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番外編⑨ 最後の愛弟子(ルビィ)

 あの子にもう一度会えるなら、何を犠牲にしても構わない。


 そう祈り続けて六百年。アタシの祈りは、まだカミサマに届いちゃいないらしい。


 ――サヤ。アタシの最愛の娘。旦那の血を引いてヒト種として生まれた瞬間から、いつか見送る日が来るとわかっていたけれど、あんなに早いとは思わないじゃないか。


 旦那……ヴォルクだってそうさ。あれだけアタシに愛を囁いておきながら、さっさと置いていくってどういう了見なんだい。あんた、結婚式の日に『一生幸せにする』って誓ったじゃないか。

 

 二十年なんて、エルフのアタシからすればあっという間だよ。カミサマって奴は本当に残酷だね。


 サヤとヴォルクを戦争で亡くしてから、アタシはまるで抜け殻みたいに生きてきた。オクトーバーの名を捨て、ヴォルクの旧姓を名乗り、魔法学校の教師として多くの教え子を送り出してもなお、空虚な心を抱えていたのさ。


 だって、アタシのやりたいことはただ一つ。サヤの頭を撫でてやることだけなんだからね。


 ……でもねえ。もし、サヤが今のアタシを見ても誰だかわからないかもしれないねえ。サヤが綺麗だって褒めてくれたご自慢の金髪はすっかり色褪せちまったし、どこもかしこも皺くちゃのおばあちゃんになっちまったもんだからさ。


 アタシにベタ惚れだったヴォルクなら気づいてくれるかもしれないけど、男って奴は若い女に目がないもんだからねえ。もし、精霊界で浮気してたら許さないよ。今から杖を磨いておこうかね。


 エルフの始祖の故郷に生えていたとされるユーグの樹。その枝から作られたこの杖は、アタシの母親から受け継いだもんだ。本来ならサヤに引き継ぐはずだったのに、今もアタシの手元にある。


 考えれば、こいつとも長い付き合いだよ。お互い無茶したもんだよねえ。アタシも八百歳を越えて、いつどうなるかわからなくなってきたから、できれば誰かに託したいもんだけどね。


 生憎と、これだって奴はいなかったんだ。教え子は山のようにいるのに不思議なもんだよ。きっと、アタシと同じで好みがうるさいんだね。


 思えばオクトーバー家を継ぐときも、薦められた伴侶候補を軒並み蹴り倒してヴォルクに決めたんだったよ。母親も同じ気質だったから、やっぱり持ち主に似るんだね。サヤも生きていたらきっと、突拍子もない奴を婿に連れて来たに決まってるよ。


 アタシがいなくなったら、この杖はどうなっちまうんだろう。アタシがこの世界に残したものは、いつまで残り続けるんだろう。


 ルクセンの最西、アルメニア領のど田舎に終の住処を決めてから、そんなことばかり考えるようになった。


 とはいえ、エルフの寿命は千年。あと百年ぐらいはのんびり終活できると思っていた矢先――。


 アタシは出会っちまったんだ。サヤと同じ名を持つあの子に。


 朝倉紗夜――闇を溶かしたような黒髪黒目で、皮肉にもサヤと歳の頃まで近かった。一瞬、カミサマが祈りを聞き届けてくれたんだと思ったよ。


 でも、紗夜はサヤじゃなかった。咄嗟にサーラと名付けちまったあの子が、異世界から来た聖女ってことは一発でわかったよ。だって、カズサ……塔の聖女様と同じ格好をしてたからね。


 この国において、聖女は信仰の対象で唯一無二の存在。エルネア教団の籠の鳥になりたくないのなら尚更、入念な根回しをしておく必要がある。だから、アタシは一時期家庭教師をしていた縁を頼りに、カズサにサーラの隠匿を願った。


 カズサはあっさり引き受けてくれたよ。それどころか、自分の魔力で作った魔石まで送ってくれた。これを使えば、サーラに過去を覗かれることはないからと。


 ありがたかったね。あんな惨状を見せたくはなかったし、サヤに重ねているから保護したんだと思われたくもなかったからね。娘と変わらない歳の子に同情されるなんて真平ごめんだよ。


 ともあれ、こうしてアタシは、大手を振ってサーラを弟子にできたんだ。


 サーラは今までの弟子の中で、一番教育に手間がかかった。まあ、異世界人だからね。魔法の魔の字も知っちゃいない。


 カズサと違ってルクセニカ語も話せなかったから、子供に言葉を教えるが如く、終わりのない質問責めに付き合ってやったよ。サヤが小さい頃もこんな感じだったね、と懐かしみながら。


 幸いだったのは、サーラが人一番コツコツと努力できるタイプだったってことだ。三ヶ月を越す頃にはある程度の日常会話も可能になって、自らこの世界について深く知りたがる素振りを見せた。


 だから、叩き込んでやったんだ。アタシが今まで培ってきた技術と知識の全てを。最後の愛弟子に。


 とても楽しい日々だったよ。まるで現役時代に戻ったみたいだったね。サーラは自分の気持ちを口に出す方じゃなかったけど、アタシの教えを一滴たりともこぼさない覚悟だってことは、ひしひしと伝わってきた。


 聞けば、元は事務員だってね。おーえるだとかの意味はわからなかったけど、元の世界でもさぞかし真面目だったんだろうって思ったものさ。


 だけど、それはサーラの表層にしか過ぎなかった。


 それに気づいたのは、うっかり暖房の魔法紋に必要な魔石を切らしちまって、震えながらサーラと寄り添って眠った夜さ。あの日、アタシはサーラが異世界でどんな扱いを受けていたのかを知っちまったんだ。


『お母さん……。お母さん、ごめんなさい……。醜い子でごめんなさい……。ぶたないで……』


 全身に火がついたようだったねえ。


 もし叶うのなら、サーラの夢の中に行って母親を殴りたかったよ。あんた、それでも母親かい? こんな健気な子を虐げるなんて、何様なんだいって叫びたかった。


 だって、そうだろ。こんなの不公平じゃないか。


 アタシはサヤを亡くしたのに、なんであんたは生きているサーラを愛してやらないんだい。あんたがいらないならアタシにおくれよ。二度と手放したりしない。今度こそ絶対に守ってみせるから。何度もそう思ったものさ。


 翌朝、青い顔をしたまま何でもないように振る舞うサーラを見て決めたんだ。


 この子に、アタシの杖を引き継ごうって。


 なのに、カミサマって奴はやっぱり残酷だね。たまたま受けた健康診断で、あっさり余命を宣告されちまったよ。残り一年だってさ。これからもサーラと歩んで行こうと決めた矢先なのにね。


 でも、死んじまうもんは仕方ない。その日から、アタシは終活を百年前倒しすることにした。


 まず、サーラの身元をしっかり作ってやるってことだ。これは魔法使い組合に登録すれば事足りた。アタシの姓を継げば、財産も残してやれる。アタシが母親代わりになったと知っても、サーラは嬉しそうに組合証を受け取ってくれた。


 次に、サーラの地盤固めだ。将来、この家を出て行くことを考えれば、味方は一人でも多い方がいい。だから、今までの教え子の中でも一等信頼できる二人を選んで手紙を書いた。アタシの愛弟子を、どうぞよろしくと。


 最後に、もしもの時に備えて、杖に魔法紋とアタシの魔石を仕込むことにした。本当は発動する事態にならないのが一番いいんだけどね。

 

 ――サーラ。覚えておきな。魔法ってのは、誰かを幸せにするためにあるもんさ。アタシができるのはここまで。これからはあんたが自分の足で歩いて行かなきゃいけないんだよ。


 最後の最後、もうベッドから起き上がれなくなったアタシを見下ろして、サーラが不安げに瞳を揺らす。あの子と同じ、黒曜石みたいな瞳を。


 やだね。湿っぽいのは苦手だよ。左手に感じる体温を閉じ込めるように、そっと握り返す。


 よくお聞き。これは師匠として、アタシがあんたに教えられる最後の授業なんだからね。


「風の赴くまま、旅をしてみな。そのうち、あんたにもわかるかもね。誰かを乞う心や、自分の居場所ってものが」


 ああ、願わくば、深く傷ついたこの子が癒える場所が見つかりますように。


 最後の気力を振り絞り、震える右手でサーラの黒髪を撫でる。


 あの子とは違う手触り。でも、いいんだ。この瞬間、アタシの祈りは成就した。あんたと過ごした日々を手土産にして、アタシは旅立つよ。


 サーラ。アタシのもう一人の娘。最後の愛弟子。ルビィ・ロステムが特別な魔法をかけるよ。


 あんたの行き先に祝福を――。

ルビィの願いは無事に叶いました。彼女の全てを受け継いだサーラは、グランディールで新たな弟子を育て、ルビィの技術と知識を後世に伝えていきます。杖は途絶えてしまったけれど、ルビィの残したものは遥か先の未来まで残り続けるのです。


次回はパールがサーラに寄せる想いです。

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