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番外編⑥ 闇よりも深く(ネーベル)

性暴力の描写があります。

ご注意ください。

 夜毎響く喘ぎ声とベッドの軋み。それがワタシの子守唄でした。


 母親は娼婦。父親は名前も知らない客。頭の足りない母親が申告しなかったせいで、堕胎が間に合わなかった厄介もの。それがワタシです。


 母親はふくよかでしたし、誰からも気にかけられていませんでしたから、最後まで気づかれなかったんでしょうね。


 ワタシが産声を上げたとき、娼館は騒然となったそうです。女ならともかく、生まれたのは男。どう処分するかという話になりましたが、結局生かされることになりました。


 生かしておけば何かの役に立つかもしれないと、娼館の女主人の鶴の一言があったようです。真実はわかりません。もう全員殺してしまいましたから。


 こちらとしては、突然地獄に放り出されたようなものです。一般家庭の子供が得られる愛情や教育といった類のものは一切与えられませんでした。空腹を抱え、今にも壊れそうなベッドを見上げながら思ったものです。こいつら、今すぐ殺してやりたいと。


 自分に魔属性の適性があると気づいたのはいつ頃でしょうか。物心ついた頃には発現していた気がします。人生のどん詰まりのような、あの暗い部屋には、魔の魔素が充分に発生していたでしょうしね。


 あの部屋は人間の精神を苛むにはとっておきの環境でした。誰も彼もが醜悪で、淫雛で、辟易するほど不潔で……。背徳の全てが揃っている気がしましたね。


 ワタシが自立するきっかけになった日も、ベッドで客に背後から貫かれるワタシを見て、母親は笑っていました。そりゃそうですね。自分の身を損なわなくとも、金が入ってくるのですから。


 レーゲンに言わせると、ワタシは頭のネジが飛んでいるそうです。言い得て妙ですね。ワタシも同じことを思っていました。ワタシは何かが欠けている。人間として、重要なものが生まれつき備わっていないと。


 だから、母親を殺せたんでしょうかね。血塗れでベッドに横たわる姿を見て、初めて母親のことを綺麗だと思いましたよ。血は黒髪に映える――そんな詩的なことを考えたものです。


 その足で娼館中の人間を殺して回り、夜の闇に紛れて旅立つことにしました。追手を心配する必要はありません。誰が追ってきても殺せる自信がありましたし、冴えない田舎町でしたから、魔物の死体を用意しておけばそれで事足りました。


 人間は見たいものしか見えないもの。まさか六歳の子供が、大人たちを皆殺しにしたとは思わないでしょう。魔物に襲われたと結論づけるのが無難です。


 出生証明書を偽造するにあたり、ネーベル・トートという名も自分でつけました。母親の元に密かに通っていたエルネア教団の司祭によると、古い言葉で死の霧を意味するそうです。魔属性のワタシにぴったりですね。


 同時に、身元を怪しまれないように、シャドーピープルの訛りも身につけました。そうです。ワタシ、本当は訛りなんてないんですよ。


 だって、そうでしょう。集落に住んでいないのに、どうして訛るんです? 固有の習慣や文化なんてものは、誰かと過ごした経験のある奴しか得られないものですよ。


 幸いにも、ワタシには有り余る魔力がありましたから、子供一人でも充分に生き抜くことができました。シャドーピープルとして生まれたので、夜はワタシの味方でしたしね。


 人を操れる魔属性は、実に便利なものです。もちろんバレないように手加減しましたが、殺しも盗みもやりたい放題。ある程度成長してからは金をもらって女も抱いたし、生きるためにはなんでもやりましたね。気づけば、ワタシは裏社会で結構な有名人になっていました。


 そんなある日、帝都に程近い領地の闇ギルドから大きな仕事に誘われました。ある貴族の子供を誘拐して身代金を脅し取るというのです。近々、お忍びで訪れる予定があるからと。


 標的はどこの家門なのか、協力者は何人なのか。詳細を聞いてもはぐらかすところに怪しさを感じましたが、そのまま引き受けました。万が一何があっても全員殺せばいいだけですからね。


 そして、運命の時がやってきました。指示されるままにワタシが難なく誘拐した相手は、ツァルトハイト・レーゲン・フォン・ルクセン——この国の第二皇子だったのです。


「今すぐ離してくれ。例え日陰の身でも私は皇族だ。父上に喧嘩を売って勝てるわけがないとわかるだろう?」

「生意気な口を叩くお子様デスネ。心配しなくても金さえ手に入れば五体満足で帰してあげますヨ。だかラ、大人しくしていてくださイ」

「嘘だよ。お前の言うことは全部嘘だ。訛りだって演技だろ? 誘拐の目的も、金じゃなくて継承権を放棄させるためだ。私を捕まえた時点で、お前たちの計画は失敗してるんだよ」


 表面ではなんでもない様子を保っていましたが、内心は驚いていました。嘘を見破られたのは初めてです。それもまだ、思春期に突入したばかりの子供に。


 まあ、ワタシも大して変わらない……むしろ歳下でしたけど、父親の血を引いたのか早く成長しましたから、青年に見られることも多々ありました。まだ十歳だったんですけどね。おかしいですね。


 ひょっとしたら、十歳だと思っているだけで、実のところはもっと歳上かもしれません。娼館では歳を誤魔化すのが常でしたし、ワタシの誕生日なんて誰も正確に覚えていないでしょうから、何回か飛ばされている可能性があります。


 話を戻しましょう。


 ともあれ子供……レーゲンの言ったことは本当です。闇ギルドの連中は、とある公爵様の命令で皇太子であるヴァイスハイトを誘拐するつもりでした。目的が外れたから、ワタシに子守を押し付けて意味のない話し合いをしているというわけです。


 ああ、言っておきますが、ワタシに非はありませんよ。ワタシは指示された相手を連れてきただけですからね。


「図星か? 兄と間違ったんだろう? 父上が正しかったと証明されたな。これで余計に予備扱いだ。恨むぞ」


 ワタシを睨む紫色の目が、一瞬だけ昏い炎を宿しました。この炎には覚えがあります。母親に殴られた傷を確認しようと割れた鏡を覗き込んだとき、いつも見ていた炎だったからです。


 気づけば、ワタシは突拍子もないことを口にしていました。その後、何年も自分を縛り続ける言葉をです。


「生きて帰りたいデスカ?」

「当たり前だろう。誰が死にたいと思うんだ」

「思う奴もいますけどネ。……マア、それはさておキ、このままではアナタの望みは叶いませんヨ」


 レーゲンは溶けた鉄を飲み込んだような顔をしました。充分にわかっているようですね。素晴らしいことです。


「アナタも気づいているんでショウ? 見捨てられる可能性が高いト。だかラ、今すぐ離せと言っタ。他の強そうな奴らが集まってくる前ニ」

「……だったら、どうなんだ」

「ワタシは強いデスヨ。おそらくここにいる奴の中で一番デス」


 にっこりと音が出そうなくらい笑います。それだけで、レーゲンはワタシの意図に気付いたようでした。たっぷりと躊躇したあと、絞り出すように言葉を続けます。


「言い値でお前を雇う。お前の今までの悪事も不問に付す。だから、私を助けてくれ」


 ワタシに名前のヒントを与えてくれた司祭の言葉を借りるなら、差し詰め、異世界に存在するという悪魔との契約といったところでしょうか。


 悪魔って、シャドーピープルみたいに全身黒くて、魂を対価に人間を助けるみたいですよ。


 まあ、対価にするのは闇ギルドの連中の魂ですけどね。


「かしこまりましタ。ご主人様」


 そうして、ワタシは護衛の道を歩み出したのです。

 


 ***



「どうしました、ネーベルさん。こんなところでお昼寝なんて珍しいですね。疲れてるんですか?」


 兎の獣人特有の長い耳に赤いリボンを垂らして、ミミがワタシの顔を覗き込みます。人の間合いに入り込むなんて不用意すぎますね。近づかせたワタシの落ち度ですが。


 傾いた体を起こし、素早く周囲に気を配ります。彼女の言う通り、ベンチでうたた寝してしまったようです。だからでしょうか。懐かしい夢を見ました。レーゲンと出会った頃の夢を。


 あれから随分と経ったものです。皇族を救った功で第二皇子付きの護衛官になったワタシは、レーゲンと共に成長し、共にエルネア教団に入団しました。レーゲンは医者、ワタシは護衛兼諜報員として。


 レーゲンが黙って教団を飛び出したときは驚きましたが……。ワタシにもう人を殺させないように遠慮したんでしょうかね。まあ、今こうして共にいられるならそれでいいです。


「そうですネエ。あれだけ言っているのニ、不用意に人の間合いに近づく部下がいるからでショウカ」

「あっ、哨戒に行ってきます! また風邪引かないでくださいね!」


 ビシッと敬礼したミミが駆けていきます。本当に調子のいい……。まわりが甘やかすからですよ。

 

 みるみるうちに小さくなっていく背中の近くで、レーゲンが患者の年寄りたちと世間話をしているのが見えます。


 私が俺になり、お坊ちゃんが逞しい偉丈夫に至るまでいろんなことがありました。さっきの夢といい、こうして過去を振り返るなんて、いよいよワタシも歳だってことですかね。


 それにしても平和……。平和ですねえ。雲ひとつない青空の中に悠々と鳥が飛んでいますよ。戦場には血飛沫しか舞っていなかったのにね。


 ……何故でしょうか。無性に落ち着かない気分になったので、ベンチから立ち上がってぶらぶらと散歩することにしました。


 どいつもこいつも幸せそうですね。グランディールはどこもかしこも緩い空気に包まれている気がします。


 何かに追い立てられるように歩いているうちに、スライム牧場に辿り着きました。サーラが一人、すっかり立派になった柵に腕をかけて、スライムたちを眺めています。


 カミサマ(母親)と決別し、聖女の自分を受け入れてから、あの小娘は格段に強くなりました。最近では、ワタシがちょっかいを出しても軽くあしらいます。


 レーゲンも同じです。廃太子も、医者になるという夢も叶った今、もう危なっかしい護衛は必要ないってことですかね。


 特にあの小娘が黒髪の小僧と楽しそうにしている姿を見るとむしゃくしゃします。理由はよくわかりません。魔属性と相反する聖属性持ちだからかもしれません。


 ……泣かせたらどんな顔をするんでしょうか?


 周囲に誰もいないことを確認して、衝動的に小娘を草むらに押し倒しました。魔属性を浄化できないように、両手首を拘束して。


 スライムたちが一斉に戦闘体制に入りましたが、ワタシに敵うわけもありません。放った眠りの魔法であえなく沈黙しました。


 ミントグリーンのローブに包まれた柔らかそうな体。闇魔法を展開すれば、ここで致しても誰にも気付かれません。もし気付かれても、魔属性の魔法で記憶を消す手もあります。


 どう攻めようか頭の中で考えながら、ワタシは小娘の目を見つめました。


「ワタシを慰めてくれませんカ? 聖女サマ」


 小娘はじっとワタシを見上げて言いました。


「私が慰めても心の穴は埋まらないわよ。差し詰め、平和な日常に飽き飽きしてるんでしょ? それとも、燃え尽き症候群なの? 困った奴ね」

「……人でなしだと罵らないんデスカ?」

「そんな趣味あるの? やっぱり変態ね。いいじゃない、頭のネジが飛んだままでも。それも含めてあんたでしょ。何がダメなの?」


 実に生意気なことを言う小娘です。最初はあれだけ人に怯えていたくせにね。


 興を削がれて、小娘を引き起こします。手袋越しでも、小娘の体温が伝わってきました。


 火傷しそうなほどに熱い……。死者にはない、生きているものの熱です。どうしてでしょうね。小娘とは似ても似つかない姿なのに、一瞬だけ、母親のことを思い出しました。


 ワタシが殺したワタシのカミサマ。アナタは今頃、何をしてるんでしょうね。まだ男に抱かれてるんでしょうか。耳障りな子守唄を響かせて。


「ネーベル! お前、サーラにちょっかい出すなって何度も言ってんだろ!」


 レーゲンが全力で駆けてきます。その紫色の目には監視装置でもついているのでしょうか。全く困ったご主人様ですね。これでは、どちらが護衛なのかわかりません。


「オヤオヤ、バレてしまいましたカ。もう少しで聖女サマをものにできるところだったんデスけどネエ」

「最初からそんな気ないくせに。あんたのちょっかいってワンパターンなのよ。もっとアドリブをきかせたら?」

「これは手厳しイ。いっそのこト、喜劇王でも目指しまショウカ」


 道化のように戯けて、大仰な仕草でお辞儀をします。


 仕方ありませんね。平和な日常にも慣れる努力をしましょうか。少なくとも、今はまだここを離れる気はありませんし。


 ワタシはシャドーピープルのネーベル・トート。夜の闇よりも深く、アナタたちを見つめていますよ。

変態には変態なりのやるせない想いがあるのです。

大多数の人間は平和を望むものですが、そんな世界では生きにくい人間は必ずいます。


ネーベルは決して善人ではなく、どちらかと言えば大勢の人間を殺した悪人ですが、それでも迎える夜が優しいものであればいいと思います。


次回、エイシアから見た家族の思い出と、儚く終わった恋の話です。

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