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75話 イスカの事情(決して同情はしない)

 豪奢な部屋の中に立っている。調度品のお値段はよくわからないが、全体的に年季が入っていて、領主館の執務室とは比べ物にならないぐらい広かった。


 渋い紫色の壁にはエルフの肖像画が並んでいる。長命種だからか、数は少ない。一番左はモノクロで、右に行くにつれて色が増えていく。一番右端には、シエルにとてもよく似た男性が描かれていた。


『父上! 今更再婚なんて、何を考えているのです。母上のことはもう忘れてしまったのですか?』


 今とあまり変わらないイスカに、シエルをそのまま老けさせたみたいな男性が口を開く。声は聞こえないが、違う、と言っているのかもしれない。


 何を言われてもイスカは納得できないようだ。必死に男性に食い下がっている。そのうち、廊下から『お父様!』と叫ぶ男女の声が聞こえて、男性の意識がそちらに向いた。


『まだ話は終わっていませんよ!』


 イスカが縋るように手を伸ばすも、男性はそのまま行ってしまった。廊下から聞こえる楽しそうな声が、残されたイスカに追い討ちをかける。


 力なく下ろされた手は、微かに震えていた。

 

『俺は長男ですよ。どうして、エイシアやエイミールばかり……。もしこれ以上、兄弟が増えたら俺は……』


 ぱっと画面が切り替わった。今度は薄暗い廊下に立っている。重厚な石造りの壁に囲まれた黒檀の扉には、『魔法学会図書室』と刻まれた真鍮のプレートがかかっていた。


 ドアは微かに開いている。窓から差し込む明るい光とは裏腹に、部屋の中は寒々しく見えた。


『まだだ……まだ……。こんなのじゃ足りない……。もっと上を目指さなければ……』


 こちらに背を向けて机に齧り付いているのは、見事な金髪の男だ。エルフ特有の長い耳には琥珀色のイヤリングが揺れている。


 男は一心不乱に万年筆を動かしている。包帯を巻いた右手にはインクと血に染まり、書類が散らばった机の上には、魔法書が山のように積まれていた。


 その中の一冊に『魔法紋理論体系』の文字が見える。男は魔法紋について調べているみたいだった。


『必死だな』


 不意に聞こえた声に、背後を振り向く。いつの間に現れたのか、中にいる男と同じく、見事な金髪をたたえたエルフたちがいた。


 形のいい眉を揃って顰め、ヒソヒソと囁く。

 

『当主争いの進捗が捗々しくないと聞いたぞ。エイシア嬢は七属性持ちで、エイミールどのは誰よりも魔法知識が豊富だからな。末の弟も、ヒト種とはいえ、生まれつき領主の地位を約束されているしな』

『だから魔法紋を習得しようとしているのか。今更、ヒト種の生んだ技術に縋らなければならないとはな。長男があれとは、ブリュンヒルデ公もお気の毒に……』





 

「よく眠っていたな。もう丸一日以上経っているぞ。そろそろ年越しだ。とても魔竜を倒した女とは思えんな」


 頭上から降ってきた声に、思わず悲鳴を上げる。咄嗟に起きあがろうとしたが、後ろ手に拘束され、素肌が触れないように袋をかぶせられているみたいだった。


 よく見ると足にも鎖が巻き付いている。属性を帯びていないものは聖属性で弾くことができない。何度か身じろぎするものの、藁だけを敷いた粗末な床の上に転がるしかできなかった。


 魔石灯の明かりがゆらめく中、素早く周囲に視線を走らせる。今にも崩れ落ちそうな天井も、穴が空いた壁も見覚えがある。けれど、どこだったか思い出せない。


 杖は――部屋の隅に立てかけられている。一か八か杖なしで魔法を使おうと試みたが、やっぱり上手くいかなかった。部屋の中に吹いた突風に、イスカが低く笑う。


 その瞳は完全にエメラルド色に戻っている。こちらを油断させるために、あえて赤目化していたのか。ネーベルとてあれほど苦しんだのに、恐ろしいほどの執念と胆力だ。易々と騙された自分に歯噛みする。


「そう嫌がるな。ここは北の村の跡地――お前が大好きなグランディールの中だぞ。俺たちのような不審者が住み着く前に、早々に解体しておくべきだったな。開拓が順調過ぎて油断が出たか? 必死に聡く見せていても所詮はまだ子供だな」


 嘲るような声。余程シエルが嫌いらしい。本当に大人気のない。自然とこちらの声も尖る。


「誘拐犯が随分と余裕な態度ね。こんなところにいるところを見ると、交渉は決裂したんじゃないの? ――まさか、みんなに手を出してないでしょうね」

「安心しろ。まだ決裂はしていない。包囲も一時解除している。今頃、相談しているんじゃないか? お前を取るか、領地を取るかをな。回答期限は年が変わるまでだ。領主として成人を迎えるのか、只人として迎えるのか見ものだな」


 カッと顔が熱くなった。こんなにも誰かに腹を立てたのは初めてだ。芋虫みたいに床を這い、すぐそばで見下ろすイスカを睨みつける。

 

「シエルはグランディールを手放したりしないわよ! そんなの、よく考えないでもわかるでしょうが!」

「あいつがここに拘っているのは、あの女の実家だからだろう。あの女の代わりがいれば、それでいいと思うかもしれないぞ」

「おあいにく様。あの子はもう泣き虫の男の子じゃないのよ。領主として懸命な判断を下すはずだわ」


 上った血を冷ましながら、必死に思考を巡らせる。このまま時間稼ぎをすれば、シエルたちが来る前に騎士団が駆けつけるかもしれない。


 しかし、その目論見は次のイスカの言葉に打ち砕かれた。


「ああ、アーデルベルト家の騎士団を期待しているなら無駄だぞ。全員とはいかんが、一部は俺たちの仲間になった。セプテンバー家の小僧の忠告は間に合わなかったみたいだな」


 ――ああ、なんてこと。私が捕まったせいだわ。


 罪悪感に苛まれ、一瞬だけ強く目を閉じる。イスカはそれに気を留めることなく、言葉を続けた。

 

「それにしても、アルカードのお守りがいなかったのは予想外だったな。真っ先に出張ってくると思っていたんだが」


 レーゲンさんたちの動きには気づいていないようだ。なら、まだ勝機は残っているかもしれない。ぐっとお腹に力を入れる。

  

「即席の集団に頼らなきゃならないなんて、昔も今も仲間には恵まれなかったみたいね」 

「聖女様は慈悲深くていらっしゃる。利のない相手への態度なんてそんなものだぞ。今まで擦り寄ってきた奴らは、手のひらを返したように妹と弟についたよ。……俺と違って優秀だからな」


 初めてグランディールを尋ねてきたときも見せたイスカの傷。随分と根強いコンプレックスを抱えているらしい。――きっと、シエルが思う以上に。


「何も継げないのがそんなに不満なの? あなたはブリュンヒルデ家の長男で長命なエルフでしょ。十分、恵まれているじゃないの」

「お前らはよくそう言うがな。欲しくないものをいくつ持っていても満たされるわけがないだろう。俺からすれば、お前の方が恵まれているぞ。お優しい仲間たちに囲まれてな」


 それは、心からの声に聞こえた。夢の中で見た背中を思い浮かべる。イスカはイスカなりにやるせない想いを抱えてきたのだろう。しかし、今の状況を許すわけにはいかない。私はシエルの護衛だもの。


「それは、あなたが傲慢だからでしょ。お家のことばかりじゃなくて、もっと周りにも目を向けていれば違っていたんじゃない?」

「俺が昔からこうだったと思うか? 純粋無垢な子供だったときから、俺の周りには損得で動くやつしかいなかった。自分を守る仮面を被って何が悪いんだ。聖人君子になれない人間は生きている価値がないのか?」


 何も言い返せなかった。それは、私がずっと抱えてきた痛みと怒りだからだ。ようやく絞り出したのは、「……色々と経験が豊富そうね」という言葉だけだった。

 

「長生きするとはそういうものだ。短命種の聖女様にはわからないだろうがな」

「それはお気の毒様だけど、こうなった以上、同情はしないわ。それより、何か勘違いしてない? 私は聖女様なんかじゃないわよ」

「俺の過去を覗いたんだろ? 夢見は聖女の能力の一つだぞ。何も知らないんだな」


 思わず絶句する。そんなのルビィから何も聞いてない。私が異世界人だとわかっていたのに。


 こちらの戸惑いに気づいたのか、イスカが口の端を吊り上げる。

 

「まあ、余程力が強くないと発現しないみたいだがな。お前を除けば塔の聖女様ぐらいだ。もしくは……発現するのは異世界人だけなのかもしれないな?」

「……何を言っているの? 私はただの移民よ。異世界なんて知らないわ」 

「そう睨むな。シエルに話すつもりはない。聖女を証明するものもないしな。お前は身一つでこの世界に来たんだろう? そうでなければ、今頃教団の籠の鳥になっているはずだ。()()はとても目立つからな」


 聖女の証明――もしやスマホなのか。だから、ネーベルが探していた? 教皇たちが不正に手を染めたのも、何かのきっかけで聖女様の手元にないことに気づいたからかもしれない。


 これだけ近くにいるのに、イスカはスマホの存在に気づいていないようだ。気絶している間に服を検めないとは、思ったより紳士らしい。


 魔力は制御できるものの、強さは並以上ネーベル未満といったところか。ただ、魔法に対する知識と経験は誰よりも多い。長い時を積み重ねてきたエルフだからだ。


「伯爵を殺したのはあなたなの」


 そう切り込むと、イスカは顔を伏せた。

 

「……いや、実験で魔の魔素を与えたら、暴走して自ら袖を破いて飲み込んだんだ。止める間もなかった。余程、飛竜を取り上げられたのが堪えたみたいだな。あいつも、俺と一緒で嫌われものだったから……。まあ、俺が殺したと言われても仕方がないが」

「アルとはどうやって知り合ったの。いくら懇意にしているブリュンヒルデとはいえ、あなたと接点はないはずよね?」

「俺がグランディールに使いに出されたと聞いて、話を聞きにきたんだよ。エイシアを訪ねたところで袖にされるのが目に見えてるからな。単なる噂ではないお前の姿を、少しでも知りたかったんじゃないのか?」


 胸が詰まった。そんなにも私のことを想ってくれていたなんて……。我を忘れてイスカに食いつく。


「どうしてアルを巻き込んだのよ! 魔属性なんかに取り憑かれなければ、こんなことする子じゃなかったのに!」

「どうして? お前がそれを言うのか? 自分に惚れた男から逃げ出して、新天地でよろしくやっていたお前が? 背を向ける方は気楽でいいな。残されたものがどれだけ苦しもうと関係ないんだろう」


 イスカの言葉が胸を貫く。最後のアルの姿と、泣いていた母親の姿が重なる。ずっと自分だけが傷ついていると思っていた。そうじゃない。私もまた、誰かを傷つけて生きていたのだ。


 項垂れる私に、イスカが言い募る。


「お前を手に入れたいかと聞いたら大人しく頷いたぞ。他の奴らはともかく、あいつは魔属性を自ら受け入れたんだよ。そこまで想ってもらえるなんて、女冥利に尽きるな? 俺から見れば、あいつもお前もただのガキだが」


 そこで言葉を切り、イスカは含み笑いを漏らした。面白いことを思いついたとでもいうように。

 

「そうだ。せっかくだから二人きりにしてやろう。積もる話もあるようだからな」


 イスカが部屋を出ていく。代わりに現れたのは、相変わらず虚な顔をしたアルだった。

誰しも傷を負い、また誰かに負わせながら生きている。過去の自分が今、サーラを追い詰めています。


イスカがシェーラのロックの魔法をはずせたのは、魔法紋を勉強していたからなんですね。イスカが訪ねてきた日、執務室の鍵は最初から開いていました。シエルのうっかりミスです。


色々と拗らせているイスカですが、本来真面目さが取り柄の人間でした。ですが、そういう人間は往々に体よく利用されるもので、徐々に人間不信になっちゃったんですね。その上、弟妹は優秀で要領がいい。父親にも可愛がられている(ように見える)。傲慢なのは、エイシアの真似をして空回っているからです。


次回、アルと対峙するサーラです。彼の恋情に、彼女はどう向かい合うのでしょうか。

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