宗教の中にある神性と人性。あるいは善と悪についての考察。
宗教に関する思弁的な内容。人が神を拠り所にするのは、精神の根幹にある"なにか"を感じているからかもしれません。
「本当にここでお別れ?」
ラプサラはもう一度、念を押してきた。
「悪いな。今日は──というか、この街ではおかしな真似はできないんだ」
「ああ、そうだったわね。あなたは領主の息子という立場だったものね」
「まあ領主の座は義母に譲ったんだが」
そろそろ行こうかと思った時、彼女は急に俺の手を掴んだ。
どちらも手袋をしていたが、その手袋を通じて互いの温もりが感じられたような錯覚を覚える。
「また……会いましょう」
「ああ」
彼女は再会の言葉を口にし、そっと俺の手を放した。
俺はその言葉に曖昧な返事を残し、背を向けた。
もしかすると今度の旅が、俺の最後の冒険になるかもしれない。そんな予感をどこかで感じながら、別邸まで続く道を歩く。
雪が片づけられた歩道を歩き、ふわふわとした綿雪が降り始めた街を眺めながら。
すれ違う市民は以前よりもしっかりとした衣服を身に着けており、羽毛を中に入れた防寒着を着ている者も見かけた。
フィエジアやウーラ辺りで作られた防寒着で、優れた断熱性と保温性があるが、価格が高い事で知られていた。まさかエブラハ領でそのような品を見かけるとは思わなかった。
もしかするとクーゼが言っていた、北側の国との流通をしている商人が仕入れている物かもしれない。
ジギンネイスの南側にあるフィエジアも、レファルタ教の影響が広まりつつある国だ。
これからはそうした国との流通や交流も減るかもしれない。なぜならピアネスは、レファルタ教との確執を抱えつつあるからだ。
直接的に敵対の意志を見せる事はないだろうが、布教活動に対する牽制などは増えるだろう。
そのあたりの匙加減を上手くできればいいのだが、アゼルゼストはもしかすると、レファルタ教教会に対して強い抵抗を示すかもしれなかった。
急激に侵入してくる思想に無関心でいるような奴ではない。国境を越えて流入してくる思想には、人為的な画策があると考えるのは必定だ。
ジギンネイスやベグレザに大きな拠点を置く宗教思想に、これ以上の広まりをさせたくないと考える権力者も多く、その数はさらに増える可能性もあった。なにしろ国内の財産が、お布施という形を取って国外に流れ出ていくのだから。
できれば争いは避けつつ、文化的な交流だけで済めばいいのだが。
宗教的な思想というものは、現実的な側面を否定するものが多く、その行き過ぎた信念は時に狂気を生む。
その狂気を煽る為政者や地位の高い宗教家は、神の意思だの、正義だのをちらつかせて民衆を焚きつけるが、彼ら扇動者は、現実的なものばかりを見ている者が多いのだ。
現実に悲嘆した信者とは違い、彼らのように高い地位にある者は、民衆の不満などは神の供物として捧げ、そこから得られる富を独占する。
身を神に捧げるように教会に捧げよ、と言う連中が民衆になにを与えているか。それを理解せずに愚かにも財産を手放す者が居るのは彼らが純真だからではなく、穢れている所為だ。
金銭を手放したくらいでは彼らの穢れはなくなりはしない。
その穢れの源泉は、自らの内的な領域にあるのだから。──そして、彼らが信奉すべき神もまた、その内的な領域に存在すべきなのである。
「狂っている」
俺は白い息を吐き出してそう声に出した。
俺が知っている世界の理には、人を救う神は見当たらなかった。
仮に人を──直接的にしろ間接的にしろ──救う神が居たとしても、それは外部に居るのではないのだ。
「神はあらゆるところに在り、そしてどこにも無い」
神秘思想家であり、学識高いレファルタ教の司教であり、そして魔術師でもあったカルバドル司教。
彼は危うくこの言葉によって、異端とされる寸前までいったらしい。
想像力の欠片もない無知な者共には、彼のこの言葉が神の否定に聞こえたのだろう。
彼は神を認識する事は不可能であり、神をただ愛し、信心を以て迎える事しかできないのだと説いた。
それが幸いであれ、災いであれ。
神は人に苦難を与えもするし、信じられないような幸運を与える事もある。
司教はそのように語って、宗教裁判を乗り切ったのだった。
その裁判で極刑を命じられても、無罪放免を命じられても、それは神の意思だとして受け入れると宣言して。
その言葉は信心なくしては発せないものだとして、彼は無罪を勝ち取ったが、おそらくその一件があってからは、教会に対して強い疑念を抱いたに違いない。
彼は司教という立場にありながら、より強い神秘主義的な思想を開拓していったようだった。
彼は自分で言った言葉を否定し、神への接近を計った節がある。神を認識しようと魔術へと傾倒し、その先にある魔導の領域に手を伸ばそうとした──。俺にはそのように思われるのだ。
多くの宗教家は、彼がそのような事を目論んでいたとは考えないだろうが。
レファルタ教も一枚岩ではないという好例だろう。
中にはカルバドル司教は司教として相応しくないとする者も居たようだが、むしろ彼ならば喜んで教会を去ったのではないかと思われた。
なぜなら彼には分かっていたからだ。
教会を離れても神は彼のそばに居るという事を。
気づけば俺は別邸の中の自室で本を手にしていた。
カルバドル司教の残した著書ではないが、彼の弟子と名乗る司教の数人が書き記した小冊子で、そこには司教がたびたび儀式をおこない、正式の礼拝とは違ったやり方での祈りを捧げていた事が書かれている。
彼がどのような考えで儀式の様式を変えたか、その内容については書かれていない為、推測する事もできないのだ。
「使えない弟子たちだ」
机の上に冊子を放りながら思わずぼやく。
起きた出来事について詳しく書き記さなければ、情報としての価値は下がる。わざわざ文字にして後世に残すからには、それなりの知識なりなんなりを残すべきだ。──あるいはわざと、その内容について記載しなかったかもしれないが。
宗教とは自然界にはない、人間的な秩序機構なのかもしれない。
精神の為の、構造的な秩序の素案とでも言えるものだ。そしてそれはもちろん、人間が人間の為に作り出したものなのだ。──神が作ったものではない──
人間精神の中にある空白に対して答えを導き出す外部機構。それは一種の薬物のような物だ。
適度な量を守り、使い方を間違えなければ、病の進行を抑えたり、治療する事ができるが。過剰に服用すると毒になる。
自らの内で膨れ上がったものは宗教という毒の影響で強化され、自らの弱さを守る為に振るう武器として利用しようとする。
信仰という名を借りて、悪意と憎悪から攻撃性を解き放ち、敵だと判断したものに襲いかかる獣のごとく、彼らは理性の箍を外してしまう。
理性を失した彼らは神の名を盾にして、暴虐に染まっていく。いったいそこにどのような信心があると言うのだろうか。
彼らこそ自らの神の名を汚す存在だと、なぜ気づかないのか。
それは内なる神を穢し、自らを汚濁の中に貶めてしまう行為だというのに。
宗教はあらゆるところで争いの種となってきた。それは歴史上、何度も繰り返されてきた。
異なる宗教を排撃し、書物を焼き、国を、歴史を滅ぼそうとした事さえある。
彼らはたやすく否定の怪物となってしまう。
自分と同調する者以外を認めないという怪物。
その本質にあるものは、自己をも否定しようとする怪物なのだという事を理解できずにいる歪んだ存在。
対外的なものの否定とは、最終的には内部の欠陥からあらゆるものの否定へと繋がる。外にあるものとは、内なるものを知る手段となるものだからだ。
外部になにも無い世界で、彼らは果たして「自己」足り得るだろうか。
自らの意思だけで存在できるほど、彼らの心や精神、霊や魂と呼ばれるものは強くはない。それどころか未熟ですらある。
外部世界の否定の果てに得られる安息とは、自死と大差がない。敵が居なくなった世界では、彼らは自律した存在として生き続ける事はできないだろう。
彼らの狂気は自己の崩壊を招くまで、その肥大を止めないのだ。
宗教の与えてくれる満足感や安らぎとは、一歩間違えば自己の否定に繋がる危険なものだ。
信仰の泥沼の中で溺れ死ぬくらいなら、獣として生まれる方が数段増しと言うものだ。
発展し過ぎたレファルタ教は、内部にいくつもの宗派が生まれ、そこでも対立や批判が生まれてくる。
なぜ彼らは同胞ですら、油断ならない裏切り者のように見るのだろうか。
一つの言葉の解釈によって対立し、罵り合い、やがて袂を分かつ。彼らには純然たる信仰心の為に、迷いや葛藤は赦されないのだ。自分の信仰するものを信じ、それを疑う事があってはならないのだ。
だが──未熟な彼らが神に縋っている時点で、それは欺瞞だと分かる。
迷いや葛藤から目を背け、無かった事にしているだけの未熟者には、内なる神から遠ざかるだけだ。
彼らは迷い、葛藤し、疑う事を、自らの精神や魂に向け、そこから生まれる強迫観念と戦わなくてはならない。逃げ出すだけならそれは、多くの悪意が生まれる下界に住む、俗人の魂となんら変わらないだろう。
自らの中にある恐怖や不満や疑念、弱さから生まれるあらゆるものと戦わなくてはならない。
それを外部の他者(同胞)にぶつけている内は、彼らは自らの未熟さを受け入れる事もできない、子供以下の存在に甘んじる事になる。
俺はこれから、その宗教思想が蔓延する国に向かわなくてはならない。
すべてのレファルタ教教徒が未熟で危険という訳ではないが、彼らの信仰心に狙われるような真似はしないでおこう。
俺は改めて彼らの宗教について学び直そうと考え、精神世界で彼らの教理を調べる事にした。
第十五章「死霊の王と魔剣の再生」終幕です。
次話からレギの新たな旅立ちが始まります。
最後の「外部の他者(同胞)にぶつけている内は~」というのは心理的「投影」の事を言っています。
ネットでよく使われている「同属嫌悪」みたいなものは、この投影と同様の心理的現象でしょう。




