二度目のドナッサングの街で
遠くの城塞を囲む城壁に篝火が灯された。
歪な色合いを映す城壁の上で燃え上がる炎。
この魔神の領域が、多くの魔物や妖人たちの集められた場所であるのは間違いない。
ベルニエゥロは神々と戦いをするつもりなのだろうか。──あるいはそれは、他の「柱の王」たちも同じ思いでいるのかもしれない。
「よし。それではお前も十分に気をつけるのじゃぞ」
俺が魔法を封入した結晶を取り込んだのを見ると、魔神は大きな馬車の中から声だけを送ってきた。
馬車の扉が閉ざされると巨大な犬が立ち上がり、馬車を引いて歩き始める。
それと同時に俺の足下が白い光を放ち始め、俺は物質界に戻されるのを感じた。真っ白な闇に囲まれると音もなにもかもが失われ、目を閉ざしてしばらくすると──肌に冷たい風が当たり、耳に枝葉のこすれる音が聞こえてきた。
夜の真っ暗闇に戻された俺の横に、目隠しをされたままの馬が立ち、頭を持ち上げて周囲の匂いを嗅ぎ取っている。
「戻って来たな」
俺は馬の目隠しを取ると、その布を影の倉庫にしまい。馬の背に飛び乗った。
恐るべき魔神の領域から無事に戻れた事を安堵する暇もなく、これから北に向かわなくてはならない。
小さな角灯に火を灯すと、それを鞍の上にある小さな爪の間に挟み固定する。
(冒険者用の鞍には、こうした独自の機構が取り付けられた物がある)
馬の周囲が小さな明かりで照らし出されると、フィエジアを通り、ピアネスへと戻る為の移動を開始する。
今はベグレザの北側に居るはずだが、まずは街道に戻らなくては。
森のそばから離れると、街道を求めて北西に向けて移動する。──街道はすぐに見つかった。
まだ日が昇る時間には遠く、辺りは夜闇に沈んでいる。
月明かりが道の先をかすかに照らし、北に向かう道と北東に曲がる道の間にある看板が見えてきた。
俺は北東への道を選び、馬を向かわせる。
しばらくして、セベナの町を囲む壁が見える場所までやって来た。
この町で休んで行ってもいいが、いっそこのまま次の町にまで向かってしまおうと考えた。
プラヌス領からケアーファード領に向かう途中、暗闇の中で橙色の光を放つ砦の近くを通る事になった。
灰色の石の砦が暗闇に浮かび上がり、夜営中の兵士たちが街道を通過する俺と馬を、不思議そうに眺めていた。
街道の先には山と崖の狭間にある狭い道があり、そこを通ってケアーファード領内に入った。この辺りは魔物の出現も多いと聞いていたが、夜半に動き回っている奴は居なかったようだ。
悠々と馬を歩かせていると、森の方によからぬ気配を感じ、生命探知を掛けて確認する。
──どうやら二体の小鬼が居て、こちらを弓で攻撃しようとしているようだ。
俺はかなり離れた場所から魔法の矢を撃ち出して、この二体の小鬼を弓矢を射る前に打ち倒した。
森の木陰に小鬼たちの呻き声が響いた。──たぶん森の奥には小鬼の群れが潜んでいるはずだが、哨戒に当たっていた二匹の呻きは届かなかったらしい。
俺はその場を静かに通り過ぎ、ケアーファード領内にあるドナッサングの街までやって来た。
まだ空は暗く、深夜であるが──
街の入り口には門番が警戒している姿が見える。
俺は街で休憩する事にした。
俺自身は今のところ睡眠を必要とは感じていなかったが、馬の方はもう休みたい様子で、歩く速度にそれは表れてきていた。
「こんな夜更けに移動か」
「街に入れてもらえますか」
一応丁寧に申し出ると門番は「もちろんだ」と答え、こちらの身分を確認してきた。
相手が通行税をふっかけてくるのではと構えてしまう。
なにしろ以前この街に来た時は、百ピラルもの金額を支払わされたのだ。今の俺はそこそこの金持ちだが、街に入るだけで百ピラルも払っていられない。
「三十ピラル。もしくは二十五ジュエラ(ベグレザの貨幣単位)だ」
俺は危うく「え?」と口に出しそうになったが──自制した。
ピアネスの硬貨で支払うと、大門の横にある人や馬を通す小さな扉を開けてくれた。
暗闇に沈んだ街は、まるで死んでいるように静まり返っているが、今は夜半だ。多くの市民は眠っているのだ。
暗くてよく見えないが、街の様子はだいぶ様変わりしたらしい。
「いったいなにがあったんだ……?」
街の匂いも変わっている気がする。
以前来た時には、汚物の臭いがどこからか漂ってくるような、不潔な空気に淀む街だった。
ひとまず俺は宿屋を探そうと考えた。──だが、以前来た時には宿屋には寄らなかったので、まずは戦士ギルドに馬を預け、宿屋の場所を聞くか、あるいは馬と共に厩舎の中で朝になるのを待つかを決めようと思った。
大通りにある戦士ギルドの前は、角灯の光で照らされていた。
入り口のそばに設置された角灯の明かりが看板を照らし出し、その近くに掲示板が立てられている。
俺は手綱を掲示板の柱に繋ぐと、ギルドの中に入って行く。
真夜中でも受付には男が立っていた。
どうも無頼漢らしい風体をしているが、冒険者を兼任している夜間専門の受付なのだろう。
「なにか問題でも?」
「ああ、厩舎に馬を預けたい。できれば俺もそこに泊まりたいんだが……」
「もう冬が近いぞ。凍死しても責任は持てないが」
「それで構わない」
ぶっきらぼうな受付は、なら好きにしろと言ってくれた。
厩舎横の小屋に人が居るので、そちらに料金を支払うよう言われた。
ギルド裏手にある厩舎に向かうと、いよいよ馬は眠くなっている様子で、ふらふらと歩きながらついて来る。
厩舎近くの小屋に近づいてドアを叩くと、眠い目をこすりながら小男が出て来て、こんな時間になんだと文句を言った。
「すまない。厩舎を借りたいんだ。そこに俺も泊まらせてもらおうかと」
「餌代込みで三十ピラル。もしくは二十五ジュエラだ。──藁なら寝台代わりに使ってくれて構わない」
「ありがとう」
俺は三十ピラルを支払い、夜分に尋ねた非礼を詫びた。
男は「ああ」とだけ答えて小屋の中に戻って行く。
許可も取ったので俺は馬を厩舎に送り込み、鞍や轡などを外してやり、馬房の中に馬を入れてやった。厩舎の中は比較的暖かく、藁や馬用のブラシなども置かれていたので、それで軽く体の汚れを落としてやった。
すると馬はごろんと横になり、すぐに眠ってしまう。
「疲れていたんだな」
俺は眠りについた馬に持続回復魔法を掛けると、藁の積まれた場所に行き、布を敷いた簡単な椅子型の寝床を準備した。
携帯灯の明かりを点けて作業に当たったが、別にここで眠る気はなかった。ただ単に、腰を落ち着けて精神的な作業に入りたかっただけだ。
厩舎の入り口を閉めると、俺は魔術領域に意識を移した。
手に入れたばかりの魔法を確認する作業に入った。
囚われの魔法使いを殺害して手に入れた魔法。
夜に徘徊する者を喚び出し、使役する魔法。
狭い空間──それも土や石に囲まれた空間で使用できる魔法など。
あまり使用する機会はなさそうだ。……そんな事を考えつつ、問題の魔神ベルニエゥロからもらい受けた力について、もう一度確認する。
「罪業の烙印」によって生み出される武器は、接近戦で効力を発揮するだけでなく、投げつけてもいいらしい。
この武器が地面にしろなんにしろ、なんらかの物にぶつかると衝撃波を放ち、その効果範囲にも呪いの力を生じさせるようだ。
「堕落の邪視」は魔神の配下を疑似的に喚び出す魔法で、こいつに睨まれた者。目を合わせた者に呪いを掛けるのだ。
精神の未熟な者はこいつに一睨みされるだけで正気を失い、狂乱状態に追い込めるだろう。
魔法使いは魔法を制御できなくなったり、戦士は己の腕に力が入らなくなるなどの、弱体化を引き起こすようだ。──精神世界からこの魔法に関係する情報を集めていると、信仰心に疑いを抱き始めていた宗教家がこの邪視によって自ら命を絶った、という記録に行き当たった。
希な事だとは思うが、この魔法によって与えられる影響は、無意識にある負の側面が強く行動に影響する可能性もありそうだ。
迷いや敵愾心など、そうした根の暗い側面を肥大化させ、狂乱状態に陥らせて破滅を生み出そうとする、悪意ある魔法のように思える。
俺が使える魔術にも、そうした他者の悪意に干渉するものがあるが、ここまで悪辣な精神支配を引き起こす術は、かなり時間をかけて取り組まなければできないだろう。
俺が愚兄に仕掛けた幻視を見せる魔術も、かなりの呪詛を流し込んでやっと発動させられるものだったが。この魔法による魔法生物が発生させる現象は、人間が行使できる魔術のそれよりも深く、重い呪いによる精神汚染を発現させられるだろう。
「崩壊を喚ぶ魔神」
俺のベルニエゥロに対する印象はそうしたものだった。
魔女のセルシャナもさまざまな呼称であの魔神を呼んでいた。──邪悪な妖術師の庇護者──そのようにも言っていた。彼女ら魔女にとって忌むべき魔神なのだろう。
同じ出自(出自と言っていいかは疑問だが)を持つ魔神であっても互いに反目し合うのは、まるで人間のようでもある。
だが──その内実は、我々人間には及びもつかない関係性が構築されているのであろう。
時に殺し合う間柄になるとしても、それを過ぎ去れば、また過去の結びつきによって繋がり合う……そのような存在。
神々の存在様式は、一見人間に似ているような部分を持っていても、それは完全に様相を異にするものなのだ。
上位存在の霊的な有り様を完全に理解するには、物質の世界に囚われた──欲望や感情に支配された──人間の精神では不十分だという事か。
神々の実体──光体を形成するその大本。人間で例えるなら「魂」に位置する力の、存在の根源であるもの。
そこには人間とは異なる、世界そのものとの関係にも似た秘密が隠されている。そんな気がした。
──人間は世界と結びつき、神は世界と同化する──
ある魔導師がそんな言葉を残しているように……
ドナッサングの様子が変わった理由が次話で明らかに。
たびたび語られていたベグレザでの変化によって、街もそこに住む市民にも変化が現れた。




