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71話 初めての従業員旅行です(温泉でゆっくりしよう)

 盛大なくしゃみをして身を震わせる。季節はすっかり冬に移り変わっていた。白い息を吐くたびに、散らつく雪が視界から消える。


 たとえ聖属性と氷属性持ちでも、パールがそばにいるので通常より寒い。とはいえ、可愛いので遠ざけるつもりもなく、常に行動を共にしている。


 今も私の足元で光魔法を付与したニット帽を被って楽しそうに跳ねている。最近では私以外の人間の真似もできるようになった。これから更に成長するかと思うと楽しみだ。


「せんせー! さよーならー!」

「はい、さようなら。気をつけてね」


 集会場の前で、法服に身を包んだハイノさんが子供たちに手を振っている。塾の時間が終わったのだろう。彼の足元では天使みたいに可愛い女の子が、頬を染めてハイノさんの真似をしていた。


 さすが元諜報員と言うべきか、ハイノさんはこちらが驚くほどの早さでグランディールに馴染んだ。


 今ではセプテンバーさんでもなく、司祭様でもなく、みんなからハイノ先生と呼ばれている。若干レーゲン先生と被るので、ネーベルはご機嫌斜めだ。


 集会所の近くではミミとデートするマルクくんや、エンゲルさんとベンチで楽しそうに語らうマゼンダさんがいる。彼女の心の傷はまだ癒えていないが、少しずつ良くなっているとみていいだろう。


「あと二日で年越しね。シエルもいよいよ成人か……」


 私の独り言に、パールが応えるように跳ねた。


 年が明けたら、シエルとロイには私が異世界から来た聖女だと明かすつもりだ。


 もし拒否されたらグランディールを出てラスタへ。受け入れられたら魔法紋の塾講師を引き受け、ルビィの技術を弟子たちに伝えていくと共に、グランディールに骨を埋めようと思っている。


 この心境の変化はカミサマと無事にお別れできたから訪れたのだろう。あの日……夢の中で古びた玄関から足を踏み出してから悪夢も見なくなった。代わりに見るのは、この世界に来てからの楽しい夢ばかりだ。


「来年はどんな年になるかな……。楽しみね、パール」


 体についた粉雪を払い落として執務室に向かう。今日は朝からみんな準備に忙しいので無人だ。


 閉め忘れを防ぐためにかけたロックの魔法を解除し、スペアキーで鍵を開け、いつも綺麗に掃除された部屋の中に足を踏み入れる。


 念の為に内鍵をかけてから領主机に回り、手にしたブリーフケースから書類の束を取り出す。人工魔石の特許申請書類と論文だ。エルネア教団とのゴタゴタで遅れに遅れていたがついに完成したのだ。


 これから市内を離れることだし、部屋に置いておくのも心配なので、いい保管場所はないかとシエルに相談したら、領主机の一番右下の引き出しにしまっておけばいいと教えてくれた。なんでもコリンナ渾身のロックの魔法がかかっているらしい。


『はい、これ解除手順書。でも、サーラなら、なくても解けるんじゃない? こういう仕掛けが必要な魔法って、魔法紋師の本分だと思うし』


 ロックの魔法は魔法使いによって解き方が違う。いわゆるパズルのようなものだ。


 それでご飯を食べている人間もいるぐらいなので、簡単に解かれては魔法使いの沽券に関わる。シエルには『コリンナが聞いたら悲しむわよ』と釘を刺しておいた。


「さて、どんなのかな……って、すっごい複雑。こんなの学校を卒業したばかりの子の仕業じゃないわよ……」


 さすがコリンナ。光魔法を基準とした繊細で緻密な魔法だ。魔法使いとしての好奇心が刺激され、手順書を伏せて解除に挑む。


 魔法の解除は魔力分析に近い。どこにどんな属性の魔法や魔法紋が使われているのかを、一つ一つ確かめていく。


 やがて、何度かいじくり回しているうちにロックが外れた。並の魔法紋師なら解けなかったかもしれないが、私は八百歳越えのエルフに技術を叩き込まれた本職。まだまだ経験の差は大きいということだろう。


 引き出しの中には、すでに書類の束が仕舞われていた。コリンナが後世の魔法使いに託すと言っていた論文だ。

 

「なるほど、一番安心できる場所ってここ……」


 そのときふと、胸に違和感がよぎった。私は今、机に隠れるようにしゃがんで引き出しの中を覗き込んでいる。誰かが同じように、ここにしゃがんでいたような……。


「サーラ、どこー? そろそろ出発するよー?」

「あ、はーい!」


 いけない。もうそんな時間なのか。コリンナの論文の上に私の論文を載せ、念の為にロックの魔法を更に頑丈なものにした上で、執務室を後にした。






「うわあ、すご……。湯治場というか、立派な温泉旅館じゃない」


 ポチとシロが曳く幌付きの荷台から降りると、元の世界に似た和風建築が私たちを待っていた。


 そう。今日は迫る年越しイベントに備えて英気を養うため、初めての従業員旅行にやって来たのだ。とはいえ、参加者は私、シエル、ロイ、コリンナ、パール、ポチ、シロだけしかいない。


 レーゲンさんはこの時期、病人たちの世話で忙しいし、彼のそばから離れる気のないネーベルは言わずもがな。他の従業員たちも、『仕事じゃないなら、ちょっと……』とシエルが聞いたら落ち込みそうな理由で市内に残っていた。


 この国には不敬罪が存在するため、貴族が四六時中そばにいると息が詰まるのは致し方ない。決してシエルに人望がないわけではないのだ。決して。


「素晴らしいですわね。職人の皆様からお話は伺っておりましたが、こうして実際に目にすると格別ですわ。初代聖女様の故郷を模した建築だそうですが、なんだか落ちつく佇まいですわね」


 この世界に文明をもたらしたのは、異世界から来たエルネア女神と初代聖女様だとされている。きっと千年単位で遺伝子に刷り込まれているのだろう。もちろん私も刷り込まれている。元日本人なので。


「よし。ポチ、シロ、パール。その辺で遊んできていいぞ。日が暮れたら戻ってこいよ」


 荷台を切り離したロイが、ポチの頭にパールを乗せ、快く二頭と一匹を送り出す。シロにとって、ここは故郷だ。ポチとじゃれ合うようにして、あっという間に森の中に消えて行く。


 ちなみに、ポチとシロの子供たちはミミとマルクくんに任せてきた。いつもと違うデートができていいだろう。

 

「今日は貸切だからポチたちも温泉に入れるわね」

「また乾かすの手伝ってくれよ」

「……服は着てよね」


 じろりと睨むと、ロイは不思議そうな顔で首を傾げた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」


 元探索者とは思えないほど愛想のいいおじさまに部屋に通され、用意されていた浴衣に着替える。私は黄色の花柄、コリンナは緑色の蝶柄。帯は二人とも紫色で、丹前は渋い朱色だった。

 

「あら、これはどう着るものなのでしょう。本では羽織って結ぶとありましたが……」


 浴衣を手にしたコリンナが眉を下げる。隣の部屋からも「これ、どうやって着るの?」とおじさまに質問しているシエルの声が聞こえた。


 いくら知識として知っていても、慣れていないとわからないよね。私も最初は上手く着られなかったし。


「貸して。浴衣は左を上にして……。帯はね、こうやって巻いて結ぶだけよ。丹前は浴衣の上から羽織るの。乱れたら直すから言ってね」

「すごいですわ、サーラ様。とてもお詳しいですのね。まるで何度も着たことがあるみたいですわ」

 

 ちゃちゃっと着付けてあげると、コリンナが尊敬の眼差しで私を見つめた。やめて。そんな大したことしてないから……。

 

「グランディールに来るまでは、あちこち行ってたからね。こういう旅館にも泊まったことがあるってだけよ」


 嘘ではない。本当でもないけど。


 座椅子にもたれ、大きく深呼吸をする。懐かしい畳の匂いに少しだけメランコリックな気持ちになった。


 机に置かれていたお茶菓子を摘みつつコリンナと談笑していると、部屋のドアを叩く音と、私たちを呼ぶシエルの声がした。


「似合ってるわよ、二人とも」


 二人の浴衣は私たちと違って無地のグレーで、帯は黒色、丹前は渋い青色だった。浴衣を着た金髪の美少年と黒髪の偉丈夫……。まるで漫画みたいだな。

 

「ありがとう、二人も素敵だよ。コリンナは森の女神様みたいに綺麗だし、サーラもかんざしがよく似合うね」

「クリフさんの作品だからね。普段より美人に見えるでしょ」


 アルマさんにワンピースを見立ててもらったときみたいに、その場で一回転する。


 シエルとコリンナからやんややんやと声が上がる中、真っ赤な顔をしたロイが私をじっと見つめている。何故なのか気になるが、いつものことなので深く考えないことにした。


 夕食の前に温泉に行かないかと言うので、連れ立って浴場に向かう。


 昭和を彷彿とさせるレトロな脱衣所の向こうには内風呂と露天風呂があった。


 月の光に照らされた露天風呂は形の揃った石で丁寧に囲われていて、シエルが土魔法で作った浴槽とは比べ物にならない出来だ。ナクトくんたち職人に感謝である。


「はああ……。気持ちいい……。このまま溶けてしまいそうですわ……」

「わかる……。永遠にここにいたいよね……」


 肩まで温泉に浸かったコリンナが恍惚の表情を浮かべる。さぞかし書類仕事で酷使した体に効くだろう。


 二人とも、しばし黙って温泉を堪能する。


「……ねえ、サーラ様には将来の夢がありますか?」

「どうしたの、急に。もしかして進路の相談? グランディールで働くの、今年いっぱいまでって言ってたもんね」

「相談といいますか……。決めかねているのです。どちらの道に進むべきか」


 公女の侍女に専念する道か、侍女をやめてシエルと結婚する道ということだろうか。


 二人の関係がどこまで進展しているのか、相変わらずわからないままだが、少なくとも迷うぐらいには想い合っているのだろう。

 

「両方はダメなの? 侍女を続ける道と、シエルのお嫁さんになる道」


 あえて思ったまま言うと、コリンナはかあっと顔を赤らめた。


「な、何を仰いますの。わたくしはそんな大それたこと……」

「違うの? ずっとシエルのことを好きなんだと思ってたけど」


 空気を読まずにぐいぐい突っ込むと、コリンナはこくりと頷いた。かわいい。


「シエルのどういうところが好き?」

「……常に冷静で、何よりも領地のことを想っているところですわ。わたくし、シエル様は理想の領主像だと思いますの」


 理想の男性像ではないところは少し残念だが、シエルのことを想ってくれるならなんでもいい。コリンナは日中、誰よりもシエルと過ごすことが多かった。仕事を通じて恋心が育まれていったのだろう。


「それなら、なおさら両方の道を選んでみたら? 公女様も二人が上手くいく方法はあるって言っていたわよ。相談してみたらいいんじゃない?」

「公女様が……」


 思うところがあったのだろうか。コリンナは視線を落とすと、赤く色づいた唇を噛んだ。


「そうですわね……。わたくしが覚悟を決めれば叶うかもしれませんわね」

「私にはコリンナの事情はわからないけど、後悔のないようにした方がいいと思う。もし、失恋しちゃったら……そのときは一緒にお酒を飲もうよ。もう成人したから飲めるでしょ?」


 顔を上げたコリンナが、ふ、と笑った。少しだけ泣きそうな表情だった。

 

「ありがとうございます。……そういうサーラ様はロイ様のことをどう思っていらっしゃるの?」

「え? どうって……。同僚で、同じ護衛よ。無愛想であまり喋らないけど、強いし頼りになるわよ」

「それだけ? そばにいてドキドキしませんか?」


 ドキドキ。不整脈じゃあるまいし。でも、せっかくなので、今までのロイとの思い出を振り返る。


 初めて会ったときの血まみれの姿。荷台から手を引いて下ろしてくれたときのこと。何故か色だけ褒められたワンピース。露天風呂でのぼせたら看病してもらって、プレゼントを贈りあって、クラーケンで無茶したら怒られて。


 パールを凍らせてしまったときは診療所まで運んでくれたし、北の森では彼の傷に触れた。年明けには月の下でダンスをして、脱衣所では図らずとも筋肉美を見てしまった。


 そして、マゼンダさんたちが来たあの夜。息ができないほど強く強く抱きしめられた逞しい両腕。そういえば、頭も撫でてもらったんだった。


 ……あれ?


 え、ちょっと待って。なんで胸が苦しいの。


「サーラ様、顔が真っ赤ですわよ」

「の、のぼせちゃったかな。ごめん、先に出るわ」


 飛び出すように温泉から上がり、逃げるように浴場を後にする。けれど、部屋に戻る気にはなれず、熱い頬を冷ますために庭に出る。


 努めて冷静であろうとするものの、頭の中は「なんで?」の文字が渦巻いていた。

 

「なんなの、これ。こんなの経験したこと……」 

「サーラ?」


 足がびくりと止まった。恐る恐る顔を上げる。目の前には月を背負ったロイがいた。

ようやく自分の気持ちに気づくサーラです。長かったですね。明確に芽生えたのは2回目の田植えのときですが、クラーケンのときからきざしはありました。コリンナの覚悟は73話で判明します。


いよいよ最終話に突き進んでいきます。次回、ロイがついに……?

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