故郷への帰還
急に地上が迫ってきた。
物質界の外側を移動していた魔神が、地上近くに足場(狭間の領域)を降ろし始めたのだ。
地上に降り立つと俺はもう一度、送り届けてくれた事に感謝し、そして一つの疑問を尋ねてみた。
「魔神ベルニエゥロ。なぜあなたは人間の魔術師を妖人へ変えたり、あるいは人間たちの間に混乱を齎すのか」
『ふぅむ? そのような事を聞きたいのか』
巨大な石像馬の魔神はその場に屈み込みながら姿形を変えていく。
石の体が砂となって山となり、瞬く間に砂塵の山が霧散して消えてゆくと、その砂の中から灰色の──見た事のない複雑な形状をした──衣服を身に纏った少年が姿を現した。
同時に周辺を囲んでいた次元の幕が消え去り、幽世から物質界に静かに入り込んだのを肌で感じた。一気に寒さが体を包み込み、呼吸をする度に肺の中に冷たい空気が流れ込む。
「なぜ僕が人間を妖人に変えるか? それは彼らがそう望むからさ。人間たちの間に不和や混乱を起こすのも、彼らがそう望んだからさ。
人間はいつも責任を誰かに押しつけて自分は悪くないと言いたがる。その責任というものを理解させる為にも、自分の望んだ事の代償を、自分がしでかした事の代償を、自分自身が支払うのだという事を忘れさせない為にね」
そう言って笑った少年の顔は美しく、それでいてどこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
「レギ。君も気をつけるがいい。自分の積み重ねてきたものによって、自分自身が傷つく事になるかもしれないと、心しておく事だ」
灰色の王子は肩から腕にかけて膨らんだ奇妙な上着に、やはり太股から膝まで膨らんだ灰色のズボン。それに灰色の外套を身に着けていた。
錦糸の装飾のある灰色の外套を翻し、頭に乗った小さな銀製の冠を手で押さえながらくるりと回って見せると、空中に撒き散らした砂塵に姿を変え、地面に溶けるようにして消え去ってしまった。
魔神ベルニエゥロの言葉は重く、そしてどうしようもなく人間を小馬鹿にする響きが声の中に含まれていた。
あの王子の姿。
きっとあれは古い時代に、王子として人間世界の中に紛れ込んでいた姿なのだ。──もしくは自分の影(手下)を人間界に入り込ませていたのだろう──
奇妙な出で立ちも、どこかの国の知られざる文化的な衣服なのだと思われた。いささか古い時代の物過ぎて、現代では理解しかねる表現にあふれた意匠だったが。
「あんたの忠告。覚えておこう」
俺はそう呟くと、冷たい風の示す方向に向かって歩き出す。
そちらには街道がある。そこから歩いて西に向かえば、すぐにブラモンドの街が見えてくる位置だった。
冷たく、乾燥した空気は、もう冬のものだと感じさせた。
すぐにでも雪が降り出すだろうと考えているとそのとおりになり、ぱらぱらと空から白い大粒の雪が降り始めた。
それは水分の少ない、羽毛のように軽い綿雪だ。
「急いだ方が良さそうだ」
早歩きになって街道へ近づくと、森の陰から街の壁が見えてきた。思っていたよりも街から離れていたが、それでも雪が積もる前に街に辿り着くには十分な近さだった。
薄暗い中を荷車が街道を進んで行き、風も吹かなくなった頃には、綿雪は大きな牡丹雪に変わってきていた。
空を見上げると真っ白な雲がかかり、そこから大量の雪が降り注いできているのが見えた。
このまま降り続けば、明日にはかなりの雪が積もるだろう。荷車の速度は落ち、場所によっては通行が困難なものになる。
冬籠もりの準備は街ぐるみでしてきたはずだが、このまま雪が続けば、街と町との流通も途絶えてしまう。
「どうやら今年はブラモンドで冬を越す事になりそうだな」
雪がすぐに降り止んだら──そう考えたが、これといった用事は思い出せなかった。
精神的な、魔術的な作業は色々と考えられるのだが、現実的な問題となると、なにかあっただろうかと首をひねる。
(スキアスから領地を解放し、父の葬儀も終えた。もうこの地に留まる理由もないだろう)
そう思うのだが、今後の予定は定まらなかった。
今までの俺は魔神ラウヴァレアシュとの接触以降、様々な場所に向かい、魔神に接触するという旅をしていたが。すでに五柱の内、四柱の魔神と接触していた。
最後の一柱であるディス=タシュは接近するのは危険だとされ、しかもその所在が掴めていないのだ。
ディス=タシュの肉体は引き裂かれて地上に封印され、その魂なども別の次元に封じられているような事を聞いた。
それを探しに行くとしても、探すべき場所が分からなければどうしようもない。
今は自分の力を蓄え、光体や魔神の力を扱えるように、己を強化していく為に時間を使おう。そう考えながら街の門を潜った。
通りは慌ただしくなっていた。
白い物が積もり始めた道を行き交う人々。買い物を済ませ自宅に帰る市民の姿に、冒険者の風貌をした一団が宿屋へと早歩きで戻って行く。
俺も早歩きで大通りを歩き、クーゼの武具店の前を通る時に、幌の付いた荷車が店の前に停まり、その歩道で行商人らしい男と話しているクーゼを見つけた。
俺が近づいて行く前に行商人は荷車に乗り込み、すぐに馬を走らせて街を出て行った。
「クーゼ」
「レギ。どうした、やけに早いね。北西の荒れ地に行かなかったのかい」
そうだった。色々あって失念していたが、荒れ地を調査してブラモンドに戻って来るにしては、たったの一晩でというのはおかしい。
しかし実際は、荒れ地から遠く離れたベグレザの未開の地で不死者の軍勢と戦ったり、魔神の居城に行って武器を修復したり、魔神と戦っていたりしたのだ。
異空間に居た所為か、ずいぶん長い時間を過ごしていたような感覚になっていた。
「……まあそれは後ほど話すとして、行商人となにを話していたんだ?」
「ああ、あの行商人はシャルディムの方から来た行商でね。ルシュタールとの取り引きもする人物なので、色々話を聞いていたんだ。
──ほら、前にレギが言っていた勇者の少年とか、そんな話を聞いたりしてね」
「ほほう」
それは時機が良い話題だ。
幽顕の園で見たシュバールト少年の姿を見て、気になっていたのだ。
「それよりも父親(ケルンヒルト)の事は──」
「気にするな。義母が領主を継ぐ事が決まり、一安心しているところだ」
まあそうか、といった風に肩を竦めるクーゼ。
「それと、手紙に書かれていたけど、ブラモンドとウイスウォルグを行き来する事務員についてはなんとかなると思う」
「そうか、良かった。義母は──領主エンリエナは、たぶん向こうで暮らす事になるだろうから」
「うん、そうだろうね」
「それと……ウイスウォルグの隣にある小さな領地をもらってね。メデゥムという小さな町なんだが」
「そうなんだ。よかったじゃないか」
「その領地の管理権限を、クーゼとアルマの二人に委譲するから。よろしくな」
「うん────うん? え⁉ ちょっと⁉」
俺は「寒くなってきたな」などと言いながらクーゼの背中を押して、武具店の裏側にあるドゥアマ邸の玄関に向かった。
いきなり告げられた宣告に生返事をした親友は、説明しろと文句を口にしながら、無理矢理自分の家へと連行されるのだった。
ドゥアマ邸に入ると、暖炉の熱が家の中に満ちており、暖かさが骨身に染みた。
今日は寒い場所から暑い鍛冶工房に行ったり、温度もなにも無い場所に行ったり。そして再び冬の故郷に帰って来るという、寒暖差のある場所を駆け足で通って来たような気分だ。
テーブル席に着くと、心配していた様子のアルマから錆色をした紅茶を出され、それを口にした。それは火傷しそうなほど熱かった。
友人は妻に「レギがまたとんでもない事を言い始めたぞ」と言って、その妻は椅子に座った俺をじろりとねめつけていた。
空いていた席にアルマも座り「話を聞きましょう」と、俺から話すよう催促してくる。
俺は改めて二人にメデゥム町を含む領地の管理を依頼した。
「領地経営なんてやった事ないよ」と弱気なクーゼ。
「商売をしてきた奴の方が、土地の利用方法などに新しい発想で取り組めるだろ? これからは交易路もできる事だし、そうした商業の発展についても視野が広いお前たちに任せたいんだ」
アルマの様子を窺うと、なにやら考えている様子でテーブルを見つめていた。
「レギは領主になるつもりも、地主になるつもりもないのよね」
「ああ。俺は冒険者として世界を旅して回る事になるからな」
「そう……」
アルマはそう口にして溜め息をこぼした。
「わかった。ならレギがエブラハ領に戻るまでは、私とクーゼでなんとかする」
妻がそう返事をしたのを聞いて、クーゼは諦めた──というか、決心したらしい。
「そうだね。土地の状況を見ないとなんとも言えないけれど、山沿いの環境のはずだし、茶畑を作ったりもできるかもしれないし」
「頼む。──それで? シュバールト……ルシュタールの勇者の少年について、どんな話を聞き出せたんだ?」
気になっていた事を尋ねると友人は頷き、行商から聞いたものを思い出しながらしゃべり出す。
「ええっと、その勇者一行が一月ほど前に、かなり大規模な魔物の群れとの戦いに打ち勝ったらしいよ。亜人や巨人の混在する危険な群れだったらしく、軍隊も参加した戦いで、勇者一行は吟遊詩人に語り継がれるであろう戦いを繰り広げたとか」
「そうか」
俺はほっとしていたが、その情報がここに届けられる間に一月経過しているのだ。つまり最近の事になると分からないのである。
俺は引き続きルシュタールに限らず、他の国の情報も集めるようクーゼに頼んだ。
情報の流通も彼ら商人の仕事の一つだと彼は答え、なにか気になる情報があったら報らせると約束した。
次話はレギに関係する人が二人訪ねて来た、という話から始まります。
二人とも今までの話で登場した人物です。




