詩歌の神ミト
とても人間臭い神のミト。以前に神視点のあらすじで、レギの人生を世界記録の情報から「見てみよう」と言っていたのはこの神様だったりします。
でも怖い一面もあり、人間の善の部分も悪の部分も許容してしまうところがある神様です。
「この世界の神ではない?」
「そう。厳密に言えば、ね」
彼は俺の前を歩きながら、どこか楽しげに言った。
「とはいえ、完全に無関係という訳でもないのさ。こちらの世界にも、芸術や美に関係する神への信仰が、少なからず芽生えているからね」
「ベグレザには『美の神ファラハト』という神が信仰されている地域もあります。ルシュタールにも似た性質の神が居た──ような」
「そうだね。残念ながらきみの住んでいる世界は、歌や物語に関する文化が人々の中に浸透していない地域が多い」
「それではあなたは、そうした芸術や美を司る神、という事でよろしいですか」
「それは私の一面でしかないけれど、まあ私自身、様々な場所であらゆる機能と結び付けられているから、どう言っていいか分からないな。
ある人は私を技芸の神と呼び、ある人は詩歌の神だと言う。ある人は私を美の神と呼び、ある人は文化の神だと呼ぶ。またある者は──私を観測者であると言う」
彼はそう説明しながら、指を立ててくるくると回していた。
「名前を訊いても?」
改めてそう口にすると、若者は「そうだな……」と押し黙った。
「ミト、とでも呼んでくれるといい。それは詩歌の神の名で、私にとっては一番しっくりくる名前かもしれない」
「かもしれない」という曖昧な返答だったが、いくつもの顔を持つ神、という事なのだろうと思う事にして、俺はその名を古代言語や魔術的な言葉に近いところから探ってみた。
しかし「ミト」に近い語源は、「技芸」や「美」とも関係のないものばかりだった。
おそらくその呼び名は、別の世界での呼称なのだろう。──俺は自分でも驚くほどあっさりと、別世界の存在について認めていた。
多元的な世界は魔術師によって「人間界」「精霊界」「神界」などと呼ばれる世界以外にも、「魔界」などがあると考えられているが。別の、人間の住む世界についての話は、あまり聞いた事がない。
だが、ミトの口からは、人間の世界はいくつもあると語られた。そしてその言葉からは、嘘の臭いはまったく感じられない。
別世界の神。
それが目の前を歩いている青年の正体だという。
そこでふと、疑問に思った事を口にした。
「なぜあなたは、別世界の神であるミトは、この領域で俺を待っていたのですか」
「実を言うと、以前からたびたびきみの様子を見ていた。興味深くてね。私は観測者や傍観者などとも呼ばれているが、それは人間の人生を見つめ、見守っているからなのさ。
私は詩歌に纏わるもの、特に英雄譚や叙事詩は私がもっとも好むものの一つだ。──そう、私は人間が好きなのさ」
そう言って振り返った顔には、親しげな笑みが浮かんでいた。
もしかすると、今まで旅の途中で感じていた何者かの視線は、ミトが別の世界からこちらを窺っていた時のものだったのかもしれない。
「本来なら人の人生に手を出すべきじゃないんだが」
ミトはそう口にして、前を向いて歩き続ける。
沈黙が訪れた。
乾いた地面を歩く足音だけが聴こえ、そこで初めて自分が、気温もなにもかも感じない事に気がついた。
体のない自分がどれくらいこの領域に留まる事ができるだろうか。そうした心配について考えても恐怖や不安は感じない。
それも肉体を失った結果なのだろうか。
このままだと俺は、霊的な消滅によって死よりも完全な"消失"を味わうはずだが、感覚的なものでない所為か、恐怖を感じる事もなかった。
ただ漠然と、このまま消滅する訳にはいかないという、消えざる意思が俺の中に宿っているのを、わずかに感じていた。
「あれを見て」
岩山の陰に屹立した土気色の柱が立っていた。
靄の中にぼんやりと立つ物に近づくと、それが巨大な骸骨だと気がついた。
うなだれた格好のまま、皮と骨の塊となった巨人の姿。
肉体を持っていたら、この異様な光景に足を止め、様々な物事に思いを馳せ、興奮していただろう。
しかしこの時の俺は、この奇妙な巨人の遺骸を見て、なぜこのような物がここにあるのかと、先ほどのミトの言葉を思い出そうとしていた。
「巨人の墓場……これが」
「こんな風に綺麗な形のまま残っている物もあれば、バラバラになった骨もある。ここは正確には墓場ではなく、戦場跡と言った方が正しい場所なんだ」
「戦場──いったいなんの」
そういえば魔神……ラウヴァレアシュが、かつて巨人と神々の戦いがあったと言っていた。
「ここに眠る巨人たちは、冥界に様々な建造物を建てた功労者なんだ。きみも以前、見た事があるだろう。冥府の中に建てられた、巨大な建造物の数々を」
魔女王ディナカペラによって導かれた冥界で、魔神ツェルエルヴァールムを解放しに行った時のあれか。……確かに冥界には冥界には巨大な宮殿などがあり、そこには巨大な犬や怪物も存在していた。
あの巨大な建造物を建てたのが巨人だったとは。
色々な事が思い出され、俺は地面に座り込んだままうなだれている巨人の遺骸を見上げていた。
「あった、あれを探していた」ミトが声を上げた。
彼が歩いて行った先を見てもなにも無い。
しかし彼は地面に手を伸ばすと、黒いなにかを拾い上げた。それは大きな金属の塊だった。
「きみはこの黒い金属を知っているはずだ」
そう言いながらミトはこちらに近づき、大きな金属の塊を地面に突き刺した。
それは尖った厚い金属板に見えたが、どうやら大きな刃の破片であるらしい。
「ああ、それは──巨人ボルキュスが神々との戦いで使用した武器の……!」
魔神ラウヴァレアシュから借り受け、その黒い短剣で死導者を倒した事が思い出されてきた。
それは神を傷つけられる禁断の武器の破片。
巨人ボルキュスという、謎めいた巨人の剣。
目の前にある黒い金属は、以前に見た短剣の材質と同じ──物質と霊質の合成された物だった。
「ここにはこんな貴重な物が、当たり前のように落ちているものなのか」
「いいや、そんな事もない。なぜなら神々は巨人の作り出したこの武器を見つけ出しては回収し、消滅させていたはずだからね」
俺の独り言に若者の姿をした詩歌の神はそう説明し、自分たちは幸運だったと口にした。
……そうなのだろうか? この神もだいぶ謎めいた存在に違いない。初めからこの巨人の武器の破片を俺に与えるつもりだったように思えた。
「私は『幸運』や『運命』と呼ばれる事もあるからね」
そんな言葉を口にすると、緑色の瞳に神秘的な光を宿し、神ミトは微笑んだ。
「しかし、この金属を加工するのは──」
錬金術の業を以てしても不可能に思えた。
「確かに以前まできみの技術では不可能だったろう。しかし、死の直前に学んだものがあったんじゃないか?」
そう言われ、あの天使が使っていた錬金術の業を解析していた事を思い出した。
「そうか、あの金属を液化する力を使えれば……!」
天使が金属に施していたのは「万物溶解」の力に類するものであり、さらに「金属変容」の力を付随させていた。奴が展開していた技術は複雑で、金属を自在に操るものだったが、形状を変えるだけなら俺にもできそうだ。
武器に魔法を付与する錬金術なら、レァミトゥスから引き継いだ知識から学んだものがある。巨人の武器に使えるかは疑問だが、この際、取り組んでみるのも悪くない。
「それにしても巨人ボルキュスや黒い武器は、いったいどのような由来をもっているのでしょうか。──巨人が神と敵対するに至った理由など、神ミトは知っているのでしょうか」
すると彼はもう一度「ミトと呼んでくれ」と口にし、少しばかり考えるような仕草をした。
「う──ん、それは……私の口から話すべきではないかもしれないな。だがまあその剣の破片や、巨人については話してもいいだろう」
そんな前置きをしてから、彼は話し始めた。
「巨人たちは神々と争う事になった時に、神を打ち倒す武器を作る必要に迫られた。そこで彼らは同胞を犠牲にして、新たな金属を生み出した。彼らは神に近い存在だったからね。その血肉を使って金属を生成し、加工して、神々に対抗する剣や槍を作ったのさ」
「巨人が巨人を……」
「そう。というのも彼らは神々によって、上位領域の混沌から生み出された道具のような存在だったんだ。強大な力を与えられ、低次元と高次元の間に冥界を作り、そこに神の力を封印できる装置を構築したりする為のね。
巨人は神のごとき力を使い、神々に戦いを挑んだ。ボルキュスというのは巨人の名ではなく、黒い金属に付けた名、『神の破砕』から作られた武器を振るう者、という意味なんだ」
黒い金属は「神を破砕するもの」という名を与えられた、神への呪いに満ちた武器だとミトは話した。
さらにその武器は巨人を犠牲にして作られたという、とんでもない因縁を持つ物だった。
神に比する力を持っていた神的巨人がなぜ神々に反抗したのか。そうした事については分からないままだったが、まさか冥界にあった建物を造ったのも巨人だったとは。
「その金属から武器を作り、それを使って天上の脅威を打ち払うんだ」
「天使を撃破しろと? ……そういえば、俺は死んでいるんだった」
「正確には生と死の狭間にある状態だね。肉体との霊的接続が完全には失われていない状態だ。きみの肉体はじきに冥府の巫女から与えられた力で蘇る。きみの生命に結び付けられた力で肉体は復元され、意識は肉体に再び呼び戻される。それが最後の復活になるだろう。
その時に反撃できる瞬間がくるはずだ。あとはきみの、剣士としての腕前しだいだ」
詩神ミトの話をひととおり聞き終えた俺は、黒い金属の錬成に入った。
神の力に由来を持つ金属から、新たな武器を作り出す作業。それは簡単な事ではなかった。
巨人用に作られた巨大な武器の破片を加工し、人間大の武器に作り変える作業は、まずは金属の性質を解析し、元々の性質を失わないよう注意しながら、剣の形に加工するのだ。
俺を殺した天使が使っていた「万物溶解」の力をそのまま使用する訳にはいかなかった。それをしてしまうと、黒い金属に秘められた「神殺しの力」が失われる可能性があった。
よってこの錬成作業は、想像以上に繊細な、錬金術のより高度な次元の扉を開く必要が出てきた。
幸いと言うべきか、物質界と冥界の狭間にあり、物質的な下位世界と、神秘的な上位世界にも通ずる領域(巨人の墓場)での作業であった為、余計な邪魔が入る事なく、作業に集中できた。
この領域には下位世界と上位世界の理が混在し、食い違う(反発し合う)はずの二つの理が位相し、新たな原理の下で一つに構成可能な現象として、調和する事が可能になっているのだ。
本来なら反発し交わらない力であっても、この領域でなら、大きな抵抗を感じる事なく作業を続けられた為、神殺しの力を失わずに新たな剣を作製する事ができた。
「素晴らしい」
ミトは控えめな拍手をしながら、地面に描いた魔法陣の上で生成された剣を見つめていた。
霊的な体での作業だったが、結果に影響は出なかったようだ。
地面の上に置かれた剣は通常の長剣よりも幅が広く、長さもある物に仕上がった。
重そうな見た目に反し、できあがった剣は軽く、片手で振るう事もできそうなほどだ。
物質としての質量を持ってはいるが、その本質は霊的な、上位世界に関わる因縁を有している黒い金属。神をも殺す力を秘めた長剣の黒い刃に、危険な赤い光が映り込んでいた。




