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番外編⑤ 医者の矜持(レーゲン)

 お前はヴァイスハイトの予備だ。


 そう言い放った親父の顔は、もう覚えていない。俺たちが十六歳を迎えたと同時にあっさり病死しやがった。憔悴したお袋と、重すぎる責任を背負わされた兄貴と、最後まで認められなかった俺のやるせない怒りを残して。

 

 人ってのは儚いもんだよな。生まれたと思ったらすぐに死んでいく。例え長命なエルフやドワーフだって、その枷からは逃げられない。


 国にとって幸いだったのは、兄貴が後を継げる歳だったってことだ。とはいえ、若干十六歳がいきなり大帝国の頂点に立つには国内外の動揺が大きい。


 そのため、急遽、帝国議員を招集して、十分に実力がつくと思われる二十二歳を迎えるまでの暫定措置としてお袋を表舞台に立たせ、兄貴は周りのサポートの元、皇帝代理として実務をこなしていくことになった。俺の処遇は宙に浮いたまま。


 あのときのことは、今も棘として胸に刺さっている。周囲が葬儀や戴冠式やらで慌ただしく動き回る中、俺は兄貴に言った。もう俺は必要ないだろ。医療の道に進ませてくれと。


 日陰の身に過ぎないのに、俺は兄貴と同じ教育を受けさせられていた。とはいえ、ただの予備の俺に家庭教師たちが本気になるわけもない。授業そっちのけで、親父への報告用に作られた山のような課題を押し付けられる度に辟易したもんだ。


 そんな中で唯一興味を持ったのは、医療の分野だった。教師役が現役の医者だったってこともあるんだろうな。


 確か名前はドクトール……そうだ。アルマたちに紹介した医者の親父殿だよ。その家庭教師だけは、俺をきちんと生徒として扱ってくれて、医療の奥深さも、尊さも、罪も、闇も、余すことなく教えてくれた。


 体が大きくなっていくにつれ、いつしか医者になることが俺の夢になっていたんだ。だが、親父が生きているうちは許されなかった。お袋も親父には逆らえなかったしな。


 だから、ここぞとばかりに訴えた。ダメなら廃太子も辞さない覚悟で。人生でたった一度の我儘だ。バチはあたらねぇだろと思って。


 兄貴は渋々頷いたよ。弟を切り捨てる覚悟は、まだ持てなかったってことだな。


 皇帝代理としての兄貴の最初の仕事は、俺をエルネア教団に捩じ込むことだった。聖女様の後押しもあったのかもしれねぇが、見事希望は叶い、子供の頃からのお目付役だったネーベルを連れて、俺は教団に入った。


 兄貴の采配か、それともカミサマのお慈悲か、俺の教育係はゴルドってヒト種の男だった。戦士みたいな見た目に反して乙女みたいな趣味を持ち、何より面倒見がとてもよかった。


 教団の生活で必要なことは、全てゴルドに教えてもらったんじゃねぇのかな。


 毎日つきっきりで勉強を見てもらったおかげで、無事に医者の資格も取れたし、周りがカミサマを信望している奴らばかりという特殊な環境の中でもなんとかやっていけたのは、ひとえにゴルドのおかげだと思う。


 この口調もゴルドから影響を受けたもんだ。昔はもっと、お坊ちゃんみたいな話し方をしてたんだぜ。もう忘れちまったけどな。


 ともあれ、ゴルドが教団を離れたあとも、俺は一端の医者として働いていた。初めてやりがいってやつを感じたよ。このまま医療を極めていきてぇな。そう思っていたときだ。大規模な紛争が起きたのは。


 戦場はさながら地獄だった。視界を染める血飛沫、際限なく続く轟音、辺りに響く女子供の悲鳴、力尽きて次々と倒れていく同僚たち……。


 あんなもん、経験するもんじゃねぇぜ。今でも夢に見るんだ。仲間を守ろうとして、針山みたいになった男たちの姿を。酷い目に遭わされた女たちが、自ら命を絶つ姿を。四肢がちぎれた母親が、跡形も残らなかった我が子を探して泣き喚く姿を。


 圧倒的な暴力の前に医者は無力だ。権力を持たない奴もな。


 毎日積み上がっていく遺体に見かねた民間の医療団体が、俺たちに救援を申し出てくれたのに、教団のお偉いさん方は揃って跳ね除けやがった。医療は聖なるもの。女神様のご威光を信じぬものの手に、委ねることはできないと。


 ふざけんな。医療に汚いも綺麗もあるかよ。たとえ血に塗れても、患者を救うのが医者の仕事じゃねぇか。


 ついに辛抱できなくなった俺は、ネーベルの転送魔法で、最前線から離れた小綺麗な本部の中に突撃していった。血に染まった白衣のまま、手にメスを持って。


「いい加減にしろ、このクソジジイども! 今、一番に考えんのは患者の命だろうが!」


 俺は即座に拘束された。散々罵倒されて殴られた割に、命令違反で消されなかったのは、ネーベルが手を回したんだろうな。


 懲罰房から出された頃には、上司が何人か不慮の死を遂げていた。俺は医者でありながら、あいつの手を汚させてしまったんだ。


 その後のことは、正直あんまり記憶にない。俺の上げた声は虚しく潰され、成す術なく患者たちの命の火が消えていくのを眺めている間に、帝国議会が介入して紛争は終わった。数多くの痛みと悲しみを残して。


 紛争地から引き揚げるとき、俺はカミサマに中指を立てた。てめぇの慈悲には二度と縋らねぇ。必ず理想の医療を体現してやる。それまで首を洗って持ってろよ、と声高に吐き捨てて。


 それから二年。ルクセン中を放浪してラスタに抜けようかと考えていた矢先、グランディールを継いだばかりのご領主様に出会った。


 皇城で何度か見た覚えがあったが、驚いたよ。ただの泣き虫だと思っていたガキが、一端の男になっていたんだからな。


 ご領主様はもしもの時にグランディールを守る約束と引き換えに俺を匿ってくれ、立派な診療所も建ててくれた。


 長い医者人生の間でも最高に有意義な時間だったよ。自由な環境で、俺は存分に理想の医療を体現できた。一生、ここに居たいと思うぐらいに。


 そして、ついに約束を果たす時がやって来たんだ。


「数年ぶりに帝都に戻って来たと思ったら、人工魔石の特許? グランディールを特別領にしろ? ご自分の立場を放り出して逃げ出しておいて、今更皇弟の権力を振り翳そうとするとは、どういうおつもりですか?」


 ヒト種とエルフばかりの帝国議会の面々が、眉間に皺を寄せて俺を見る。どいつもこいつも出ていく前と変わらない。新陳代謝が悪いところは、この国の治すべき患部だと思う。


「いいか? この人工魔石が普及すれば世界が変わる。高価な医療魔機を誰でも使えるようになれば、今まで救えなかった患者だって救えるかもしれねぇんだ。賭けない理由はねぇだろ」

「有効活用するなら、領地ごとイスカ・ブリュンヒルデに渡した方がいいのでは? 今回の騒動を引き起こしたのはいただけませんが、それでもかの家の財力は圧倒的です。量産体制だって即座に整えられるでしょう。そうですよね、エイシア嬢」


 水を向けられたエイシアが微笑む。その美貌にやられた男どもにはわからねぇだろうが、早く話が終わらないかしらと思っていることは明白だった。俺が戻ったと同時に、兄貴が聖女様に話をつけて、父親も弟も回復していたしな。


 そう。すでに結論は出ているんだよ。これは議員たちの対面を保つために開かれた出来レースだ。とはいえ、ここでしくじればご領主様に面目が立たない。腹に力を入れる。

 

「ダメだ。開発者はシエル・グランディールの命令しか聞かない。開発者がいなければ、人工魔石の量産体制は数年単位で遅れちまうぞ。そうなれば、救えるかもしれない患者も救えなくなる。他国にも先を越されるかもしれねぇ。教団の死神どもは、そんなに頭数がいないからな」

「……さっきから、あなたは患者のことばかりですね。国益よりも、患者の命を優先すると?」

「そうだ。俺は医者だ。真っ先に患者に寄り添うのが俺の仕事で、医者としての矜持だ」


 わかっている。これは俺の我儘に過ぎないと。だが、退くわけにはいかない。無駄に長いテーブルに身を乗り出し、苦虫を噛み潰したような顔をした議員たちの顔を一人一人見渡す。


「あんたら、誰一人として医者の世話になったことはないのか? 戦場で血の味を噛みしめたものは? 医療が進めば、あのとき救えなかった患者や、家族や、同僚の命が救えるかもしれない。国にとって、人は財産だろ? 生き延びた人間は、生き続けるために経済を回し、新しい家族や文化を生む。そうやって、この国は千年続いてきたんじゃねぇか!」


 会議室に重苦しい沈黙が降りる。我ながら無茶苦茶な論理だが、一定数の人間の心は掴んだらしい。兄貴の「では、裁決をとる」という冷静な声にぱらぱらと手が上がり出し、やがて満場一致で可決して承認が下りた。


「兄貴、乾杯」

「ああ、乾杯」

 

 その夜、俺は兄貴の部屋でグランディールから持参したライス酒を飲んでいた。いわゆるサシ飲みってやつだ。


 成人する前に教団入りしたから、こうして兄貴と飲むのは初めてだな。なんだか変な気分だ。


 向こうもそう思っているのか、妙に神妙な顔で腕を組んでいる。冗談一つもこぼさない。昔はここまで真面目くさった男じゃなかった気がするけどな。重圧が人を変えるのかね。


「まずは承認が下りて何よりだ。過半数よりは、満場一致の方が聞こえがいいからな。だが、ほんの二年前まで荒れ果てていた領地が特別領か……。前代未聞だな」 

「これを機に、もっと風通しをよくしたらどうだ? あいつらにはすんなり通ったことにするよ。あんな演説をぶちかましたと知られたら恥ずかしいからな。エイシアが万事整えてたって言えば納得するだろ」

 

 持つべきものは有能な知り合いだ。嘯く俺をしばし黙って見つめ、兄貴がゆっくりと口を開いた。

 

「……戻る気はないのか」

「ない。俺はグランディールで理想の医療を見つけたんだ。今まで培った技術を、これから育てる医者たちに引き継ぎ、世界中に伝えていく。それが俺の新しい夢だ」

「お前にとって、理想の医療とは何だったんだ」


 空になったグラスをおき、背筋をまっすぐに伸ばす。何かを守りたいときは、堂々として胸を張るもんなんだぜ。ネーベルの受け売りだけどな。

 

「みんなが気軽に医者にかかれる環境だよ。例え苦しい状況に追い込まれても、生きることを諦めなくていい。そんな世界に俺はしたい」

「でかい口を叩く。昔からお前はそうだったよ。一体、誰に似たんだかな」

「兄貴だよ。だって俺たち双子だからな。そうだろ?」


 一瞬の間を置いて、兄貴が笑った。つられて俺も笑う。鏡に映したみたいに、俺とそっくりな笑顔だった。



 ***



「レーゲンさん! レーゲンさん、どこ?」


 泡を食った様子でサーラが病院に飛び込んでくる。ちょうど休憩時間だったんで、医局に屯っていた医者たちが一斉に目を丸くした。


 サーラがこんなに焦るなんて滅多にないことだ。肩で切り揃えた髪が荒い息に合わせて揺れるのを見ながら、医療鞄を引っ掴む。


「急患か? 場所はどこだ? 患者の容体は?」

「中庭! シロが産気づいちゃって」

「シロかよ。そういや、そろそろ出産日だったな」


 その場にいた部下に後を任せて、サーラと中庭に向かう。そこには、ロイの他にご領主様やミミが集まっていた。


 俺の顔を見たロイが不安そうな表情で、子どもが出てこないと言う。


 床に跪き、生命力を流してシロの容体を確認する。一番産道に近い赤ん坊が逆子だとわかった。


 定期健診じゃ正常だったから、直前に逆子になったんだな。普通は逆だからレアケースだ。ケルベロスは多産。このままじゃ、母体だけじゃなく、他の赤ん坊も危険だ。


「帝王切開するしかねぇな。ここで手術する」

「えっ、ここで?」


 サーラが驚きの声を上げる。まあ、異世界人にとっちゃ常識外れでもこの世界じゃよくあることだ。そもそも、戦場じゃそんなこと言ってらんねぇしな。

 

「ご領主様とロイはバイ菌が入らないように、小屋中を消毒してくれ。ミミはポチを連れて外に出てろ。他の奴らが来ても絶対に入れるんじゃねぇぞ。サーラは風魔法で幕を張れ。土埃とかが入ってこねぇように」

「わかった!」


 めいめいが自分のやるべきことのために動き始める。もちろん俺も。


 ロイだけを残した小屋の中で、シロに眠りの魔法と痛覚遮断の魔法をかける。こういうとき、生命魔法の使い手でよかったと思うぜ。


「よしよし、すぐに助けてやるからな。赤ん坊に会えるのを楽しみにしてろよ」


 魔石灯の明かりに反射するメスを握る。そして俺は、今日も一つの命を掬い上げることができた。


「ありがとう、レーゲン。シロを助けてくれて」

「礼を言われることじゃねぇよ。これが俺の仕事だからな。生命魔法で傷は塞いだが、体力は相当消耗してるはずだ。しばらくじっとさせとけよ」


 ご領主様が血に染まった白衣を水魔法で洗い流してくれるのを眺めながら答える。小屋の中ではミミとサーラが目覚めたシロを労っていた。


 白衣が完全に真っ白になったのを機に、ロイが小屋の中に駆けていく。サーラに乾燥を頼むつもりなんだろう。


 あいつらも随分距離が縮まったよな。ようやく一線を越えられたようでよかったぜ。医者としては、患者の悩みは極力減らしたい。医者は体だけを治すにあらずって家庭教師も言っていたしな。


「すみません。お忙しいのにお呼び立てしちゃって。魔物の診察は専門外だとわかってるんですけど、心配でつい」


 ご領主様が頭を下げる。公爵になったのに謙虚なことだ。地位と権力に目が眩んで身を持ち崩す奴が多い中、ご領主様は立派にやっている。このご領主様がいる限り、グランディールも安泰だな。


 ああ、いい気分だ。俺は今日も医者をやれている。サーラが起こす風に髪を遊ばせながら、自然と笑みがこぼれる。

 

「患者に人も魔物も関係ねぇよ。これからも、困ったことがあればなんでも言えよ。俺はグランディールのお医者様だからな!」

医者であり続けること、がレーゲンの矜持です。

紛争で手を汚させてしまったので、ネーベルに黙って出て行ったんですね。医療以外のことには不器用なおじさんです。


次回、変態の胸の内をお目見えします。

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