29話 優しい指導
既に通いなれた職員室を訪ねると、与那国先生はやれやれと顔を覆った。
「六組では京ヶ峰や万願寺のほうが問題児だと思っていたんだが……どうやら違ったらしい。謹慎が解けた初日に堂々と遅刻してくるのは君くらいだ」
「遅刻というか、この時間じゃないとダメなんで」
「妹さんだろう? 万願寺から聞いたよ」
そう言って席から立った先生は付いてくるよう促し、職員室からほど近い生徒指導室へと向かった。
生徒指導室とは、名前の通り生徒を指導する場所。
ここにも俺は何度か入っている。もちろん、事情聴取の際に使われたからだ。
「私は今回の件について君を咎めるつもりはない。事情はすべて万願寺から聞いたからね」
そんな部屋で俺と二人きりの空間になった先生は、備え付けの椅子に座ってからそう切り出した。
先程の言葉で察したが、どうやら彼女は先生に話したらしい。
「がっつり謹慎くらいましたけど」
「喧嘩両成敗というだろう」
「喧嘩じゃないんですけど」
「表向きはそう処理するしかあるまい? なにせ、彼が犯人だったという証拠はないんだからね」
「先生は本当にそう思いますか?」
そこで先生は息を吐いた。
「表向きと言っただろう。彼の言い分を鵜呑みにするには、審議しなければならない行動が多すぎる」
やはり、教師たちも不審には思っているようだ。
「君のやり方を否定はしない。ただ、生徒だけで処理にするにはすこし迂闊だったとは思う。わざわざ警察まで呼んだ意味すらなくなってしまったからね」
「すいません」
「謝罪なら万願寺にしなさい。君の謹慎が決まったあと、彼女はわざわざ私のところにきて、自分も処分するよう申し出てきたからね」
「その時に聞いたんですね」
それに先生は頷いた。
「君が殴られたとき、彼女も鈍器で殴られたような痛みを受けたと言っていた」
「鈍器って……」
「それくらいの衝撃を受けたということだろう」
しかし、あのとき倒れていた万願寺を思いだすと、誇張した表現ではないのかもしれないと思えてくる。
「彼女から聞いたことは他の教師や警察へは話していない。話したところであまり意味はないし、犯人扱いした生徒が一人増えるだけだからね。君もそう考えて彼女の名前はださなかったんだろう?」
「まぁ」
「虚偽報告は、ある意味でとても重い罪だ。そこにどんな善意があろうと見過ごされるべきではない。今回の件で君が悪いとは個人的に言い切れないが、すべて正直に話さなかった事だけは反省しなさい。社会でそれをすれば今よりキツイ制裁を受けることになる」
「……わかりました」
「それと、これは万願寺にも言ったことだが、遅刻は今日を以てやめなさい」
静かな空間内で、先生の凛とした声が鋭い刃を持った気がした。
「事情は聞いたが、それなら妹さんを説得しなさい」
なぜですか? なんて聞けるはずもない。
その理由について、先生はすでに告げていたから。
それに答えずにいると、再び先生は息を吐きだす。
「警察のほうから、彼と君について、普段どんな生徒であったかを聞かれた。もちろん、私だけじゃなく他の教師にもね? そして、君のことを「よく遅刻する生徒」と回答されるたびに悲しい気持ちになった。同時に、質問の相手が記者だったらと思い肝を冷やしたよ」
普段は毅然としている先生だが、そのとき初めて先生の弱音を聞いた。
「私たちにとって生徒は所詮、授業を教える相手でしかない。生徒間における価値があるかどうかなんてのはあまり見ていないんだ。見ているのは授業態度だけ。それは、その部分しか自分の目で見ることができないからでもある」
真剣な眼差しが痛い。それは、俺のためであると丁寧に説明しているからこそでもある。
「妹さんのためにも、君は私たちの目の届く範囲にいなさい。少なくとも、それを守ってさえいれば救ってやれることもある」
そして、そこに桜をもだしてきた。
言い分は十分すぎるほどに理解できた。
それでも、
「俺は、妹に無理強いをさせたくないんです。妹にはできる限り平穏を与えてやりたい」
俺が遅刻しないようにするためには、一時間はやく家を出る必要がある。そのためには、桜を早く起こすか、朝食を独りで食べてもらうかのどちらかしかないのだが、正直どちらも嫌だった。
家で独り過ごす桜にとって一日はとてつもなく長い。
映画をみても、問題集を解いても、それでも彼女は独りをただただ実感する瞬間があるはずだ。
早く起きればその分の時間が長くなり、独りで食べるご飯は何を思うのだろうか。
「なら、そもそも六組に来ないことが最善だったはずだ。それを反故にして、今の現状だけを正当化するのは違う気がするがね?」
鋭い指摘。
やはり、俺より何年も生きているだけあって、それにはぐぅの音も出ない。
先生の言うとおり、元を辿れば俺が悪い。
それでも、俺のために桜が寂しい思いをするのは違うと思ってしまう。
「簡単なことだ。子供が起きる前に働きに行く親なんて、いまや普通ですらある。君が妹にそこまで執着する意味がわからない」
「俺は……」
もはや先生の目を見れず言いよどむと、何度目かわからないため息。
「君が六組を出れるならこんなことは言わなかったかもしれない。しかし、現状はそう甘くないだろう? 不可抗力とはいえ、問題を起こした君をわざわざクラスに戻そうとは誰もしないだろう。むしろ、君が戻れば、君に票を入れた者が変に思われかねない」
そして、先生はゆっくりと立ち上がる。
「よく考えなさい。私は君の行動でしか君を判断できないのだから」
上から降ってきた先生の声音は優しくなっていた。
「気が済んだら教室に行くように。ただし、授業を放棄すればするほど、君は教師の手を振り払っているのだと知りなさい」
その優しさのなかにも、先生はしっかりと忠告を添える。
やがて、扉はパタンと閉じられた。
桜に話して協力してもらうことは必要だろう。
むしろ、そうしなければならなかった。
だが、それでも俺から桜にお願いすることは憚られた。
それは、桜が俺にたいして何かをお願いすることがなかったからかもしれない。
桜が助けを乞うたり、お願いをしたり、無理を強いてくることなんてなかった。
ずっと、独りで耐えていたのだ。
それは……今だってそう。
桜は自身の気持ちを俺に話したりしない。
ただ、俺の顔色を窺って笑うだけ。
だから、俺からも強要しないと決めた。
桜がやること、言ったことはすべて肯定してやると決めた。
なのに、桜は無理難題の一つも、ワガママで駄々をこねたりもしない。
だから、どうあっても、俺から桜にお願いをすることはない。
こうしていても答えがでるはずもなかった。
なぜなら、答えなんて最初からでていたからだ。
生徒指導室を出ると、その足で六組へと向かう。
先生の主張はあまりに正しい。
それでも……、俺にはそれだけができない。




