くの人の死に触れてきたはずだ。仲間も敵も、多くの人が彼の周りで死んできたのだろう。だが、そんな人が死に慣れてはいけないという。彼もまた、死に慣れてはいないのだろうか? 優秀な軍人であるこの人が。
死に触れて、死に慣れない。その言葉の意味を、僕は図りかねた。
「ったく。何度も言ってんだろ、爺さん。他人の筆おろしに、茶々入れるんじゃないよ」
ふぅと紫煙を吐き出したシカトリスさんに、ユーレスさんは苦い表情を返す。
「いいかい、ミチューキ様。結局、命なんざこんなものだ。特別でも、貴重でもねえ。殺せば死ぬし、殺されても死ぬ。転べば痛い、息を止めれば苦しいってくらい、あたり前の事なんだよ」
「…………」
それは道理だろう。だが、そうやって命を軽んじる物言いには、忌避感を覚えてしまう。それは、僕が平和な日本で生きてきたから、死に慣れていないからだと思った。だが、ユーレスさん曰く、死に慣れてはいけないという。
正直混乱してきた……。
「「はぁ……」」
あれ? なんかユーレスさんとシカトリスさんが、そろってため息を吐いた。まるで、デキの悪い孫や弟の失態を見るかのようである。
「どう思うよ、ユーレスの爺さん?」
「おそらくは、頭で考えすぎるのでしょうな。見たまま、感じたままを、素直に受け入れればいいのですが、このままでは……」
「まぁ、歪まれても困るか」
「ええ。仕方ありますまい」
なにやら、二人の間だけで話が進む。なにを話し合っているのかわからないが、当然僕にその会話に混ざれるようなコミュニケーション能力などない。僕はただ、死者の鎮魂を祈るのみである。
――突然、胸ぐらを掴まれた。
体が浮き上がる感覚があり、すぐさま放り投げられた。何度か地面を転がって、べちゃりと生臭い地面で止まる。
手が赤い。視界も赤い。体が痛い。隣には、山賊の死体。濃厚な死臭。これは、僕の血じゃない。彼の血だ。
見れば、ゆっくりとシカトリスさんがこちらに歩み寄ってきていた。一歩一歩、ゆっくりと僕を投げ飛ばした女性が、近付いてくる。どくどくと、心臓が恐怖に脈打つ。
彼女の、右頬から耳の近くまで裂けた古傷。せっかくの美貌も、その傷跡があるせいで恐ろしく見える。美人だからこそ、いっそう恐ろしい。こうして投げ飛ばされた今、その恐怖の根源が危機感であるのが肌で感じられた。
「――……そう、いう事ですか……」
当然ながら、彼らがここで裏切ったなどという愚かな勘違いはしない。軍幹部に潜り込ませた間諜を、こんな形で使い潰すデメリットと、得られるメリットのバランスが取れていない。
勿論、一瞬もその可能性を考えなかったといえば嘘になるし、考えたからこそ危機感を覚えたのだ。そして考えたからこそ、なんで彼らがこんな行動に打ってでたのかもわかった。
死とは、恐怖すべきもの。
地に伏す山賊の死体を見て、まず感じるのはなんだ? 憐憫? 同情? 哀悼?
そんなわけがない。まず感じるのは、こうはなりたくないという死への忌避感だ。そうだシカトリスさんの言う通り、人は簡単に死んでしまう。転んでも死ぬし、溺れても死ぬ。剣で斬られても死ぬし、矢で射られても死ぬ。そこになにか、劇的なストーリーなんかなくても、死ぬときには死んでしまうのだ。
そうだ。死に恐怖し、その恐怖に慣れてはいけない。死にたくないからこそ、人を殺すのだ。ただ殺すのでは、僕はただの殺人鬼でしかない。
ああ、なんという事だ。自分が恥ずかしい。これまで僕は、何度「死にたくないから戦う」と口にしただろう。今はその言葉が全部、薄っぺらく感じる。状況を鳥瞰した気になって、大義名分のように「死にたくない」と口にする様の、なんと浅薄な事か。
僕は今一度、死体を見る。命の失われた肉塊。山賊だった男の亡骸。
――死にたくない。
今度こそ、僕は本心からそう思った。
「……ありがとうございます。よく、わかりました……」
「おうさ。まぁよ、あんまし頭でっかちに考えすぎず、怖ぇなら怖ぇ、嫌なら嫌って、素直に感じ取ればいいと思うぜ?」
「左様。命はたしかに貴いものではありますが、そこには優劣が確実に存在するのです。それを重々お忘れなきよう」
その通りだ。命の優劣は存在する。自分の命と、他人の命は等価ではない。自分の命の方が、当然価値が高い。まして、敵の命となど比べるべくもない。死にたくないというのは、そういう事だ。
シカトリスさんが命を軽んじている? 馬鹿が。本当に命を軽んじていたのは、僕の方だ。自分の命を重んじないヤツは、他人の命だって軽んずる。そういう意味で、さっきまでの僕は未熟者でなければ、ただのクズだった。もしこの場でなにも学ばなければ、本当にただの人でなしになり果てていただろう。
「……よかった。きちんと学べて……」
変な考えで凝り固まっていたら、それこそ人を駒として見做し、数字として消費するような人でなしになっていたかもしれない。その事に、僕は深く深く安堵の息を吐いた。体はずきずき痛むけど、成長痛だと思って噛みしめよう。
「なぁにしてんだ、テメェら……?」
ひぇ……っ。
地獄の釜が開いたかと思うような、ドロドロとした黒い感情の籠る声が耳朶を打った。地面にへたり込んだままの僕は、それを見上げて怖気付いた。
常ならば、健康的に思える瑞々しい小麦色の肌も、陽光を浴びてオレンジに輝く髪も、勝気そうな双眸も、すべてが溌剌として見えるアラナイさん。それらは一切変わっていないというのに、見受ける印象は真逆といっていい。まるで幽鬼のようだ……。
復讐の炎に炙られたような浅黒い肌も、浴びた返り血の色が残っているような赤髪も、深淵を写すかのような暗い暗い瞳も、ふらふらとした足取りで、血を滴らせるタバルジンを持ったまま近付いてくる様は、ホラー映画のワンシーンだったとしても苦情が出るレベルで、人の本能的な恐怖心を煽られる。
それなりに親しい間柄である副官の二人であろうと、躊躇なく殺そうとしている。理由は、僕に危害を加えたから。僕が、彼女の復讐に必要だから。己の復讐の為なら、どれだけ残虐な事も、どれだけの犠牲を払おうとも、それを肯定し、その行為に及ぶ。
ああ……。改めて、僕はアラナイさんの異質さの理由を思い知った。彼女は、自分の命も他人の命も、等価だと思っている。等しく価値を見出していない。
己も、他人も、等価に無価値だと切り捨てて、復讐という炎に身を投げた幽鬼。復讐鬼。
僕が今日学んだ事を、この人は努めて無視しているのだ。
この人は、人として終わっている。




