奴隷たちの不安
「い、いったいなにが……?」
血塗れになった門の前に集まって来た奴隷たち。裏口にある小川に行っていた女らが戻って来ると、建物の前に知らない男たちの死体があふれていたのだから、彼女たちが驚くのは当然の事だった。
「野盗だ」
俺はそう言いながら、近くに転がっていた頭部を蹴って、門から外に蹴り出した。
「こいつらの持ち物を回収しよう。──碌な物は持ってないだろうが」
俺の言葉に真っ先に従ったのは、初めに会った時に剣を握っていた女だった。彼女は北方人だったが、南方人の奴隷と同じく、戦士として鍛えられた過去がありそうだった。たぶん奴隷商も彼女を南方人と共に、闘技場などに剣奴として売る事を考えていたのだと思われた。
南方人の女たちも地面に倒れた男たちの死体を手分けして外へと運び出す。
俺も死体の足を掴んでずるずると引きずって、壁の外へと投げ捨てた。
死体を一ヶ所に集め、それぞれの革帯から硬貨の入った皮袋を回収すると、奴隷に取りに行かせた油壺の中身を死体の上に撒く。
火炎の魔法を使い、積み重ねられた死体に火を放つと、あっと言う間に六人の体は炎に包まれた。
それは思っていた以上に大きな火柱を噴き上げ、夜空を照らす篝火となった。
この野盗を殺した力によるものが影響しているのか、闇を焦がす火柱は赤く燃え上がると、烈しい勢いで死体を焼き尽くす青い炎へと変じた。
通常の炎ではないその青い火が六名の死体を呑み込むと、大気を震わす異様な音を響かせながら、瞬く間に鎮火したのだった。
地面には焦げた跡が残り、わずかな灰と焦げた革靴の一部だけがその場に残っていた。
「い、いまのは、いったい──?」
一部始終を目撃した奴隷たちも驚愕した様子で、目の前で起きた現象について、なんらかの答えを出そうとしているようだった。
「彼らを殺したのは、なんだったんですか」
戦士らしき北方人の女が尋ねてきた。
彼女の口振りは「あなたがやった事なのですよね」といった響きを持っていた。
「さあな。だが大丈夫だろう。もう建物の中に入って横になれ」
いくら荷車の中で寝ていたとはいえ、あの揺れの中では度々目が覚めてしまっていただろう。
俺は彼女たちを追い払うように建物の中へと押し込んだ。
野盗たちを殺害したのは「闇の精霊」だった。
魔神オグマギゲイアの欠片から作り出した存在。
古き魔術によって生み出された疑似的な精霊。
それは邪悪な力を秘めた闇の守護者だ。
野盗の頭領が目にした物は、仲間の背中をえぐった大きな鎌のごとき刃だった。
焚き火の光を受けてかろうじて見えたそれは、手が届くくらいの距離にあって初めて、奴の目で視認できたのだ。
闇夜の中であの存在を肉眼で見る事は不可能に近い。接近されれば死ぬだけだ。術者に対して殺意を向ける者を攻撃するよう作られている。
俺には細長い巨体が夜の闇の中でふらふらと動き、足下の野盗を攻撃するのが見えていた。
鎌状の手を薙ぎ払い、次々に男たちの首を斬り落としていった残酷なる狩人。
不気味な姿の巨人は、今も建物の周辺を警戒している。
夜が明けるまで、俺を守ってくれるのだ。
女たちは暖炉のある部屋で、暖炉を囲むようにして横になっている。彼女らは遠慮をしそうなので、先に残った薪を使って暖炉に火をつけ、そこで眠るように言って、俺は別の部屋に移動した。
その部屋はぼろぼろのドアが残っていたので、そこを選んだ。小さな部屋は冷え切っていたが、寝袋の上に毛布や脱いだ防寒具を乗せれば、寒さは十分に防ぐ事ができた。
馬車を操るという慣れない作業をした所為で疲れていたらしく、横になるとすぐに眠りに就いた。
* * * * *
朝を迎えると、冷たい小部屋の中で横になっていたのを思い出し、寝袋から出るとすぐに防寒具に身を包む。
魔剣を手にすると、凍てつく寒さの中に置いていた剣の柄が、まるで氷でできているかのように冷たくなっていた。
寝袋などを片して背嚢を背負うと、廃墟の外に出た。朝になったばかりの空は薄雲に遠くから昇る日の光が当たり、幻想的な色を映している。
馬たちは寄り添いながら眠っていたのだろう。
馬水槽の水は凍りついていたが、表面だけが凍っているようだ。俺はその氷を砕き、手を翳すと、水質変化の力でほんの少し水を温かくした。
馬車も馬も、その場に残っていた。
もしかすると奴隷たちの中に、この場からすぐにでも逃げ出そうとする者が出るのではと勘ぐっていたが、そうはならなかったようだ。
春らしい暖かさも感じられないこの北の地で、奴隷であった彼女らが、自らの意志と行動力だけで生きて行こうとするには、あまりに過酷な環境だという事だろうか。
それとも彼女らには、突然現れた俺の事を信用するなにかがあるのだろうか。確かに彼女らを骸骨虚兵から守り、奴隷の首輪を外させ、食事を与えて暖を取らせたが。
考えても仕方がない。まずはテスカルブトールに行き、そこで彼女らをどうするか決めよう。
そう考えていると廃墟から女たちが出て来た。粗末な防寒具を身に着け、寒そうにしている。
「おはようございます」
「うん。おはよう」
俺は馬の鼻を撫でながら返事をした。
そういえば昨日手に入れた皮袋の中身を確認したのだった。野盗や奴隷商人の護衛たちが持っていた硬貨は大した額にはならなかったが、奴隷商人は違った。
あいつの持っていた皮袋だけは金貨の重さであり、二袋には金貨が、一袋には銀貨がたっぷりと入っていたのだ。
この金を使って彼女らの衣服などを買ってやろう。
少しそのあたりの事について、出発の前に話しておくべきかもしれない。
振り返ると南方人の二人がそろって外に出て来た。彼女らにとってこの辺りの気温は酷なのではと思われた。彼女らが元々居た蛮族大陸アディルジャでは気温が常に高く、日差しも強いと資料で読んだ事がある。
二人の南方人は鋭い目つきで俺を見ているが、彼女らのそれは、生まれながらの顔立ちにあるだろう。
二人とも奴隷らしく痩せ型だったが、防寒具の下には鍛えられた身体がある。
昨日、就寝前に焚き火で湯を沸かし、それに水を加えてぬるま湯にすると、女たちはそれで体を拭っていた。その時に南方人の腕や背中を見たのだ。
彼女たちの肩はしっかりとした筋肉が浮き、背中から首筋にも筋肉の陰ができるくらいだった。
腕は細く女性らしくもあるが、やはり筋骨たくましいものがあり、全身をしなやかな筋肉が覆っていた。
それは戦士の体だ。──だが、彼女らの居た土地の過酷な環境を考えれば、それは戦士というだけでなく、狩人としての資質なのだと思われる。
あくまで蛮族大陸に降り立った学者の研究資料から得られた知識だが、あの大陸に住んでいる蛮族は獣をよく狩り、定住せず、移動しながら生活をする事が多いらしい。
大きな牛の群れを襲撃し、時には猛獣を相手に槍で戦うというのだ。
戦うのは男ばかりではないらしく、女の中にも優れた狩人や戦士が居ると、学者は報告していた。
「ヤーゥム」と、南方人の一人が声をかけてきた。──確か、朝や昼にかける挨拶だという事だったが……
「ああ、おはよう。それは君らの──民族、国での挨拶か?」
俺が尋ねても、彼女らはその意味を汲み取れなかったらしい。南方人はある程度こちらの言葉を口にできたが、まだまだ言葉に関しては不自由なところがあった。
その点、南方人の少女は彼女らよりも数段こちらの言葉に精通し、ノーアダリス大陸の北側で話されるような言語に明るかった。
少女から少し話を聞いてみたが、どうやら蛮族大陸に居た頃からこちらの大陸の言葉を学ぶ機会があったらしい。
そこからなぜ少女が奴隷になったかは分からないが、少女には悲観しているような様子はない。
庭に全員が集まると俺は、今後について話を切り出した。
「これから北にあるテスカルブトールに向かう。そこで君らとはお別れだ。馬も荷車もその街で売るつもりでいる。その代わりと言ってはなんだが、君らの着替えなどを購入し、ある程度のお金も渡そうと考えている。──なにか質問はあるか?」
そう訴えると七人の女は互いの顔を見て、小さなざわめきを起こした。
「あの」と、北方人の中でも整った顔をした女が声を発した。
「なぜあなたは私たちを解放してくださったのでしょう。それに、衣服やお金も与えてくれるとおっしゃいます。私たちはあなたに、なにをお返しすればいいのでしょう?」
他の女たちが不安そうにしている中、彼女だけは表情を変えず、冷静だった。思えば彼女は出会った時から、他の奴隷とは違った雰囲気を纏っていた。それがなにかは分からないが、彼女の生まれに関わる部分が大きいように思える。
「別になにも返す必要はない。さっきも言ったが、テスカルブトールまでは連れて行く。そこで俺たちは別れて、互いの事は忘れればいい。それだけだ」
しかし……と、意見を申し出た女はなんらかの言葉を続けようとしたが、それを隣に居た女が制止する。その仕草はまるで、身分の高い者に仕える侍女のようだった。
その侍女のような女は昨晩、率先して料理を作っていた女だ。もしかするとこの二人の関係は貴族と従者のような、互いをよく知る者同士なのかもしれない。
少なくとも奴隷となってから知り合ったというより、もっと長い付き合いがあるように感じられた。
「まあ今後の事は、荷台の中で話し合うといい。できればここジギンネイスから出て、南の方に移動する事を勧めるよ。フィエジアの南にあるベグレザなら、奴隷のような扱いを受ける事は少ないだろう」
俺はそう告げると、荷車の軛に馬を繋げるように言い、自らも轡に付いた手綱を掴み、馬を引いて軛に繋げる作業を始めた。




