魔神龍の炎の息吹
それは圧倒的な怪物だった。このような巨大な生き物が地上に出現すれば、これ一体で世界は食い尽くされるのではないかとすら思える。それほどに巨大なものだった。
大蛇を彷彿とさせる頭部と眼。
丸い目は黄色い光を滲ませ、尖った口の周囲には外側に突き出した鋭角な牙が生え、口の中にも何重にも重なった鋭い刃じみた牙が並んでいるのが見える。
喉からごろごろと雷鳴のような音を鳴らしながら、そいつはさらに上半身を崖の上に引き上げようとしていたが、なにかに引っ張られて下半身が上にまで上がってこない様子だ。──さっき見えていた銀色や青色に光る鎖が、奴を崖の下に縛りつけているのだろうか。
そう思ったが、奴は重い音を立てて崖の上にむりやり体を乗せてきて、絡みついた大きな鎖ごと地上に足を引っ張り上げてきたのだった。
大きな鎖はゴワァン、ゴワァンと鈍い音を立てて地面に転がる。それは巨大な竜を亜空間に縛りつけている、魔法の鎖だろう。
巨大な化け物の全貌が見えてくると、俺は恐怖が腹の底に沈み、体重が三倍にも重くなったような感じを受けた。
とてつもない怪物の正体は、邪悪な竜そのものだった。
全身は黒光りする金属質の鱗に覆われ、傷ついた鱗が剥がれ落ちている箇所も見られた。
体は痩せ細っていて、長い首を支える首元も大きく窪み、筋肉の筋が浮いて見えた。
「グゥォォオオオォォッ」
唸り声を上げながら上半身を起こした巨竜は、奇妙な赤色の空から降り注いでいる光を浴びて、地面に大きな影を落とす。
見れば見るほど巨大で、そして窶れ、死に瀕しているかのように見えた。
────いや、それはある意味で「死んでいる」らしい。
奴の胸部には大きな穴が空き、そこには赤黒い光を発する魔力の塊があったが、そこには本来、心臓があるのだと考えられる。
魔神ディス=タシュが下界に顕現するにあたって、生物に近い姿形を取ったのだとすれば、心臓に近い器官も有していたはずだ。
だがここに存在する巨竜には、その心臓が無い。
神々によって封じられる時に、その心臓を奪われ、別の場所に隠されたのだと思われるが……
「それにしてもでかすぎる……!」
膝を折って地面に膝を突いている状態だというのに、まるで城塞に手足が生えて動き出したかのような規模だ。
邪神アボッツも巨体だったが、この巨竜の前ではただの赤子に過ぎないだろう。
奴がここに現れたとしても、ディス=タシュに握り潰されてしまうのが落ちだ。
「こんなものとどう戦えと……」
魔眼がその本領を発揮してみせたところで、相手は魔神の中でも最凶の魔神。いくら手札を増やそうと、人間が敵う相手ではない。──そんな迷いが心の底から沸き上がってくる。それほど今回の相手は常軌を逸していた。
よく見るとこの巨竜には、いくつか不可解な部分がある。
心臓が無いのもそうだが、この巨竜は胴体と手足の印象が異なって見えた。
胴体も四肢も似たような黒い外皮や鱗があるが、胴体の方は赤や青が濃くなった、くすんだ黒い色をしているが、腕や足は灰色や黒光りする鱗を持っているのだ。まるで胴体から新たに腕を生やしたかのように。
そういえばディス=タシュは四肢を切断され、各地にバラバラに封印されていると言っていた。
封神器に封じられている巨竜は、元々ディス=タシュの胴体だったのだろう。
目の前の居る巨竜の手足は、ちぎれた蜥蜴の尻尾が新たに生え替わって根本の色と違うような──そんなものなのだろう。
魔眼を使って解析に掛けると、魔力の量は見た目ほど大した事はなく、むしろ体内に溜め込んだ魔素の量の方が、異常な値を示していた。
魔力が集中しているのは、あの心臓部の赤黒い塊だった。剥き出しのあれを破壊すれば、この巨竜を倒せるかもしれない。
蛇に似た頭部を持つ巨竜が、大きく息を吸い込み始めた。
それと同時に大気中の魔素が吸い上げられ、さらには地面から沸き立つように現れた、異質な魔力を取り込んでいる。
「まさか──」
心臓部の核が赤い光を発し、腹部の方から首の方に向かってなにかが上がっていくのが見えた。
膨大な魔素が体内で魔力に変換され、さらにそれがあふれ出る火の力へと変わるのを魔眼が捉えた。
「『火精爆破』!」
喉元が膨れ上がるのを見て、火の力を粉砕するつもりで魔法を使用したが、まるで効果が無い。どうやら通常の火の力を超えた、魔神の炎であるらしい。
「やっべェッ!!」
ぞわりと体を震わせる、危険な死の予感。
周囲には大岩があるものの、開けた場所で身を隠す場所もない。
すると魔眼と結び付いた俺の無意識が、俺に身を守る術を教えてくれた。
瞬時に魔法障壁や肉体強化を複数掛けし、さらに「火神の加護」を使う。
「『神護の戦盾』!!」
その上に、魔眼の中にあった防御魔法を展開する。
この魔法はおそらく、人類がまだ知らない超高等魔法──神の領域に達しなければ使えないような、強力な魔法を無我夢中で使った。
「ゴワァアァァアアアアアアアアアアッ!!!!」
ばっくりと開いた竜の口から、膨大な炎が吐き出された。
開口した口よりも遥かに大きな爆炎が放射され、首を薙ぎ払いながら俺の居る方向に向かって、膨大な量の炎を浴びせかけてきた。
「ハァアァアァアアアアアアアアアッ!!!!」
神護の戦盾に全神経を集中し、あらん限りの魔力を注ぐつもりで防御に徹した。
まるで炎の嵐の中に立たされたようだった。
爆発的な炎の津波が凄まじい音を響かせながら俺の周囲を通過して行く。
周りの様子は灼熱の炎に包まれてなにも見えない。
俺の周囲を包む銀色に輝く障壁が炎の嵐に抵抗している。
巨竜が吐き出す息吹は炎の熱だけでなく、城壁を吹き飛ばすほどの猛烈な風をも巻き起こしていた。
「ぐぉォあぁァアあアアァアアアアッ!!」
前に突き出した両腕が押し戻される。
圧倒的な炎の力に飲まれそうに感じ、神護の戦盾が破壊されたあとの事を考え、瞬時に同じ魔法を展開する為に意識を集中しようとしていた。──が、一瞬で周囲の景色が開放された。
橙色に燃え盛る炎が消え、薙ぎ払われた巨竜の首がゆっくりとした動きで戻ってくると、今度は破壊的な風が口から吐き出され、神護の戦盾が砕かれると同時に、俺の体が烈しい嵐に巻き込まれ、後方に吹き飛ばされた。
「がぁッッ!!」
魔法障壁でかろうじて身を守ったが、風の威力は凄まじく、吹き飛ばされた俺は地面を転がり、さらに大きな岩に激しく体を打ちつけて宙に放り出されると、大きな岩の陰に落下した。
「ぐハぁッ!!」
大岩に叩きつけられた時に、俺は腕を骨折してしまった。
折れた左腕にすぐ回復魔法を掛けると、魔眼の力によって接骨はすぐにできた。
しかし骨が元に戻っても骨折の痛みは腕に残り、じわじわと熱を帯びた状態が続いていた。
腕以外にも打撲などを負い、俺はその傷の修復に時間をかけた。ヒビが入った骨も多くあった。
岩陰から周囲を見ると、辺り一面焼け焦げ、温度も異常なほど高くなっていた。魔法障壁や火神の加護がなければ、その熱気の影響で行動できなくなっていただろう。
(ディス=タシュはなぜ追撃を仕掛けてこない?)
そう思っていると、奴の居る崖の方からずずぅうん、という重い音が聴こえてきた。
傷を治しながら岩陰から顔を覗かせて、巨竜の様子を見てみると、奴は大地に上半身を倒れ込ませていた。
どうやら炎を吐き出し力尽きた様子だ。
「弱っている……!」
間違いない。奴は封印され、弱っている状態なのだ。
あの圧倒的な火力を吐き出したはいいが、力の放出限界を超え、昏倒しているようだった。
この機会を逃せない……とも思うが、今は治癒に専念する。
こちらが万全の状態になるまで回復させると、昏倒していた巨竜も意識を回復させ、起き上がるところだった。
治癒しながら、あの巨大な魔神龍にどう対処するか考えを巡らせていたが、まずは接近しなければどうにもならない。
この亜空間は次元的にも閉ざされており、光体を纏うとしても、かなり限られたものになるだろう。光体領域との接合は一部の力に限定されてしまっているのだ。
俺は影の倉庫に死王の魔剣をしまい、代わりに魔神の鍛冶師からもらった魔法の短剣を手にした。
死霊ではない魔神の体を傷つけるには、こちらの武器の方が効果があるはずだ。
そして魔眼によって覚醒させられた、新たな魔法領域を確認し、強大な力を持つ魔神に対抗する策を練った。
効果があるかどうかは分からないが、いくつか武器になり得る魔法を準備し、作戦も複数用意しておいた。
想定外の事が起こるとも考えられる。あらゆる心構えを整えて、死ぬ気で立ち向かわなければならない。
巨大な竜は四つん這いになり、周囲をきょろきょろと見回してこちらを探していた。
その背中に、高さの異なる塔が建っていた。
ごつごつとした背中から数本の突起が突き出ていて、それはどうやら折れた翼の痕であるらしかった。
あの巨体が空を飛ぶなどと、普通なら考えられない事だが、思えばあれは生物ではなく"神"なのだ。下界の法則など通用しないだろう。
「グゴォオオオォォ……」
巨竜はのそりと上半身をもたげ、首を巡らせる。
だが竜はその場を動かない。
足に巻きついた鎖が行動を制限しているのは間違いない。
相手が思うように動けないのが救いだが、こちらも思うように光体が使えないという弱みがある。部分的な光体武装なら纏えそうだが、あの巨竜が相手だと考えるなら、生半可な防具としての光体など、そもそも必要ない。
むしろ肉体的限界を超えて動けるような、光体による強化があれば十分だ。
「光体の脚部と腕部だけでいいか」
念の為に全身を光体の薄い皮膜状の力で覆い、ディス=タシュが放つという毒から身を守るようにした。
弱っている魔神龍がどれだけの力を秘めているか、解析だけでは判らない。実際に戦ってみるしかなさそうだ。
「まさか、あの五柱の魔神の中でも特別に危険な魔神と戦う事になるとはな」
冗談にもならない。
いくら体をバラバラにされて封印された魔神とはいえ、あの巨大な怪物を相手になにができるだろうか。尋常な者であれば、最初の息吹で消し炭になっている。
「だが、ここに居るのは俺だ」
俺以外なら間違いなく、あの一撃で死んでいた。
俺には魔神オグマギゲイアを倒した経験もある。
強大な魔神とはいえ、ディス=タシュの一部(胴体)だけが相手なら──勝機はあるはずだ。
俺は籠手と具足の光体武装を身に帯びると、岩陰から飛び出し、疾駆の魔法を使って巨竜へと勢いよく迫った。




