巨大なるもの
慎重に暗い通路を進んで、神殿の中心部にある部屋に近づく。
灯明に照らし出された扉は木製で、表面には青い塗料が塗られていた。扉に使われている木の板は一部がめくれあがり、表面の塗装も剥がれ落ちている。
開け放たれた扉の向こうには闇が広がり、不意に足下の石板が割れて乾いた音が鳴ったが、前方の部屋の中に音が飲み込まれていき、かなりの広さがある部屋だというのが理解できた。
よく見ると神殿の中心部に続く通路は石板が張られ、今までの通路とは違う造りになっていた。──この神殿を建設した者は、この先にある部屋を聖域として造ろうとしていたのだろうか。
開放された扉の前まで来ると、俺は朧蝶を三匹喚び出し、部屋の中を照らし出すように飛ばした。
朧蝶もちょっとした進化をしていて、光源となる魔力の鱗紛を空中に散布し、蝶が通った辺りをしばらく照らし出す事ができるようになった。
ひらひらと自由に舞う三匹の蝶。部屋の左右と中央に分かれて飛び、部屋の奥に向かっている。
だんだんと部屋の全貌が見えてきた。
部屋には天井を支える四本の石柱があり、通路から先に祭壇らしい物があった。祭壇には台座が置かれ、その奥に石像が立っているのが見えた。
それは片手を挙げた人間の像のようだが、かなり離れているので、どういった像なのかここからでは分からない。
三匹の蝶が祭壇の周辺に集まった時、なにかが光った。
淡い白い光をちらちらと舞わせている蝶がこちらに戻って来ようとしていると、また青い光が反射した。それは石像の挙げた手から発せられていた。
「石像がなにかを持っているようだな」
柱の陰になにかが隠れ潜んでいる事もないようなので、俺は神殿の中心部にある部屋に足を踏み入れた。
部屋の床は白い軟玉石で造られているようだった。
冷たい光を反射させる床板を踏みながら部屋の中心部に向かう……
朧蝶が俺の影の中に戻る頃、祭壇の様子が確認できる距離まで近づいて来ていた。
すると石像の手の中にある物が、キラリと光った。
朧蝶が残した光源を受けて反射した光ではなかった。
青い光は消える事なく、薄暗い部屋の奥で輝きを増していた。
「なんだッ⁉」
違和感に気づき歩みを止めた瞬間。体をなにかが掴んだ。
「掴んだ」と言ったが、正確には「捕らえられた」と言った方が正しいだろう。
宝石の青い光が光度を増すと、俺の体は徐々に祭壇の方に引きずられ始めた。
俺の体を掴んでいるのは手ではない。魔術の類による拘束力に近いものだった。──それもかなり強力な。
後ろに下がろうとしても、どうにもならない。
足を踏ん張っても、祭壇の方に引っ張られる力にはまるで抵抗できないのだ。
「くそっ!」
ずるずると祭壇の方に引っ張られて行く。
見えない力に引きずられながら、青く輝く物と、それを支えている石像を目視できる距離まで迫っていた。
石像は年を取った神官かなにかのようだ。まるで生きているかのように精巧に作られ──いや、それは石と化した人間そのものだった。
「──⁉ まさか!」
その石像が掲げている物が見えた。
それは中心に宝石をあしらった銀製装飾品の様な物。
石像の老人はそれを高々と掲げ、まるで目の前の敵を攻撃しようとしているような顔をしている。
そんな風に冷静に状況を判断している半面、心の内側では焦りの声が木霊していた。
(まさか、まさかまさかまさか……!)
俺は見えざる力に引き寄せられながら、魔導技術学校の図書室で読んだ、本の中に書かれていた事物を思い出していた。
その本に書かれていたものは、大陸に言い伝えられているいくつかの不思議な伝承に関する物事についてで、どれもこれも眉唾物の、真偽不明な物語の寄せ集めに過ぎないもの。
いわゆる『説話集』というものに書かれていた一節。
(あれが実話だったと言うのか!)
"封神器"の中に封じられた龍の話。
力ある魔導師が手にしたその神器に敵を吸い込み、神器の中に封じられた魔神龍に敵を喰わせるといった魔導器。
──そんな物が実在していたというのか!
俺はそんな乱雑した思考の陰で、なんとか危機的状況を脱しようと、次元転移魔法を使おうと試みたが……
(すでに次元領域に捕らわれているのか⁉)
次元転移ができない!
それどころか疾駆の効果すら無効化してくるのだ。
もはや俺の体は神器との繋がりを切り離せなくなっていた。
青い宝石から白い光が広がったように感じられた瞬間、凄まじい吸引力により俺は一気に、石像が掲げる宝石の中に吸い込まれてしまった。
* * * * *
目もくらむ光の嵐から解放されると、俺は荒野の中に立っていた。
赤茶けた山や黒く染まった山大地など、不気味な配色とも思える空間の中で立ち尽くしていた。
上空を見上げると空は淀んだ赤色に沈み、遠くの空には紫色に輝く雷光が走っていた。
空の一部が赤く赤く燃え上り、その空の下では巨大な炎の海が広がっているのでは、という思いを抱かせた。
周囲は微弱な魔素が充満し、生命が存在しない乾いた大地が広がっている。
草木一本生えていない不毛な大地。
しかしそこは伝説によれば、魔神龍が封じられている場所なのだ。
「そして、俺がここに来た目的は……」
そういう事だったのだ。
伝説の封神器に封じられている魔神龍とは、闇の五柱の王の一柱。魔神ディス=タシュだったのだ!
破滅を齎す魔神として、数々の異名で呼ばれる魔神の肉片。俺はそれを回収しに来たはずだった。
そのはずがまさか、あの伝説上の物と思われた魔具の中に囚われ、魔神龍と対峙する事になるとは。
「いやまて、伝説……言い伝えのものだ。それも軽く数百年前のものと思われる話だ。いくら魔神といっても、その体の一部に過ぎない。もう失われていてもおかしくないのではないか?」
物質化した魔神が、神器の中に封じられた状態で、果たして生きて──魔神に"生きる"というのもおかしな表現だが──いられるものだろうか。
「いずれにしてもここから脱出するには、この領域の中心にある物。領域を保持している力の源に近づかなければ……」
それは魔神龍そのものか、あるいは魔神龍のそばにある物だろう。それを解析し、どうにかしてここから出なければ。──魔神龍を倒す事がここから脱出する条件だとしたら、あらゆる力、あらゆる業を用いて挑む事になるだろう。
転移魔法でも脱出不可能な亜空間について、調べなければならない。
そう考えて耳を澄ませていると、突如として突風が吹きつけ、辺りに砂埃が舞った。
一陣の風が通り過ぎて行くと、どこかからか地響きが聴こえてきた。
「グォォォゴゴォ…………」
遠くから聴こえてくる地鳴り。
それが突風の吹いてきた方からだと気づいた俺は、そちらに向かって歩いて行きながら、様々な想像を巡らし、覚悟を決めて一歩、また一歩と音のする方に近づいて行く。
その辺りの地面は黒く焦げ、焼け野となっていた。
元から草も生えぬ大地であるはず……、それにもかかわらず、広い範囲を黒く焦がすほどの大火がここで起きたのだ。
「……魔神龍がやったのだろうか」
嫌な予感を感じたと思えば、魔眼が反応を示し始めていた。
強い緊張状態にあった為、気づかなかったのだ。
その反応は、五柱の魔神の魔力を探知した事を示していた。
怖れを振り払って歩いた先に、大きな谷が広がっていた。大地に空いた裂け目から急斜面が口を開き、谷底まで暗く巨大な溝が続いている。
降りようと思えば下りられそうだが、危険な高さだ。
暗闇の底から、魔神の魔力の反応がある。
深い谷底は見通す事のできない深淵が広がっていた。
その暗闇の中に、ぼうっと光って見える物がある。青色や銀色に明滅する光が渦を巻くように、中心部に向かって集まっているようだ。
その中心にある物を捉えようと、魔眼の力を使って遠視を強化する。──すると、光の正体が見えてきた。
それは青い光を走らせる鎖だった。
遠くから視認できるほど巨大な鎖だ。
数本の鎖に巻きつかれている物が、その中心部にあるのだ。
魔眼がそれを「見た」──見つけてしまった。
すると谷底の闇が震えた。
それはすぐに大地の震えとなって、俺の体を足下から揺すった。
崖を岩が転がり落ち、振動で谷のあちこちから土煙が落ちてゆく。
「ズハァアァァアァァ……」
巨大な何者かの息づかいが谷底から響いてきた。
魔眼がなにかを訴えている。──いや、俺の魔力体に干渉してきているのを感じた。
(なんだ⁉ なにが起こっている⁉)
慌てて左目を押さえるが、魔眼は暴走している訳ではなかった。それどころか俺の魔力体を制御して、高い次元へと繋がる経路を開いているようだ。
魔眼は、その隠された力を解放しようとしているらしい。
谷底にある物が動き始めたのを感じた。
見えているのではない。
巨大ななにかが動いた事によって、その振動が伝わってくるのだ。
(やばい!!)
俺は一目散に崖から離れ、駆け出した。
走りながら魔眼の状態を用心深く確かめると、どうやら魔眼は本来の、あるべき力を発現させたようだ。
どうも今までの魔眼は、俺の魔法を強化したりするだけで、数々の魔術師が魔神と契約してまで欲しそうな力は感じられなかった。それなりに優秀な魔法の補助能力を持った目、程度の物に感じられていたが、魔眼がその本来の力を示すと、俺の魔力体と魔眼の持つ高次元の力を結び付け始めた。
これによって俺の魔力は強化され、さらには魔神と同等の力の行使がある程度は可能になった。制約はあるものの、多くの魔法を呪文の詠唱なしに行使できるようになったのだ。
「この力で、あれと戦えと言うのだな」
魔眼を通じて魔神ラウヴァレアシュがそう指示しているのを感じた。
魔法が強化され、さらには無尽蔵とも思える魔力を生み出せる──この領域の魔素を魔眼が取り込み、魔力へと変換するのだ──を以てしても、あの化け物をなんとかできるとは思えないのだが……
「やるしか、ないか」
立ち止まって振り返ると、崖の底から巨大なものが姿を現そうとしていた。
崖から伸びてきたのは大きな手と腕。
それが振り下ろされると、鉤爪を大地に突き立て、凄まじい音と振動を発生させる。その手は馬車を握り潰す事ができるくらい、大きな物だった。
鱗のついた指がぐっと地面を掴み、谷底から体を引き上げようとしているのだ。
二本目の腕が高く振り上げられ、先ほどと同じように地面に叩きつけられると、その両腕の間から、巨大なものの頭が姿を現した────




