古代世界を飛翔する嵐の竜
四つん這いになっていた巨竜が上体を起こした。周囲の魔素を取り込み、胸元にある魔力の塊に不気味な赤い光が宿ってゆく。
「それを待っていた」
ぺっ、と血を吐き出し、かなり離れた場所から疾駆を使って巨大な敵に接近する。
焦げた大地を駆けながら右手に持っていた魔法の短剣をしまい、代わりに禍々しい鎚を手にした。
それは「罪業の烙印」の魔法によって生み出された黒い鎚。魔神ベルニエゥロの呪いの力が込められた邪悪な武器だ。
この武器を作り出すと同時に、黒い籠手が俺の手に宿った。呪いの武器を手のするのに必要な、禍々しい見た目の籠手。
まるで手首から先が魔神になってしまったかのようだ。
だが今はそんな事よりも、あの巨竜を止めるのが先だ。
遅れれば俺が消し炭になる。
巨大な魔神龍に適度な距離まで近づくと、俺は投擲の構えに入った。
右手に持った鎚を振りかぶり、炎の息吹を吐こうとしている魔神龍の核に向かって放り投げる。
疾駆の勢いを乗せて投げ放たれた鎚は、緩やかな放物線を描いて飛んでいった。
回転するそれはかなりの速度で魔神龍の懐に消えていく。
──真紅の光が宿る核に亀裂が入るのが見えた。
「ゴウォオァアァガァアァァアッ!!」
赤黒い核から鮮血のような光が放出され、魔素と魔力の入り混じった光が核から吐き出されてゆく。漆黒の鉄槌が、魔神の呪いの力が付与された鎚が、魔神龍の核を砕いたのだ。
上を向き、炎を吐き出す動作に入っていた魔神龍が、巨大な体を痙攣させてもがいている。
上を向いたままの口から一度、灼熱の炎の柱が噴き上がり、続けて口の先から灰色の煙が立ち上った。
胸元にあった核が半分に割れ、輝く赤い結晶の破片をこぼしながら地面に落下していくのが見えた。
「ゴォオォァアァァァ……」
口から魔神龍の力のない、断末魔の咆哮とでもいうものがこぼれ出た。
ゆっくりとした動きで横向きに倒れ込む巨竜。
大きな地響きを立てて、魔神龍は打ち倒された。
不思議と高揚感が沸いてこなかった。
強大な力を持つ魔神を倒したというのに、あまりに非現実的な事が目の前で起き、その状況が理解できないのだ。
そしてなにより、破滅の魔神を相手に勝利し生き残ったという事が、現実だとは思えなかった。
「は、ははハハ……」
気づくと俺は、その場にうずくまっていた。
焦げた地面に手をつくと、右手の異形の手が消えて、元の俺の手に戻った。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから立ち上がると、倒れた巨竜の体に異変が起きていた。
痩せた黒い体から銀色の光がきらきらと舞い上がり、黒い竜の体がしぼんでいく。──いや、しぼんでいるのではない。骨を残して皮膚や肉が光となって消え去っているのだ。
どうやら光体で作り出していた体が消滅しているらしい。
光の破片が宙に浮いては泡のように消えてゆく。
大地に残されたのは巨大な竜の骨と、魔神龍の体から剥がれ落ちた無数の鱗──そして、砕かれた核の残骸だけだった。
俺は巨竜の死骸に歩み寄ろうとしながら、そばに落ちていた黒い金属質の鱗を持ち上げた。
それは胸当てくらいの大きさの鱗で、見た目より軽く、硬い表面だが力を入れて折り曲げようとするとたわみ、手を離すと元に戻った。
硬い表面は傷つきにくく、強靭な靭性を持つ事によって打撃にも強い。これなら鎧や盾に使えそうだ。
そんな事を考えながら、影の中から影鼠と地霊蛇を出し、周囲にある魔神龍の鱗を影の中に回収させた。
そうしつつ、巨大な骨の所まで近づいて行く。
白い骨の下にある赤黒い水晶から、ぼんやりとした赤い光が漏れ出ていた。そばまで来ないと分からないくらいの小さな光。
それは魔神ディス=タシュの存在の光のように思えた。
ゆらゆらと揺らぐ光は靄のようであった。
さらに近づこうとした時に、魔眼が鼓動を始めた。
左目の視界がぼやけて、青い光が世界を彩ってゆく。
だが、怖れはない。魔眼がやろうとしている事が俺にも理解できた。魔神ディス=タシュの力を取り込み、この領域からディス=タシュを解放しようとしているのだ。
魔眼が共鳴し、赤黒い核から赤い光を吸い出し始めると、砕けた水晶の核から色が抜けていき、灰色っぽい濁った色をした、砕けた核だけがその場に残された。
赤い光が魔眼に吸い込まれている間、俺にはそれがどういった行為なのか分析する余裕があった。
魔眼は魔神ディス=タシュの力を別次元の領域──この亜空間に似た領域──に、力を移し替えたのだ。魔眼には予め、独自の次元領域との接点が用意されていたのだ。魔神ラウヴァレアシュは最初から、俺がいつかは魔神ディス=タシュの下に辿り着くと見越していたのだ。
* * * * *
強大な力の塊が魔眼を通して亜空間に捕らえられると、その力の塊から幻像が俺の中に流れ込んできた。
それは上空から大きな街を見下ろしているような影像だった。
俺の意識はその影像の中に飛び込むようにして存在していた。肉体を離れ、上空に浮かんだ状態で冷静に地上を見下ろしている。
(ここはどこだ?)
街の様子を確認していると、街から城へと続く大通りに、石の柱が立ち並んでいるのが見えた。
それも一本一本が大きな柱で、そのそばを歩いている人が小さく見える。
ちまちまと動いている人の姿。
上空から視点が下降していき、ゆっくりと街に近づいていく。
石柱が立ち並んでいる大通りに近づいていった──その時。
突然、街中がざわめき始めた。
遠くの空を指差し、大勢の人が空を見上げている。慌てふためいて逃げ惑ったり、身を寄せ合って震えている人もいるようだ。
(なんだ──? なにが起きたんだ?)
しかし俺は後ろを振り向く事さえできない。
視点はなおもゆっくりと下降し、大通りの上辺りで静止した。
街の人々の様子を見ていると、風が強くなってきたのが分かった。
自分には体感できないが、人々は強風に煽られて歩く事もままならない。
すぐにそれはやってきた。
突風が建物の屋根を吹き飛ばし、煉瓦や石造りの建物を粉砕して押し寄せる暴風の猛威が。
人々は飛んできた物にぶつかって倒れ込み、ある者は巨大な石柱の倒壊に巻き込まれて押し潰された。
それらすべてを巨大な竜巻が呑み込んでゆく。
建物も人も、あらゆる物が風に巻き上げられていった。──破滅的な情景を、俺は上空から見下ろしていた。
(過去の記憶か)
そう思いながら。
ふと背後から、巨大な影が俺の上を通り過ぎて行った。
街があった場所を無遠慮に踏み越えて行く巨大なもの。
粉砕された街の上空を通過する巨大な影。それを見る事ができない。
しかし視界の片隅に、巨大なものの足先だけが視認できた。
巨大な足は鉤爪が生え、黒い鱗に覆われていた。大きさは異なるが、先ほど戦っていた魔神龍の足に似ている。──だがその大きさは、俺が戦った物よりも大きいだろう。
嵐を纏った巨大な影は、ゆっくりと街があった場所を通り過ぎて行った。まるで足下の世界など、どうでもいいというように。人間の事などまるで構う事なく。
嵐が通り過ぎて行ったあとに残った物は、倒れた石柱や、倒壊した建物の残骸だけだった。
(この光景は、魔神ディス=タシュがかつて起こした出来事の影像……?)
俺の視点はずっと上空から下を向いており、なんとか固定された視点を動かして、魔神のあとを追おうとすると、やっと視点が上を向き始めた。
そこは嵐の支配する世界だった。
何本もの巨大な竜巻があらゆる場所に発生しており、世界は荒ぶる風の襲撃を受けているようだった。
街の上空を通り過ぎて行った竜巻の中に、巨大な存在が隠れているのが見えた。
巨大な竜巻はまっすぐに移動している。
その黒い竜巻の中に、魔神龍らしい影が見えていた。
大きな翼を広げ、羽撃く事もなく宙に浮いている巨大な竜。
嵐を纏う巨竜は、目指す場所があるかのように、まっすぐに移動を続けている。──その先にある物は、見覚えのある大きな山。
(ブルボルヒナ山か?)
そう考えたとき影像が揺らいで、俺の視点は再び下を向きながら、上空へと上がっていった。
(あの街──巨大な石柱のある大通り……、そうか。あの街は……古代の都市か)
列柱の王のある大通り。
王の名を刻んだ柱を並べ立てた目抜き通り。
古代にあったという巨大な都市。それを目の当たりにしたのだ。──そして、それらが一瞬にして滅ぶ様を。
* * * * *
幻視から戻された俺は、目の前にある白い骨の塊をじっと眺めた。
幻視の中で見た竜は、この骨の持ち主よりも大きく、なにやら数本の巨大な触手のような物が生えていたようだったが、その不気味な姿を思い出そうとしても、はっきりと思い出せずにいた。
「あれが過去の情景なら、古代世界はディス=タシュによって……?」
俺はそう呟きながら巨大な白骨に近づき、白い骨に触れようとした。
その時遠くの空が──赤い色に染まっていた空が、崩れ落ちてきた。
地震によって天井の壁画がひび割れて落ちてくるかのごとく。
亜空間が崩壊を始めた。──そう思いながら無意識に巨竜の骨に触れた。
すると白骨が崩れ始めた。
俺が触れた部分から黒く変色を始め、瞬く間に変色した箇所から崩れ去り、それが巨竜の骨全体に広がっていく。
消え去る骨から白い光の粒が融け出して、その光の粒が俺の中に飛んできた。
(これは……、魔神龍の肉体を構成していた力の一部か?)
死導者の力が魔神龍の亡骸から、その情報を抜き取ったのだ。
これによりその気になれば魔神龍の複製体を、幽鬼兵のように喚び出せるだろうが、現実的にはそれは不可能だった。到底あれだけの力と巨体を作り出すのは人間には不可能だ。
そんな事を考えていると、尻尾の先まで黒く変色し始めた頃に、周囲に風が吹き荒れ出した。
暴風はどんどん強くなり、空を見上げると、赤い光を明滅させている空が割れ、その向こうにある暗闇が垣間見えた。
「ぅおおぉおぉ!?」
ごうっと強い風が吹き、俺の体が宙に浮いた。
風の力だけで浮いたのではない。なにかの力が働き、亜空間から俺の存在を排除しようとしているのだ。
吹き飛ばされた先に暗闇があり、俺はその暗闇の中へと吸い込まれるようにして飛び込んで行った……
2025年最後の投稿。
来年もレギの冒険にお付き合いください。




