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番外編⑦ 高嶺の花(エイシア)

 金糸のように美しい髪。エメラルドの如く魅惑的に輝く瞳。私を前にした男は、いつもそんなありきたりな言葉を口にした。私があんたたちよりも遥かに歳上だということも忘れて。


 私はエイシア・アニエス・フォン・ブリュンヒルデ。数多ある公爵家の中でも絶大な権力と財力を誇るブリュンヒルデ家の長女で、千年の時を生きるエルフ。


 幸いにも周りはエルフばかりだったから、やがてくる別れを意識することなく、いつまでも穏やかな日常が続くと思っていた。


 なのに、そんな我が家に突然異物が現れたのよ。夜に染まったような黒髪黒目のヒト種の女と、その女が産んだ子供が。


 お父様の名前から二文字取ってシエルと名付けられた子供は、エルフの見た目なのに寿命は百年にも満たないヒト種だった。


 女は大人だから、まだいいけどね……。子供って残酷じゃない?


 生まれたときから知っている相手が一瞬で老いて死んでいくのよ? 気持ちを寄せたら寄せるだけ辛くなるじゃない。お父様ったら、なんでそんな単純なことがわからなかったのかしら。


 私は当然受け入れられなかったわ。弟妹を欲しがっていたエイミールもがっかりしたみたい。使用人たちもエルフで固めていたから、シエルは一気に憐れみの対象になった。


 イスカ……その頃はまだ兄様と呼んでいたから、便宜上そう呼ばせてもらうけど、兄様は酷く荒れた。


 家族の中でただ一人お父様と似ていなかったのもあるでしょうけど……これ以上、弟妹にお父様の愛情を取られるのが嫌だったのよね。


 お母様が亡くなった傷がまだ癒えていなかったのも大きいと思うわ。お母様は、人一倍兄様のことを心配していたものね。気付いたらいつも目を細めて兄様を見ていたわ。まるで過去を懐かしむみたいに。


 私たちは六十歳離れた兄弟。忙しい両親に代わって、私たち双子を育ててくれたのは兄様だった。


 当時の兄様はお父様に似て不器用だったものの、誰かを見下すこともしなかったし、何事にも常に真面目に取り組んでいて、私たちにも優しかった。


 今でも覚えているわ。私たちが調子に乗って遠出をして帰れなくなったとき、真っ先に駆けつけてくれたのは兄様だった。


『こっ……この馬鹿っ! 馬鹿! 何かあったらどうするつもりだったんだ!』


 とても大人とは思えない貧相な語彙力だったけど、本当に心配したんだってことはひしひしと伝わってきたわ。痛いほど抱きしめてくる腕の中で、ああ、もう馬鹿なことしちゃダメよねって思ったものよ。すぐに忘れて同じことを繰り返したけどね。


 私たちが成長して強い力と豊富な知識を身につけていくに連れて、兄様はだんだん承認欲求を拗らせていった。そのうち、無理して傲慢に振る舞うようになって、周りからも徐々に距離を置かれ始めた。


 たぶん、私の真似をしていたのでしょうね。女と男では同じ振る舞いをしても嫌悪感の度合いが違うって、どうして気付かなかったのかしら。


 兄様から見たら、私たちは随分可愛がられているように見えたんでしょう。でも、違うのよ。いつだって、お父様が最初に呼ぶのは兄様の名前だったんだから。


 そのまま拗らせ続けて百年。シエルの誕生と同時に爆発したってわけ。お父様も悪いのよ。仕事にかまけて兄様をフォローしなかったんだから。


 ……まあ、そんな余裕もなかったのかもね。私たちの拒絶と、本人の強い思い込みのせいで、あの女がカミサマとお友達になっちゃったし。


 絶対に言ってやらないけど、シエルは本当に苦労したと思うわ。私たちに冷たくあしらわれても、あの女に見向きされなくても、叩いて強くなる雑草みたいに逞しく成長したんだもの。


 ちょっと泣き虫のきらいはあったけど許容範囲よね。だって、長命種の私たちから見れば、ヒト種なんてみんな子供だから。


 でも、屋敷を飛び出して森に逃げ込むのはいただけないわ。ただでさえ弱っちいのに放っておけないじゃない。兄様が私たちを迎えに来てくれたように、今度は私がシエルを迎えに行く係になった。


 一番泣かせていたのは私だったこともあるし、エイミールは興味のあることにしか動かないもの。それに……森に行けばあいつに会えたからね。


 ロイ・シュバルツ。あの女の弟の息子。闇に溶ける黒髪に満月みたいな金色の目が、とても野生味あふれていたわね。縦長の瞳孔はいかにも獣人めいていて直視できなかったけど、周りの貴族連中にはいないタイプの男だったわ。


 私の美貌を目の当たりにしても、一度たりとも歯の浮くセリフは吐かなかったし、むしろ無口で無愛想だった。どちらかといえばお父様や兄様に似てたわね。だからシエルも懐いたのかしら。従兄弟ってこともあるかもしれないけど。


 私が逃げたシエルを探している間も、ロイは我関せずといった様子で黙々と鍛冶に勤しんでたわ。あの日も……そう、泣き疲れて眠ったシエルが起きるのを、粗末な小屋の中で今か今かと待っていたときだった。


 ふと、金槌の音が止んだのに気付いて、ロイに目をやったの。そしたら、あの男、暑かったのか服を脱ぎ出したのよ。信じられる? すぐそばに女がいるのに、無頓着にも程があるわよ。


 まあ、インナーを脱がなければ大丈夫だと思ったのかもしれないけど……。汗で張り付いた薄い布地の下の筋肉がこれでもかと男を主張していて、思わず頭を抱えたわ。


 何? 誘惑してるの? って。


 その頃、私はすでに二百歳を超えていたから、それなりに経験はあった。だから、それとなく切り出したの。


「……あんた、女に興味はあるの?」


 ロイはきょとんとした顔で私を見た。

 

「さあ。持ったことがないからわからない」

「私と寝てみない?」

「やめとく」


 即座に切り返されて、顔が熱くなったのがわかったわ。生まれてこの方、こんなにムキになったことってあったかしら。


 私にもまだ子供みたいな情緒が残ってたんだって驚いたものよ。エルフって、長く生きれば生きるほど感情が鈍磨していくからね。


「この私が寝てやるって言ってんのよ。財産を全て投げ出してでも抱きたい男なんて山ほどいるのに。こんな森にいるんだから、女と接点ないでしょ。童貞捨てたくないの?」

「別に困ってない。将来、好きになる女のためにとっとく」

「あんたが好きになる女ってどんなのよ」


 ロイは長考すると、小首を傾げて答えた。


「……夜みたいな女かな」


 意味がわからないわ。優しく包み込んでくれる女ってこと? それとも傷ごと覆い隠してくれる女ってこと?


 なら無理ね。私、どちらかといえば昼みたいな女だから。百歩譲っても白夜よ。私の前では、誰もが全てを曝け出して平伏してしまうもの。


 本当にくだらない。


 一瞬でもヒト種なんかに期待した私が馬鹿だったわ。生きている時間が違うんだから、寝たところでその先があるはずもないもの。


 だから、これは恋なんて甘い感情じゃないのよ。ただ、欲求不満だっただけ。それだけよ。


 その後、シエルが笑顔の仮面を貼り付け出したのを機に、森に行くこともなくなったわ。気づけばシエルは一端の男になって、兄様をギャフンと言わせて、あの女が遺した領地を盛り立てて見せた。


 まあ、それに手を貸してやったのは私だけどね。有能なお姉様の有り難みを噛みしめるといいわ。


 お礼に人工魔石で儲けさせてもらわなきゃ。否とは言わせないわよ。これからもこき使ってやるんだからね。弟は姉の言うことを聞くもんじゃない?


 ……だから、少しでも長生きしてよね。


 

 ***


 

 兄様の遅すぎる反抗期がすっかり落ち着いた頃、私はシエルの結婚祝いを手にグランディールを訪れた。私が望んで来たんじゃないわよ。お父様が行けとうるさいからよ。


「あっ……。い、いらっしゃいませ。シエル……様を呼んできますね」

「無理しなくていいわよ。あんた、皇城で散々あの子を呼び捨てにしてたじゃないの」


 犬を追い払うように手を振ると、サーラとか言う女は慌てて駆けて行ったわ。シエルは食堂で息子と一緒にお昼ご飯を食べているそうよ。呑気ね。


 通された執務室は、初めて足を踏み入れたときよりも立派になっている気がした。まあ、ブリュンヒルデの足元にも及ばないけどね。


 時間潰しに、壁にかかった肖像画を眺める。そういえば、うちにはシエルの絵はなかったわね……。


 あらあら、三人仲良く並んでまるで親子みたい。それとも兄弟かしら? 絵はいいわね。こうして、一番いいときを閉じ込めておけるんだから。


「姉さん、来るなら事前に知らせてよ。びっくりするでしょ」

「あら、生意気ね。こんな辺境、先触れが届く前に着いちゃうわよ。こっちは皇城専用の魔物便を使ってるんだから」

「相変わらず言うねえ。最近は普通郵便でも大して時間かからないよ」


 よっこいしょ、と年寄りくさいセリフを吐いて、シエルがソファに座る。その腕の中では、シエルそっくりの子供が不思議そうに私を見上げていたわ。


「やあねえ。髪色は違うけどあんたそっくりじゃない。さぞかし口が達者な男に育つんでしょうね」

「かもね。僕がいなくなっても、僕の子孫がずっとここにいるよ。だから安心して遊びに来てよ」


 何それ。誰に何を吹き込まれたのか知らないけど、随分と殊勝な口を利くようになったじゃない。ついこの間までは、私に怯えてたくせにね。


 ヒト種ってすぐに変わるから嫌よ。そうやって、あんたたちはあっという間に私たちを置いていくんだわ。消えない傷を残して。

 

「……ふーん、まあ、頭の片隅にでも覚えておいてあげるわよ。長く生きるとすぐに脳の容量がいっぱいになるからね」


 苦笑するシエルにお祝いを渡し、一人執務室を出る。大勢の人間が行き交う廊下の片隅に、サーラと話すロイの姿を見つけたわ。


 相変わらずの黒髪に、満月色の瞳ね。でも、表情はだいぶ違うわ。無表情は無表情なんだけど……硬さがなくなった? まるで焼きなましをした鉄みたいにね。

 

 ああ、そう。その女が、あんたの言う夜みたいな女なのね。そういえば、帝都に迎えに来たときも待てなかったって叫んでたわね。この私を袖にしておいて、随分地味な女とくっついたじゃない?


 まあ、仕方ないわ。あんたに私はもったいないわよ。こんないい女を逃してお気の毒ね。


 高嶺の花って大変だわ。なかなか釣り合いが取れないんだもの。でも、いいの。私は千年生きるエルフ。あんた以上の男なんてゴロゴロ出てくるわ。


 次期皇帝として、私はいつか伴侶を選ぶわ。そして、大輪の花を咲かせるの。

歩く傍若無人も失恋するということで。エイシアは二百歳を超えているものの、ヒト種に換算するとまだ二十代の女性なのです。


次回はアルです!

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