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番外編② かさぶたを剥がすとき(ロイ)

 傷跡を消したいと言ったら、レーゲンは神妙な顔をした。


「傷跡って……。あの傷跡か?」


 レーゲンは産業医だから、俺の身体に刻まれた傷も知っている。母親につけられた醜い傷。憎まれていたことの証明。


 健康診断で初めて見せたとき、レーゲンは顔色ひとつ変えなかった。シエルやサーラみたいな優しい目で、ただ一言、「よく頑張ったな」って言ったんだ。だからかもな。こうして柄でもない相談に来たのは。


「俺の傷、腹から下の方が酷いだろ。だから」


 煮えた湯を浴びせられたせいで、俺の腰から太ももにかけての皮膚はケロイド状になっている。初めて温泉に入ったときは下着で隠していた部分だ。


 だから、サーラはまだこの傷については知らない。特別な関係になってもなお、俺たちは清い関係だった。


 別に純情ぶっているわけじゃない。俺だっていい歳をした男だ。好きな女と触れ合いたいと常に思っている。けれど、どうしても先に進む勇気が持てなかった。


 女と寝た経験がないことを差し引いても、俺は自分の体に負い目を感じていた。こんなものを見せたら、さすがのサーラも気持ち悪いと思うんじゃないかって。


 そんな言葉を込めた『だから』だったんだが、レーゲンは眉間の皺をさらに深くして唸った。

 

「だからじゃねぇよ。省略しねぇで説明しろ。ゆっくりでいいから」


 俺はシエルみたいに流暢に話せない。我ながら辿々しい言葉で説明する。


 グランディールに来るまでに出会った奴らなら「もういい」と白旗を揚げる場面でも、レーゲンは遮ったりしなかった。それどころか、俺の拙い説明でもわかってくれたみたいだった。


「……あんたら、くっついて結構経ってるよな? まさか、まだ……?」


 こくりと頷く。レーゲンは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をした。


「男と女の仲にとやかく言うつもりはねぇが、ガキのおままごとじゃねぇんだぞ。そもそもあんた、もう我慢しないって言ってたじゃねぇか」


 サーラを帝都から連れ戻した日のことだ。そうだ。確かにそう言った。俺の想いを受け入れてくれたサーラを抱き上げて、その場をくるくると回りながら。


 あのときの俺にはわからなかったんだ。手に入れたものが大切であればあるほど、失うのが怖くなるってことを。

 

 黙ったままの俺に、目の前のお医者様はガリガリと頭を掻いた。そして、俺の目をまっすぐに見据え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。患者に接するように優しく、丁寧に。


「傷跡の皮膚を剥いで、治療魔法で治す力技はある。だが、医者としても、あんたの仲間としてもやりたくない。サーラだって、あんたにそこまでしてもらいたくねぇと思うぞ。さっき俺に言ったことを、そのまま話してみろよ」


 予想通りの回答。がっかりはしなかった。まあ、そうだな、と冷静に受け止めていた。


 たぶん、十人に相談したら九人から同じ答えが来るだろう。唯一、あの変態(ネーべル)だけは、『ナラ、ワタシが代わりにいただきますヨ』とふざけたことを言いそうだが。


 ……でも、どうするかな。レーゲンに話すのと、サーラに話すのとではわけが違う。嫌われたくないっていうのもあるが、サーラも俺と同じタイプだから、上手く伝わらない気がする。


 そもそも、こんなことをうじうじ悩んでいる男ってどうなんだ。領民の女たちも、マーピープルの女将衆も、『男は度胸と甲斐性だよ!』って言ってたし……。


 悶々と考えていると、ため息が一つ聞こえた。何故かレーゲンが脱いだ白衣を椅子の背にかけていた。


「これで俺はただのおっさんだ。ここから先は、俺の独り言として聞け。医者には守秘義務があるからな」


 よくわからないが、黙って頷く。続いた言葉に、俺は息を飲むことしかできなかった。


「だいぶ前だけどな。サーラも俺んとこに来たぞ。あんたとの関係がなかなか先に進まないのは、子供ができるのが怖いからじゃないかって」

 

 いつの間にか、握りしめた手のひらに汗を掻いていた。そうだ。俺は子供を望んでいない。俺が求める行為は、常にその危険を孕むもの。二の足を踏んでいたのは、無意識に恐れていたからなのか?


「……サーラはなんて言ってた?」

「俺に言わすなよ。それは本人に聞け。上手く話せねぇってことと、相手を軽んじることは同義じゃねぇぞ」


 ぐうの音も出ない。レーゲンの言う通りだ。俺は認めなきゃならない。自分の弱さと甘えを。


 ……でないと、守りたいものも守れなくなってしまう。シエルの護衛として、サーラの前衛として、俺は常に前を向いてなきゃならないんだ。

 

「俺は子供を持つのが怖い。この傷を見せて、そうサーラと話す。……もし、二人とも同じ気持ちだったらどうすればいい?」

「あんたらが望むなら避妊薬も処方できるし、もしものときは生命魔法だってある。サーラにもそう伝えてある。知識はあっても、完全には理解してなかったんだろうな。元の世界と変わらねぇ手段があって、少し安心したみたいだぜ。こんなこと相談する日が来るなんて……とか、ぶつぶつ言ってたけどな」


 サーラは異世界から来た聖女だ。元の世界はここよりも発展した世界だったらしいから、余計に不安だったんだろう。相変わらず黙ったままの俺にレーゲンは微笑んだ。俺を安心させるように。

 

「悩んでんのはあんただけじゃねぇよ。性に関わることは、どうしたって女の方が負担が大きい。サーラも考えてんだよ。あんたと長く付き合っていく方法をさ」

「……そうか」

「そうだよ。男と女ってのは、ハナからわかり合えねぇ生き物だ。それでも、一緒に歩いて行きてぇなら、お互いの歩幅を合わせる努力をしねぇとな。恋愛初心者はこれだから世話が焼けるぜ」


 訳知り顔でレーゲンがウインクする。そう言うあんたも、浮いた噂は聞こえてこないけどな……。まあ、いいか。きっと俺の知らないところで色々とあったんだろ。


 それよりも、今は少しでも早くサーラと話したい。椅子から立ち上がり、レーゲンに頭を下げる。


「ありがとう。仕事の邪魔して悪かった」

「馬鹿。これも仕事だよ。俺はグランディールのお医者様だからな。何かあったらいつでも言えよ」


 いつの間にか白衣を着たレーゲンが、片手を振る。そのとき、俺はレーゲンが領民たちから先生と呼ばれて慕われている理由がわかった。


 そこにいたのは、ただのおっさんでも元皇弟でもなく、数多くの患者を救ってきた『お医者様』だった。



 ***


 

 風呂上がりの熱を残したまま、サーラの部屋をノックする。昔とは違って、豪華で大きなドアだ。


 領主代理の仕事を押し付けられてから、シエルの私室は俺が、シエルの嫁が入る予定だった部屋はサーラが使っている。全力で断ったが、『使わないと傷んじゃうでしょ』と押し切られた。俺たちが口でシエルに勝てるわけがない。


 二人の部屋を仕切る壁には、お互いの部屋を繋ぐドアがある。誰にも知られず、行き来できるように。……つまり、そういうことだ。


「どうしたの、ロイ。真剣な顔をして」


 サーラも入浴を済ませたところだったみたいだ。肩で切り揃えた黒髪がまだ湿っている。


 聖女の自分を受け入れてからというもの、また聖属性の魔力が強くなったようで、濃厚に香る白檀の匂いに酔いそうになる。まるで花に誘われる虫みたいに。


「見てほしいものがある」

「いいわよ。もしかして、またシロが子供産んだ?」


 もし、そうだとしてもこんな時間に連れてこないだろう。ずれた返答に笑みを噛み殺しながら、部屋の中に入る。


 躊躇なく鍵をかけるのは俺を信用してる証なのか。それとも、先に進む可能性を予感しているのか。……両方ならいいな。


「見せたいものって何?」

「これだ。嫌ならすぐに出ていくから言ってくれ」


 寝巻きのズボンに指を掛け、少しだけ下にずらす。大事なところは隠れているものの、はたから見れば露出狂の変態としか思えない行為に、サーラが慌てて声を上げる。


「ちょっ……! 突然、何やって……」


 俺の腰のケロイドに気づいたらしい。黒曜石みたいな目を見開いて絶句した。今、何を考えてるんだろうな。小さく震える唇は、いつもより色を失っていた。


「これを見せるのが怖かった」


 それだけでわかってくれたみたいだ。長い沈黙のあと、サーラは「……そっか」と呟いた。


「俺は今も母親が怖い。子供も。触れるのはシエルの子供ぐらいだ。幸せにできる自信もない。だから……俺は子供を持つ資格がないと思ってる」


 ズボンを戻してまっすぐに目を見つめると、サーラは深い深いため息をついた。呆れているんじゃなく、安心した……そんな感じに思えた。


「私もよ。アルマさんとシェーラ以外の妊婦さんは相変わらず苦手だし、自分が子供を持つなんて想像もできないわ。……パールを除いてね」


 サーラの胸元には常に小さな袋が下がっている。中には寿命を全うしたパールの魔石が入っている。スライムの常識を覆し、一度復活を果たしたパールだが、二度目の奇跡は起こらなかった。


 次に分裂した個体は、パールの魔石を取り込めなかったんだ。どうも分裂を繰り返すたびに、少しずつ親とは違う個体になっていくみたいだった。……人間とスライムとは寿命が違う。サーラも覚悟していたとはいえ、しばらく飯も食えないぐらいに落ち込んでいた。


 胸元のパールに目を落としたサーラが、ぽつぽつと語り始める。


「私、実はレーゲンさんに相談してたの。ロイも子供を持つのが怖いんじゃないかって。でも……もし違ったらって思うと言えなかったの。子供が欲しいって言われても、私、とても叶えてあげられそうにないから」

「俺も怖かった。この傷を見せたら嫌われるんじゃないかって。それに、子供が欲しくないのに先に進みたいなんて、軽蔑される気がして」

「まあねえ。非生産な行為よね。でも、軽蔑なんてしないわよ。私も同じ気持ちだもの」


 ふふ、と笑い合う。俺たちはきっと世間ではダメ人間の類だろう。でも、ここなら……サーラの隣なら俺は生きていける。そんな場所をシエルが作ってくれた。


「っ!」


 不意にサーラが俺の腰に触る。そのまま労るように撫でられ、ゾワゾワした感覚が背中を走り抜ける。完全に油断していたので、思わず声を上げそうになって必死に我慢した。


「痛かった……?」

「もう忘れた。でも、今は違う意味で痛い」

「違う意味……って、きゃっ」


 サーラの体を抱き寄せる。白檀の香りがさらに強くなる。むせ返るような甘い香り。どうしようもない熱に突き動かされて、俺と同じ黒髪から覗く耳にそっと囁く。


「……先に進んでいいか?」


 たっぷりと黙ったあと、顔を真っ赤にしたサーラが上目遣いに俺を見た。

 

「もう我慢しないんでしょ?」


 サーラを横抱きに抱き上げ、闇魔法で仕切りのドアをこじ開けたあと、俺の部屋に入る。


 醜く盛り上がった俺の傷。


 思い切って剥がした瘡蓋の下には、新しい皮膚ができていた。

悩めるロイでした。


パールが切ないことになっていますが、スライムは元々寿命が短いので、相当頑張ったと思います。パールの分裂体の子孫は、今もスライム牧場で元気に跳ね回っています。


次回はシェーラの恋模様です。

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