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79話 初めてのホームシック(めちゃくちゃ恥ずかしい)

「ルクセン帝国史と暦の魔法使い図鑑……。あと、魔法紋に関する魔法書全般。これでいいのか?」

「うん。ありがとう、レーゲンさん」

 

 歴史を感じさせるダークブラウンの机の上に本が山と積まれる。どれも革張りの高級品で、一冊でも人を殴り殺せそうなほどの重量感があった。自分でお願いしておきながら少し怯みつつ、一番上の一冊を手に取る。


 表紙には仰々しい書体で『ルクセン帝国戦史』と書かれていた。


「たぶん、結構昔だと思うんだけど……。双頭の赤い獅子の紋章の家系と紛争か戦争ってあった?」

「ああ、それなら六百年前の継承戦争かもな。皇帝が後継者を決めずに急死して、継承権を主張したレグルス公爵が帝都に攻め入ったんだよ。確かそこの家紋だ。大規模な戦争だったって聞くぜ。それこそ国中の戦力が集中したんじゃねぇかってくらい」

「……そっか」


 夢の中の情景を思い出す。黒髪の女性を抱いていたエルフの女性――私の知る姿よりも遥かに若かったけど、あれはきっとルビィだ。娘の名前は『サヤ』。私と同じ。髪の色も、歳の頃も。


 ホログラムのルビィを見て、イスカは『オクトーバー』と叫んでいた。ならば、ルビィは聖女様との付き合いが深い暦の魔法使いの家系だ。


 もしかしたら、私と二人で暮らしていた家に聖属性の魔力を提供していたのは聖女様だったのかもしれない。


 ……私を『サーラ』を呼んだのは、本当に聞き間違いなのだろうか。娘と同じ名前だから、あえて避けたんじゃないだろうか。拾ってくれたのも、私に娘の面影を見たのかも……。私に母親の面影を重ねたシエルみたいに。


「お師匠様のことを調べんのか?」

「それもあるけど、単純に知識を詰め込みたいの。アマルディ……ううん、新公国やグランディールにも本屋や図書館はあるけど、やっぱり帝都の蔵書量には敵わないもの。グランディールに戻ったら弟子を取るつもりだから、これを機に勉強しなおそうかと思って」


 椅子に座ってローブの袖を捲る私を、レーゲンさんが神妙な顔で眺めている。何か言いたいことでもあるのだろうか。もっと思ったことを口に出していいと諭してくれたのは自分なのに。


「何、変な顔をして」

「あんた本当に変わ……いや、違うな。元々か。給料のためと言いつつ、いつも馬車馬のように働いてたもんな」


 レーゲンさんは目を細めると、保護魔法のかかったバスケットと水筒を隣の机の上に置いた。サンドイッチと紅茶だという。私が図書館に行きたいと言ったので、本を探している間に手配してくれたらしい。そういえば、朝食も昼食もまだだった。あとでありがたく頂こう。


「ありがとう。皇弟様にご飯を運んでいただくなんて光栄の至りね」

「何度もいじんなよ。俺にはこれぐらいしかできねぇからな。お師匠様のことも力になれなくてすまん。皇族っつっても、俺は医療以外のことにはさっぱりなんだよ。兄貴かエイシアなら知ってると思うんだが」


 心の底から申し訳なさそうに言うレーゲンさんに笑みが漏れる。

 

「レーゲンさん、さっきから謝ってばっかりね。部屋でも『悪いな』『すまん』って何度も言ってたわよ」

「そうか? すまん」

「ほら」


 くすくすと笑う私にレーゲンさんが頭を掻く。


「あんたにゃ、本当に悪いと思ってんだ。ゴタゴタが済んだばかりなのに、あいつらと引き離しちまって」

「私がここにいるのは、別にレーゲンさんのせいじゃないでしょ。それにすぐに戻るから大丈夫よ。シェーラのストーカーを解決したときみたいに、一緒に説明してくれるでしょ?」

「……ああ。そうだな」


 レーゲンさんは泣き笑いのような表情を浮かべると、「邪魔しねぇように司書室にいるわ」と去って行った。廃太子するとはいえ皇弟がいきなり現れて司書さんたちも可哀想に。

 

 気を取り直して本を開く。年始だからか、それとも気を遣ってくれているのか、私しかいない図書館の中はとても静かだ。元の世界の童謡に出てきそうな年代物の柱時計が時を刻む音だけが響く。


 レーゲンさんのおかげで、目的の箇所はすぐに見つかった。


 六百年前の継承戦争――その犠牲者一覧が羅列された中に、『サヤ・オクトーバー』『ヴォルク・オクトーバー』の名が記されている。注釈によると、二人はオクトーバー家の当主ルビィ・オクトーバーの娘と夫で、この戦争終了後にルビィは当主の座を譲り、魔法学校の教師として野に下ったとされている。


 たった一文にまとめられた歴史。それでも、ルビィの悲しみが痛いほど伝わってきて身が裂かれそうだった。


「ルビィ・オクトーバー……。別名、雷鳴のルビィ……。雷属性も持っていたのね。ずっと隠してたなんて、とんだお師匠様だわ」


 私を助けてくれたあの日、兎ちゃんと荷物を焼いたのは、火属性の魔法ではなくて雷属性の魔法だったのだろう。道理で跡形も残らないわけよね。


 エルフは木属性なので火属性に弱い。どうしてあそこまで高火力の魔法を使えたのか疑問だったが、これで解消された。


 ……できれば、本人の口から聞きたかったけど。


「そうなると、私のスマホはやっぱり聖属性の魔鉱石じゃなかったってことよね。そこ突かれたらどうしようかな」


 頭を悩ませつつも、次の本を取る。時間はいくらあっても足りない。まるで陸に打ち上げられた魚が水を求めるように、私は文字の海に飛び込んでいった。

 

 それからどれぐらいの時間が経っただろう。


 窓からの光が和らぎ、床に伸びる影が長くなってきた頃、肉食獣のような唸り声が響き渡って、はっと我に返った。


 机の上には相変わらず積まれた本の山と、もらった紙に書き散らかした魔法紋。そういえば、食事を摂るのをすっかり忘れていた。


「ちょうどいいわ。ちょっと休憩しよ。腹が減っては戦はできぬって、戦国武将も言ってたしね……」


 紙の束を掻き分けるようにしてバスケットを置く。蓋を開けて感嘆した。ローストビーフに卵サンドにツナサンド……。私の好きなものばかり入っている。


「レーゲンさんありがとう。いただきます」


 保護魔法のおかげで、サンドイッチはまだ温かかった。人がいないことをいい事に、大口を開けてかぶりつこうとしたそのとき、横から「美味しそうね」と女性の声が聞こえて手が止まった。


 いつの間に現れたんだろう。女性はエルネア教団員らしく、ゆったりとした白い法衣に身を包んでいた。


 歳は……六十歳を確実に超えているだろうか。手には歩行を補助する杖。かんざしで一つにまとめた髪は、ところどころグレーな箇所があるものの、ほとんど白だ。物腰はとても上品で、皺に包まれた優しげな黒目が印象的だった。


「ここ、いい?」

「あっ、どうぞどうぞ。すみません。飲食禁止でしたか?」

「いいえ、違うわ。遠慮せず召し上がって。突然お邪魔してごめんなさいね。さっき不思議な単語が聞こえたものだから。――センゴクブショウって何?」


 おっと、聞かれてたのか。仕方ないので、向かいの椅子に座ったお婆ちゃんに騎士みたいなものだと話す。移民と説明すれば納得してくれるだろう。たぶん。


「あの……。あなたは……?」

「私はしがないお婆ちゃんよ。人と会う予定があるんだけど、待ちきれなくて出てきちゃったの」

「はあ……」


 名乗るつもりはないということなのか。コミュ障から脱出しつつあるとはいえ、私はまだまだレベル一の雑魚。それ以上会話が続かず、仕方なくバスケットを押し出す。


「よろしければ、召しあがりますか? ご覧の通り、たくさんあるので」

「あら、嬉しい。ありがたく頂くわね」


 バスケットには余分におしぼりが入っていたので手渡し、共にサンドイッチを口に運ぶ。お婆ちゃんはツナ、私はローストビーフだ。少し甘めのソースと粒マスタードが絡んで絶妙な旨味を生む。けれど、一口食べたところで手が止まってしまった。


「どうしたの? お口に合わない?」

「……いえ、違います。美味しいんです。美味しいんですけど、なんか……。いつも食べているご飯と味が違って」


 言い終わると同時に、ぽろり、と涙がこぼれ出た。初めてハリスさんが来た晩と同じだ。止めようと思っても止まらなかった。


 まさか、これがホームシックってやつなのか。この歳になって初めて経験する寂しさだ。それも、初対面の人の前でこんな醜態を晒すなんて恥ずかしい。


 サンドイッチを置き、袖で乱暴に涙を拭う。ルビィが見たら呆れるかも……いや、笑い飛ばすかもしれない。


『ようやくあんたも、誰かを乞う心ってやつがわかるようになったんだねえ』と。


「ごめんなさい。いきなり泣いちゃって。家が恋しいのかも」


 ぐすぐすと鼻を慣らす私に女性は痛ましそうに眉を下げると、法衣のポケットから取り出したハンカチで頬を拭ってくれた。優しい。それに、めちゃくちゃいい匂いがする。まるで白檀のような……。

 

「あなたにとって、そこは素敵な場所なのね」

「はい。早く帰りたいんですど、ちょっと事情があって、まだ帰れないんです」

「そう……」


 女性がハンカチを下ろして私の頭を撫でようとした瞬間、図書館中に響き渡る声がした。

 

「ちょっと! こんなところで何やってんのさ! 探したよ!」


 息せききって駆けてきたのは、見事なプラチナブロンドとエメラルド色の瞳を持つヒト種の男性だった。女性よりも少し若いぐらいだろうか。濃い緑色のローブを着て、長杖を持っているところ見ると魔法使いらしい。


「やだ、もうバレちゃったの? あの人ったら『僕に任せて』なんて言ってたくせに」

「あのね。何年一緒にいると思ってんの。僕の目を誤魔化そうなんて百年早いんだよ」


 女性と男性は家族同然の仲のようだ。『あの人』は……もしかして旦那さんかな? まるで普段の自分たちを見ているようで、まな板の胸がさらに傷んだ。


「あっ、サンドイッチまで食べてる! 君って人は昔から美味しいものに目がないんだから……」

 

 そんな私の胸中など意に介さずに、男性が女性に一方的に捲し立てている。どうやら、医者から食事制限をされているらしい。そりゃ怒られるわ。


 そろそろ介入しようか悩んでいると、男性が不意に私に向き直った。


「君、魔法紋師?」

「え、あ、ああ。そうです。あなたも――」

「見せて」


 紙を差し出す前に強引にひったくられた。会話のテンポに全くついていけない。


 男性は私の書いた魔法紋を舐めるように見ると、「ふうん」と声を漏らした。


「若い割に古典的な書き方だね。お師匠様はエルフ?」

「あ、はい。八百歳越えのエルフで……」

「ここはねえ、こうした方がいいよ。この方が記述がスッキリするでしょ?」


 どこからか取り出した赤鉛筆で、さらさらと魔法紋に訂正を入れていく。確かに断然わかりやすい。


 どうも男性は腕のいい魔法紋師らしい。お礼と共に、さっきまで勢いに圧倒されていたことも忘れて名前を聞こうとしたが、「そういうのいいから」とすげなく返された。

 

「ま、近いうちにまた会えるんじゃない。君には借りもあるしね」

「借り……?」


 名残惜しそうな女性を連れて嵐のように去っていく男性の背中を見送り、首を傾げる。


 その言葉の意味がわかるのは、翌日のことだった。

ご飯にはお家の味が出ますよね。サーラにとって、『いつものご飯』は黒猫夫婦の作る料理なのでした。


さて、次回。お偉いさんたちと対峙するサーラです。

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