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番外編⑧ 初恋のお姉さん(アル)

「聖女さまみたいですね!」


 無邪気にそう言い放ったとき、サーラは少し困った顔をした。


 聖女さまはエルネア教団の塔に住む女性で、強い聖属性の力を持つ、唯一無二の存在だ。彼女に仇なすことは国中にいる教徒を敵に回すことを意味する。


 俺は聖女さまと親交が深いアーデルベルト家の三男坊。実は敬虔な教徒なんじゃないかってぐらい、聖女さまを褒めそやす父親を見て、俺も聖女さまに強い憧れを抱いていた。


 だから、不思議だったんだ。サーラが困った顔をするのが。聖女さまに似ていると言われたら、大抵の人間は恐れ多いと返すか、光栄ですと喜ぶ。首を捻る俺に、ノワルがこっそりと教えてくれた。


「女性を何かに例えていいのは森の女神さまだけだよ。その人自身を褒めないと」


 森の女神さまはエルフの男が使う褒め言葉だ。ノワルは三百歳越えのエルフ。社交会で何度か口にしているところは見たことがあるが、聖女さまもそれと同じなんじゃないのか?


 そう返すと、森の女神さまは概念、聖女さまは実在の人物だから違うと言われた。よくわからない。


「もし、アルの好きな子に、英雄みたいに格好いいって言われたらどう思う?」

「まあ、嬉しい」

「じゃあ、好きな舞台俳優に似てるから好きって言われたら?」

「……それは、ちょっと嫌だ」


 だって、それって俺自身を好きなわけじゃないってことだもんな。舞台俳優みたいに格好いい、ならいいかもしれない。


 ……ああ、そうか。それと同じか。聖女さまみたい、ってだけ言っても、だから何って感じだよな。綺麗だって思ったんなら、サーラ自身を褒めないといけなかったのか。


 となると……。綺麗な黒髪ですね、とかかな。いくつか思いつく褒め言葉をあげてみると、ノワルは「えらい、えらい。よくできたねえ」と満足げに頷いた。


 ノワルはアーデルベルト騎士団の魔法使いだ。俺が生まれたときからの付き合いなので、俺が大人顔負けの体格になってからも、こうして子供扱いしてくる。


 まあ、千年生きるエルフに比べたら、俺なんて赤ん坊みたいなものだろうけど……。もう十七歳なんだから、それなりに接してほしいと思うのは我儘なのかな。


「あの……。アルカードくん」


 サーラがおずおずと声をかけてきた。黒いインクを垂らしたような黒髪黒目で、細身の体にミントグリーンのローブを羽織っている。


 手には魔法使いの証の長杖。移民だからか、どことなく異国風の顔つきで、何故か目が離せなかった。


「キャンプの周りに魔物避けの結界を張ろうと思うんだけど……」


 サーラは聖女さまと同じく聖属性。他属性を弾く魔法を使える。髪と目の色も同じだ。だから、余計に聖女さまみたいだって思ったんだよな。


 俺たちのパーティには、もう一人ゴルドっていう戦士みたいな見た目の医者もいるから、正直結界がなくてもなんとかなると思うけど、念には念を入れるのがノワルの方針なので、素直に頷いた。

 

「助かります。サーラさんがパーティに入ってくれて、野営が楽になりました。それと、俺のことは呼び捨てでいいですよ」

「でも、雇用主だし……」

「俺の方が歳下ですから」


 この国には不敬罪がある。でも、俺はそんなの気にしない。意見を曲げない俺に、サーラはまた少し困った顔をして、「わかった」と頷いた。

 

「じゃあ、私のことも呼び捨てでいいよ。敬語もなしにしよ? その方が話しやすいよね?」


 そう言われて少し驚いた。こちらが気安く接しようとしても、固辞されるのが常だったから。


 ――この人は他の人と違う。俺をアーデルベルトじゃなく、アルカードとして見てくれる。そう思ったのを覚えている。

 

「もちろん。よろしく、サーラ」


 笑顔を向ける俺を見て、サーラがほっと息を吐く。まるで、迷子の子供が親を見つけたような顔だ。


 出会ったときから落ち着いた大人だと思っていただけに、そのギャップはいつまでも俺の胸に残り続けた。


 その晩、俺たちはダンジョンの入り口近くで野営をしていた。辺りには鬱蒼とした森が広がり、光源は焚き火と空に浮かぶ満月だけ。あちこちで聞こえるフクロウの鳴き声や、木々が風で揺れる音を子守唄にしながら、俺は寝袋にくるまっていた。


 焚き木を中心にして、俺の右側にはゴルド、左側にはノワル、そして向かいにはサーラがいた。野営のときは一人ずつ見張りをすることになっていて、今の時間はサーラの担当だった。


 ゴルドとノワルが安らかな寝息を立てる中、俺は何故か眠れなくて、物憂げに焚き火を眺めるサーラをこっそりと見つめていた。


 夜の闇の中に溶けた黒目に、焚き火の赤がちらちらと揺らめいている。それは、まるで光の加減で色を変える宝石のようで、いけないと思いつつも目を逸らせなかった。

 

「……眠れないの?」


 不意にサーラが俺に目を向け、優しく囁いた。どきりと胸が跳ね、ごそごそと寝袋から這い出る。春とはいえ夜風は冷たく、剥き出しの首筋に鳥肌が立つ。


「なんか、気が立っちゃって」

「そう」


 たった一言なのに、気遣いと温かさが感じられて自然と口元が緩んだ。ノワルだったら、無理にでも寝なさいと口うるさく言うところを、サーラは咎めなかった。


 穏やかな沈黙が降りる。サーラは沈黙が苦にならない性分のようで、滅多に自分から語らなかった。俺たちがワイワイしている横でも、ただ黙って微笑んでいるのが常だ。サーラが何を考えているのか知りたくなって、そっと近づいた。


 女性に不用意に触れてはいけない。口を酸っぱくして教えられたことだけど、そのときばかりは何故か甘えたい気持ちになって、肩をくっつけて座る。サーラの体温と柔らかさが伝わってきて、更に口元が緩むのがわかった。


「どうしたの。怖い?」

「ちょっと……。恥ずかしいよな、もう十七なのに」

「恥ずかしくないわよ。私も怖いもの。何回夜を越えても、野営は怖い。今、こうして誰かといてもね……。力のない女だからかもしれないわね」


 女、という単語にどきりとした。

 

 そうだ。サーラは俺たちと違う。見るだけでわかる柔らかそうな身体。焚き火に照らされて肌に陰影を落とすまつ毛。ローブの袖から覗く手首は折れそうなほど細い。長い黒髪に包まれた首だって……。


 黙ったままの俺に、サーラははっと息を飲むと、慌てた様子で両手をぱたぱたと振った。


「あっ、ご、誤解しないでね。アルカードたちが怖いって言ってるわけじゃ……」

「アル」

「え?」

「アルって呼んで欲しい。ノワルたちと同じように」


 サーラがじっと俺を見つめる。炎が揺らめく黒目の中に、頬を紅潮させた俺が映っている。


 やがて、サーラは微笑んだ。それはとてもぎこちない笑みだったけど、俺の心の中に確実に何かを植えつけた。

 

「……ねえ、アル。ホットチョコレートでも飲む? 身体が温まったら眠れるかもしれないわよ」


 夢心地のまま、黙って頷く。サーラはとっておきのチョコレートを使って、まるで魔法のように手早く作ってくれた。


「はい、熱いから気をつけてね」


 ほんの微かに触れ合った指と指。そのとき初めて、俺は誰かを守りたいと思ったんだ。



 ***



「ふう……。こんなもんかな」


 剣身についた血を払い、額に浮いた汗を拭う。地面には累々と横たわる闇大蛇(ダークサーペント)たちの骸。まだ幼体とはいえ、俺の体ぐらいの太さはゆうにある。


 確か、依頼は牙だけだったよな……。でも、鱗も高く売れるから剥いで持って帰ろう。今回の報奨金と合わせれば、しばらくは宿に泊まれるかな。


 幸いにも近くに川があったので、手早く解体を終えて、野営の準備を整えることができた。最初はテントを建てることすらできなかったけど、随分と慣れたもんだ。


 ただ、料理の腕はまだまだだ。解体した蛇の肉を蒲焼にしてみたものの、どうしても臭みが消えない。パーティを組んでいたときは、ダンジョンの中でも美味い飯が食えていた。それは全て、ノワルたちが采配してくれていたからなんだ。


 アーデルベルト家を離れて、探索者として一人で各地を放浪するようになり、今まで自分がどれだけ恵まれていたのか嫌というほど思い知らされた。


 社会ってのは厳しい。貴族の肩書を返上し、コネも経験も大してない俺に優しくしてくれる人間はどこにもいなかった。四年の修行期間で得たと思っていた信頼は、俺が犯した過ちのせいで既に失っていた。


 ――グランディールの動乱。昨年末から年明けにかけて、ブリュンヒルデ家の長男が末っ子からグランディール領の継承権を奪おうとした事件だ。そこに俺が協力者として関わっていた事実は、飛竜が飛ぶよりも早くルクセン中に広まっていた。


 魔属性に取り憑かれた影響なのか、グランディールに赴く前の記憶は曖昧だ。ただ、身体中を焼き尽くすような飢えと乾きだけは覚えている。


 俺はどうしてもサーラが欲しかった。あの眼差しを独り占めしたかった。あの優しい声で、俺の名前だけを呼んで欲しかったんだ。


 サーラの気持ちも考えずに。


 だから、これは罰だ。子供だった俺への。サーラの大切なものを奪った俺への。


「……最初は、ただ守りたかっただけなんだけどな」


 何を呟いても、返ってくる言葉はない。どれだけ眠れない夜を数えても、甘いホットチョコレートが差し出されることも二度とない。


 襲い来る孤独にぎゅっと瞼を閉じたとき、不意に蛇の威嚇音が聞こえた。


 咄嗟に立ち上がって剣を抜く。しかし、物思いに耽っていたせいで反応が遅れた。いつの間にか至近距離まで近づいていた金色の両目が、蛍火のような軌跡を描いてこちらに向かってくる。


 ――やられる!


 そう覚悟した刹那、肉を貫く鈍い音がして、金色の光が掻き消えた。木だ。誰かが魔法で生んだ木の根で助けてくれたんだ。


「アル! 怪我はない?」

「ノワル? ゴルドも!」


 闇の中から現れたのは、半年前に別れたはずの仲間の姿だった。一瞬で涙腺が緩みそうになり、ぐっとこらえる。「なんで来たんだよ!」と心にもないセリフを口にして。


「助けてくれたのは、ありがとう。でも、同情なら……」

「同情じゃないよ。僕たちは、また君と旅がしたかったんだ」


 焚き火の光に照らされたサファイアみたいな瞳が、まっすぐに俺を見据える。隣のゴルドも、いつもみたいに優しい目で俺を見つめていた。

 

「君は僕たちに迷惑をかけたくないから、黙って出て行ったんだよね。でもね、甘いんだよ。赤ちゃんのときから一緒にいた()()を、そう簡単に離すわけないでしょ。背を向けられた側がどんなに辛いか、サーラが離れたときに痛いほどわかったはずだよね?」


 ぐうの音も出なかった。黙って俯く俺に、ノワルが言葉を続ける。


「あとさ。もう退職届出してきちゃったから、今更追い返されても困るんだよね。僕はともかく、ゴルドはこの歳で再就職キッツイんだから責任取ってよ」

「余計なお世話だ。てめぇだって三百歳越えのジジイじゃねえか」

「ヒト種に換算すると君より若いよ。何度も言ってるじゃん」


 変わらないやり取りに思わず吹き出す。まずいと思いつつも腹を抱える俺に、ノワルは目を細めた。


「やっと笑ったね」


 両肩に温かい手のひらの感触。俺が不安を抱いたときに、よくしてくれていた仕草だ。


「君は確かにいけないことをした。でも、やり直しちゃいけない道理はないだろ。僕たちと一緒に、新しい道を歩いていこうよ」

「……俺はもう、ノワルに手を引いてもらわなきゃいけない子供じゃない。これ以上、甘えちゃいけないんだ」

「わかってる。僕たちもそのつもりで接するよ。子守りはもう卒業だ」


 隣のゴルドに視線を向ける。ゴルドは口の端を吊り上げると、ガリガリと短髪を掻きながら頷いた。やれやれとでも言いたげに。


「そういうこった。積もる話はあとでいいだろ。とりあえず、今は腹減ってんだ。なんか食わしてくれや、()()()()

「……ああ!」


 目尻に浮かんだ涙を誤魔化すように、素早く蛇の蒲焼を差し出す。焚き火の周りは、さっきとは比べ物にならないくらい賑やかになっていた。


 サーラ。俺の初恋のお姉さん(カミサマ)。本当に、本当に好きでした。こんな俺にたくさんの思い出をくれてありがとう。


 俺の罪は決して償いきれない。だから、こんなことを言われても、ちっとも嬉しくないかもしれない。


 それでも。


 俺は、あなたの幸せを祈っています。

お守り相手から友人へ。アル坊からリーダーへ。

対等な大人として、新しい関係性を築いていくでしょう。ちなみに、蛇は満場一致でまずいと言われました。


次回はルビィの切なる祈りをお届けします。

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