73話 明かされる秘密たち(早く言ってよ)
「……アル? それに、シエルのお兄さん?」
呆然と呟く私に、ハイノさんが頷く。
「状況を見るに、イスカどのが主犯で、アルカードどのは協力者ですね。アーデルべルト家にはすでに書簡を送りました。飛竜便を使いましたので、明日には届くでしょう。数日持ち堪えれば、アーデルべルトから騎士団が駆けつけるはずです」
持ち堪えれば……これは領地争いということなのか。そう問う私に、ハイノさんは「少し違いますね」と返した。
「辺境伯はまだ未成年ですから、完全にグランディールを継いだわけではありません。彼らの目的は、辺境伯にグランディールの統治権を放棄させることです。拒んだら、不正に領地を占拠していると大義名分を掲げて実力行使に移るつもりでしょうね。これは他家も巻き込んだお家騒動ってやつですよ」
淡々と話すハイノさんに頭が混乱する。何故アルがシエルのお兄さん……イスカに協力しているのかもわからなければ、イスカがシエルから統治権を取り上げようとするのかもわからない。
シエルとコリンナはハイノさんの説明に納得したようで、神妙な面持ちで拳を握りしめていた。ロイは黙って成り行きを見守っている。
「なんで、そんなことが起きるの? 後見人はお父さんのはずじゃ……あっ」
シエルのお父さんはまだ回復していない。その隙をついて、イスカが暴走した? まさか、当主業を代行している次男もグルなの?
私が何を言いたいのか気づいたハイノさんが説明を続ける。
「次男のエイミールどのも倒れたと、先ほど連絡がありました。長女のエイシア様は皇帝の養女になられたので相続権がありません。つまり今、ブリュンヒルデ家の実権を握っているのは長男のイスカどのというわけです」
「姉さんは皇位を、エイミール兄さんは家を、僕はグランディールを継ぐ。だけどイスカ兄さんには継ぐものがない。ひょっとしたらと思っていたんだけど……」
そこでシエルは一瞬躊躇したあと、北の伯爵に鎧を与えたのはイスカだったんじゃないかと語った。
「伯爵があんな大それたことを出来るとは思えないって言ったとき、兄さんは黒幕なんかいないって否定したよね。あれ、自分がけしかけたからだと思うんだ。兄さんならあの鎧を用意できるし、姉さんにすげなく追い返された後なら、つけ込むのは容易いよ」
「まさか、なんでそんな」
「僕のことが嫌いだからだよ。伯爵と同じで、グランディールが有名になるのが気に入らないんだ。もしくは、領地が惜しくなったのかもしれない。昔から相続争いってどこでも起きるものでしょ」
「そうだけど……」
それ以上言葉が見つからず、黙って唇を噛む。元の世界にも相続争いはあった。
いつだって身内が一番タチが悪いとわかっている。だけど、こんなの残酷じゃないか。
どうして、シエルが自分の手で育て上げたグランディールを摘み取られなきゃならないの。それも実の兄の手で。
「わからないのは、どうやってあれだけの魔属性持ちを揃えたのかってことだよ。兄さんに魔属性の力はなかった。サーラとパーティを組んでいたのなら、アルカードさんも魔属性じゃなかったんでしょ」
「もちろんよ。アルが持っていたのは火属性だけだったわ。目も綺麗なオレンジ色だったし」
「ネーベルだって普段は紺色だろ。魔竜を操ったみたいに、他の奴らを操っているかもしれないじゃないか」
少しムッとしたロイが口を挟む。もう理由がわかるだけに心苦しい。シエルもロイの気持ちに気付いているのか、苦笑しながら答える。
「もしネーベルみたいに隠していたとしても、魔物と違って人は操るのが難しいよね。同時に何人も操るなんて、モルガン王クラスのやつがそうそういるかな。個々が取り憑かれてるって考えた方が無難だと思うけど」
そのとき、ずれたピントが合うように、ずっと抱えていた違和感がようやくハッキリした。
そうだ。ライス酒の出荷に追われていた日、机の下にしゃがんでいたのはイスカだ。
床に落ちた顧客リストを取るためだと思っていたが、そうではなかったとしたら? 彼なら引き出しのロックの魔法を解除して、コリンナの論文を理解できてもおかしくない。
ちらりとネーベルとハイノさんを見る。二人は黙って頷いた。話してもいい、ということだろう。
「……魔素よ。聖属性と魔属性の力の元は魔素なの。お兄さんもそれを知っているんだわ。きっと、アマルディで暴走したデュラハンみたいに、魔素溜まりのあるダンジョンに潜って後天的に魔属性を得たのよ」
「! それって、まさか……」
「わたくしの論文を見たのですね?」
絶句したシエルの後を繋いだコリンナが、真っ青な顔をして矢継ぎ早に続けた。
「今回の件は、わたくしのせいなのですね。わたくしが、あの論文を破棄する勇気を持てなかったから……! せめて、もっと複雑なロックの魔法をかけていたら、阻止できたかもしれませんのに!」
「落ち着いて。お兄さんはシエルよりも遥かに歳上なんだし、元々知っていた可能性もあるわ。魔法に造詣が深いブリュンヒルデ家の長男で、何よりエルフなんだもの」
「でも、彼の背中を押したのはわたくしの論文なのでしょう? あの論文には、魔素が発生する場所の推測も書いていましたもの!」
酷く取り乱すコリンナの両肩をシエルが掴む。いつもとは違い、余裕のない表情だった。
「コリンナ、君が責任を感じる必要はない。僕の身内がしでかしたことだ。あれさえあればここは守れるんだから、今決断しなくたって……」
「いいえ、覚悟を決めました。シエル様、わたくしと結婚してくださいませ」
まさかの爆弾発言に、その場の全員が黙る。かろうじて私が言えたことは「なんでそんな展開になるの?」の一言だった。
「サーラ様、人工魔石の特許申請の書類はございますか? 完成したって仰っていましたわよね」
「あ、あるわよ。あとは二人に署名してもらうだけだけど……」
「お貸しくださいませ」
有無を言わせぬ様子のコリンナに、慌てて引き出しから取り出した書類を手渡す。コリンナは険しい表情でシエルに万年筆を借り、名義人の欄にさらさらと署名した。
「ご覧ください。これが、わたくしの本当の名前です」
そこには、綺麗な字で『シェーラ・リッカ』と書かれていた。
「シェーラって……公女様の名前でしょ。こんなときに冗談はよしてよ」
「冗談ではありません。わたくしこそ、リッカの第三公女、シェーラ・リッカなのです。侍女のコリンナはわたくしの身代わり。わたくしたち、魔法学校に入学したときから入れ替わっていたのですわ」
そういえば新年パーティの夜、一人で領主館に戻ると言う私に、公女様……いや、侍女のコリンナがこう叫んでいた。
『わたくしもシェ……シエル様やコリンナが心配なのです!』
考えてみれば彼女は、シエルをずっと辺境伯と呼んでいた。主人を心配するあまり、思わず『シェーラ様』と口に出しかけたんだろう。
それに、伯爵を拘束後に現れた公爵が真っ先に安否を確認したのは、コリンナの振りをしたシェーラだった。さすがの公爵も、つい娘を優先したらしい。
「シエルは知っていたの?」
「契約を交わしたときからね。そもそも、僕を探るために乗り込んできたんだよ。聖属性の研究をしたかったのは本心だろうけど、バイトはただの口実さ。さすがあの公爵の娘だよね」
「まあ、ひどいですわ。恩返しに働きたいと言ったのも本心ですわよ。わたくし、かなり貢献したと思うのですけど!」
「はは、冗談だよ。君が来てくれて本当に助かってる。いつの間にか、そばにいるのが当たり前になるほどにね。……僕だって、森の女神様と口にしたのは嘘じゃない」
エメラルドみたいな目にまっすぐ見つめられ、シェーラが黙る。その頬は微かに赤くなっている。
こんな状況じゃなければ万歳三唱したい気持ちだが、聞きたいことが山のようにあるため、空気を読まずに割って入る。
「あのさ、ちょっと待って。確認なんだけど、やっぱりシエルもコリンナ……違う、シェーラのことが好きだったの? 結婚したいほど?」
「そういうこと。僕も覚悟を決めるよ。これで健やかなるときも病めるときも、僕たちは夫婦だ」
私から特許申請書を取り上げたシエルが、婚姻届にサインするように自分の名を記した。
「ずっと黙っていてごめんなさい。実はシエル様がグランディールに着任したときから、婚約者候補に名前が上がっていたのです。アマルディを独立させる条件として、ルクセン側の配偶者が必要でしたの。でも、どうしても自分の目で見極めたくて……」
「家のために犠牲になる必要はないって言ったんだけどね。この通り、頑固だから」
すでに熟年夫婦みたいな調子でシエルが笑う。
二人が結ばれる方法。それはシェーラが自分の立場を明らかにして、独立後のアマルディを継ぐ覚悟を固めることだったのだろう。
シェーラはきっと、シエルを好きになった時点で重荷を背負わせるのが怖くなったのだ。そして、シエルも自分が想いを伝えることでシェーラに意に沿わぬ決断をさせるのが怖かったのか。
「いいの? 国を治めるって、きっと領地を治める以上に大変よ?」
「大丈夫……と、まだハッキリとは言えませんけれど、領地経営の実績はここで積ませて頂きましたもの。シエル様だって、きっとわたくしを支えてくださいますわ。それに、わたくしがシエル様と結婚すれば、グランディールの相続権が生まれます。お義兄様の思い通りにはさせませんわよ」
私の心配をよそに、シェーラはにっこりと微笑んだ。なんて強くて良い子なのよ。泣きそう。
「あと二日で僕は成人だ。シェーラと結婚してアマルディの独立を進めると同時に、この特許申請書を手土産にして、帝国議会にグランディールを特別領と認めさせる。この特許はそれだけの力を持っているからね」
「そう言ってもらえるのはありがたいけど……。特許を却下されたら終わりじゃない? もし申請が通っても、特別領なんて前例がないし……」
「それならシェーラに譲渡して新公国で発表すると言うだけだ。ルクセンにはかなりのダメージだろうね。心配しなくとも、莫大な利益を生む金の卵を、みすみす他所に流さないと思うよ」
シエルは私の研究と己の決断を心から信じているようだった。けれど、護衛の立場としては心配が尽きない。
「特許申請には名義人の一人が必ず帝都に行かなきゃダメでしょ。こんな状況で、私がここを離れてシエルの身にもしものことがあったらどうするのよ。それに、もし特許を議会に奪われたら?」
「大丈夫だよ。名義人ならもう一人いるから。それも、議会の奴らが絶対に手を出せない最強のね。そうですよね、レーゲン先生」
万年筆を差し出すシエルに、レーゲンさんは頭をガリガリと掻いた。
「わかったよ。約束だもんな」
「触るの嫌だからって落とさないでくださいね。それ、高級品なので」
「それもわかってるって」
そう言って、レーゲンさんは申請書類にさらさらとサインした。
『ツァルトハイト・レーゲン・フォン・ルクセン』
「……何、この長ったらしい名前。それにルクセンって……」
わなわなと震える私に、レーゲンさんは悪戯小僧みたいに笑った。
「ヴァルトは偽名だよ。あんたに『皇帝に似てる』って指摘されたときは内心焦ったぜ。そんなに兄貴に似てたか、俺」
「双子なんデスかラ、当たり前でショウ。いくら表に出ていないとはいエ、勘のいい奴はどこにでもいるものデスヨ」
呆れたようにため息をついたネーベルが、ニヤニヤと私を見下ろす。
「お察しの通リ、この方は帝都から逃げ出した皇弟デスヨ。ワタシの本当の肩書ハ、帝国軍第三諜報部皇弟付き護衛官――つまりレーゲンの護衛デス。アナタとご同業ってワケデスネ」
「ただのストーカーじゃなかったの……」
「失礼デスネ。ワタシ、国家公務員デスヨ。もっと敬ってくださイ」
唇を尖らせるネーベルに、私は頭を抱えた。コリンナがシェーラ公女で、レーゲンさんが皇弟……? 何がどうなっているのかわからない。
「落ち着け、サーラ。シェーラが公女でレーゲンが皇弟でも、俺たちの関係は変わらないだろ」
ロイの言葉にシェーラとレーゲンさんが頷く。それは嬉しいけど、どうしてそんなに落ち着いていられるのかわからない。思わずそう漏らした愚痴に、ロイがきょとんとする。
「シェーラはともかく、レーゲンはそうだろうなって思ってたから」
「どういうこと?」
「最初に会ったとき、シエルの万年筆と匂いが似てたから」
「どういうこと?」
話が噛み合わない私たちに、シエルが笑った。
「僕は元ブリュンヒルデだよ。公爵家は新年に皇城に招かれて、皇帝から直々に贈り物をされるんだ。いわゆる下賜品ってやつだね。この万年筆もそう。ロイはその匂いを覚えてたんだね」
ロイがこくりと頷く。その続きをレーゲンさんが繋いだ。
「特許がなくとも、グランディールを俺との共同統治にすれば誰も手を出せない。もしものときは協力する条件で、教団から逃げ出した俺を匿ってくれたってことだよ」
「……最初から相続争いが起きる可能性を見越してたってこと? だから、人工魔石が完成したときに、『これでグランディールを守れる』って言ったの?」
「そうだよ。ハリスさんが初めて来た晩、言ったでしょ。貴族は足の引っ張り合いが常だって。特に僕らは仲良し兄弟ってわけじゃなかったからね」
種明かしをするように両手を広げるシエルに、私は叫んだ。
「言ってよ!」
今まで隠されていた秘密が一気に明らかになりました。レーゲンはコリンナと似た立場で、皇帝の予備として、常に日陰にいました。医者になりたいと言ったのは彼の唯一の我儘です。シエルは皇帝の顔をはっきり知っていたので、騎士服を着たレーゲンを見てピンときたんですね。
人工魔石が完成した日にレーゲンが新聞を持って執務室にいたのは、イスカが自暴自棄になって、危惧していた相続争いが起きるんじゃないかと思ったからです。彼は紛争の恐ろしさを誰よりも理解していますから。
コリンナ改めシェーラもずっと辛い立場でした。新年パーティの日にシエルと公爵が話していたのは、商談ではなくアマルディの独立についてです。公爵がシエルを呼んだのは、将来の婿候補を見定めるためでもありました。
さて、次回。イスカと対峙します。




