神殺しと魔神の魂
神霊領域に入ると、影の倉庫にしまった鍬や鋤を取り出し、岩の上に置いた。
畑を作る時に利用するのだが──今はそれどころではない。
まずはネブロムの結晶体を解析し、その力を自分の力に組み込めないかを探る。魔力の器と似たものとして使えているが、その中に入っている神々の記憶や魔法を読み取ろうとすると、やはり妨害が入る。
神々が人間の魂に仕掛けた、上位存在に関わる事柄との接触を退ける障壁──あるいは断絶。
「くそっ……神殺しで奪ったものにも影響するのか」
ネブロムが予め渡そうとしていた、いくつかの力については入手できたが、高位の力はいまだに障壁で封じられている。
それでも解析を通じて障壁を部分的に無力化し、その結晶体──魔神結晶──から習得できるいくつかの力を読み出し、それを「魔法」として自分の魔術領域に組み込む作業に入った。
光体を持たない俺には、扱えないものも多かった。
ネブロムの持っていた高位の魔法になると、生身の状態ではそのまま使うのは難しい。複雑な術式と呪文を使用しなければならず、実践的ではなかった(魔術領域に組み込めば、いちおう使用できる)。
ネブロムの魔神結晶は俺の魔力と接続された、別領域(別次元)にある魔力の器として取り込む事ができた。その際、今まで魔物や邪神から手に入れた、魔晶石などを純化して作った魔力の器も取り込んで、一つの大きな魔力の根源とした。
これであの忌々しい障壁が外せれば──人間の身でも(弱体化するだろうが)、魔神の力を奮う事ができるはずだ。
ネブロムの力の根源から伝わってくる力。これが自分を強化しているのを感じる。
「弱っていたとはいえ、さすがは魔神の力だ」
もう一つの魔神ファギウベテスの魔神結晶を解析し、なんとかその魔神の力を──ネブロムの魔力領域を介して──取り込む事ができた。
未熟な力で魔神の力を取り込もうとしても、逆にその力に飲み込まれ、自我を失い。魔物や──邪神と化したパーサッシャのような、上位存在と人間の記憶が混濁した、異形の化け物になるのが落ちだろう。
魔神ネブロムが俺に、その力を譲渡しようとしたので、割とすんなりと自分の力に組み込めたが、この複雑な魔法と魔力の融合した力。上位存在の霊的な領域の理に踏み入るのは、並の術者では不可能だ。
ファギウベテスの結晶体から「獣霊支配」などの力を得ると、それを下位の──人間の使用できる──魔法技術に当てはめて使えるようにする。
「獣霊支配」の力とは、魔術にある動物を操る呪術に似ている。霊的な支配力を行使し、自在に動物を操れる力。獣霊支配はその上位互換のような魔法になった。
こうした作業(上位の魔法を下位に当てはめる作業)にも高い魔導の技術が必要で、繊細な思慮深さも必須だった。魔法の感覚と言うべきか。
細かく術式に当てはめて──上位存在の魔法を、下位領域の存在である人間の魔法に当てはめて作製する作業。
だが二柱の魔神結晶には、まだ俺が読み込む事のできない魔法がある。
魔神ファギウベテスの力は、霊魂などに関係するものが多いらしい。呪いや魔法の力で、敵の戦力を弱体化させるような呪法を得意とし、幻惑なども得意としていたようだ。
あとは魔術の庭で引き続き、二柱の魔神の力を解析していこう。
俺が光体の一部でも手に入れられたら、上位存在の使う魔法も、自由に操れるようになるのだが。
魔神の力を自らのものにするというのは、想像よりも困難なものであった。
その力を取り込むだけの技量を備えた術者なら、魔神を倒したすぐあとに能力を奪えたのだろうが。
魔神の力を接続した事で──俺の精神的な力、魔力。こうしたものが強化された。精神的な力は肉体に対する影響も持つので、瞬発的な筋力の解放をし、動きを速く、攻撃を重くするなど──戦闘に有利な力を発揮できる。
これらの作業で、精神力を相当に消費したと感じた。時間もかなり経ってしまっただろう。
神霊領域から宿屋の部屋に戻ると、寝台に腰かけて、そのまま倒れ込むみたいに横になった。
疲労を感じながら、自分の魔力総量がかなり大きなものになったのを理解する。
(この肉体と結びついた魔力──蓄えられた力を感じる)
それはとても大きな容器だ。
優れた魔法使いでも、ここまで大きな魔力の器を持ってはいないはずだ。固有の次元領域を持つ魔神の魔力領域を、自分のものにできたのは幸運だった。
魔神の記憶の断片が残されており、それのいくつかを見る事ができるようになった。
だがそれは──まるで本を開いても、頁になにも書かれておらず、しばらく白い頁を睨みつけていると、そこにぼんやりと浮かび上がるみたいな──記憶の映像。
それらを読み続けるのは困難で、精神が疲弊する感覚。
魔神ネブロムは「摂理の執行者」として人間を監視したり、時には人間に手を貸していたようだ。
彼はあまりに人間に入れ込み過ぎ、人間の生や死に関わりをもつようになったのが原因で、彼はその役職を剥奪されてしまった。
優しき魔神の元々の姿というものは──判然としなかったが、彼の誠実さが悪を憎み、罪深い人間の魂を奪い去り、幻夢界に閉じ込めるという行動に駆り立てたのだ。
次に精神的な疲労を感じながらも、魔神ファギウベテスの記憶を探ろうとすると──
「ぐああぁっ⁉」
強烈な感情、あるいは怨嗟と呪詛にまみれた不吉な怨念が流れ込んでくる。
(────ばかなっ………! 消滅した魔神の記憶に何故ここまで……!)
魔人と化したディオダルキスのものとは違い、霊的な魂を侵蝕してくるような、精神汚染に似た感覚。
俺は一瞬でその記憶領域から離れたが、魔神の記憶の一端を知る事ができた。
それはファギウベテスを含めた、多くの神の使い──天使と呼ばれる存在が、神の国から堕ちた場面の記憶。
強大な力を持つ一柱の神の使いが失墜し、多くの者がその存在に随伴するように、天上の神々に挑んでいく──そんな映像が確認できたのだ。
(なんという──いったい、なにがあったのだ)
鮮明に映像が見えた。
魔神と化したファギウベテスのみならず、その周囲に存在していたであろう上位存在も、凄まじい激憤の念に駆られていたらしい。
上位存在の霊的な力。その魂と呼べる根源の力は──やはり凄まじい。魔神ネブロムや死導者の力を取り込んでいなければ、魔神の記憶を覗き込んだ影響で、魂や霊体が傷つけられていたかもしれなかった。
気づけば俺の意識は魔術領域から離れ、現世に戻されていた。──危なかった。精神汚染が魔術領域に広まっていれば、厄介な副作用を抱え込んだかもしれない。
確認したが、精神汚染は浸透していなかった。表層の記憶に対し、魔神の記憶が脳に焼き付いた事で、拒絶反応に似た感覚が出たのだ。
「魔神の激情のようなものは、人間にとって──その存在を焼き焦がすような、強い思念をもっているのか」
ただの感情ではなく、それ以上の──他の霊的な存在まで飲み込もうとするみたいな、情念の塊。記憶の断片にすらそんな力があるとは。
だが、ともかく二柱の魔神の力を取り込み──その一部とはいえ、力を自分のものとして奮えるようになった。これで格段に俺は強くなっただろう。──肉体的にも魔力的にも、精神的、霊的にもだ。
「時間は──もう夕方か」
神霊領域でずいぶんと時間を使ってしまった。あそこは現世の時間と同調しているのだ。もしかするとそれすらも変更できるかもしれないが。
「今度ためしてみよう」
寝台から起き上がると、ぐらぐらと世界が揺れた。魔力の強化やなにやらで、霊的な性質が変わり、それがさらに肉体にも影響したのだ。
寝台に腰かけると、まずは己の肉体と霊体の均衡を調整する。強力な力を一度に手に入れ過ぎた──これが嬉しい誤算というものか。
「ふっ、ふふふふふっ」
魔力に触れていると、自分が急激に強くなったのだと改めて思い、その漲る力に興奮してくる。
(もはや下級天使くらいなら恐れるに足らんな)
下級魔法もよほど威力を抑えて使わないと、並の魔法使いの数倍の威力で魔法を行使してしまうかもしれない。
「注意するとしよう」
あまり目立つのは危険だ。
他の冒険者のやっかみくらいならどうという事もないが、どこぞの魔狩りの連中に目を付けられたくはない。
早めに風呂に入り、体を休めてから夕食にすると決め、準備をすると一階へと降りる。魔剣は影の倉庫にしまっておいた。
この安宿には風呂場は無く、近くにある公衆浴場を紹介された。アケリュースには公衆浴場が三つもあり、それぞれが船乗りや市民が行く浴場、少し高級な浴場など──特色があるみたいだ。
「夕食も外でどうぞ」
そんな具合にほったらかしにされてしまう。
安宿はそんなものだと考え、はじめから期待しないし──長く旅を続けていると、そうした応対にいちいち腹は立たなくなるものだ。
むしろ自由に夕食を食べる場所を決める事ができるのだと、前向きに捉えた。
それに──新たな力を自分のものとし、最高に機嫌がいい。
「少し高級な公衆浴場に行き、ゆったりとくつろごう」
なにしろ明日は海を渡り、魔神が居る島へと向かうのだ。危険な旅が明日には待っている。
宿の外に出ると、薄暗くなった港町の通りを歩く。
波打つ音を耳にしながら、町ゆく人の姿を見、夜になっても活気のある港町に、人間じみた安心感のようなものを感じながら、俺は公衆浴場へと向かう。
そこは広場に面した場所にある、高級感のある外観をした公衆浴場。
大きな入り口の左右には武装した番兵が立っており、なにやら物々しい。不埒な輩は近づけぬという圧力のある浴場だった。
入り口には受付のような場所もあり、そこに向かうと使用人から声をかけられた。
男のそばには屈強な女性の番兵も控えていて、使用人はその笑顔の裏に、人を値踏みするように窺っている視線を送ってくる。
「失礼ですが、お客様。身分を証明する──階級章などはございますでしょうか?」
「身分証──? これじゃ駄目かな?」
そう言って首から下げた赤い印章を見せると、使用人はにっこりと作り笑いを浮かべた。
「いえ、結構でございます。こちら、鉄階級以下の冒険者の方にはご遠慮いただいているもので」
印章は身に付けたまま浴場に入ってください。そう告げられた。
ルシュタールは冒険者の階級について、赤鉄階級以上の者を贔屓するような慣習があるのだろうか。思えば図書館でもそうだったが。
あえてその事には触れず入り口を通過し、広々とした談話室を兼ねた脱衣所に入った。
そこでは大きな暖炉が設置され、裸の男女が立ちながら、あるいは椅子に腰かけて談笑している。
客の数は多くはなかったが、下級貴族や中級貴族といった高い身分の人間も、この浴場を利用している様子だ。
長い船旅から陸に戻った貴人に、汚れを落とす場所を提供する為の公衆浴場なのだろう。
体の汚れを石鹸で落とし、大きな湯船に入ろうとすると──なにやら周囲から視線を感じる。それも、どうやら女の視線が俺に集まっていた。
(なんなんだ?)
他に居る男たちは冒険者ではなく、体に余分な肉が付いたような男たちばかりだと気づいたが、それが理由なのだろうか?
俺はともかく湯船に浸かって、旅の疲れを癒そうと考えた。
するとどうだろう。俺の周囲に女たちが数人、こそこそするみたいに近寄って来たではないか。
「あの……もし、あなたは名のある冒険者の方では?」
「灰銀色の髪は……きっと、エト様では?」
などと興味津々の様子で迫ってくる。
「いや……俺はピアネスから来た冒険者ですが」
そう応えると数人は一気に興味をなくしたようだったが、その他の女たちは俺のそばに寄って来て、どのような旅をして来られたのかと、熱心に聞き出そうとする。
どうやらこの公衆浴場では貴族と、上級に位置する冒険者との接点を持たせる場でもあったようだ。
貴族との接点を持ちたい冒険者と、若く逞しい男との愉楽を得たいと望む貴族の女たちが、ひっそりと公衆浴場で密会し、どこかで落ち合う算段を立てる訳だ。
生憎と性欲は満たされているし、この場に居た乳の垂れた女に魅力を感じなかった俺は、やんわりと彼女らの好奇の目を避けて、湯船を出たのである。
神霊領域に農機具を置いたり──ここで農園を開くつもりか(笑)
薬草などを植えるつもりでいるレギですが、果たしてどうなるか。
魔神を倒したからといって、人間には簡単にその力を手に入れられる訳じゃありません。
上位の力を下位存在である人間が使うには、その力の範囲に落とし込めなければなりません。
上位の力をそのまま使うと霊的に負荷がかかり、それは肉体や生命に深刻な害を及ぼす事も。




