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80話 塔の聖女様(まさかの邂逅)

 翌朝、私は不機嫌極まりないネーベルに叩き起こされた。どんな奇跡が起こったのか、今から皇帝たちと面会できるらしい。


「なんで、そんな急に? 最低でも三日はかかるって言ってなかった?」

「サア? ご自分の目で確かめたらどうデスカ。レーゲンは先に詰めてますかラ」


 言うだけ言って、ネーベルは部屋を出て行った。こいつ本当に私には塩ね……。


 でも、こちらとしては願ったり叶ったりだ。早く話がまとまれば、早く帰れる。図書館の本とお別れするのは残念だけど、人工魔石が普及して、もっと印刷機の数が増えれば、グランディールにも専門書が行き渡るかもしれない。


 手早く着替え、廊下に飛び出す。珍しくネーベルはそこにいた。腕組みをして壁にもたれている。


「どうしたの、待っててくれるなんて。槍でも降るんじゃない?」

「待ちたくて待ってるワケではありませン。迷子を回収するのが面倒なだけデス」


 それもそうだ。それ以上は何も言わずにネーベルの後に続く。まだ朝の早い時間だからか、皇城の中はがらんとしていた。もしかして人払いをしてくれている……とは考えすぎだろうか。


 案内されたのは、漫画で見るような謁見室ではなく、奥まった場所にある会議室だった。広さはさほどないものの、天井が高く、右側は一面のガラス窓なので圧迫感はない。


 領主館の執務室と似た内装の中央には、長テーブルが一つと、椅子が左右に六脚ずつ。そして、一番奥と手前のお誕生日席には、見るからに豪奢な椅子が置かれていた。


「悪いな、急に呼び出して。とりあえず、一番手前の席に座ってくれ。もう少ししたら兄貴たちも来る」


 左手前の椅子に座ったレーゲンさんが、私に着席を促す。それはいいけど、また謝ってる……。


 彼が言うには、今日の参加者は皇帝、シエルのお姉さん、帝国議会の証人、聖女様だそうだ。考えるだけで胃が痛くなりそうだが、ここを乗り越えないと始まらないので密かに気合いを入れる。


 それから十分も経たないうちに、複数の足音が近づいてきた。レーゲンさんの背後に控えていたネーベルが、素早くドアを開く。


「ああ、楽にしてくれ。君は来賓の立場なんだから我々に気を使う必要はない。むしろ、下座に座らせて申し訳ないな。だが、その方が安心するだろう? 逃げやすくて」


 立ち上がりかけた私を制し、先頭にいた男性が冗談かどうかわからない口調で話しながら、一番奥の椅子に座る。


 もしかしなくとも、彼が皇帝なのだろう。目の色こそ黒なものの、うっかり間違えそうなぐらい、レーゲンさんとよく似ている。


「久しぶりね、ミントグリーンのローブを着た魔法使い。相変わらず辛気臭い顔をしていること」


 皇帝に続いて席に着いたのは、シエルのお姉さん――エイシアだった。その隣に、シエルによく似たエルフの男性が座る。もしかして、次男のエイミールだろうか。


「……どうも。シエルがお世話に」


 エルフの男性は私の視線に気づくと、ぺこりと頭を下げた。ロイみたいな無表情だ。父親のハウエルさんの血を濃く継いだらしい。


 彼の向かいには、燃えるような赤毛のヒト種の中年男性が座った。凛々しいオレンジ色の瞳といい、こちらも誰かを彷彿とさせるような……。


「さて、時間も惜しいことだし早速始めようか。エイシアは知っているな? 私は……」

「あっ、待ってください。聖女様は……?」

「あなた勇気あるわね。皇帝陛下の言葉を遮るなんて」

 

 エイシアが呆れたようにため息をつき、ネーベルがニヤニヤと私を見る。彼女の言うことはごもっともだが、今日の話し合いが上手くいくかは、正直聖女様にかかっていると言っても過言ではない。そんな私の気持ちを察したのか、皇帝が鷹揚に頷く。

 

「聖女様は朝から体調を崩されていてな。少し遅れて来る。なんでも昨日、医者に黙って間食をされたらしい。念の為、ツァルトハイトが診察したから大事はない」


 ツァルトハイト……ああ、レーゲンさんか。聞き慣れないので一瞬わからなかった。

 

 それより、聖女様もおやつを食べたりするのか。まあ、元は同じ日本人だもんね。私もきっと、将来シエルたちの目を盗んで黒猫夫婦のおやつを食べる気がする。


「まあ、改めて……というほどではないが、自己紹介しておこう。私はこの国をまとめる、ヴァイスハイト・クヴェレ・フォン・ルクセン。エイシアの隣に座っているのが、次期ブリュンヒルデ家当主のエイミール。その向かいに座っているのが、現アーデルベルト家当主のギデインだ」

「えっ、ア、アーデルベルトって、まさか……」


 不躾な私の態度にも気を害さず、ギデインさんはその場に立ち上がって頭を下げた。

 

「この度は愚息が大変ご迷惑をおかけいたしました。教団の不手際を暴いてくださった大恩がありながら、弓を引く結果になってしまい、誠に申し訳ありません」

「や、やめてください。私こそアルを……ご子息を傷つけてしまいました。私が大人気なく彼から逃げなかったら、きっと魔属性に取り憑かれることはなかったはずです」

「いいえ、お恥ずかしくも末っ子ということで甘やかしてしまい……。今回の件で息子は一回りも二回りも大きくなったようだと、スミスが申しておりました。ですが……あなたの大事な存在を手にかけてしまったと」


 ずきんと胸が痛み、無意識に首から下げた袋を握りしめた。そんな私に、ギデインさんは辛そうに眉を寄せると、再び深々と頭を下げた。


「アーデルベルト家は聖女様に仕える家系です。償いのつもりではありませんが、あなたも同様に支持させていただく」


 昨日、レーゲンさんに聞いたところによると、正式に聖女として認定されるためには満場一致しなくてはならない。


 予想外の展開だが、これで一票。椅子に腰を下ろしたギデインさんから視線をエイシアに移すと、彼女は大きく肩を揺らした。相変わらず高飛車だな……。

 

「嫌ねえ、ヒト種はせっかちで。この小娘が異世界人だと、まだ決まったわけじゃないでしょ? あのルビィ・オクトーバーの弟子なら、普通の人間が知らない情報も叩き込まれているんじゃないの?」

「エイシア嬢……。君もお父上とご兄弟を救っていただいた立場だろうに、その態度はいかがなものか。ツァルトハイト様も、その目で聖女様のご活躍をご確認されたのでしょう?」


 さらっと聖女様扱いされたが、黙って聞いておく。もし無事に聖女認定されたら、今後この恥ずかしさに耐えなくてはいけないのだ。


 あくまでも顔は無表情を保ったまま、心を波立たせている私を尻目に、腕組みをしたレーゲンさんが頷く。

 

「クラーケンを倒して魔竜(カースドラゴン)のブレスを打ち破るなんざ、並の魔法使いにはできねぇよ。ネーベルから報告が上がっていると思うが、サーラは聖属性の力の元が魔素だと知っているし、()()が何なのかも理解している。あれだけの魔属性持ちを一度に浄化した人間なんて、ルクセン史上いたか?」

「あら、教団から逃げ出したあなたがそんなことを言うなんて、随分と絆されたのね? 全部聖女様の()()のおかげかもしれないじゃない。それとも、その女専用の()()を持ってるの?」


 レーゲンさんがぐっと喉を詰まらせて私を見た。小さく首を横に振る。私のスマホはとうに燃え尽きてしまった。ここにルビィがいたら違ったんだろうけど……。杖の魔石が消えてしまった今、もう彼女に頼ることはできない。


 黙り込んだ私たちを見て、エイシアが勝ち誇ったように胸を張る。私と違って豊かな胸を。


「サーラだったかしら? 悪く思わないでね。今まで、あんたみたいに『私は聖女です』って言ってきた奴がいなかったと思う? 聖女は他国にも影響を及ぼす存在。この国の威信にかけて、新しい聖女の存在をおいそれと認めるわけにはいかないのよ」


 それはそうだ。内心頷いた私に、エイシアが身を乗り出す。初めてグランディールを訪れたときみたいに、瞳に愉悦を浮かべて。


「もし本当に異世界人なら()()以外にも証拠を持っているはずよね。聞かせてちょうだい。あなたの本当の名前を。その名前が()()()()()なのかもね」


 ごくりと喉が鳴る。もしかしてとは思ってはいたが、本当に口にすることになるとは。あの日……魔竜を倒した日に、二度と名乗ることはないと思っていた名前を。

 

「私は――」

「あらあら、そんな意地悪を言うのはおやめなさいな。弟さんを取られたからって、やきもちはいけないわ」


 私の言葉を遮るように会議室に入ってきたのは、昨日図書館で出会った女性だった。


 その背後には、昨日女性を探しにきた魔法紋師の男性と、柔和そうな笑顔を浮かべた騎士風のヒト種の男性がいる。男性は女性と歳が近そうなのに、燃えるような赤毛だった。まるでギデインさんやアルみたいな。


 ……って、まさか。


「聖女様! お身体はもう大丈夫なのですか」

「ごめんなさいね、ギデインさん。心配をおかけして。つい美味しそうなサンドイッチに目が眩んでしまって……」


 そこで言葉を切り、女性――聖女様は私を見て微笑んだ。一瞬で血の気が引く。だって、彼女にサンドイッチをあげたのは私だもの。隣ではレーゲンさんが頑なに私から目を逸らしている。その肩は微かに震えていた。笑いを堪えているようだ。


 そういえば昨日、図書館で会った女性の話をしたら、慌ててどこかに走って行ったっけ。きっと聖女様の容体を確認しに行ったのだろう。あのときから知っていたなら、なんで言ってくれないのよ!


「聖女様方、どうぞお好きな席にお座りを。ロステム嬢、彼女は――」

「待って、陛下。私からご挨拶をさせてくださいな」


 どこかウキウキとした調子で、右隣の席についた聖女様が私に向き合う。その頬は微かに紅潮して、まるで恋する乙女みたいだった。


『昨日はありがとう。私は、笹倉和紗(ささくらかずさ)。こちらの世界ではカズサ・トゥルム・ササクラと名乗っているわ』


 それは、私がとうの昔に捨てた言葉――日本語だった。

ついに現れた聖女様。トゥルムはドイツ語で塔。この世界では、塔の聖女ということを意味します。


さて次回、サーラは無事に聖女と認められるのでしょうか。

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