死と消滅
その後も剣による攻撃を試したが、天使の攻撃の間合いに入ると液体金属の打撃が飛んできて、それを躱すのに手一杯になった。天使は金属を刃物のようにして使用する事はなく、あくまで棒状の形を取って殴りつけてくる。
神霊領域を人間の血で染めるのを嫌っているのだろうか? ……天上の者共の考える事は理解不能だが、ともかく俺は天使の持つ力の分析を始めた。
しかしこちらの魔法を弾く力に守られた相手の能力を探るのに、かなりの時間と魔力を費やす結果となった。分析できたのは液体金属の性質だけだった。
天使が作り出した金属は、錬金術の形式を踏んで作られた物体であると判明した。その複雑な術式の一部を解析する事はできたが、弱点を見つける事まではできずにいた。
流動性を持った金属というだけでなく、天使が操る金属には、敵の魔法を分解する性質を持たせてあるのだ。それは謎の力が加えられた結果のようだ。
しかも外部からの力を受け流す、攻防一体の役割をこなせる武装だった。地味な見た目に反し、かなり厄介な武器と言えた。
この金属を断ち切るには、光体を利用した斬撃だけでは不十分らしい。もっと強力な力がなければ、この天使の防御を突破するのは困難だ。
「さて、どうするか……」
そう口にしつつ、俺の足は天使から距離を取る為に少しずつ後退していた。
あまり距離を取り過ぎると天使は接近速度を上げ、一瞬で間合いを詰めてくるようだった。
それだけでなく奴の繰り出す攻撃は、段々と精度を増してきた。鞭に似た動き方をする金属の武器だったが、まるで優れた剣士や槍使いに似た攻撃を繰り出してくるようになった。
この天使は俺との戦闘から、どんどん戦い方の方法論を身につけているようだ。
「くっ」
薙ぎ払われた金属の棒を躱し、前に出ようとした俺に向かってもう一方の金属が振り下ろされる。その鋭い攻撃を躱して、短剣で金属を受け流しながら前に踏み込んだ。
下に構えた刃を斬り上げる斬撃。
光体の刃を乗せた一撃が天使の脇腹を狙って──
「ヴィオンッ」という音と共に剣の軌道が、謎の力に弾かれて曲げられてしまう。
勢いを流され体勢を崩されそうになった俺は、横に跳んだ。
薙ぎ払われた鉄鞭が俺の腹部を打った。
宙に浮いていた状態の俺を強打した一撃は、革鎧を貫く重い衝撃を腹部に打ち込んできた。
「ぐはっ!」
吹き飛んだ俺は地面を転がり、なんとか踏み止まって上体を起こした。そこへ天使が急接近するのが見えた。
咄嗟の、無意識の反応で、俺は手にした短剣を薙ぎ払った。
剣から迸った衝撃波が空気を震わせる音と共に広がり、天使の動きを一時的に止めた。
魔力を斬撃としてでなく、衝撃として放った攻撃を打ち消す事ができなかったようで、天使は防御体勢を取る事もせずに棒立ちになっていた。
損害を与える攻撃ではなかったが、動きを止める手立てにはなったようだ。
今まで俺は、あの液体金属を切断しようとしていたが、偶然に放った攻撃で思いついた。斬れないなら、弾き飛ばせばいい。
天使の懐に入るには、左右から伸びてくる攻撃をなんとかしなければならない。
一瞬でもあの金属の打撃を弾ければ、本体を狙う機会は増えるはずだ。
天使の体を覆う防御障壁の弱点を探る為にも、なんとか攻撃を当て、その反応を分析していかなければ。
時間をかければかけるほど、こちらの動きを学習した天使の攻撃は危険なものになる。
そうなる前に決着をつけなければならない。
こいつはまるで懲罰官だ。
自分は強固な防具を身に着け、相手を痛めつける為の棍棒を手にし、逆らう事のできない相手を優越感に浸りながら殴りつける。
そんな腐った手合いそのものだ。
握りしめた柄に力が籠もる。
──俺は焦っていたのだ。
力を封じられた状態で、危険な上位存在の刺客を迎え撃つという、この状況に。
一瞬の判断の狂いも許されない戦いで、冷静さを欠いていた。
前に出て天使の武器を、剣から放った衝撃波で弾き飛ばし、天使に肉薄するまではよかった。
二本の液体金属を魔力の衝撃波で弾き、天使の間合い深くに足を踏み込み、素早い連続攻撃の流れに乗って、振り上げた光体の刃を振り下ろす。
その瞬間。
天使の身を守っていた三本の金属の輪が集まり、一本の太い棒の形を取って、蛇の様に俺の首めがけて襲いかかってきたのだ。
横から重い一撃を受けた俺の首から──骨の折れる、鈍い音が聴こえた気がした。
* * * * *
目の前が暗転し、漆黒が俺の意識を包み込んだようだった。
と同時に、俺の戦意はどこかにいってしまっていた。
まるで闇に叩き込まれると同時に、戦う事のむなしさを悟ってしまったかのように。
俺はなにと、なんの為に戦おうとしていたのだっけ。そんな想いが漠然と心に飛来する。
気づくと俺は地面に倒れ込んでいた。
目を開けるとそこは、薄暗い荒野のど真ん中だった。
どういう訳か遠くを見ようとすると視界が揺らいで、ほんの少し離れた場所にある大岩さえ霞んで見えた。周囲に薄い靄がかかっているようだ。
なぜ自分がこんな場所で倒れていたのだろう? そうした疑問と共に、先刻まで自分がなにをしていたのか、まったく思い出せない事に気がついた。
「ここはどこだ……?」
手を見ると、それはぼんやりと発光していた。
淡い白い光を放つ自分の体。
衣服も着ているようだったが、それらもぼんやりとした感じで、はっきりとした形が分からない。
荒れ果てた乾いた大地。
辺りはしんと静まり返り、命あるものがここにはなに一つ無いのだと思わせた。
「死者の国か?」
冥府に似ていなくもない情景を前にして、俺は自分が死んだのかとなんとなしに考えたが、自分が何者で、どうしようとしていたのかも判然としない事に気がついた。
「自分が……わからない」
ふらふらと俺は歩き出した。
行く当てもなく、ただただ意味もなく歩き出した。心の、自分の中心部分のなにかからあふれ出る、言葉にならない不穏な気持ちだけがあった。
それが「不安」や「恐怖」であるなど、その時の俺には理解すらできずにいた。
その想いに駆られるようにして、土と岩ばかりの荒野を歩いて行く。
岩山や隆起した地面を避けながら進んでいると、遠くに大きな塔らしい影が見えてきた。
遠くの景色が霞んで見えるこの場所で、俺は霧の中に浮かぶようにして見える、黒い影に近づいて行こうとした。
「待ちたまえ」
誰かの声が聴こえた。
「どこに行くにしても、まずは自分を取り戻してからにした方がいいな」
その声は高い場所から聴こえてきた。
声のする方を見上げると、岩山の上に誰かが腰かけていた。
若い男だ。飾り気のない黒っぽい衣服を着た、見た目の涼やかな若者。
青い光を反射する銀色の長髪に、翠玉色の瞳を持った美しい青年だ。
「現在のきみは死導者の魂からも遠ざけられ、自我の遊離した状態にあるんだ」
若者の言葉を聞いて、一瞬なにかを掴みかけた。死導者──その言葉には聞き覚えがあった。
「あなたは?」
「私は──、ふむ。説明が難しいな。ありていに言えば、私はきみなのさ」
若い男はそう言って秘密めいた笑みを見せる。
彼の口にした言葉は俺に異質な惑いを与えた。言葉の意味が分からないというのではなく、彼の発した言葉が与える影響が、俺の心臓を捉えたかのように。
「あなたと俺は違う」
「いいや、それは違う。人は他者との関係性の中でしか己を認識する術を持たない。それはある意味で、主観と客体の同一性を表すものだ」
「それは魔術の──精神の、基本的な自己認識の形……」
俺はそう口にして、だんだんと自分の中にある違和感が具体的なものになっていくのを理解した。
俺の中には無数の知性や感覚があるのに、今はその一部にしか触れられていないという、曖昧な現状を理解してきた。
「そう、きみは魔術師だった。──どうだろう、思い出せそうかい?」
「……魔術。そう、俺は、神々と魔神の狭間で──いや、そうではない……」
まだなにかが、掴めそうで掴めないなにかが、俺の意識の外側にあるようだ。
だがここにきてやっと、俺は自分の「意思」を取り戻してきた。
「きみが、きみ自身の意思を取り戻すのに手間取っているのは、神霊領域で受けた死が、上位存在の仕組んだものだからだ。
通常の死を与えるのではなく、彼らはきみの消滅を望んでいるようだ」
自身の魔術領域にすら接続できないのは、現在の霊的な体が、それらの力が存在する次元と切り離されているからだろう。
このままでは自分の存在がこの領域で、融けるようにして消え去ってしまうかもしれない。
「だが、精神世界を取り戻す糸口を見つけた。時間はかかるかもしれないが、いずれは自分の霊的次元との繋がりを取り戻せるだろう」
俺がそう口にすると、岩の上に腰かけていた男が頷いた。
「それほど時間はかからないさ。それに、あまり残された時間は無いぞ」
「そうか、ここは幽世で、時間の流れが遅いのか。現実世界の俺の体は……」
首を折られたはずだ。──しかし、冥府の双子から与えられた力で蘇るはず。……神霊領域であってもあの力が発動するならば、だが。
「この領域は本来なら、人間の霊魂が入り込む事はできない場所だ。ここは死の狭間の世界。時間とも切り離されている。──それでいて物質界にも近い場所。
冥府の一部でありながら、物質界に隣接する世界。──ここは神々に"巨人の墓場"と呼ばれている場所だ」
「巨人の墓場……?」
男は岩山から飛び降り、俺の前に静かに着地した。
「本当は私がこの世界の人間に干渉するのは規律違反なのだが、まあ神々もきみに直接干渉するという反則をしたのだからね」
その言葉。それになにより、この男が発する存在の気配は、上位存在のものに違いなかった。
急速に俺の記憶にかかっていた靄が晴れてきた。魔術領域との結びつきを取り戻し、霊的な肉体を統合した事で、自身の本質的な部分を取り戻せたのだ。──それは自己の世界を取り戻せた証だった。
「どうやら自身を補完できたようだね。急ごう」
そう言うと彼は歩き出した。
自然とその背中を追って、ついて行ってしまう。
大きな岩山の間を通り、風も吹かない無機質な大地を進む青年の後ろ姿は、貴族や官僚を思わせる品の良さを感じさせる。
「あなたは神なのか」
その背中に問うと、男は空を見上げるような仕草をした。
「まあ、そう呼ばれる事もある。しかしその問いの前に、付け加えるべき言葉があったかもしれないな」
「と言うと?」
「私は、この世界の──つまり、きみが居た世界の神ではないんだ」
次話で、冥府にあったある物の正体が判明。
物語に直接影響するものではないけれど、あれもまた伏線だったのかと、理解してもらえるんじゃないでしょうか。第一章の冥府下りからのものなので、ずいぶん時間が経っての伏線回収ですが(笑)




