81話 帰りたい場所(ようやく見つけた)
『どうかした? お化けを見るような顔をして……。あっ、もしかして、もう日本語わからない?』
『い、いいえ。その……いきなりだったので、びっくりして』
はっと我に返って、首を横に振る。七年ぶりに日本語を話したけど、発音大丈夫よね?
左隣で目を丸くするレーゲンさんと、右隣で嬉しそうに微笑む聖女様……カズサさんの対比が激しい。異世界人だとわかってはいても、実際に目の当たりにすると違うんだろうなあ。
……シエルたちも同じ顔をするのかな?
『わかるわ。私も久しぶりだから緊張したもの。でも、案外話せるものね』
『ルクセニカ語は日本語と似てますし……。あの、昨日はごめんなさい。お身体、大丈夫ですか』
『大丈夫よ。ちょっと消化不良になっただけ。わかってはいてもダメね。私、コンビニのツナサンドが大好きだったのよ』
コンビニ……。懐かしい単語に思わず笑みを漏らす。それを見て、カズサさんも笑みを深めた。
『この世界、日本より明かりが少ないから二十四時間営業のお店は少ないでしょう。だから、あなたの開発した人工魔石にとても期待しているの。生きている間にコンビニが見られるかもしれないって』
『どうでしょう。できると嬉しいですけどね。グランディールに需要はないかもなあ……』
いくら量産できるとはいえ、魔石がもったいないと却下されそう。日本でもこの世界でも、辺境にコンビニは縁遠いのだ。
「あの、聖女様……。積もる話は重々承知ですが、先に聖別していただけませんか」
「あら、嫌だ。ごめんなさい、私ったら」
皇帝にツッコミを入れられたカズサさんが、法衣のポケットから長方形の金属板を取り出す。北の森で拾い、皇城に着いた日にネーベルに渡していたものだ。ちゃんとカズサさんの手に戻っていたのか。
『ありがとう、見つけてくれて。まさか、あのときのケルベロスが持っていたなんてね。自分で探しに行きたかったんだけど、子育てに追われているうちに身動きが取れなくなっちゃって、ずっと気掛かりだったの。挙句に、教団に隙を見せてしまって本当に申し訳なかったわ』
『……お子さんがいらっしゃるんですね』
『ええ。孫もいるわよ。孫はね、異世界転生ものの漫画が大好きなのよ。あなたもそうじゃない? 朝倉紗夜さん』
息が止まった気がした。私の本名は誰も知らないはずだ。首飾り事件のときにネーベルが心を読んだ? いや、あんな短時間でそこまでわかるはずがない。
『なんでその名前を……』
『それに答える前に、このスマホを触ってくれる? 魔力は抑えずにね』
有無を言わさない笑顔だ。自分でもわかるぐらい渋々とスマホに指を伸ばす。
初めて触れたときと同じく周囲に白光が閃いて消えていった。これで何がわかるんだろう? 同じ属性の魔鉱石に触れると発光するのは、他属性でも同じだ。
けれど、ネーベルと聖女様以外の人間は目を丸くして私を見ている。あのエイシアもだ。
「聖女様、これは……」
「ね? この子は間違いなく異世界から来た聖女よ。日本語を話せて、スマホが光るんだもの」
「あの、どういうことですか? 別に聖女じゃなくても、聖属性なら誰でも光るんじゃ……」
「いいえ、違うの。このスマホは聖女レベルの魔力がないと光らないのよ」
ルクセニカ語に戻ったカズサさんが嫋やかに微笑む。――ああ、そうなのか。だから、スマホが聖女の証明になり得るのか。イスカが『あれは目立つ』と言った本当の意味がようやくわかった。
「あなたのスマホはルビィが燃やしちゃったんだってね。それで確信したわ。あなたは確かに聖女だけど、私みたいに『塔』を通ってきた聖女じゃない。いわゆる『渡り』の聖女ね」
「渡り……?」
カズサさんは、この世界に来る聖女には三つ共通点があると教えてくれた。
一つ目は二十代の黒髪黒目の女性であること。
二つ目は元の世界の人間と縁が薄いこと。
三つ目は特別な知識を持たないこと。
これらは全てこちらの世界に早く馴染むための処置なのだろう。魔法紋の創始者ルミナス・セプテンバーによると、この世界は一つの生命体。漫画や小説の主人公みたいに有能な人間を転移させて、急激に文明レベルを引き上げられては困ると思ったのかもしれない。
人工魔石が許されたのは、たまたまその時期だったのかも。あまりにも順調に行き過ぎたもの。
そして、『塔の聖女』は文字通り塔を介して転移した聖女で、持てる属性は聖属性だけ。対して渡りの聖女は、偶然こちらとあちらの世界の通路が繋がって迷い込んだ、いわゆるはぐれ聖女だという。
「塔の聖女は塔とその周りの土地を浄化するために呼ばれるの。でも、渡りの聖女にはその制約がない。つまり、土地に縛られないのよ。渡りの聖女については文献でしか知らないけど……あなたも複数属性持ちなんでしょ? よりこちらの世界の人間に近く、体が作り替えられている証拠よ」
なんかサラッと怖いことを言われたが、気にしないことにした。元がなんであれ、今の私はサーラ・ロステム。この世界に根づけるのならなんでもいい。
「ルビィのこと、ご存知なんですね。あなたが来たときには、オクトーバー家を離れていたはずですけど……。魔法学校の教師だったからですか?」
「そうよ。ここに来たばかりのとき、ルビィが色々と面倒を見てくれたの。あなたを弟子にしたという彼女に聖属性の魔石を渡したのも私よ。魔物から身を守るだけじゃなく、夢見で覗けなくなるから」
そっか。ルビィは私に過去を知られたくなかったのね。早々に捕捉されていたのに、今まで野放しにされていたということは、こっそり聖女様だけに相談していたのかもしれない。
……もしくは、見逃してくれるよう頼んでいたのか。
「私の名字はどこで知ったんですか? ルビィには下の名前しか言ってなかったはずなんですけど」
「あなた、こっちに来る前にコンビニで公共料金の支払いをしたでしょ? スーツのポケットに控えが残っていたのを、ルビィが見つけたのよ。捨てるなら、ちゃんと捨てなきゃね」
した。確かにした。含み笑いを漏らすカズサさんから目を逸らす。なんで異世界に来てまで、自分のだらしなさを晒してるんだろう。今度からちゃんとしよ。
「まさか聖女様が姉弟子とは思いませんでした。なんだか恐れ多いっていうか……」
「あら、やだ。あなたも聖女様でしょ。それにね、ルビィの弟子は他にもいるのよ」
「え?」
カズサさんがウインクしたそのとき、窓が一斉に開いて強い風が吹き込んできた。
机の上の書類が大きく渦を巻いて舞い上がり、その場にいる人間の髪を激しく乱していく。
次いで、聞こえてきたのは大きな羽音。みんなが目を奪われたように見つめる窓の外には、朝焼けの如く美しい緋色の羽毛を持つ飛竜がいた。
「サーラ!」
拡声器を使っているのだろう。飛竜の羽音にも負けずにはっきりと耳に届いた。何度も聞いた、少し高い少年の声が。
窓に駆け寄ると、飛竜の背に取り付けた籠から身を乗り出したシエルが大きく手を振った。ロイはその後ろでシエルを支えている。
「なんで来たのよ! 待っててって言ったじゃない!」
「待てなかった!」
ロイが珍しく大きな声で即答する。背後でネーベルが「待てのできない犬……」と呟いたのは無視した。
「結界除けの魔法紋を書いたな。聖女の結界が破られるなんて前代未聞だよ。腹立つ!」
魔法紋師の男性が悔しそうに長杖を床に打ち付ける。
おそらく魔法紋を書いたのはイスカだろう。お家騒動からまだ二日。今もグランディールにいるはずだ。ブリュンヒルデとアーデルベルトが揃っているなら、結界の仕組みにも詳しいはずだし。
「帰ろう、サーラ。みんな待ってるよ。サーラがいないと年始のイベントが始められないんだから」
「でも……いいの? 私、本当に異世界から来た聖女なのよ。グランディールにいると迷惑じゃない?」
嫌がられても居座ってやると言ったことも忘れて、おずおずと問う。シエルは一瞬きょとんとして、すぐに大きく肩を揺らした。
「なんだ、そんなこと? 最初から知ってたよ」
「え? はっ?」
混乱する私に、シエルが不敵な笑みを浮かべる。
「僕の家庭教師の名前はルビィ・ロステム。僕はサーラの兄弟子なんだよ」
――今、なんて言った?
「な、何よそれ! 私を雇ったのは、お母さんに似てたからじゃなかったの?」
「それもあるけどね。もう一つの理由は先生に頼まれたからさ。初めて会ったときは驚いたよ。だって、先生と瓜二つの格好をしてるんだもん」
己の死を予期したルビィは、特に目をかけていた弟子たちに手紙を送っていたらしい。一通はノワルさんに、もう一通はシエルに。
そこには『面白い弟子を拾った。もし旅先で会ったらよろしくしてやっておくれ』と書かれていたそうだ。私が異世界から来た聖女だということも。
「言ってよ!」
何度叫んだかわからぬ言葉に、シエルがまた肩を揺らす。
「それでね。新しい契約書を作ったんだけど、確認してくれる?」
「この状況で? あなた今、帝都に乗り込んでるってわかってる?」
受け取った書類には、たった三行だけ書かれていた。
一、サーラ・ロステム(以下甲)はシエル・ローゼン・フォン・グランディール(以下乙)の護衛を継続し、グランディール領の発展を共に見守る。
二、乙は甲を縛らない。甲はいつでも契約解除ができる。但し、甲が望まない限り、乙は決して契約を解除しない。
三、甲は風の赴くまま自由に生きる。
「グランディールの開拓はまだ終わっていない。最後まで一緒に見届けてよ」
嗚咽がこぼれそうになるのをグッと堪え、お腹から声を上げた。
「仕方ないわね!」
シエルとロイの手を借り、飛竜に飛び移ろうと窓枠に足を掛ける。そのとき、背後から「待って!」とカズサさんの声がした。
そういえば、まだ話の途中だった。
振り返って姿勢を正す。呆れた顔をしたエイシアが肩をすくめ、エイミールは興味なさそうに机に頬杖をつき、ギデインさんは苦笑いしていた。皇帝は……顔色一つ変えずに腕組みをして私たちを眺めている。
そんな中で、椅子から立ち上がったカズサさんが真剣な表情で続けた。
「あなたは渡りの聖女。土地に縛られてはいない。それでも、グランディールにいたい?」
シエルとロイが私を見る。ずっと自分自身に問いかけてきた言葉。昔の私なら、わからないと言っていただろう。けれど、今は違う。
私は、グランディールを守る聖女だから。
「……私は、ずっと人と向き合うことから逃げてきました。逃げて、逃げて、ここに辿り着いても、どこかに逃げようとしていた。でも、もう二度と逃げたくないんです。私は今、心からグランディールに帰りたいの!」
言い切る私に、聖女様がふっと笑った。遠い場所へ巣立っていく子供を見守るような、そんな目だった。
「そう。なら、お行きなさい。聖女の認定証は後日届けてあげるわ。あなたは間違いなく、異世界から来た聖女よ。そうよね?」
聖女様の言葉に、その場の全員が頷いた。……エイシアは渋々だったけど、それでも満場一致だ。
――よかった。これで、これからもグランディールを守っていける。
「待ってくれ、俺も行く。こんな窮屈な服、もう着てらんねぇよ。廃太子の手続きは後で書面で済ませてくれ。ずっと日陰の身で生きてきたんだ。それぐらい我が儘を言ってもいいだろ?」
「十分、我が儘を通してきただろうが。私がどれだけ苦労して、医者になりたいと言うお前を教団にねじ込んだと思ってる。愚弟め」
「悪ぃな。また近いうちに手紙でも書くからさ。俺の診察が必要ないぐらい元気でいろよな」
大声で笑って、レーゲンさんが先に飛竜に飛びのった。案外身軽だ。そういえば、逆恨みしたストーカーから助けてくれたときも屋根に登ってたっけ。
彼に続こうとして、ネーベルが微動だにしていないことに気づき、声を張り上げる。
「ネーベル、何やってんの? あんたも一緒に行くのよ。まだ顔をぶん殴ってないし、これからも自警団長としてキリキリ働いてもらうんだからね」
「……ワタシもいいんデスカ?」
「は? あんたレーゲンさんの護衛でしょ。ストーカーならストーカーらしく最後まで付き合いなさいよ」
眉を寄せて睨むと、ネーベルはチェシャ猫みたいに笑った。何が面白いのかわからない。
「仕方ありませんネ。レーゲンを守るためにモ、アナタたちを更に鍛えて差し上げますヨ」
そう言うや否や、ネーベルは目にも止まらぬ速さで飛竜に乗り込んだ。ロイがちょっと嫌そうな顔をしている。
次は私だ。シエルとロイの手を取り、華麗に……とはいかなかったので、えっちらおっちら移る。
眼下には果て無く広がる帝都の街並み。初めての飛竜便は、まるで空の中を泳いでいる心地がした。
「よし、出発!」
シエルの声を合図に御者台の魔物使いが手綱を操り、飛竜が大きく羽ばたく。
あっという間に、窓から手を振るカズサさんが小さくなっていく。
私と同じ、この世界に根を下ろした人。日本から来た同胞。どうか元気で、と叫んだ声は届いただろうか。
そうだ。グランディールに戻ったら手紙を書こう。アルマさんにも。ようやく、『待ってる』って書けるときが来たんだもの。
私は、これからもグランディールで生きると決めたのだから。
ついに聖女と認められたサーラです。あれだけ嫌がってたのに、人は変わるものですね。
カズサはルビィからサーラのことを聞いていましたが、ずっと黙っており、クラーケンの一件で国に捕捉されたあとも、さりげなく庇っていました。
ルビィが3話でとっておきのウイスキーを手に晩酌していたのは、余命宣告されたからです。その直後に、シエルとノワルに手紙を送りました。ノワルもまた、ルビィのお願いを叶えるためにサーラを仲間にしたんですね。
クラーケンやクリフの鍛冶のときなどに、シエルがちょいちょいサーラを庇っていたのは聖女だと知っていたからです。エルネア教団を呼びたくなかったのも、カミサマが嫌いな以上にレーゲンとサーラを守るためです。
さて次回、いよいよ本編最終回です!
どうぞよろしくお願いします!




