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「スー、クッキーは焼き上がったぞ。……次はどうする」
「ちょ、ちょっと待って」
私はパイ生地を作っていた手を止めて、ボウルを置いてレイスの方を振り向く。元特権騎士団で高給取りだったレイスと住んでいるこの家は、台所が広くて二人いても窮屈さをまったく感じない。
襟を寛げた白シャツの上に、自分の髪色と同じ黒のエプロンを身につけたレイスは、私からの次の指示が来るまで忠実に待機している。
それこそ、命令を待つ騎士のよう。実際に今でも警備団とはいえ騎士位はあるしね。
「まずクッキーの出来は……完璧ね」
ウォルのキツネ顔を象ったプレーンとココアの二種のクッキーは、焼き上りも形もとても綺麗だ。一枚食べてみたけど、甘さは程好く口どけまろやか。文句なし。
……一から作ったのはレイスだけど、私より綺麗で美味しい気がするのは錯覚かしら。
「じゃあ、次はそこのフルーツを切ってくれる?」
「ああ、わかった」
指示通り、盛り合わせ用のオレンジやらキウイやらを、フルーツナイフでカットしていく手つきは慣れたものだ。剣の扱いに長けていると、ナイフも上手に使えるものなの? そのうち高度な飾り切りまで会得しそうで怖いわ。
「一体なにを目指しているのよ、貴方」
「ん……? 目指すものなど特にないが、俺はお前が喜んでくれるならそれでいい」
「そ、そういうことを聞いているんじゃないわ!」
この天然タラシめ……!
リンスから新居祝いにもらった、質のいい水色のエプロンの紐を結び直して、私は赤い顔で悪態をつく。そんな私などお構いなしで、レイスは涼しい顔でリンゴの皮をスルスルと向いていく。
「こちらが一段落したら、次は部屋の飾りつけだったか?」
「そうよ。新しく買ったテーブルクロスに変えて、リコラの花をテーブルに飾りましょう」
「花瓶はどうする」
「実家から持ってきた、お気に入りのガラス製のがあるわ」
段取りを確認していく。
お祝いごとにふさわしいように、すべて華やかに整えなくちゃ。
――――今日は、私とウォルの出会った記念日だ。
いまでは遠い過去のことだが、私がレイスと一度決別した後、精霊使いとしての力に確と目覚め、はじめて言葉を交わした精霊がウォルだった。
それ以来、私とウォルは大切な友達であり相棒だ。
レイスの件でもウォルにはなにかと世話になったし、そのお礼もかねてささやかだけど、たくさんのデザートを作ってちょっとしたパーティーを企画してみた。
当然、私の幼馴染な騎士様も巻き込んで。
性格は不器用な癖に手先はとんでもなく器用なレイスは、淡々と私の指示をこなしてデザートを仕上げていってくれている。
この調子なら問題なく予定通りに、甘いものにただひたすら囲まれる、ウォルのためだけのパーティーの準備は整うだろう。
私とレイスはいつもよりだいぶ早いが、先に夕食を済ませている。昨日の残り物のホワイトシチューを暖めて、固めのパンと作り置きのサラダを添えただけの簡素なものだが、そのぶんデザートをたくさん頂くから今日はいいのだ。
レイスも決して甘いものは嫌いではない……というか、案外好きなのよね、昔から。
孤児院にいた時も、他の小さな子達に紛れて菓子類はけっこう食べていたことを、私はちゃんと記憶している。
「問題はウォルね。教会の方で、お菓子をもらいすぎていないといいけど」
ウォルは三日ほど前から、フェイ君のところに遊びに行っている。もふもふな精霊同士で仲がいいようで、文字を教わったり一緒に絵を描いたりしているようで微笑ましい。
あちらの教会にもすっかり馴染んで、ウォルはよくお菓子をもらって帰ってくるのだ。
パーティーのことは事前にウォルにも伝えてあるので、そこまで食べすぎることはないと思うけど。
たぶん、夕方くらいには戻るはず。
「……あの水の精霊は、菓子ならいくらでも腹に入れられるだろう。領主の館でもかなり餌付けされているようだが、そのあとでもスーのデザートは残さずつまんでいるくらいだ」
「ふふ、それもそうね」
お腹をパンパンに膨らませるウォルを想像して、小さく笑い声を立てる。
さてもうひと踏ん張りと、パイ生地の材料を混ぜている途中だったボウルとヘラを取って、私は作業を再開した。
「よし、準備は完了ね! レイスもお疲れ様」
「ああ」
私は食卓を見渡して満足げに息をついた。
四人がけの木製のテーブルには、薄いピンクの春色のテーブルクロスが敷かれ、その上にはレイス作のウォル型クッキー、紅茶のふんわりシフォンケーキ、カボチャをこして作ったプリン、豪勢に盛り付けたフルーツの山などがところ狭しと並んでいる。
ウォルの好物である木苺のパイも、もちろんしっかり真ん中に配置済みだ。そのすぐ横には、透明な花瓶に生けられた赤い花が場を引き立てている。
「貴方が庭から摘んできてくれたリコラの花も、見頃で綺麗ね。わざわざありがとう」
「気にするな。……じきに陽が落ちるな」
エプロンを外し椅子の背にかけたレイスが、その切れ長の瞳をテーブル横の窓へと向ける。
空は見事な茜色だ。そこに紫の薄闇がじわりと溶け出している。
机の上を整えるのに夢中で気づいていなかったけど、いつのまにかこんな時間になっていたのね。夜の帳が落ちる時間も近い。
……ちょっと、ウォルが帰ってくるのが遅い気がするわ。
「ねえ、ウォルは大丈夫かしら。そろそろ戻ってきていても……って、きゃっ!?」
――――そこで突然、ブワッと足元に風が巻き起こった。
窓は開いていないし、明らかに普通の自然的な突風ではない。
レイスが咄嗟に庇うように、私の腕を引いて抱き寄せる。
カーテンやテーブルクロスがはためき、ハラリと一枚、リコラの花弁が木苺のパイの上に落ちた。やがて吹き荒れる風が収まって、灰色の毛を靡かせた狼が忽然と現れる。私はその見知った獣の姿に、レイスに抱き寄せられながら目を見開いた。
狼は勢いよく大きな口を開く。
「いきなりスミマセン、お邪魔するッス! 大変なんス! 一大事ッスよ、精霊姫さん!」





