10話 京ヶ峰の提案
遅刻したとき、教師にバレないよう匍匐前進で席までたどり着くというのはよくある展開……でもないが、堂々と入室するのは気が引ける、という者には是非この方法をおすすめしたい。
「……まるでゴキブリね」
もれなく、黒髪美少女からの罵倒と軽蔑した視線を頂けるからである。もちろんドM限定。
六組になってから二週間経ったが、俺は桜との大切な時間を優先させているため、未だ時間通りに登校したことはない。
黒板にチョークを走らせている一限目の教師はチラリとこちらを見たようだったが、すぐに視線を戻してしまった。
どうやら遅刻常習犯は、やりすぎると不良になるらしい。
呆れられて諦められて、もはや彼らが俺を説教する時間すらなくなってしまった。
それでも、提出物や放課後の雑用なんかは懸命にこなしているせいか特に何か言われることはなく、日々は平穏に過ぎていく。
万願寺とはあの一件以来ほとんど会話を交わしていなかった。
百江の言うとおり、関わりすぎないようにしているわけじゃないが、積極的に関わろうとするほど俺も暇ではなかったから。
特に、胡兆に票が偏っていなかった事実を告げられてから、俺は一組に戻る手段を考えあぐねている。
たしか、彼女は方法を知っていると言っていた。
しかし、一度聞きそびれてしまったことをもう一度聞きに行くというのは、どうも負けた気がしてならない。やはり、聞くのならその場ですぐに聞いてしまうのが一番だと反省する。速さこそ正義だ。
まぁ、胡兆は頭が良いからそういう方法をすぐに思いつくのだろう。
そして、『頭が良い』という点をだけを取り出せば、実は六組にも負けていない人材はいた。むしろ、胡兆よりも成績の良い生徒がひとり。
もちろん、
「――それを六組から抜け出せていない私に聞くのは、すこし浅はかね。馬鹿なの?」
罵倒と軽蔑した視線つきである。
「溺れる者は藁をも掴むだろ。悪口言われるのを分かってて掴んだんだから、少しくらい知恵を貸してくれ」
しかし、学内トップの成績を有する京ヶ峰は拒否を示すように顔を逸らした。
「嫌よ。なぜ私があなたのために何かしないといけないの? 友達でもないのに」
「同じクラスメイトだろ」
「私とあなたは、偶然にも同じ時間、同じ場所に分別されただけの存在に過ぎないの」
「地球上にどれだけの人間がいて、どれほどの時間が流れてると思ってるんだ。そんな中で出会えたのは運命であり奇跡だろ」
「……気持ち悪いこと言わないでくれる? 背筋が凍ったわ」
京ヶ峰は汚いものを見るような目を向けてきた。すごく傷ついた。
「そもそも、他人に頼ろうとすること自体がすでに間違っているのよ」
そうやって傷心していると、彼女はため息を吐いてそう言った。
「誰かをあてにして生きているような人間に価値なんてあると思う? 答えはノーよ。あなたは、私に頼ろうとした時点で自分に価値がないって認めてるようなものなのよ」
「あぁ、だから六組にいるんだろ? 何言ってんだお前」
傷心していたからか、思わず脊髄で返してしまった。
「……」
それに京ヶ峰は、ポカンとして俺を見つめている。
「……あなたには羞恥心がないの?」
「恥はあるぞ。ただ俺は忍ぶことを知ってるだけだ」
そういえば、なぜ恥は堪えるとかじゃなく忍ぶと表現するのだろうか。忍者みたいで格好いいから別にいいけど。
「ああいえばこう言う。あなた、なめのじゃくみたいな男ね」
「なめのじゃくってなんだ? あまのじゃくじゃないのか?」
「あぁ、あなたがあまりにもしつこいからナメクジと混ざっちゃったの。訂正しておくわね? あなたナメクジみたいな男ね」
「……あまのじゃくが間違いのほうかよ」
思いきり悪口じゃねーか。
「……もういい。お前に頼った俺が馬鹿だった」
こんなことをしていても何の進展もない。彼女とは話すだけ無駄だ。
そう結論づけて京ヶ峰の席から離れようとしたときだった。
「あら、もう諦めるの? 案外根性ないのね」
「……え?」
「ナメクジと言ったのは、あなたの粘り強さをたとえて言ったのよ。でも……私の見込み違いだったようね」
「な、なにか他の手段を教えてくれるのか!?」
「それが人にものを頼む態度なの?」
京ヶ峰はそう言って再び不満そうな顔をする。
その瞬間、俺は理解した。
彼女が俺に望んでいたことを。
クラスメイトだから、友達だからと軽くお願いするのは違ったのだろう。本当に知恵を貸してほしいのなら、頭をさげて誠意を見せなければならなかったのだ。
「京ヶ峰さん、どうか六組を脱出するための方法を俺に教えて下さい!」
「は? 嫌よ。喩えで言ったのだけれど本当にしつこいのね? ナメクジみたいじゃなくナメクジ野郎だわ」
あれれーーーー? おっかしいぞーー??
「塩でもかけてやりたいところだけれど、残念ながら持ってないの。私の機嫌が悪くならないうちに消えてくれないかしら」
教えてくれると思っていたが、やはり京ヶ峰は軽蔑の視線を俺に送ってくる。
どうやら、俺の勘違いだったらしい。
「くっっ……悪かったな」
そう言って、再び席から離れようとしたときだった。
「……はぁ。本当に六組から脱出したいのなら、普通は罵倒されても諦めないものだけれどね?」
「……え?」
「残念。やっぱり、あなたには六組がお似合いのようだわ」
「きょ、京ヶ峰さん! 一生のお願いです! どうか俺に六組を脱出する方法を教えてください! お願いします!」
「は? あなたの一生なんて要らないんだけれど? それとも遠回しな告白? きも」
「おい、お前わざとだろ……」
悪口を浴びせられ、下げた頭をすぐにあげた。さすがに同じ轍は踏まん。こいつ……俺を罵倒するためだけに希望をちらつかせやがった! 許すまじ!!
「ぷっははは!!」
そうして見上げた京ヶ峰は、まるで悪女の如き笑い声をあげた。いや、もはやその姿は悪女そのものだった。こいつ……。
そうして彼女はしばらく笑っていた。それはもう、他のクラスメイトが驚くほどに。
「……ごめんなさいね? あなたがあまりにも簡単に引っかかるから、楽しくなってしまったの」
やがて、ようやく落ち着いた京ヶ峰は涙を拭いながら軽薄な謝罪を口にした。純情な男心をもてあそびやがって。
「お礼にヒントくらいは教えてあげる」
お詫びじゃなくてお礼なのかよ。しかもヒントだけって。そのお礼は失礼だろ。
しかし、そんなことは気にもせず京ヶ峰は自信満々の笑みを浮かべた。
そして、
「あなたがモテるようになればいいのよ」
あまり良いとは思えない提案をしてきたのである。
「それ、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない理論だぞ?」
「へぇ。自分がモテないっていう自覚はあるのね」
「あったけどお前に言われるとなんか腹立つな?」
「事実だもの。恨むならモテない自分を恨みなさい」
納得いかなかったが、もはや反論はやめておく。彼女と言い争ったところでロクなことにはならない。
とはいえ、モテるようになれば六組を脱出できるというのは真理ではある。
益田みたく好きな女の子に投票する奴はいるし、告白されてクラス内で付き合えば安泰で一票は得られる。
そもそも、俺が胡兆に票が偏っていると推測したのも、彼女がモテるからだ。
「モテるようになるって、どうするんだ?」
「それは自分で考えなさい」
「考えられたらとっくの昔にやってるだろ! わかんないからモテないんだ!」
「あなた……」
京ヶ峰は残念なものを見るような視線を俺にむけてきた。やめろ。俺をそんな目で見るな。
「あまりにも可哀想だから教えてあげるわ……。まず成績ね。特票が与えられる学年三位以内は無理としても、成績順位表に載る十位以内は確実に欲しいところよ」
成績順位表はテスト後廊下に貼り出される。これを見ることで、誰に特票が与えられるのかを知ることができるわけだ。ちなみに、成績順位表には学年二十位以内の名前しか載せられない。
それでも、
「その条件はクリアしてる。前回も学年で七位だったし」
俺はちゃんと載っている。
「……なんですって。ありえない」
「素の反応やめろ。というか、俺ずっと成績順位表には載ってるぞ? さてはお前、自分よりも下は確認してないな?」
「なぜ自分よりも下の人間を確認しないといけないのかしら?」
「優越感に浸れるからな」
「最低な発言ね。あなたはまず、成績よりも変えなくてはならない部分がたくさんありそうだわ」
「他に何があるんだ」
「性格……と言いたいところだけれど、性格は距離が近くないと知ることはできないし、あなたの場合、嫌われるのが落ちだから外見だけでわかる体を鍛えてみるのは良いんじゃないかしら」
「体を鍛えるって……次の投票までに間に合うのか?」
「知らないわ。あなた次第じゃない?」
「いや、無理だろ」
そう言った直後、京ヶ峰はギロリと俺を睨んだ。
「なにも信じないではじめから放棄するなんて格好悪いわね。そんなんじゃ、一生モテないわよ?」
それには、ぐぅの音もでない。
たしかに、間に合うかどうかは不確定な未来であって、無理だと思うのは俺の決めつけだ。
「……わかった。まずは体を鍛えてみることにする」
何事もやってみなければわからない。もしかしたら、筋肉ムキムキになったら女子から告白されるかもしれない。
そもそも、男が体を鍛えるのは十中八九モテるためだ。
「えぇ。頑張ってね」
「ありがとな」
その日から、俺は筋肉をつけるため毎日トレーニングをすることにした。
次の投票までに体を仕上げなければならないため、多少過酷でも仕方がない。
内容は腹筋、腕立て、スクワット五百回。ランニング十キロ。筋肉をつくるためタンパク質をとり、授業中は机の下で握力を鍛えるためにハンドグリップを握る。
そして――、
俺は、三日で体を壊した。




