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番外編③ 青く燃ゆる恋(シェーラ)

今回、ちょっと長めです。

「わたくしと結婚してくださいませ!」


 そう叫んだわたくしに、シエル様は笑みを崩しませんでした。まるで何も聞こえなかったみたいに、目を細めてわたくしを見ています。さっきまで際限なく言葉を紡ぎ出していた唇は、いくら待っても微動だにしません。


 焦れてもう一度言おうとしたわたくしを、シエル様は制止いたしました。ペンだこだらけの右手を軽く掲げて。


「聞こえてるよ。繰り返すってことは、聞き間違いじゃないんだね。ほぼ初対面で言うセリフじゃないと思うけど。そもそも君、これから僕の下で働く立場だよ? 今からでも契約破棄しようか?」

「お、おやめくださいませ! つい気が急いてしまって……。順を追って話します!」


 先ほど締結したばかりの雇用契約書に手をかけたシエル様を必死に押し留め、わたくしは自分の立場と使命を切々と語りました。


 わたくしはリッカの第三公女であること。コリンナという名前は侍女のもので、魔法学校入学時から入れ替わっていること。将来、お父様から受け継ぐアマルディを独立させるために、ルクセン側の配偶者が必要なこと。全てを包み隠さず。


 シエル様は最後まで黙っていましたが、始終わたくしの真意を探ろうとしていることはわかりました。きっと、頭の中で計算もしていたのでしょうね。わたくしの話に乗った方が益があるかを。


「事情はわかったけどさ。君は承知してるの? 家のためにロクに知らない相手と結婚するってことを」


 それはもちろん。貴族の結婚に私情は不要だと家庭教師に教わりました。わたくしが物心着く前に亡くなったお母様もそう望んでいるはずですわ。


 小さく頷くと、シエル様は逡巡するそぶりを見せたあと、「そう」と仰いました。そして、不意にわたくしの体を引き寄せると、口付けしようとなさったのです。


「何をなさるの!」


 レーゲン様のときと同じです。執務室に頬を打つ音が響き渡りました。はっと我に返ったときには、あとの祭り。シエル様の頬は赤く腫れ上がり、唇には血が滲んでおりました。


 そのときの気持ちをなんと例えればいいのでしょう。やってしまった? いいえ、それよりももっと恐ろしい……眠れるドラゴンを起こしてしまったような心地がいたしました。


 グランディールは辺境とはいえルクセン帝国の一角を担う領地。これをきっかけに、戦争なんて起きては目も当てられません。咎めを覚悟して身を震わせるわたくしに、シエル様は仰いました。


「ほらね。何が結婚だよ。口付けすらできない相手と、どうやって子供を作るの? 結婚の先に何があるかは君もわかってるよね? もう少しで成人なんだからさ」


 シエル様はわたくしの虚勢を見透かしていたのです。初めて会ったときから、シエル様は聡明なお方でした。この方がいなければ、きっとサーラ様も危険を犯してまでクラーケンを倒そうとはされなかったでしょう。


 お父様と同じ金髪、お父様と違う緑の目。エルフの血を引く花のかんばせですが、シエル様には他の方にはない凄みがありました。まるで深淵を覗き込んだような昏い目に、釘付けになったことを覚えています。


 言葉一つ返せないわたくしに、シエル様は続けて仰いました。家のために犠牲になることはない。聞かなかったことにするから、好きになれる相手を見つけなよ、と。


「ですが、わたくしは……」

「頑固だね。歳上の言うことは聞くもんだよ。特に貴族社会ではね。ラスタではそうじゃないのかな?」


 揶揄する口調に、思わずムッとしたのが自分でもわかりました。たった二歳しか変わらない方に言われたくありませんし、わたくしは礼儀知らずではありません。


 どう反論しようか言葉を探していると、わたくしの気持ちを察したシエル様が含み笑いを漏らしました。それはまるで、困った生徒を嗜める教師のようでもありました。


「じゃあ、こうしようか。こちらとしても貴重な事務員と光属性の魔法使いを手放すのは惜しい。グランディールで過ごす間に僕の気が変わって、君が覚悟を決めたら君の勝ちだ。そのときは大人しく君の伴侶になるよ」


 それって……。好きにさせてみろって仰っているのですわよね? なんて傲慢な人なのかしら。


 けれど、わたくしに選択肢はありません。聖属性の研究がしたいのも、ご恩をお返ししたいのも本当ですけれど、伴侶に選ぶには、年齢的にも地理的にもシエル様が一番ですもの。


 将来の夫をこの目で見極めたい気持ちもございましたし……。その日から、グランディールに通い詰める日々が始まったのですわ。


「コリンナ、この資料を元に今季の収穫量の予想を立てて。生産者からの所感はもらってるから」

「承知いたしました。領民の方々の陳情を種類別にいたしましたからご覧くださいな。僭越ながら、優先順位もつけております」

「助かるよ。一人で対応するのも限界があるからね。申し訳ないけど、優先順位が低いものについては、代理の人に頼むかな」

「そう仰ると思って、交渉事に向く方を一覧表にしておきましたわ。お眼鏡にかないましたらそのまま従業員になさってもよろしいのではなくて。この領地には圧倒的に人員が足りませんわよ」

「だよねえ。こんな辺境には滅多に事務員が来ないんだよ。苦労かけてごめんね」


 言葉を交わす合間にも、次々と書類の山が消えていきます。もちろん、わたくしの努力の成果もありますけれど、シエル様とのお仕事はとてもやりやすいのですわ。クラスメイトの方々ではこうはいきません。


 ……どうしましょう。このまま、いくらでもお仕事をこなせそうですわ。お父様からも、侍女のコリンナからも、くれぐれも無理はするなと釘を刺されていますのに。


 そう思ったとき、執務室にノックの音が響きました。心なしか顔を輝かせたロイ様がドアを開けますと、そこにはティーセットを持った女性が立っておりました。


「二人とも、ちょっと休憩しない?」


 夜に溶ける黒髪に、黒曜石のような瞳。シエル様の護衛のサーラ・ロステム様です。おどおどとした態度と泳ぐ視線で、わたくしが苦手だとひしひしと感じるものの、口には出さずにとても優しくしてくださいます。


「ありがとう、サーラ。ちょうど喉が乾いたと思ってたんだ」


 嘘ですわ。さっきまで、お茶を飲んでいる暇があれば手を動かすよねって仰っていましたもの。それをご存知なはずのロイ様も、嬉しそうにサーラ様を迎え入れます。


 彼女がシエル様のお母様に似ていることも、シエル様の家庭教師のお弟子さんだということも、すでに調べはついておりました。


 サーラ様はとても不思議な方。誰よりも強い聖属性の力を持ち、奇抜なアイデアをいくつもお持ちなのに、ちっともひけらかさずに、日陰の身でいることを選ぶのです。


 その謙虚さから、まさか聖女様なのかしら、なんて思ったものですわ。結果としてその通りでしたけれど、この頃は存じておりませんでしたので、ただただ感服するばかりでした。


「じゃあ、お茶置いとくわね。あんまり無理しちゃダメよ」


 わたくしがいるからでしょう。サーラ様はそそくさと部屋を退出されました。その後をロイ様が追いかけます。あなた、シエル様の護衛ではなくて?


 彼を咎めることなく、廊下で話す二人をにこにこと見つめるシエル様に苛立ちを覚えます。いけないと思いつつも、つい言葉も尖ってしまいます。


「……シエル様はサーラ様がお好きですのね」

「え? そりゃそうだよ。大事な従業員だもん。僕の命を守ってくれているわけだしさ。それに、色々と助けてもらっているしね」

「本当にそれだけですか?」

「何? ひょっとして、異性として好きだと思ってる? 僕、サーラよりも八歳も下なんだよ? 相手にされるわけないって。それに僕、ロイを敵に回したくないからね」


 納得のいかない様子のわたくしに、シエル様は目を細めました。それは、わたくしが結婚を持ちかけたときと同じ笑顔でありました。……嘘の仮面を貼り付けたお顔です。

 

 ロイ様がサーラ様をお好きなことは、グランディールの領民全てがご存知でしょう。おそらくご存知ないのは当のサーラ様ぐらいです。


 ……でも、ねえ、シエル様。気づいていらっしゃらないようですけれど、サーラ様を見つめるあなたの目、お母様を見る目でも、従業員を見る目でもありませんわよ。


 わたくしにはわかります。だって、あなたを想いながら鏡を覗いたわたくしと同じ目をしているのですもの。


 グランディールで過ごすうちに、シエル様はわたくしの理想の領主像の方だと気づきました。常に冷静で、誰よりも領地と領民を思っておられて、苦労を厭わず目の前の仕事を黙々とされる。そう、わたくし、すんなりと恋に落ちてしまったのですわ。


 ……だからこそ、苦しいのです。シエル様の目がサーラ様に向いていることが。わたくしのせいで、シエル様にさらなる重荷を背負わせることが。


 わたくしったら、ダメな女ですわ。多少、猶予はいただけるかもしれませんが、約束の期限は魔法学校を卒業するまで。このままずっとここにいたいなんて、淡い夢を抱いてしまいました。


 ですが、世の中何があるかわかりませんわね。比較的すぐに転機は訪れました。ブラウ村でパールを凍らせてしまった事故をきっかけに、サーラ様が人工魔石の開発に着手されたのです。


 開発が成功すれば、グランディールの名は一躍有名になるでしょう。そうなれば、独立したアマルディと縁を結ぶ益もありませんし、有能な事務員も増えるに違いありません。近いうちにわたくしは必要なくなる。そう思いましたの。


 同時に、歴史が変わる瞬間を目にして、とても興奮したのを覚えておりますわ。


 不躾に部屋を訪れたわたくしをサーラ様は追い返しませんでした。それどころか、その頃にはわたくしにだいぶ慣れてくださったようで、とても素敵な言葉をかけてくださいましたわ。

 

 ……サーラ様。あなたはわたくしを恵まれた立派な人間だと思われているようですけれど、違うのですよ。わたくしも醜い心を持っているのです。だって、こんなにもあなたを羨ましいと思うのですもの。


 あなたは大人の女性で、人工魔石の開発者。ただの小娘に過ぎないわたくしは白旗を揚げるしかありません。そろそろシエル様を諦めなければいけませんわ、と思いながら空を見上げます。アイスブルー色の月が、夜道を歩くわたくしたちを見下ろしておりました。


 思わず「綺麗……」とこぼしたわたくしに、シエル様は「そうかな」と返しました。なんて気のないお言葉……。従業員寮まで送ってくださるのも、やっぱり気遣いからなのですわね。がっかりしたわたくしの心など知らず、シエル様は続けました。


「僕は太陽の方が綺麗だと思うけどね」


 その目は、まっすぐにわたくしを見ておりました。


 それは……期待してもよろしいのでしょうか。それとも、お世辞でしょうか。悶々としている間に年が明け、シエル様は我がアマルディの新年パーティーにお越しになりました。


 シエル様の瞳の色に合わせたドレスを選んだと気づいておられたのでしょうか。シエル様はわたくしを森の女神様と仰ってくださいました。それどころか、怪我をしたわたくしを始終守ろうとしてくださいましたわ。


 そんなことをされたら、わたくし……諦められなくなってしまいますわよ。


 シエル様のお心を確認する勇気も持てず、領地を背負う覚悟も決められないまま、時はあっという間に過ぎ行き、グランディールに不穏な風が吹き始めました。


 実のお兄様に領地を取り上げられそうになるなんて、なんてひどい……。それも、わたくしの論文のせいなんて、とても耐えられません。


 ええ、わたくし、覚悟を決めました。シエル様とグランディールを守るためなら、どんな困難にも立ち向かえる気になったのですわ。


 そして、ついに運命のときが訪れたのです。


「シェーラ嬢と結婚させてください」

「今更? 新年パーティーのとき、君、のらりくらりと躱してたよね。領地が危なくなったからって、僕の娘を利用しようとするのは甘いんじゃないのかなあ」


 頭を下げるシエル様にお父様がせせら笑います。実の娘が言うのもどうかと思いますけれど、とても悪いお顔をされておりますわ。


 シエル様は負けませんでした。堂々と顔を上げて、まっすぐにお父様の目を見つめ、こう言い放ったのです。


「僕を婿にした方が得ですよ。人工魔石の特許の名義人は、ルクセン側の方が多いですからね」


 わたくしが名義人になったことは、さきほどお話しいたしました。世界を変える発明に関わっている事柄をずっと黙っていたわたくしに、目で無言の怒りを表しておられましたが、そこは男親。わたくしが潤んだ目で見つめるとため息をつきました。


「全く……。その目、母さんにそっくりだよ。こうと決めたら絶対に退かない目だ。……本当にいいんだね?」


 わたくしは黙って頷きました。もう言葉は入りません。自然と絡めたわたくしたちの手は固く結ばれておりました。


 こうして、わたくしはシエル様の妻になったのです。



 ***



 夜の帳が下りる頃に、シエル様はシエラ・シエルに戻られます。わたくしと結婚しても、シエル様にはグランディールを治める責務と権利がございますからね。


 日の昇るうちはお顔を拝見できないのは寂しいですけれど、わたくしもまたシエラ・シエルで仕事に忙殺されておりますので、一日があっという間に過ぎていきます。


 それに、シエル様が不在中の心の穴はおチビちゃんたちが埋めてくださいますもの。


 長男のシェーンはシエル様似、次男のシーリスはわたくし似です。二人とも髪色はわたくしと同じですが、シエル様は安心しておられました。……エルフと間違われずに済むからだと思います。


「はあ、今日もよく働いたなあ……」

「お疲れ様ですわ。わたくしが言うのもなんですけれど、無理はなさらないでくださいましね」


 家族で食事を摂り、おチビちゃんたちを寝かしつけたあと、誰もいない食堂で晩酌をするのがわたくしたちの日課となっておりました。


 お仕事のお話から日常のお話まで、話題は尽きません。興に乗り過ぎて睡眠時間を削ることもしばしばございました。

  

「明日はお休みをいただいたのですわよね?」

「うん。人が増えて、僕がいなくても回るようになってきたからね。明日は家族サービスするよ」

「まあ、家族は従業員ではありませんのよ。何もなさらなくても、おチビちゃんたちはお父様が大好きですわ」

「君は?」


 空になったグラスを置き、シエル様がわたくしを見つめます。まっすぐに、わたくしの心を捕らえるように。


「僕が好き?」


 当然ですわ、と答えるわたくしに、シエル様は「そう」と返しました。わたくしたちがまだ雇用主と従業員だった頃、共に夜空を見上げたときと同じ、気のない言葉に聞こえますが……その奥に潜む熱情がありありとわかりました。あとに続く言葉も。


「そろそろ、女の子も欲しくない?」

「欲しいのは女の子ですか? なら、養子という手もありますわよ。狙っては産めませんからね」


 すげなく打ち返すわたくしに、エメラルド色の瞳が満月みたいに丸くなりました。まあ、今にもこぼれ落ちそう。こんなお顔を拝見するのは久々です。


 しばしの沈黙のあと、シエル様は呻くように仰いました。


「……君が欲しい」

「よくできました。今夜はわたくしが一枚上手ですわね」

「これから逆転するよ」


 ムキになった様子で、シエル様がわたくしの手を引いて立ち上がりました。まあ、気のお早いこと。


 半ば寝室へ引き摺るようにわたくしを連れて行く手の熱さと、金髪から覗く赤くなった耳が、シエル様の心についた火の強さを物語っているようです。


 でもね、ご存知かしら? 火は青い方が温度が高いのですわ。わたくしの心はシエル様と出会った頃から、青く燃えているのですよ。


 ……ですが、シエル様もまた、わたくしと同じ頃に青い炎を宿していたと知ったのは空が白み始めた頃でした。


「気づかなかった? 僕、クラーケンに立ち向かったときから、君のことをいいなと思ってたよ。僕にはない凛々しさと、素直に人に頼る強さを持っていてさ。アマルディと縁を結びたいとも思っていたし、本当は初手からオッケーだったんだよね」

「もっと早く言ってくださいませ!」


 なんと秘密主義な旦那様でしょう。サーラ様の気持ちがよくわかりましたわ。


 ……サーラ様に向けていた感情も本物なのでしょうけど、今、こうして隣にいるのはわたくしですもの。それだけで、わたくしは満足ですわ。


「愛してるよ、シェーラ」

「わたくしもです、シエル様」


 甘やかな笑い声が、消えることなく寝室に響き渡ります。


 わたくしたちの青い炎は、きっと生涯消えることはありませんわね。

シェーラはシエルがサーラへ向ける気持ちを恋と解釈しましたが、実際には憧憬が強いです。シェーラもまた、聖属性持ちのサーラに憧れを抱いていたので、実はこの二人は同志なのです。


次回はミミ。作中では明るい彼女の葛藤と努力をご覧いただければと思います。

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