表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/100

65話 偽りのカミサマをぶち壊せ(ここが正念場)

「いいですか、皆さん。信仰の篤さは心の篤さです。信じるものは救われる。女神様への尊い献身により幸せを呼ぶのです」


 雲一つない青空に似つかわしくない言葉が響く。どこかで聞いたような説教をこれみよがしに吐き続けるのは、言わずと知れたストゥルス司教だった。その隣ではマゼンダさんが陶酔した表情で彼を見上げている。


 聴衆の人数も以前より増えている気がする。そんな彼らを周りの領民たち――特に他所の領地で差別されてきた獣人や竜人たちが苦い顔で眺めている。


 私たちが司教を追い出す手段を講じている間に、エルネア教を信じる人と信じない人たちの間で諍いが起きることも増えた。開拓当初から多様性豊かな領地を目指してきたのに、たった一つの宗教で分裂の危機になるなんて笑えない。


「司教様。少々お時間よろしいでしょうか」


 乾いた笑みを張り付かせたシエルが司教に近づく。その声は固いものの、なんとか冷静さは保っている。司教はとても聖職者と思えないような目でシエルを()め付けると、「何のご用件ですかな」と不機嫌そうに言った。


「辺境伯はエルネア女神様に懐疑的なご様子。そんなあなたが女神様の(しもべ)たる私にお声がけする理由がわかりません」


 何が僕だ。金の亡者じゃないの。


 そう言いたい気持ちをぐっと堪えて、「献金の件で少し……」と続けると、司教は目を輝かせた。本当に現金なやつ。


「なるほど。そういうことでしたら、お話をお伺いするのもやぶさかではありませんな。浄財は清き心の表れ。女神様も喜ばれましょう」


 不安げなマゼンダさんはマルクに任せ、卑しい笑みを隠しきれない様子の司教を執務室に通す。何かあればすぐに中に飛び込めるよう、廊下に待機した自警団員にさりげなく目配せし、ドアを閉じる。


 中にいるのは司教、シエル、コリンナ、ロイ、そして私だ。当初はネーベルにも気配を消して潜んでもらう予定だったのだが、私が氷魔法で部屋の温度を著しく下げたせいで風邪を引いたらしく、病院でレーゲンさんに面倒を見てもらっている。


「ほう……。とても素晴らしいお部屋ですな。調度品は全て一級品。この絨毯など、東の果てのアッカム王国のものではありませんか。帝都の貴族とて、なかなかお目にかかれませんぞ」


 そりゃそうだ。天下のステラ商会のお嬢様が集めてくれたものだもの。口が裂けても言わないけど。


 こちらが促す前にどっかりとソファに座った司教が物珍しそうに執務室の中を見渡す。


「おお、あれは魔石灯ですか。なんと、小型の冷風機まで……。随分と魔機が充実していますな」

「はは、中古品を譲ってもらったのです。何せアマルディには魔法学校がありますからね。魔機の豊富さは帝都にも引けを取りませんよ」


 人工魔石が完成したおかげで、領主館の設備は建てた当初とは比べ物にならないぐらい充実していた。


 並の貴族では手が出ない冷風機まで知っているなんて、さぞかし贅沢な暮らしをしていたんだろう。扶助と献身を教義に掲げる団体職員が目利きとは笑わせる。帝都のスラムには、明日の命すらわからない人間がたくさんいるのに。


 呆れ顔を上手く隠したコリンナがいつも通り事務机についたタイミングで、司教の対面に座ったシエルが深々と頭を下げた。


「まずは先日の無礼をお詫びいたします。帝都から遥々お越しいただいた方に言うべきではなかった」


 演技だとわかっていても、心から反省しているように見える。鏡の前で散々練習した成果だ。


 未成年とはいえ辺境伯に謝罪されて自尊心をくすぐられたらしい。小鼻を膨らませた司教が、こほん、と咳払いする。


「ん、ん、まあ、辺境伯がお疲れだったということは、オーベルジュ嬢にお聞きしましたからな。本部にも報告はしておりませんよ。それに、あなたは不幸な事故でお母様を亡くされたばかりですから、女神様を疑ってしまうのも致し方ありません」

「寛大なお心、誠にありがとうございます。女神様の御許で母も安心していると思います」

「そうでしょう、そうでしょう。……それでですな、先程おっしゃっていた献金はいかほどをお考えですか」

 

 膝の上に置いたペンだこだらけの手に一瞬力がこもったのには気づかず、司教が話を切り出す。すかさず事務机から立ち上がったコリンナが、思わず見惚れるほど優雅な仕草で司教に歩み寄り、一冊のファイルを手渡した。


「これは……?」

「献金についての資料です。おかげさまで、我が領地は春先から税収が右肩上がりでしてね。きっとご満足いただけるかと思います。どうぞご覧ください」

「おお、素晴らしい。さすがブリュンヒルデ公のご子息ですな。では、失礼して……」


 司教はウキウキとファイルを開き――すぐに顔を強張らせた。ファイルを持つ両手がわなわなと震え、広い額にはいくつも汗が浮いている。


 滑稽だが正常な反応だ。ファイルの中にあるのは、司教の不正を(つまび)らかにした告発文書の束なのだから。


 文書には司教が信仰を盾に献金を仄めかした信徒の名前がずらりと並んでいる。いつ、何を言われたのかの証言もできる限り載せた。


 もちろん、それだけじゃない。悪どく金を集める司教を諭そうとして追い落とされた同僚や、司教からパワハラやセクハラを受けて辞めた教団員の証言も取った。


 そして、極め付けは司教管轄の教会に隠されていた裏帳簿だ。それによると、司教のやり口は教団トップも把握していて、組織ぐるみで隠蔽していたことがわかった。


 明るみになれば、教団の土台が揺るぎかねない証拠だ。どういう手管を使ったのか、ネーベルが得意げに持って来たときは度肝を抜かれた。

 

「……これは、どういうつもりなのですか」

「どういう? おっしゃる意味がわかりませんね。僕たちは最初から()()()()()()としかお話ししていませんよ」


 司教の顔が一瞬で真っ赤になった。背中越しでは見えないが、初めてミミたちに対峙したときみたいに、すっごく悪どい笑みを浮かべてるんだろうなあ……。

 

「こんなもの、事実無根のでっちあげです! 失礼にも程がある!」

「そうおっしゃると思って、誤魔化しようのない証拠もご用意しました」


 すかさずズボンのポケットから万年筆を取り出したシエルが、蓋の頂点についたボタンを押す。


『……司教様、今月の献金です』

『ありがとうございます。女神様のお慈悲がありますように。ですが、先月よりも少ないようですな。心に迷いが出てきましたか?』

『ち、違います。私が女神様をお慕いする気持ちに変わりはありません。夫の目が厳しくなり、自由になるお金があまりなくて……』

『おやおや。ご子息も可哀想に。あなたの信心が足りないせいで……』

『待って! な、なんとかします。だから、見捨てないで……』


 元の世界の仕組みをなんとか思い出して、既存の魔法紋と組み合わせて作ったボイスレコーダーだ。私たちではマゼンダさんに近づけないので、マルクくんに協力して録音してもらった。このときの彼の気持ちを思うと、司教に対する怒りが沸々と込み上げる。


 レコーダーからは続いて女性のかしましい声が聞こえてくる。アマルディの外れにある小さな娼館で録音したものだ。


『あら、ストゥルス様? お久しぶりねえ。アマルディに来られたのは何年振りかしら。今日はまたご出張?』

『グランディールに用がありましてな。マダムたちもお変わりありませんか?』

『そうねえ……。最近、鳥を飼った子がいてね。逃してあげてくれないかしら。あと、鳥籠の鍵を頑丈にして欲しいの』

『お任せください。すぐに終わりますよ』


 この世界の娼館において、鳥を飼うは妊娠の隠語で、鳥籠の鍵は避妊の隠語だ。娼館の主人には今までの不正に目を瞑ることを条件に録音に協力してもらい、実際に処置を受けた娼婦の供述もすでに入手している。


 この録音を聴いたとき、ロイは顔を顰め、コリンナはあまりの悍ましさに吐いた。そして、レーゲンさんは激怒していた。

 

「驚きましたよ。帝都でも娼館に頻繁に通っておられたそうですね? 聖職者たるもの、下劣な行為には及んでいないと思いますが、生命魔法で許可なく避妊や堕胎を行うのは違法ですよ」


 淡々と話すシエルに対して、司教の顔は真っ赤から真っ青に変化していた。カミサマでも探しているのか、視線が忙しく部屋の中を彷徨う。


 けれど、ここにカミサマはいない。いるのは様々な傷を抱えた人間たちだけだ。


「とはいえ、僕たちはこの事実を公表するつもりはありません」

「えっ……」


 司教の顔が期待に輝く。しかし次の瞬間、一転して死刑宣告を受けた囚人みたいな表情になった。


「条件はただ一つ。このままグランディールから手を引いてください。我が領地には人の苦しみにつけ込むカミサマはいらない。どれだけ傷を負っても生きていける場所を、僕が作る」

「そ、それは……」

「あなたに選択肢はありません、ストゥルス司教。こんな形で教団を解散させるのは父も望んでいないでしょう。母の一件で、あなた方には()()()()()になりましたので」


 これ以上ごねるならブリュンヒルデの力を使って教団ごと潰すと脅している。


 司教はがっくりと項垂れてソファに深く背を預け――突然、肩を震わせて笑い出した。


「はは、はっ、所詮は子供の浅知恵ですな。私の()()は教皇様もご存知です。あなたが公表する前に女神様の神罰が降るでしょう。それに……あなたが頼りにしているお父上は、今朝方お倒れになったと本部から連絡がありましたよ」


 シエルの肩が一瞬揺れた。動揺を隠そうとしているのだろう。太ももの上でぎゅっと両手を組む。


「父が……?」

「おや、まだご存知なかったのですか。まあ、情報の伝達手段なら我がエルネア教団に軍配が上がりますからな。決してあなたが家族に含まれていないというわけではないでしょう」


 痛烈な嫌味を放ち、司教が笑う。それはとても聖職者とは思えない歪んだ笑みだった。

 

「さて、どうなさるおつもりで? いくらあなたのお姉様が皇帝の後継ぎだとしても、皇家は教団に不可侵のお立場です。他に教皇様に匹敵する力をお持ちなのは聖女様ぐらいでしょうが、ご高齢のために接見できる人間は限られている。信徒でもないあなた方にその権利が与えられるとは思えませんがね」


 シエルは答えない。組んだ両手はクラーケンのときのように真っ白になっていた。背後ではコリンナが歯を食いしばる音がして、隣ではロイが司教を睨みつけている。


 不気味な沈黙が支配する執務室の中で、私は腹から声を上げた。

 

「そうでもないわよ」


 その場にいる全員の視線が私に集中する。緊張で足は今にも崩れ落ちそうにガクガクしているが、なんとか踏ん張る。


 私はもう覚悟を決めた。カミサマ(母親)と決別する覚悟を。


「どれだけお歳を召していても、聖女様が会いたいと願えば希望は通るんじゃないの? 当代の聖女様は()()()()女神様の使徒。唯一無二の存在だから、あなた方は逆らえないものね」


 司教の眉が一瞬跳ねた。私が言外に込めた意味に気づいたのだろう。私には聖女様と大きな繋がりがあると。


「……大した自信ですな。一介の魔法使いにすぎないあなたに聖女様がお会いになると?」

「そうね。聖女様は私に会いたいと思うはずよ」


 そこで言葉を切り、一度だけ深呼吸する。この先を言ってしまえば、もう後戻りできない。グランディールにもいられなくなるかもしれない。


「サーラ……?」


 けれど、これ以上シエルの不安げな顔は見たくない。だって私は護衛だもの。


 唾と共に全ての恐れを飲み込んで、ゆっくりと口を開く。


「私は――」

サーラは元の世界で事務員でしたので、議事録の作成用にボイスレコーダーをよく使っていました。この世界にも声を録音する魔法があるため、再現は比較的容易です。


サーラたちに立ちはだかるエルネア教団。彼らの権力は絶大なものの、唯一弱点があります。それは聖女です。


さて、次回。本当の正念場が訪れます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ