怪物殺しのアズラゼク
エブラハ領の今後について話していると、自然と時間が過ぎ去った。俺はなんだかんだと言って、このエブラハ領の領民が、できるだけ健やかに暮らして欲しいと願っているようだ。
その根っこにあるものは、幼い頃に感じた疎外感からくる憐憫でもあった。
貴族と庶民の隷属的な関係を変え、なんとか現在の形にまで修復したつもりだが、それでも不満を抱える者は出るだろう。人間とはそういう生き物だ。
他者と比べ、自分が恵まれていないと考えれば、他者を妬み、憎むようになる。
思考の為の知識も想像力も持たない大衆など、いつ暴徒と化してもおかしくはない。
今までエブラハ領で民衆による蜂起が起こらなかったのは、あまりにそうした境遇に慣れ過ぎた民衆が多かった所為だ。
領主に反抗してでも生活を豊かにしたいという願望も持てず。それ以前に、豊かな暮らしというものすら想像もできないような者ばかりだったのだ。
暗く閉ざされた檻の中で、希望もなく、よく今まで彼らは生きてこられたものだと、逆に感心してしまう。
成長しようともせず、不満ばかりを口にするような愚衆は嫌いだが、懸命に生きようとする市民は社会には必要な人材だ。エンリエナの領主としての仕事を手伝って、それがよく分かった。
個人の意識では変化せずとも、集団の意識が変わってゆけば、それは大きな影響を与えるものになる。
これからは労働だけでなく、そこに新たな"知性"という道具が加わり、彼ら民衆は大きく変化していくはずだ。
期せずして、学生時代に育んだ学友との対話が活かされた形となった。
領主代行として働いた時に俺は、エブラハ領に住む人々がより良い環境で生活できるよう務めたつもりだ。
その為に権限を使い、金や資材を惜しみなく投入したのだ。
優秀な貴族出身の学友によって、いかに権力を行使すべきか、自然と彼らから学んでいたのである。
「では、行くよ」
俺は過去を置いて行くような気持ちで、クーゼたちに背を向けた。
エブラハ領にはもう戻らないかもしれない。
俺の旅は、いよいよ魔導の核心を捉え始めていたから。
光体を手に入れ、様々な上位世界の知識も獲得した。
俺の未来は、国家や家族や友人と共にはないのだ。
そうした世俗の世界から離れた、あまりにも遠い世界への入り口に立とうとしているのだから。
「ああ、気をつけて」
クーゼはそう言って「またね」と口にした。
俺はその言葉には応えず、街道を歩き出す。
馬車の停留所に向かって振り返る事もなく。
ここから先の道は険しいものになる──そんな予感を前にして、俺は足を踏み出した。
東門の手前にある広場で馬車を探した。
護衛の冒険者が馬に乗り、馬車の前後で出発を待っている。馬車の御者は客の人数を数え、時間を計る為か太陽を見上げていた。
「そろそろ出るのか」
「へい、ベネシアンの街まで行きやす。お乗りになりますかい?」
「ああ」
俺は硬貨を支払い馬車に乗り込む。
客車の中は冷え切っている。狭い客車の中は左右に腰かける段差があるだけの粗末な馬車で、七人ほどの男女がひしめき合って身を寄せているような状態だった。
御者の配慮だろう、体にかける、これまた粗末な毛皮の毛布が用意されていた。
(無いよりましだな)
たぶんこの場に居る全員が思っているだろう。
二人の子供が毛布を膝にかけながら、がたがた震えていた。
母親は気遣かって毛布をさすってやっている。
「それでは出しやす」
と御者が声をかけ御者席に乗り込むと、馬車がぐらりと揺れた。
俺はというと、寒さに震えるような事はなかった。旅に出ているので耐性がついたというのもあるが、体質が根本的な部分で変異しているとも考えられた。
生命循環の定理が書き換えられた事によって、多少の寒さや暑さの不快感に悩まされる事は少なくなった。肉体自体が強化されたというのが一番の理由だろうが。
「おかあさん。さむいよぉ」
子供は震えながら言った。客車の中は足下から冷え込んでくる。その弟も寒さに震えていたので、俺は見かねて背嚢から雨除けの外套を取り出して、子供たちの膝にかけてやった。
「あ、ありがとうございます」
母親が離れた場所から礼を言った。
「いえ」
俺の隣に座る二人の子供も嬉しそうに礼を口にし、「あったかいね」と弟が兄に言う。
母親は恐縮しているようだった。
たぶん見慣れぬ上等な生地を使った外套だったので、身分の高い人物だと考えたのだろう。
俺を見る他の客の目も、少し好奇を帯びた感じがした。
馬車が動き出し、思っていたよりも静かに移動する。
幌の付いた屋根と、背もたれ代わりの木製の囲い。御者席に繋がる場所には幌が張られていたが、屋根の近くには隙間が空いており、そこから暗い客車の中に光が射してきていた。
手袋をした子供たちが布で作られた人形を手に、小声でなにやら人形劇を始めた。
「悪鬼の王グンドが南の、ある土地を支配していたころ──」
そう説明しながら兄が赤い髪をした人形を振り、もう一つの緑色の毛をした人形を取り出す。
赤い髪の人形は大きく、緑色の髪の人形は小さい。
「悪鬼の王グンドに挑むのは、よう──ようへいの……」
「傭兵のアズラゼク」
兄が言葉に詰まったのを、俺が横から補助する。
「そう! 傭兵のアズラゼクが……」
子供たちがやっている人形劇は『怪物殺しのアズラゼク』の物語だ。紙芝居や、ちょっとした芝居小屋の演目で使われる題材として広まっている。
アントワ国辺りの話だと思うが、ピアネスにも昔から伝わっている伝承の一つだ。
アズラゼク……初めは傭兵として突出した能力を示しただけの若者だったが、しだいに増長し、傭兵たちを束ねる頭目になると、自らの国を求めて領主や国家に反旗を翻す、そんな男の話だ。
──いや、子供たちが演じている劇の中では、アズラゼクは英雄として語られるだけだろう。
初めてアゼルゼストの名前を聞いた時、この傭兵王の名前を思い出したものだ。
傭兵アズラゼクは、悪鬼の中でも最強と呼ばれた赤角を倒した英雄として登場し、その傲りから国を相手に闘争を始め、仲間たちを巻き込んで滅ぼされた無謀な男の名として知られている。
「怪物殺し」でのアズラゼクは英雄だが、その後の彼の活躍を知らない者の方が多いだろう。
もちろん伝承に過ぎないので、細部にどんな間違いや食い違いがあるか分からないが、現在では権力者たちの敵として語り継がれているのである。
傭兵の王として国を簒奪しようとした愚か者として、アズラゼクの半生を描いた演目があるのだが、そこではなぜかアズラゼクの名が「アズルゼルド」と変わっていた。
これは劇作家が幼心に読み聞かされた英雄の名を汚したくない、という気持ちの表れのような気がしていた。
内容に関してもアズラゼクとアズルゼルドだとかなり違い、前者は好感の持てる青年傭兵である事が多いが、後者はどちらかというと非情で粗暴な、暴君めいた人物像になっている。
南方でのアズラ(アズル)の語源は分からないが、ピアネスでは「輝かしい」とか「秀でた」といった意味になる。
ゼルドに関してははっきりとした意味が分かっている。それは「破滅の」とか「災いの」といった意味を表している。
ただしこれは魔術的な古い言葉からきたもので、大陸のどこから始まり広まった言葉かは分からない。
攻撃的な魔法の名として使われる事もあり、呪文の中でたびたび目にするものだ。
「お兄さん、冒険者?」
子供の弟が声をかけてきた。
いつもにように聞かされていたアズラゼクの人形劇に飽きてしまったのだろう。
「ああ、そうだよ」
「ははっ、ぼうず。その人を知らないのかい。その人は──」
前の席に座っていた男は俺の素性を知っている者だったらしい。
俺は男に素早く視線を向けると、黙るよう無言の圧力をかける。こういった力において魔術は格段に優秀な技術なのだ。
「──ぁあ、ええと……」
「おっちゃん? この人はえらい人なの?」
「ま、まあそんなところさぁ」
思わず呼吸を止めてしまった男。睨まれたという感覚ではなく、視線を受けた瞬間に、肉体的な感覚とは違う領域からの圧力を受け、男は沈黙したのだ。
これよりも強力な力の行使をする「邪眼」は、様々な悪影響を相手に与える。呪いによって衰弱させたり、場合によっては死に至らしめるともされている。
視線(視認)とは、魔術の基礎中の基礎なのだ。
「お兄さん、えらい冒険者?」
「いや、普通の冒険者だよ」
「ふぅん?」
子供二人は納得していない様子だ。子供心になにか思うところがあるようだ。
馬車は途中にある村の近くで止まり、一人の若者を乗せた。荷物を馬車の荷台に載せ、別料金を支払っているところを見ると、商品を街に売りに行くのだろう。
身なりは羊毛の上着やズボンを履いており、履き古した革靴を履いている。靴だけはそれなりの物を購入したようだが、上着やズボンは自家製だと思われた。
腰に下げた短刀が座った時にちらりと見えた。
(狩人かな)
柄に鹿の角を使っていたので俺はそう考えた。
途中で客を拾った馬車は森の横を通り、何度かすれ違う馬車に道を譲り譲られながら、ベネシアンの街まで辿り着いた。
客は全員ここで降り、それぞれの目的地へ向かう馬車を探したり、あるいはこの街で用事を済ませるのだ。
子供たちにかけてやっていた外套を回収し、彼らと別れると、俺は北に向かう馬車を御者から教えてもらい、その馬車に向かって歩き出した。




