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72話 この感情に名前をつけるなら(まさかこんな気持ちになるなんて)

「ロ、ロイ。どうして庭に?」

「ポチたちがそろそろ戻ってくるかと思って……。サーラこそ、どうした? もしかして、またのぼせたのか?」


 心配そうな顔でロイが私に手を伸ばす。何故か触れられるのが怖くて、咄嗟に後ずさった。しまった。避けちゃった。


 ロイは首を傾げると、私の体に触れないように丹前を掴んで、庭の隅に置かれたベンチまで連れて行った。


「ここにいろ。何か飲み物を持ってくるから」

「あっ、待って」


 さっき拒絶したくせに何が待ってだ。頭の中では冷静に突っ込みを入れつつも、指はロイの袂を掴んでいた。


「一緒にいて……」


 我ながら卑怯だと思う。けれど、ロイはそれ以上何も言わずに腰を下ろしてくれた。


 狭いベンチの上で肩が触れ合う。そこから伸びる逞しい腕は、きっとあの夜と変わらないままなのだろう。もう一度抱きしめられてみたいと言ったら、ロイはどう反応するだろうか。


 ……って、これじゃ変態みたいじゃない。グランディールに変態は二人もいらないのよ。


 私の煩悶など露知らず、ロイがぽつりと呟く。


「アルってやつのこと考えてるのか?」

「え?」

「サーラのこと好きだったんだろ。まだ気持ちが変わってないって知って、気になったんじゃないのか?」


 まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。何故だかとても悲しい気持ちになり、ややつっけんどんに返す。

 

「違うわよ。いなくなったのは確かに心配だけど、今でも弟としか思えないもの」


 ロイの肩の力が抜けた。そして、すぐに私に向き合うと、満月色の瞳で私を見下ろした。盛り上がった肩の向こうでは、煌々と輝く満月が浮かんでいる。


 二つの月が、私を見ている。


「じゃあ、俺は?」


 ロイが私の両頬を優しく掴む。私が逃げないように。決して目を逸らさないように。


「俺はサーラが好きだ。仲間としても、女としても」


 ああ、人はこういうときカミサマに祈るのかもしれない。震える唇が紡いだのは、「いつから?」の一言だった。

 

「最初から。俺の目をまっすぐに見てくれて、無理に喋らなくても居心地がいい女に会ったのは初めてだった。腕も確かだ。でも、確信したのは初めてルビィ村に行ったあと。囮にされたことよりも、俺の鼻の方を気にしてたから、器でかいんだなって」


 それは仕事だと割り切っていたからで……。そんなに好意的に取られていたのか。確かに、市内に戻る途中でロイはこう言っていた。


『俺は好きな女にしか優しくしない』


 手を引いて荷台から降ろしてくれたのは、きっとそういうことなのだろう。

 

「器でかくないわよお……」

「そうやって自己評価が低いところも好きだ。斜めに構えているようで実は情に脆いところも、自分よりも他人を気にするところも、スライムを甲斐甲斐しく世話するところも、放っておくと無茶するところも、全部、全部好きだ」


 ぎゅ、と音が鳴るほど強く抱きしめられる。あの夜と同じ体温。鼓動。


 あのとき、できなかったことを望んでいいの?


 恐る恐るロイの背中に腕を回そうとした――が、温泉に来る前にした決意が脳裏をよぎり、そっとロイの胸を押し返した。


「サーラ?」

「ごめん。返事は年明けまで待って。私、シエルとロイに話さなきゃならないことがあるの」

「それ、今じゃダメなのか」

「自分なりのケジメだから……」


 もし、ロイの気持ちを受け入れたあとに拒絶されたら立ち直れないだろう。それに、隠し事をしたまま付き合うなんて彼に失礼だ。突然だったので、気持ちを整理する時間も欲しい。


 そんな優柔不断な私に気分を害することなく、ロイは静かに頷いた。


「わかった」


 ぐい、と腕を引っ張られる。何事? と思う間もなく、耳元で低い声がする。


「……でも、そのあとは我慢しないからな」

「我慢しないって……何を?」


 恐る恐る問うと、ロイは笑った。怖い。とんでもない約束をしたのでは?


「そ、そろそろ戻らない? 護衛なのに、シエルを放っておくわけにはいかないでしょ。ポチたちが戻って来たら旅館の人に知らせてもらいましょ」

「もう少しいいだろ。たまにはサーラを独り占めしたい」

「何、言ってんの。子供のおもちゃじゃないのよ」

「一緒にいてくれ」


 さっき言ったことを返された。まっすぐに目を見つめられて、思わず怯む。


 ああ、私どうしちゃったの。それもいいかな、なんて思っちゃうなんて。


「……わかったわよ。もう少しだけね」


 頷くと、ロイは嬉しそうに笑って私の手を取った。節くれだった指を私の指に絡める。髪に触れられたときと同じで、嫌な気持ちはしなかった。


 指先から伝わる熱がとても心地いい。拒否しないなんて、こんなの、もう返事をしたみたいなものだけど、今は素直に堪能しておこう。


 私は、誰かに恋をしたことがない。だから、この感情の正体にもいまいち自信が持てない。


 けれど、この感情に名前をつけるなら、恋以上にふさわしいものはないと思えた。だって、こんなにもドキドキして、満たされた気持ちになるんだもの。


 そのとき、庭の片隅で何かが動いた。微かに草木を踏みしめる音もする。


「ポチたちが戻ってきた?」

「いや、これは……」


 素早くベンチから立ち上がったロイが、闇の鎖で何かを弾いた。月明かりに反射する銀色の刃――飛びナイフだ。


 間髪入れずに全身黒ずくめの男が茂みから飛び出してくる。その両目は赤い。とっさに氷魔法で足を止め、魔属性を浄化する。ちゃんと杖持っててよかった!


「サーラ! ロイ!」


 旅館の中からシエルが私たちを呼ぶ。浴衣は乱れているが怪我はなさそうだ。傍らでは杖を持ったコリンナが廊下の奥を睨みつけていた。


「サーラ様! この方たち、魔属性に取り憑かれています!」


 叫ぶ端から男がコリンナたちに向かっていくのが見えた。咄嗟に杖を地面に突き刺し、風魔法で魔法紋を書く。今の私の魔力量なら、多少距離があっても届く筈だ。


「二人とも、庭に飛び降りて!」


 シエルがコリンナを抱き抱えて、縁台から飛び降りる。すかさずロイが二人に駆け寄って背後に隠した。抜き身の短剣を手に、後を追って来た男が地面に降りる。その瞬間、魔法紋に手をついて聖属性の魔力を流した。


 ロイが声もなくくずおれた男の覆面を剥ぐ。魔属性に取り憑かれていたことを差し引けば、どこにでもいそうなヒト種だ。心当たりは全くない。


 ここには魔物避けの結界を張っているものの、魔属性持ちの人間を弾くわけではない。とはいえ、明確にこちらを狙ってきたところを見ると、単なる強盗ではなさそうだ。


「一体、誰の仕業? 伯爵の死を逆恨みして襲って来たとか?」


 シエルが「わからない」と小さく首を横に振る。

 

「でも、もしかしたら……」

「みなさん、ご無事ですか?」


 激しく足音を立てて、旅館の従業員たちが廊下を駆けて来た。さすが元探索者たち。傷ひとつない上に、両脇に気絶した男たちを抱えていた。


「パール!」


 いつの間に戻っていたのか、私たちを部屋に通してくれたおじさまの腕の中にパールがいた。


 パールは私の姿を認めた途端、おじさまの腕から飛び降りてこちらに跳ねてきた。


「よかった。怪我はない? 大丈夫だった?」


 そっと抱きしめると、パールは『平気!』とでも言うように体をぷるぷると震わせた。


「いやあ、その子すごかったですよ。氷魔法で襲撃者たちの武器を破壊してくれましてね。おかげで楽に倒せました。魔法を使えるスライムなんて初めて見ましたよ」


 いつの間に魔法まで……。パールの秘密がバレてしまったが、今はそれどころじゃない。


 ポチたちは無事なのかと口を開こうとした刹那、背後の茂みが鳴った。ロイ以外の全員が一斉に身構える。現れたのはポチとシロだった。


 二頭とも、口に黒ずくめの男を咥えている。シロが浄化したのか、男たちに魔属性の気配は残っていなかった。そして、ポチの背中には羽根に傷を負った自警団兎組の鳥人――シスが乗っていた。


「シエル様! 姐さん! すぐに戻ってくれ! 市内が包囲されてる!」






 ネーベルがシスに持たせた魔石と魔法紋で転送魔法を繋げ、市内に帰還する。闇を抜けた先は執務室で、ネーベル、レーゲンさん、ハイノさんが腕組みをして窓から外を眺めていた。


「お帰りなさイ。楽しい旅行が中断して残念でしたネ」

「一体どういうこと? 何があったの?」


 私の問いに、ネーベルは黙って顎をしゃくった。


 開いた窓から身を乗り出す。手に武器を持ったミミたちが睨みをきかせている大門の向こうに、幾つも松明や光魔法の明かりがちらついている。


 遠くて包囲者たちの姿ははっきりとは見えないが、夜の闇の中に紛れて、二つ並んだ不気味な赤い光がぽつぽつと浮かんでいた。魔属性に取り憑かれた人間の瞳だ。


 それを見て、シスが忌々しそうに舌打ちする。


「包囲されてるのは市内だけでさ。数はそう多くないが、全員魔属性持ちだ。迎撃するなら、覚悟はできてるからいつでも命令してくれ。それまで俺は見張りに戻る」


 レーゲンさんに傷を治してもらったシスが、文字通り窓から外へ飛び出していく。その後を継いで、ハイノさんが口を開く。


「彼らからまだ声明はありません。今のところ、攻撃に転じる素振りもないようです。おそらく夜明けを待つつもりでしょう。領民には集会所を始めとした公的施設にひとまず避難をお願いしました。不安がってはいますが、魔竜の一件があったからか、みんな落ち着いていましたよ」

「ハイノさん、奥さんと娘さんのそばについていなくていいの? いてくれると心強いけど、ここは私たちで……」


 その先を制するように、ハイノさんはにこりと笑った。


「有事のときだからこそ、自分のできることをやらねばなりません。大丈夫。まだ戦闘になると決まったわけではありませんから」

「そうだといいですけどネ。これを見てくださイ。首謀者の正体がわかりますヨ」


 ネーベルが自前の闇魔法の中から取り出したのは遠眼鏡……望遠鏡だった。


 最初に覗いたシエルが息を飲み、私に回す。


 丸く切り取られた視界の中にいたのは、燃えるように真っ赤な髪をした若いヒト種の男と、見事な金髪を持つエルフだった。

ドキドキの旅行から一転、グランディールに危機が訪れます。サーラたちはどう立ち向かうのでしょうか。


次回、今まで明かされなかった秘密が明かされます。

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