76話 抗えない恋情(今ならわかる)
「アル……」
自分でもわかるぐらい声が震えていた。酷くゆっくりとした動きで私のそばに腰を下ろしたアルが、開口一番「なんで」と漏らす。
「なんで、俺じゃダメだったんだ。シエルと何が違う? 大して歳も変わらないだろ? 俺は爵位を継げないからか? 俺よりも、あいつの方が魅力的なのか? エルフの血を引いて美形だから?」
矢継ぎ早に捲し立てられ、思わず息を飲む。違うと言いたかったが、とても口を挟む余地がない。
何も言えない私に何を思ったのか、アルが身を乗り出すようにして手を伸ばす。
「こんなにも好きなのに! 俺の方が、サーラを想ってるのに!」
バチリと音がして、アルが小さくうめく。聖属性に弾かれたのだ。こちらとしては無意識の抵抗だが、向こうはそう捉えなかったらしい。呆然と指先を見て、今にも泣き出しそうに顔を歪める。
「……触れさせてもくれないのか」
白光が閃き、バチバチ、と激しい音がした。自分が傷つくのも厭わず私の両肩を掴む。いつの間に、ここまで力強くなったのか。私は何も見えていなかったのだ。自分の心ばかりを気にしていたから。
どうして、もっと早く気づかなかったんだろう? こんなにもアルを追い詰める前に。
「俺を見てくれよ、サーラ!」
『私を見てよ、お母さん』
二つの声が、重なって響いた。
「アル……。私、私……」
両眼から熱いものが滑り落ちる。そのとき、「サーラ!」と私を呼ぶ声がした。
「無事か!」
屋根を突き破った何かが、すぐそばに着地する。夜に溶ける黒髪に、満月みたいな瞳――ロイだ。
ロイは泣いている私に気づくと、眉間に皺を寄せてアルに掴み掛かった。
「勝手に惚れて、勝手に振られたくせに被害者ぶるなよ。何も知らないガキが!」
「黙れ! お前らこそ、サーラを利用しているくせに!」
剣を抜いたアルが剣身に炎をまとわせる。アルは魔法剣士。剣を扱わせたら、アルの方に分がある。大きく振り下ろした剣から飛び散った火の粉が周囲に散り、一気に部屋中に燃え広がった。
「何をやっているんだ、お前ら! 状況を考えろ!」
部屋に飛び込んできたイスカがスクロールから生んだ水で消火するものの、小屋はすでに用を成していなかった。骨組みだけになった小屋の周囲では、ミミたちが取り憑かれた騎士たち相手に武器を振るっている。
その様子を見たイスカが、大きく舌打ちをしてロイを睨みつけた。
「森に住んでいた獣人まがいの男か。シエルはどうした? まさかお留守番をしているわけではないだろう?」
「あんたにはまだシエルが子供に見えてるんだな。だから痛い目を見るんだよ」
片手でアルの剣を捌き、巧みにイスカの魔法を躱しながら、ロイが皮肉めいた笑みを浮かべる。その足元の影から、不意に人影が現れた。シエルの姿を保ったままのパールだ。
こちらが声を上げるより早く、パールが氷魔法で私の拘束を砕く。その手には杖を持っている。ロイに意識を集中させている間に回収してくれたのだ。
それと同時に、アルがロイから大きく身を引いた。何度か魔物との戦闘中に見たことがある。上級以上の魔法を使うつもりだ。
「ダメ!」
パールから杖を受け取り、アルに駆け寄って縋り付く。アルは一瞬、剣を握る手に力を込めたが、私に振り下ろしたりはしなかった。
「サーラ!」
「私は大丈夫! そっちに集中して!」
ロイに叫び、アルを抱く手に力を込める。この想いが伝わりますようにと願いを込めて。
「ごめんなさい、アル。私、自分勝手だった。あのとき、あなたから逃げるべきじゃなかったの」
アルは何も言わない。ただ、じっと私を見下ろしている。その瞳は相変わらず血のように赤かったが、微かに理性の光を宿している気がした。
それに勇気づけられ、言葉を紡いでいく。あの日、言わなければならなかったことを。新たな決別の言葉を。
私はもう、居場所を見つけたのだから。
「あなたは私にとって大切な人よ。でも……それ以上に大切なものを見つけてしまったの。私、グランディールが好きなの! みんなと過ごす日々を愛しているのよ! お願い、わかって。お願い……」
剣を握る手に触れ、聖属性の力を流し込む。それに呼応してアルの目が赤からオレンジ色に変わっていく。まるで炉の炎のように。
そして、頭上からはっと息が漏れた。たった今、夢から覚めた。そんな調子だった。
「サーラ? 俺、何を……」
「させるか!」
目を赤く染めたイスカが右手をこちらに向ける。防ごうとしたが間に合わなかった。赤黒い魔力がアルにまとわりつき、ふっと掻き消える。アルの瞳はまた赤く染まっていた。
「アル!」
「うう……。そうだ。俺のものにならないなら、いっそ……」
私の腕を掴んだアルが剣を振りかぶる。ロイが「やめろ!」と叫ぶ声がする。とても躱せない。咄嗟に目を閉じて痛みを受け入れようとしたそのとき、何か柔らかいものが私に触れた。
ざく、という音が響く。目を見開く私の前で、剣先が胸を貫く。――パールの胸を。
シエルの姿をしたパールは、満足そうに微笑んで口を動かした。水を含んだような微かな音が耳に届く。
『サーラ……。僕のママ……。大好き……』
「パール!」
ぱしゃり、と水音がして、パールの姿が掻き消えた。残ったのは服だけだ。地面には大きな水たまりが広がっている。
「ああ……。あああああ! パール! 嘘よ! パール!」
「なんだ今のは……。スライム? まさかスライムに猿真似をさせていたのか? シエルは今どこにいる!」
「誰が言うか! サーラ! 下がれ、早く!」
ロイが必死に叫んでいるが、耳に入ってこない。目の前で剣を振り上げたアルが、パールが着ていた服を踏んだ。
その瞬間、頭の中で何かが切れる音がした。ここまでの激情が自分の中にあるとは思わなかった。
「許さない! 許さないわ! いくらあなただって……」
大きく叫んで杖を振り上げる。しかし、アルの方が一枚上手だった。ばきり、と無情な音がして、杖の欠片が地面に落ちる。
折れた。折れてしまった。私の半身。ルビィの形見が。
一気に力が抜け、地面に跪く。
「サーラ! ぐっ」
私に気を取られたロイがイスカの魔法をもろに喰らって膝をつく。周囲のミミたちも、徐々に押されているようだった。
万事休す。そんな言葉が頭をよぎる。
ダメだ。立ち上がらないとロイが死んでしまう。みんなも。でも、どうしても立てなかった。
アルが私の髪を掴む。首を刎ねるつもりだろうか。せめてもの抵抗と身じろぎしてみたが、とても振り払うことはできなかった。
「……ルビィ……助けて……ルビィ……」
地面に涙が落ちる。そのとき、私のスマホが焼けたときと同じ音がして、アルが大きく後ずさる気配がした。次いで、頭上から声が響く。とても懐かしい声が。
「――アタシを呼んだかい?」
ミントグリーンのローブに紫色のサルエルパンツ――目の前にいたのは、ルビィ・ロステムその人だった。よく見ると、体がうっすら透けている。ホログラム……のようなものだろうか。
折れた杖の中には大きな黄色い魔石。光……いや、雷の魔石かもしれない。周囲には焦げ臭い匂いが漂っている。何か魔法を放った証拠だ。
「ルビィ! どうして? どうして、ここに?」
「おやおや、子供みたいに取り乱すんじゃないよ。最初に言っておくけど、アタシはただの魔力の欠片だからね。本物のルビィじゃない。わかったら笑いな。湿っぽいのは嫌いだからね」
一息でそう言い切り、ルビィは快活に笑った。
「さあ、どいつを懲らしめて欲しい?」
一瞬の間を置いて、私は叫んだ。
「赤目のやつ全員!」
「アハハ! 強欲だねえ。それでこそアタシの弟子だ! あんたの力、ちょっと借りるよ!」
ルビィの左手が私の肩に触れ、右手の先が白く輝く。今まで見たことのない、超級の魔法だ。
「ルビィ……? ルビィ・オクトーバー! 死んだはずじゃなかったのか!」
イスカの言葉を遮るように、激しい雷が落ちた。聖属性を組み込んだ魔法だ。浄化はできなくとも、一時行動不能にすることはできる。
真白い閃光が消えたあとには、地面に転がる男たちの前で呆然とするミミたちがいた。
ルビィは満足そうに微笑むと、私の頭を撫でた。その手は実体がないはずなのに、何故かとても温かく感じた。まるで初めて出会ったときのように。
「この馬鹿弟子。しっかり前を向きな。あんたはアタシの名を継いだ、正真正銘の娘なんだからね」
最後にウィンクを一つして、ルビィは消えていった。残されたものは折れた杖だけ。
――いや、確かに残っている。ルビィとの思い出が。叩き込まれた技術が。
ぐ、と奥歯を噛みしめて顔を上げる。もう迷いはしない。私は大人なんだもの。
「私は! ルビィ・ロステムの最後の弟子で娘のサーラ・ロステム! このグランディールを守る護衛よ!」
両手を地面に叩きつける。そこを起点にして、風魔法で地面に刻んだ文字が、獲物を捉える蜘蛛の巣のように広がっていく。未だかつて誰も見たこともない超巨大魔法紋に、周囲からざわめきが起きる。
「そんなに見たいって言うなら見せてやるわよ。聖女の力ってやつをね!」
ポケットから取り出したスマホを魔法紋の上に置き、聖属性の魔力を流し込む。刹那、ルビィの稲妻を超える白光が周囲を切り裂いた。
男たちから一斉に魔属性の気配が消えた。一気に魔力を使いすぎたらしい。両手の間にぽたりと鼻血が垂れる。
――これで終わった?
そう思ったのも束の間。朦朧とする視界の先で、イスカがこちらに魔法を放とうとするのが見えた。
ルビィ再び。ついに杖なしで魔法を使えるようになったサーラです。
さて、次回。相続争いに決着が着きます。




