魔術師と愚者
もう十年以上も昔に別れて以来の、突然の再会。
記憶の中にあるあの嫌らしい顔とは違い、目の前にある男の顔には、長い逃亡生活による放浪からくる、苦難の記憶が刻まれているようだった。
同年代の男よりも年老いたように見えるその疲れた男は、だいぶ窶れてはいたが、アボッツ・スタルムに間違いなかった。
倒れ込んだ奴のそばに、真鍮製の盃が落ちていた。──その盃には不気味な象徴が浮き彫られ、盃の中に入れていた小鬼の牙や赤黒い結晶のような物が散乱している。
それらは呪具だろう。──そうした呪具を使って小鬼や邪気を操っていたのだ。
俺はそれらを見てぴんときた。明らかにこの男が用意できるような呪具(魔術)ではない。
アボッツ──この奇妙な邂逅に驚いているのは俺だけのようだった。アボッツの怒りと恐怖がない交ぜになった表情からは、俺の事など覚えていない様子だ。
というよりも、まさかこのような再会を果たすとは夢にも思っていないのだろう。
じっと倒れたままの奴を見下ろしていると、段々と記憶の扉が開いてきたかのように、俺の事を思い出してきたらしい。
「────おまえ、まさか……!」
「久し振りだな、アボッツ」
俺は魔剣を手にしたまま奴を睨みつける。
おかしい……
この邂逅に違和感を覚える。
なんだってこんな場所にこの男が居るんだ?
しかも亜人や魔獣、さらには邪鬼と骸獣まで従えて。──やはりこいつの背後には魔術師の存在を感じる。
「お前、こんなところまで逃げて来て、いったいなにをやっている?」
脇腹を押さえて倒れ込んでいる相手に問いかけた。
致命傷にはなっていないようだが、痛烈な衝撃を受けて、立ち上がる事もできないらしい。
「きさまこそ……なぜ、こんな所に居るんだ」
かすれ声でアボッツは恨みがましく言う。
相変わらず自分の立場が分かっていないようだ。
「もう一度聞く。──国を裏切り、爵位を剥奪されてピアネスから逃げ出したお前が、なんでベグレザの片田舎に来て、小鬼や魔獣を使って村を襲撃したんだ?」
「爵位を剥奪されて」その言葉を聞くと、アボッツは憎しみに満ちた顔をして俺を睨む。
「きさまが! きさまのような下級貴族がなにを言う! おれは、おれは──!」
奴はやはり自分の立場が分かっていない様子だ。というか、認めたくないあまりに、頭の中の整理が追いついていないのだ。
「俺が下級貴族なら、お前はなんなんだ? お前は国から追われる反逆者に過ぎないだろう。貴族ですらない、市民でもない。──ただの罪人だ」
「だまれッ! だまれぇェえッ!」
奴は魔法の矢の呪文を詠唱しだした。
この近距離では本来なら、剣で攻撃して呪文の詠唱を止め、魔法を撃たせないのが最善だろう。──しかし俺は、あえてアボッツが魔法を放つまで待つ。
「────『風撃弾』!」
なんと初歩的な風系統魔法。
俺はその貧弱な威力の攻撃魔法を反射魔法で跳ね返し、地面に転がったままのアボッツに直撃させた。
「げはァッ!」
三発の魔法の矢がアボッツの腹部や肩、太股に当たり、奴は苦痛に呻いている。
「もう忘れたのか。俺の反射魔法で死にかけた事を」
怒りからかつて自分が被った被害すら忘れ、浅はかな行動に駆り立てる……。まさにこいつはあの愚かな学生時代から、なに一つ成長してはいないのだ。
俺は呆れ、強めの溜め息を吐き出した。
どのみちこんな愚か者を生かしておけば、ベグレザどころか、ピアネスにも災いを持ち込みかねない。
俺はもとから小鬼をけしかけてきた魔術師を殺すつもりでここまで来たのだ。それが級友だったとしてもなにも変わらない。──それがこの愚か者だったら、なに一つ躊躇う理由はない。
アボッツに小鬼や骸獣を使役する力を与えた存在は気になるが、それはなにもこいつの口から聞かずとも、こいつの魂から探ればいいだけの事。
俺には死導者の力があるのだから。
腐りきった魂には引導を渡すべきだろう。
こいつに相応しいのは、冥府の奥底にあるという無窮の辺獄──。そこで亡者として永遠に彷徨い続ければいい。
「惨めなアボッツ。──お前はここで死ね」
俺はそう宣言すると、魔法の灯明で照らし出された森の中で、不気味に輝く魔剣を振り上げた。
「まっ、まて──‼」
アボッツはなにか言おうと手を挙げた。
だが俺は、この愚かな虫の話を聞く気はなかった。
さっきまでの怒りの顔はどこへやら、怯えた顔をした窶れた男。
その顔はまるで亡者そのものだ。
俺はひと思いに殺してやろうと、胸から腹までを十字に斬り裂こうと剣を振るう。
「ぐひぃィぁあぁあァぁッッ‼」
まったく忌ま忌ましい事に、奴は地面を這って逃げようとしたのだ。
その為に脇腹と背中を斬るはめになり、醜い断末魔が森の中に響き渡った。
「本当に惨めな虫けらだ。──無駄に血を流すだけだというのに」
苦痛に呻きながら悶え苦しむ男の背後に立つと、俺は魔剣を背中から心臓めがけて突き刺した。
骨の間を狙った刃が、肉の中に吸い込まれるように侵入する。
「げァッ────ぅぁ……」
青い刀身が深々と突き刺さると、アボッツだったものは動かなくなった。
小さな呻き声を最期の息と共に吐き出して。
──これでいい。
これで無意味な貴族意識に苦しめられる事もなくなっただろう。
国に居場所も失い、貴族の地位からも放逐された憐れなこの男に、死が現世の苦しみから解放した訳だ。
自分は未だに貴族の子息なのだと思い込んでいたアボッツは、自分の愚かさに気づかずに冥府の牢獄へと旅立って行った。
きっと奴には似合いの仲間たちがそこには居て。罵り合ったり、殺し合ったり、喰らい合ったりして過ごすのだろう。──永遠に。
「まあ、そんな虫の事などどうでもいい」
それよりも、奴に邪鬼や骸獣を使役する力を与えていた者の方がよほど気になる。
俺は死導者の力を使って死んで逝った奴の記憶を探る。
──やはり魔術師が関与していたようだ。
今度は直接、死亡した魂から記憶を読み取った為、かなり鮮明に相手の姿を捉える事ができた。
しかし、アボッツの記憶に魔術的な干渉をして、魔術師たちに関する記憶を第三者に読み取らせまいとした痕跡も残されていた。
だがさすがに、死導者の力を完全に拒絶するような、高度な魔術的妨害はおこなえないようだ。
俺はアボッツの記憶から、いかにして魔術師とアボッツが出会い、ベグレザにまでやって来たのかを探り出す。
アボッツは父親が反逆罪で捕らえられた時、父親のそばには居なかった。
父親が捕らえられたという報せを受けたアボッツは、即座に逃げ出した。──親戚の家に居たアボッツたちは大した財産も持ち出せずに、国境を越えて逃亡する事を選んだのだ。
シャルディム国に入り、山を越えてシン国に逃亡した先で魔術師に出会ったらしい。
奇妙な魔術師は獣の毛で作った髪に、鏡の様に物を映し出す仮面を付けていた。
仮面で声が籠っているが、おそらく四十代くらいの男の魔術師だろう。
町や村での活動を極力避けて行動していたアボッツを、魔術師はどうやって見つけ出し、なぜ小鬼や邪鬼を支配する力を与えたのだろうか。そのあたりの事は判然としなかった。
奴らは目的を説明せず、ただアボッツに力を与え、村を襲撃する事で生きる糧を得るように仕向けたのだ。
「簡単な暗示も利用しているな」
魔術師は言葉巧みにアボッツの心理を操り、自らの行動を正当化するような思考を植え付けられていた。──本人は自覚なく魔術師の操り人形となり、アプトゥム村を小鬼たちに襲撃させたのだ。
アボッツの記憶からは奇怪な呪具である盃を渡され、それを使って村を襲うよう説き伏せている、ぼんやりとした魔術師の姿しか残されていない。
アボッツを殺さずに本人から魔術師について話を聞いていたとしても、その魔術師に会った事すらも本人の口からは聞けなかったであろう。すでに奴は魔術師の術中にはまり、記憶すらも制御されていた。
それほど徹底して相手を操り、記憶も残さぬよう隠蔽しようとしたところから見ても、今回の魔術師の目的は俺なのではないかと思われた。──精神的な干渉をおこなえる相手を想定しての記憶の隠蔽だからだ──
だが、明確に俺を狙ったものであるか、その証拠が見つからない。
本当に偶然という可能性もあるか?
「だがなぜ、アボッツを使った?」
アボッツと俺が学生時代に見知った間柄だったと知っていたから、奴を利用したのでは──そう思ったのだが。
偶然にアボッツを見つけ、使えそうだと思ったから利用した? だとしても──だとしてもだ。魔術師の目的はなんだ? おかしいではないか。ただ寂れた村を亜人や魔獣を使って襲撃するだけなら、自分でやればいい。
第三者に──魔法使いとしても半端者のアボッツに──力を与えられるほどの術者なら、そんな実験をする理由があるはずだ。わざわざ使えない魔法使いに力を与え、村を襲わせる意味が。
アボッツの魂魄にまで影響する隠蔽呪術を行使する術者。
危険な相手になるかもしれない。──もしアボッツを使った奴の狙いが俺だとしたらだが。
アプトゥム村を襲撃すれば、ケディンとの関係性から俺がこちらに顔を出すと読んでいたか、あるいは──予知していたか。
そう思案している自分に、何者かが近づいている気配を感じた。──それは人ではない、霊的な気配を漂わせる小さな気配だった……
❇ ❇ ❇ ❇ ❇
俺は静かになった森の外に向かって歩き出す。
真鍮製の盃を手にし森を出ると、松明などを手にした兵士たちが集まっていた。亜人だの魔獣だのの死骸を集め、焼いてしまおうとしているのだ。
「森に行っていたのか。なにかありましたか?」
隊長は俺の姿を見つけるとそう声をかけてきた。
「ええ、今回の件を手引きしていた魔術師を仕止めました」
そう言いながら手にした盃を見せる。
「これが小鬼や魔獣を操っていた呪具です。中に入れた牙などと関連する存在を使役する魔術が掛かっているようです」
「ほう」
魔術に関しては素人の隊長は真鍮の奇怪な器を見つめたが、禍々しい空気を感じたのか、それを手に取ろうとはしなかった。
「危険な呪物か……魔術師は殺したんですね?」
改めて確認してくる隊長に、俺は黙って頷く。
「ともかく亜人はすべて駆除し、ペギゥルの街を守る事はできました。我々はこのままアプトゥム村に向かい、村に残っている亜人が居ないか確かめてきます」
隊長と話していると、ケディンが近づいて来た。本隊を率いて敵を迎撃していた彼は、右腕を真っ赤に染めていた。返り血を浴び続けたのだ。
金属の肩当てと黒い革の衣服に血がかかり、それを布で拭っている。
「その盃は?」
ケディンはどこか、久し振りの殺戮の味に酔いしれているように見えた。
「これを使って魔術師が亜人たちを操っていたのです」
「魔術師……倒したのか?」
「はい」
「よくやった」
ケディンはそう言って酷薄な笑みを浮かべる。
「魔術師はどんな奴だった?」
「──俺と同年代くらいの男でしたね。この盃を使わなくちゃならない程度の力しか持たない魔術師です。警戒するほどの相手ではなかったですよ」
顔見知りだったという事までは説明はしない。面倒が増えるだけだ。
「よし、それではペギゥルまで戻るとしよう。ジワン、アプトゥム村の事は任せたぞ」
隊長にそう指示を与えると、俺とケディンは馬の方へ向かう。
「レギ、今回は世話になったな。まずペギゥルに戻り、そこで今日の礼を兼ねて宴でも開こう」
「その必要には及びませんよ。──少し用事を思い出したのでザンブロアージェに向かい、そこからフィエジアを経由してピアネスに戻ろうと思います」
「おいおい、ずいぶんと急な話だな」
俺は謝罪し、ケディンの気持ちに感謝しつつ、互いの領地の交流と繁栄を願って、交易路の完成に金を使うよう言った。
「……はは、確かにな。──分かった。宴会は交易路の開通後に持ち越しだな」
「それがいいでしょう」
俺とケディンは固い握手を交わした。
辺りはまだ暗く、朝が訪れるまでまだまだかかるだろう。
馬たちが待つ所へ来ると、背後で火の手が上がった。
それは大きく火柱を噴き上げ、夜空を紅く染め上げた。
駆除した亜人などの死体を焼く炎。
それは黒煙を上げて燃え上がり、夜の平原を照らし出した。
ここで章を区切る事にしました。
次話から第十四章になります。(まだ故郷のエブラハ領に戻るので、区切らなくてもいいかと思っていましたのですが)
森の中からなにかが近づいて来る気配がしたあと、場面が飛んだように感じるのはわざとです。
次話でその部分について語られます。




