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最終話 グランディールの風になって(どこまでも吹き続ける)

「ありがとう、助かったよ」

「グランディール公はお得意様ですからね。今後もワーグナー商会の飛竜便をご贔屓に!」


 大きく羽ばたいた飛竜便がみるみる遠ざかっていく。初めての空の旅の余韻に浸りつつ空を見上げていると、しきりに私を呼ぶ声が聞こえた。


 ミミやシェーラたちだ。ルビィ村やブラウ村の領民たちまで、揃って大門の向こうで手を振っている。


「みんな帰りを待っていたんだよ。聖女じゃなくてサーラをね」

「……うん」

「俺は?」

「先生も、もちろん。患者さんたちが手ぐすねひいて待っていましたよ。先生じゃないと腰の痛み取れないって」


 俺は整体医じゃねぇよと嬉しそうにぼやくレーゲンさんを横目に、胸にじわりと熱いものが広がる。


 ああ、グランディールに帰ってきたんだ。湧き上がる衝動のままに、子供みたいに大門に駆け寄ろうとして、ロイに制止される。その隙にシエルが慌てて大門の前に立ち、私に向き直った。


「もう、せっかちなんだから。これだけは言わせてよ。――おかえり、サーラ」


 涙は流さなかった。代わりに、私の人生史上一番の笑顔を浮かべた。

 

「ただいま!」


 シエルに手を引かれて大門をくぐる。途端に、みんながわっと押し寄せてきた。


 口々におかえりと言ってくれるのに応えながら、辺りを見渡す。ブリュンヒルデとアーデルベルトの面々がいない。私たちと入れ違いで帝都に発ったそうだ。もしかしたら、気を遣ってくれたのかもしれない。


「おかえりなさいませ、サーラ様。この子も体を伸ばして待っていましたわよ」

「この子……?」


 よく見ると、シェーラの両手の上に何か丸いものが乗っている。大きさは親指サイズぐらい。親スライムから分裂したばかりの個体だろうか。体は半透明で、まるでわらび餅みたいな……。


「……パール?」


 無意識に出た言葉に、小さなスライムが跳ねた。コリンナも嬉しそうに笑う。シエルも、ロイも。


 そんな、まさか。だって、パールは。


「どうも自壊する寸前に分裂したみたいでね。サーラが部屋に持ち帰った服にくっついていたんだよ。最初は親指の先ぐらいのサイズだったんだけど、サーラの魔力が残った帽子を被せてここまで大きくしたんだ」

「お友だちとビッグスライム化していましたから、厳密には元のパールとは言えないかもしれませんけど……」

「ううん、そんなのいいの! 生きていてくれただけで……!」


 パールが何かを訴えるように何度も跳ねる。体表を変化させて作った小さな突起で指し示すのは、私の首に下がった袋だ。


「ひょっとして、魔石? 核を戻してって言ってるの?」


 袋から取り出した魔石を差し出す。パールは大きく体表を波立たせると、一思いに魔石を飲み込んだ。


 自壊しないかとハラハラする私の前で、大福アイスみたいな見た目になる。サイズこそ小さいものの、いつも通りの姿だ。


 シェーラからパールを受け取り、そっと頬を寄せる。パールは私の頬に流れる涙を飲み干すと、優しく頬ずりしてくれた。


「よかったですわね、サーラさま。一緒に、また育てていきましょうね」

「うん……。本当にありがとう。――そうだ。遅れたけど、結婚おめでとう」


 シエルとシェーラが照れくさそうに笑う。二人の左手の薬指には、銀色の細いリングが嵌っていた。


 アマルディはシエラ・シエルと名前を変え、グランディールと共に夫婦で共同統治していくそうだ。


 とはいうものの、シエラ・シエルの実権はシェーラが握り、グランディールの実権はシエルが握る。つまり、アマルディの名前が変わっただけで、今までと何も変わらないということだ。


「名前を決めたのはシエル? なんでシエラ・シエルなの?」

「シェーラが僕に決めてくれって言うから……。単純にシェーラとシエルから取ったんだよ。だから名付けのセンスないって言ったじゃん」


 自分もないので何も言えない。


「サーラさんも戻ったことですし、そろそろ年始のイベントを始めましょうよ。私、お腹空きました!」


 可愛らしくお腹を鳴らしたミミの一言で、同意した領民たちが市内に引き返していく。その後に続こうとしたところで、ロイに「サーラ」と呼び止められた。


「どうしたの、真剣な顔して」

「今すぐ返事が欲しい」

「え? ここで?」


 狼狽えて周りをきょろきょろと見渡す私に、ロイが「そうだ」と追撃する。これ以上待てないといった様子だ。


「サーラは戻ってくるとわかっていても、離れている間に何かあったらと思うと怖かった。もう、待っているだけの……ただの同僚でいるのは嫌だ。俺をサーラの特別にしてくれ。シエルを守るように、サーラも守りたい」


 まっすぐに私を見つめる満月色の瞳から目を逸せない。シエルたちが足を止め、空気を読んだパールが袖を伝って肩に移動する。


 しばしの沈黙。ロイがこくりと喉を鳴らすのを見て覚悟を決めた。私はもう、逃げないと誓ったのだから。


「とっくに特別になっているわ」


 滑るようにロイに近づき、その無骨な両手のひらをとる。大きくて、ゴツゴツと硬くて、とても温かい。この手を握る権利を得られるのなら、私はどんな苦労だって厭わないだろう。


 それこそ、カミサマだってぶちのめしてみせるわ。


「守られるだけなんて嫌よ。私もロイを守りたいわ。だって私……ロイのことが好きだもの」


 ヒューっと囃し立てる声が一斉に聞こえた。ロイは私の手を握りしめたまま、真っ赤な顔をしている。その場の空気に飲まれて頬にキスすると、ロイは感極まったように私を抱き上げた。


「俺も好きだ、サーラ! これからも一緒にシエルを守っていこうな」


 まるで高い高いされる子供みたいな姿勢に、こちらの顔も熱くなる。ただ、悪い気分はしなかった。


 聖女と認められ、グランディールは特別領として歩き出したものの、これからも私たちの前にはいくつもの困難が待ち構えているのだろう。心に負った傷も、癒えることはないかもしれない。


 けれど、ロイと一緒なら、どんなことも乗り越えられる気がした。

 

「ちょっと、落ち着いてよ。くるくる回さないで!」

「嫌だ。我慢しないって言っただろ」


 きゃあきゃあと騒がしい声が周囲で起きる。新年の始まりらしい明るい声だ。絶え間のない笑い声は、いつまでもグランディールに響いていた。





 

 爽やかな風が頬を撫でていく。いつの間にか春の陽気だ。肩で切り揃えた髪を風に遊ばせ、目の前で生き生きと這い回るスライムたちを眺める。


 その中心で一際楽しそうに跳ねているのは、ようやく人頭大に戻ったパールだ。もう体表の色を誤魔化す必要もないので、真珠(パール)みたいな美しさを周囲に放っている。


 怒涛の年末年始から三ヶ月が経ち、スライム牧場はますます立派になっていた。夏頃には人工魔石の量産体制が整う予定だ。きっと来年の今頃には世界が変わっているだろう。カズサさん待望のコンビニができる日も近いかもしれない。


 聖女の認定証も無事に届いた。同時に『孫がお世話になってるね。これで借りは返したよ』とメモ書きのついた専門書の山が届いて卒倒するかと思った。


 まさか、カズサさんを探しに来た男性があのルミナス・セプテンバーだったなんて……。もっと魔法紋について聞いておけばよかったと嘆いたのは、グランディールに戻って一週間後のことだ。


 ルクセン史上初の特別領となり、新たな聖女が誕生したことで、グランディールの名声は更に上がった。おかげさまで今年もライス酒は完売の見込みだし、来月にはまた田植えも始まる。


 とはいえ、領民たちに特に変わりはない。ピグさんたちはライスを心から愛しているし、ブラウ村の漁師さんたちも嬉々として漁に勤しんでいる。


 レーゲンさんはより一層医者として張り切っていて、ネーベルはたまにちょっかいを出してくるものの、自警団長として豪腕を奮っている。


 ハイノさんもすっかりグランディールに染まり切り、「ここに移住しようかなあ」とこぼすようになった。私が魔法紋の塾講師を引き受けてもなお、その知識を子供のたちのために役立ててくれている。


 ミミは最近、急に大人になって、同じく急に大人びたマルクくんと一緒に過ごすことが増えた。こちらにも春が来たのかもしれない。マゼンダさんは二人の関係を見て見ぬ振りしているようだ。……段々と、家族らしくなってきたと思う。


 肝心のシエルと言えば、新婚だというのに朝から晩までグランディールで働いている。さすがに寝る前にはシェーラの待つシエラ・シエルに戻るものの、翌朝になれば颯爽と出勤してくるので、本当に結婚しているのか疑いたくなる。


 でも、夫婦仲はとても良さそうだ。この前なんて、遊びに来たシェーラに『毎日幸せですわ』と惚気られた。


 ロイと私は今もシエルの護衛を勤めている。一応、領主代理の肩書きもいただいてはいるけれど、もし何かあっても、シエラ・シエルから十分もかからず駆けつけられるので、正直言って使う機会はない。


 恋人としての仲は……まあ、順調だと言っておこう。やたらスキンシップが増えたのは戸惑うけど、悪い気はしないし、いずれ慣れるはずだ。……慣れるほど、そばにいたい。


 そして、イスカたちの裁判もようやく終わった。予想していた通り、イスカは百年の謹慎処分となり、アルは独り立ちして探索者として生きていく道を選んだ。


 貴族だったアルには険しい道だろうが、きっと何とかやっていけるだろう。旅の途中で、いつかグランディールにも立ち寄ってくれるかもしれない。


「アルマさんたちも、来てくれるといいな……」


 広げた手紙に目を落とす。そこには、年末年始の騒動を経て、グランディールの名前が遠いアクシス領にまで聞こえるようになったこと。私が聖女で驚いたこと。私が名付けた子供がスクスクと育っていることなどが書かれていた。


『くれぐれも無茶はしないでくださいね。あなたのお友達――アルマ・ジャーノより』


 最後の一文に、ふふ、と口角が上がる。

 

「また返事を出さなきゃ。次は何を書こうかな」


 そう独りごちたとき、私を探しに来たロイが大きく手を振った。隣にはポチやシロもいる。二頭の子供達もスクスク育っているようで、見分けがつかなくなってきた。魔物便が正式稼働する日も近いだろう。

 

「サーラ! シエルが呼んでる!」

「今行く!」


 手を振り返しながら足を一歩踏み出す。


 刹那、強く風が吹いた。初めてこの世界に足を踏み入れたときのように。


「……ここに連れて来てくれてありがとう。私は居場所を見つけたわ」


 私はこれからもここで生きていく。

 

 そして――。


 やがてグランディールの風になって、この地に吹き続ける。

これにて本編完結です!

長らくお付き合い頂きましてありがとうございました!


次話は7章の登場人物まとめ。そして、少し間を追いて番外編を投稿します。本編では書ききれなかった個々の過去(特にレーゲンとネーベル)や想いなどを書く予定ですので、引き続きお楽しみいただけたら幸いです。


では、番外編にて!

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