69話 暦の魔法使い(すっごい人来た……)
「いやあ、ははは。こんなにお土産をもらって悪いねえ。飛竜便まで呼んでもらっちゃって」
今年の新ライスとかろうじて倉庫に残っていた大吟醸を抱えて、ノワルさんが嬉しそうに笑う。その足元にはブラウ村の漁師たちが作った干物の箱や、解体した闇猟犬や魔竜の魔物素材が山のように積まれていた。
「アーデルベルト家には大変なご尽力をいただきましたので、ほんの気持ちです。あなたは呼んでいませんけど。ねぇ、コリンナ」
「ええ、魔竜の解体にも手を貸していただいて本当に助かりましたわ。シエル様の仰る通り、あなたは呼んでいませんけどね」
「あはは、随分と嫌われちゃったねえ。ゴルドには友好的なのに。寂しいなあ」
全然そう思ってなさそうな口調でノワルさんが肩をすくめる。
彼がここまで毛嫌いされるのは、領主館に滞在中、隙あらば私を勧誘しまくった上に、不測の事態に備えるなら何故アーデルベルト家を待たなかったのか、という今更言われても仕方のないことから、報告書のシエルの字の汚さまで、パワハラ上司の如くねちねちと突きまくったからだ。
たぶん、わざと。
特にロイは完全にノワルさんを敵視していて、この三日間、片時も私から離れなかった。今も背後からノワルさんを睨みつけている。
昔なら重いと感じていただろうが、人は変わるもの。なんだか物語に登場するヒロインになったみたいで、ほんのちょっぴり嬉しかったのは内緒だ。とはいえ、ずっとこうだと困るので絶対に言わないけど。
欠伸をしている飛竜の毛に埋もれるようにもたれているゴルドさんの隣では、両手を拘束された司教が項垂れている。魔竜を倒して以降、司教は私と目を合わせようとはしなかった。ビビっているのかもしれない。
「グランディールの聖女様の怒りを買ったからね。女神様のバチが当たるのが怖いんじゃない」
私の心を読んだかのようにノワルさんが話を振ってくる。彼はこの一年半……いや、出会ったときからの空白を埋めるように私に話しかけていた。
「やめてください。私はただの護衛です。聖女様なんて器じゃないですよ」
「ただの護衛……ね。そういうところは昔と変わっていないね。自己評価が低い」
ズバッと言われてぐっと喉が詰まる。昔と比べてだいぶ容赦がなくなった。まあ、ようやく一人前の人間として見てもらえるようになったと前向きに捉えておこう。
「たとえ元は闇竜といえども、魔竜のブレスを打ち破れる人間なんて、聖女様を除けば君しかいない。十分に気をつけなよ」
ノワルさんにはネーベルのことは伏せ、たまたま領地に強力な魔属性持ちが滞在していて、その力に影響されて暴走した魔物たちが襲ってきたのだと説明してある。
苦しい言い訳かと突っ込みを覚悟したが、案外すんなりと納得された。
なんでも、グランディールは昔から魔属性持ちが多い土地なのだそうだ。何代目かの聖女様がグランディールに根を下ろしたのも、この土地の魔物を抑え込むためだったという。
そもそも聖女様が異世界から現れるのは、土地を浄化して魔属性の発生を阻止するためという説があるらしい。
なら、私は? と思ったが、聞けるわけがないので黙って頷いておいた。
「大丈夫ですよ。サーラは僕たちが守りますから」
「そうだね。君も泣き虫を卒業したみたいだから。子供の頃とは随分と顔つきが違うよ。一端の男になった」
「僕も偽りのカミサマとお別れしただけですよ。いつまでも後悔を抱えていても仕方ないので」
晴れ晴れと笑うシエルに、ノワルさんが一瞬泣きそうに顔を歪める。なんだかんだ言って、これが彼の素なのだろう。歳の離れた弟弟子が可愛くないはずがない。
「……お母様のことは力になれなくて悪かったね。こうして縁が再び結ばれたことだし、困ったことがあればなんでも言って。お父様のことも逐一報告するから」
シエルのお父さんは今も床に臥している。領主の仕事は後継者の次男が代行しているそうだ。命に別状はないものの、どれだけ調べても原因が見当たらないため、妻を亡くした心労が祟ったのではないかと言われているらしい。
はい、とシエルが答えたのを合図に、ノワルさんはシエルの肩に手を置いた。それはアルが不安がったとき、ノワルさんがよくしていた仕草だった。
「大丈夫。きっとすぐに良くなるよ。来年には成人なんだし、君はここを守ることに専念しな。幸いにも、君には素晴らしい仲間も領民たちもいるからね。……サーラもいるし」
そう言って眩しそうに私を見つめる瞳は、相変わらずサファイアみたいに綺麗だった。
「ノワル、そろそろ」
「うん。じゃあ、三日間お世話になったね。教団の件はこっちに任せてよ。結果は報告するから。元気でね、サーラ」
「ノワルさんたちもお元気で。アルが来たらすぐに知らせますね」
「頼むよ。何せ、初めての反抗期で家出でしょ? 困っちゃってさ」
ゴルドさんと司教を先に行かせ、わざと戯けた仕草で飛竜便に乗り込もうとしたところで、ノワルさんは少しだけ躊躇するように俯いてから、こちらを振り返った。
「サーラと過ごした三年間、一線を引いた大人じゃなく、もっと友人や家族みたいに接すればよかったって、心から思うよ」
それに答える間もなく、ノワルさんが客室に乗り込んでいく。
私はただ、大きく羽を広げた飛竜が帝都へ向かって飛んで行くのを黙って見送るしかできなかった。
あの日のアルのように。
秋が過ぎ、冬の気配が濃くなり始めた頃、大門の向こうに魔物便がとまった。八本足の馬を使うのは大抵帝都の人間かお金持ちだから、どうしても周囲の目を引く。
ちょうどパールを散歩させていたところだったので、好奇心にかられて近づくと、珍しくネーベルが御者と話していた。
彼は風邪からすっかり回復し、何事もなかったかのように働いている。対価の聖女のスマホを渡そうとしても、「今はまだその時期じゃないのデ」と訳のわからないことを言って受け取らなかった。
ネーベルがレーゲンさんを探す傍ら、スマホを探していたのではないかと思ったのは、北の森の調査を終えて以降、私の聖属性の力が増したとわざわざ忠告しに来たからだ。
原因がシロなら、どうしようもできないのでその必要はない。きっと、シロ以外の何かを拾ったと確信したのだと踏んだのだ。
ネーベルの部屋に乗り込んだときも、うっかりパールのことを『アナタの『魔力』を与えて成長させた個体』と口走っていたし、教団を辞めたと言っておきながら、あれだけの証拠を引っ張れるところを見ると、相当深いところにいるのだろう。彼の経歴を考えれば、何らかの密命を帯びてやって来たと考える方が自然だ。
ひょっとしたら、私が聖女だということにも気づいているのかもしれない。今のところ暴くつもりはなさそうなので、真意はわからないけど。
「何をボーッとしているんデスカ。帝都からお客様デスヨ」
いつの間にか眼前に迫っていたネーベルにびくりと肩が跳ねる。慌てて意識を現実に引き戻すと、ひょろ長い体の後ろから三十代ぐらいのヒト種の男性がひょこっと顔を出した。
「初めまして。ハイノ・セプテンバーと申します。これからグランディールにお世話になりに来ました」
薄茶色の髪に、銀縁眼鏡の下から覗く鳶色の瞳。人懐こく浮かべる笑顔は女性みたいに柔和な印象だった。
エルネア教団員らしく、白い法服を身にまとっている。けれど、私が気になったのは姿ではなくて彼の家名だった。
「セプテンバーって……。暦の魔法使いの一人で、魔法紋の創始者の? は? え? なんで、そんな名家の方がグランディールに……」
初代聖女様には十二人の弟子がいて、千年経っても、その子孫がこの国で活躍している。
彼らにはそれぞれ、ジャニュアリー、フェブラリー、と元の世界の月名が家名として付いており、その名を継ぐ者たちは総称して暦の魔法使いと呼ばれているのだ。たぶん、初代聖女様は名前を考えるのが面倒くさかったんだと思う。
そして、セプテンバーは九番目の弟子の家系にして、魔法紋の創始者であるルミナス・セプテンバーの生家だ。つまり、魔法紋師の私からすれば始祖と言える存在だった。
「あはは、名家と言っても僕は分家の身です。他の兄弟と比べてあまりにもうだつが上がらないから、お爺ちゃんに修行がてら行ってこいって言われて」
お爺ちゃん。あのルミナス・セプテンバーがお爺ちゃん。元の世界でも有名人の子孫はいたけど、こんな感じなんだろうか。とんでもない人が来ちゃったな。どうしよう。
「騙されちゃいけませんヨ。この方、こう見えても教団で一、二を争う諜報員でしタ。さっさと結婚して足を洗いましたガ、こうしてここに送り込まれるぐらいには頼りにされていまス」
「ははは、お爺ちゃんの七光と運の良さに助けられただけだよ。それにしてもネーベル。君、随分丸くなったねえ。教団を辞めたくせに突然協力を要請してくるなんて、何事かと思ったよ」
あっ、目が笑ってない。怖い。そこで初めて、私はハイノさんがネーベルと同じ人種だと気づいた。帝都での証言を取るためとはいえ、ネーベルもすごい人を協力者にしたものだ。
「さて、お嬢さん。立ち話もなんですし、そろそろ辺境伯にお目通り願えますかね。帝都からお土産話をたくさん持って参りましたので」
「は、はいぃ!」
その声は自分でもわかるほど、ひっくり返っていた。
魔法紋の創始者の孫ハイノ。彼はネーベルよりも腕のいい諜報員です。怖いのは元ではないところ。
さて、次回。グランディールの新しい信仰の形が提示されます。カミサマとの決別の果てに辿り着いた答えとは。章をまたぎましたが、次回がマゼンダ編の完結です。




