78話 帝都タウロス(早く帰りたい)
雨がざあざあと降っている。
ぬかるんだ地面に横たわるのは数多の遺体と打ち捨てられた武器だ。夢の中だからか、鼻を刺す死臭は感じなかった。
双頭の赤い獅子が描かれた旗が、目の前の惨状を覆い隠すようにひらりと落ちる。
その近くで、美しい金髪を血で汚したエルフの女性が跪いている。ミントグリーンのローブを羽織った彼女の腕の中では、ぐったりと目を閉じた若い女性が、この世界に別れを告げようとしていた。
『サヤ……サヤ……愛しいアタシの娘……。目を開けておくれ……。アタシを置いていかないで……』
胸を抉るような言葉にも、若い女性は答えない。その傍らには、彼女と同じ黒髪の男性が物言わぬ体を横たえている。
彼と彼女は親子なのかもしれない。顔つきがどことなく似ている。いくつか指が失われた手を重ね合わせて、お互いを支え合おうとしているのが印象的だった。
「おはようございまス。遅いお目覚めデスネ」
目の前にいる変態に辟易する。確かに鍵をかけたはずなのに……。易々と侵入者を許すなんて、皇城の警備はそんなにザルなのか。
「魔属性を浄化されたくなかったら、さっさと出ていきなさいよ。今の私は杖なしで魔法が使えるんだからね」
「オヤ、つれないデスネエ。邪魔者もいないことですシ、もっと仲良くしませんカ?」
相変わらずチェシャ猫みたいな笑みを浮かべて、ネーベルがベッドの上の私に覆い被さってくる。
冗談じゃない! 変態に身を捧げるくらいなら、すぐさま舌を噛む。
「レーゲンさん! レーゲンさん、助けて! 変態が言うことを聞かないの!」
「ネーベル、お前! 朝からいないと思ったら!」
バン、とドアを叩き壊しそうな勢いで現れたのは、グランディールのお医者様にして、騎士服を着た皇弟だった。髪も髭も整えられて、すっかりお貴族様の見た目になっている。白衣を着ていないとなんだか寂しい。
「ロイに殺されたいのか?」
「オヤオヤ、そこまで進展したんですカ。妬けますネ」
ちっともそう思っていなさそうな口調で、ネーベルはベッドから降りた。
「悪いな。管理がなってなくて。グランディールに戻るまでは、俺があんたを守るから」
「皇弟に守られるなんて贅沢ね」
苦笑してベッドから降りる。ネーベルはいつの間にか姿を消していた。帝都を離れていた間の仕事が溜まっているんだろう。ざまあみろだ。
昨日、転送魔法酔いでぐったりしている私にネーベルが語ったところによると、彼が上司――皇帝から与えられた任務は三つ。
一つ目はレーゲンさんを探すこと。これは何よりも優先される。二年もかかったところを見ると、レーゲンさんは巧みに情報網を掻い潜っていたらしい。
もしくは、わかっていて見逃していたのかもしれない。ネーベルとしては、レーゲンさんの夢を叶えてあげたいだろうから。
二つ目は異世界から来た聖女を監視すること。どうもクラーケンの一件で、国の上層部にはすでに捕捉されていたみたいだった。
今ならわかるが、グランディールは聖女様のスマホが眠る地。そんな場所に、いかにも聖女然とした女が居座っていれば警戒レベルが引き上げられてもおかしくはない。シエルのお姉さんがグランディールを訪れたのも、伯爵の件を忠告がてら、私を見定めるつもりだったそうだ。
三つ目は聖女様のスマホを回収すること。これは予想通りだ。
皇家は教団に不可侵の立場とされているものの、実は聖女様と裏で繋がっていて、教皇が不穏な動きを見せ始めた頃から、定期的に諜報員を派遣していたという。今まで見つからなかったのは、シロが大切に隠していたからだろう。よく五十年も逃げおおせたな。
まあ、要は全て承知の上で動いていたのだ。私が聖女だということも、将来グランディールで相続争いが起きるかもしれないということも。
特許について私にアドバイスしたのも、間接的にレーゲンさんの身を守るためだった。……道理で意味ありげな発言を繰り返すわけよね。
「強制的に連れて来ておいて何だが、黙って出てきて本当によかったのか? 今頃、血相変えてあんたを探し回ってると思うぞ」
「一応、書き置きは残してきたんだけど、あの変態が急かすもんだから上手く書けなくて……。ちゃんと伝わっているかイマイチ自信ないのよね」
シエルたちには、次のことを簡潔に記してある。
私が異世界から来た聖女だということ。預かっていた金属板は塔の聖女様が落としたものだということ。これから聖女の自分を受け入れて生きていくにあたり、グランディールに不利益を与えないよう帝都に話をつけにいくこと。
そして、必ずグランディールに帰るから待っていて欲しいこと。
全て自分の口で伝えたかったのだが、グズグズしていると帝都からもっとおっかない使者が来かねないので大人しく従ったのだ。
せっかく特別領になれたのに、聖女を隠避した罪で台無しにしたくはない。
「すまねぇな。兄貴と聖女様がどうしても会いたいって言うもんだから」
「そりゃね。異世界人なんて生きている火薬庫みたいなもんだから。どこまで元の世界の情報を漏らしていいか、色々と注意事項があるんでしょ。逆らったらグランディールごと潰されかねないし、シエルに言っても止められそうだし、仕方ないわよ」
歯に衣着せずに言い放つ私に、レーゲンさんが苦笑する。
「あんた本当に強くなったな。聖女だってバレて、あいつらが変わっちまうかもって不安はねぇのか?」
「……正直、年越し前まではあったけど、今ならたぶん大丈夫だって思うの。もし嫌がられても居座ってやるわ。人工魔石の作り方を熟知しているのは私だけだしね」
音を立ててレーゲンさんが吹き出す。真面目に言っているのに失礼な。不機嫌さを隠さずに睨むと、レーゲンさんは涙が浮いた目尻を拭いながら「ご領主様に似てきたな」と続けた。
「ま、あんたにも思惑があるんだろ?」
少し逡巡して頷く。だいぶ話せるようになってきたものの、上手く伝わるように話すのはまだ苦手だ。長いセリフも。
「今回の件で思ったのよ。レーゲンさんが皇弟だったのも、シエルとシェーラが恋に落ちたのも、人工魔石を作れたのも全て偶然の上に成り立ってる。次も上手くいくとは限らないし、特別領だって国の都合でいつ取り消しになるかわからないじゃない。なら、私が聖女だと正式に認められたら、この先もグランディールを守れるんじゃないかって」
「聖女には国もなかなか手を出せねぇからな。千年続いた信仰を利用するってわけか?」
「宗教は強いからね。いつだって人は救いを求めるものなのよ。まあ、布教活動する気は全くないけど。カミサマとは仲が悪いままだから」
「それがいい。あんたに聖職者は似合わねぇよ」
ディスられてるのか褒められているのかわからないが、良い風に捉えておこう。今まで自己評価が低かった反動か、今の私は自己肯定感のお化けになっていた。
「それより、いつ面会が叶うの? シエルたちが乗り込んできそうで怖いから、早く帰りたいんだけど……」
「俺の廃太子の手続きもあるから、早くて三日後だな。手間をかけてすまん」
シエルのお姉さんという後継者もいることだし、レーゲンさんもカミサマと決別する決心が着いたようだ。こちらとしては、レーゲンさんがいてくれた方がいいので、口を挟む余地はない。
兄弟仲は良いみたいだけど……長らく日陰の身として生きていた過去は、なかなか拭い切れないのだろう。皇帝の双子の弟なんて、いかにも色々ありそうだし。
「わかった。とりあえず着替えるから出てってくれる?」
「ああ、廊下にいるぜ。クローゼットの中に既製服が入ってるから、よかったら着てくれよな」
そう言ってレーゲンさんが颯爽と部屋を出ていく。首を傾げていたロイとは違って紳士的だ。
早速クローゼットを覗いてみたが、お嬢様向けのひらひらした服だったので手に取るのはやめた。私にはいつものローブが合っている。
着替えている途中、手首につけたヘアゴムを見るたびに胸が苦しくなった。金色のボタンがロイの瞳に思えて切なくなる。
今頃、心配しているかな。それとも怒っているのか……。私に愛想を尽かしていなければいいけど。
「どう思う、パール?」
首に下げた小さな袋に問う。中にはパールの核が入っている。……返事が来ることはない。
綺麗にクリーニングされた服に身を包んで廊下に出る。後ろ手を組んだレーゲンさんが、直立不動で私を待っていた。さすが皇族……。ちゃんとしてるとオーラが違う。
「結局いつもの服を着たのか」
「これが一番しっくりくるからね。レーゲンさんだって、本当は白衣を着たいでしょ」
レーゲンさんは少しだけ寂しそうな顔をした。
二人連れ立って廊下を歩く。ここは皇城の中でも一番奥まった場所だ。私たちの他に人気はない。
窓の外からは新年を祝う声が聞こえてくる。
アマルディが独立し、グランディールが特別領になったことはまだ公表されていないようだ。きっとシエルのお姉さんが後継者になったときと同じく、年始のお休みが明けたら新聞に載るんだろう。
「どこか行きたいところはあるか? 皇城じゃなく、帝都を観光したいなら、ネーベルと一緒に連れてってやるぜ」
「人混みは苦手だから、やめとくわ。図書館が開いてたらそこに行きたい。ちょっと調べたいことがあるの」
辿り着いたのは、今まで見たこともないくらい重厚で頑丈そうな扉だった。
グランディールから帝都へ。
この世界において、聖女は他のカードがただの紙切れになる程の強力なカードですから、最大限利用するつもりなんですね。サーラは本当に強くなりました。
さて、次回。不思議な雰囲気の女性と邂逅します。




