64話 色仕掛けなんてごめんです(変態相手にやるわけない)
「嫌デスネ」
バッサリと切り捨てたネーベルが、テーブルの上の料理に手をつけた。ご機嫌伺いのために黒猫夫婦に用意してもらったご馳走だ。ネーベルの好みに合わせて酒も各種取り揃えている。
心の中で「やっぱりな」「こいつ……」と呟きながら笑顔を張り付かせている私の前で、胃袋も闇魔法でできているんじゃないかと疑いたくなるほどの健啖ぶりを発揮し、どんどん皿が空になっていく。
厨房にいる黒猫夫婦も驚き顔だ。背は高いけど細身だから、こんなに食べるとは思っていなかったんだろう。
気まずい沈黙が降りる食堂の中で、レーゲンさんがため息をつく。
「そう言ってやるなよ。情報収集はお前の十八番だろ。こういうときに発揮しなくていつすんだよ」
「ワタシはアナタのためにしか動きませんヨ。あの女を救ってモ、アナタの益にはならないでショウ? エルネア教団が近づくのが嫌なラ、ラスタに抜けてしまえばいいんデス。むしロ、これからのことを思えバ、そっちの方がいいんじゃないデスカ」
秘密兵器レーゲンさんの言葉でも動かないとは……。シエルが愛想のいい笑みを浮かべてずいと前に出る。
「雇用主の命令でも?」
「正当な命令以外は拒否できるはずデスヨ。ワタシ、諜報員として雇われたワケではありません。教団だって、とっくに辞めましタ。それにネ、諜報員にとって情報は何よりも大事な武器。命に等しいものデス。こんなことで安売りするワケないでショウ」
正論。いつもの変態ぶりが嘘みたいな正論だ。ぐうの音が出ない私たちを尻目に、ネーベルは空にした皿を丁寧に積み上げると、ローブのポケットから取り出したハンカチで口元を拭いながら立ち上がった。
「ご馳走様デス。司教を追い返したいなら別の手段を考えるべきデスネ。あんな小物、やりようはいくらだってあるでショウ」
シエルとレーゲンさんが諦めたように肩をすくめる。ロイは最後まで何も言わなかったが、ちょっぴりご機嫌斜めだ。もちろん私も。
ネーベルは足音ひとつ立てずに歩き出すと、私の横を通りすがり様にぼそりと呟いた。
「マア、情報に見合う対価があるなら別デスガ」
一瞬、ちらり、と私を見下ろし、そのまま食堂を去っていく。
今のってどういうこと?
聞こえたのは私だけのようだ。周りで固唾を飲んで見守っていたコリンナやミミたちが集まってきて、やいのやいのと話し合うのを横目で見ながら、私は長杖を握りしめた。
夜が支配する領主館の中を歩く。光の魔石が豊富なアマルディと違って、ここは闇の色が濃い。あいにくと月は分厚い雲の中に隠れていて、窓から見えるのは黒々とした影だけだった。
自分自身に防音魔法をかけているので、石造りの床の上でも足音は鳴らない。部屋の主に似た黒色のドアの前で、ふうっと息をつく。
「こんばんハ」
私の気配に気づいていたのだろう。ノックする前にドアが開いた。思ったよりも柔らかそうなベリーショートの下の濃紺色の瞳が私を見下ろしている。
もう寝るところだったのか、それとも私に見せつけるためか、いつものローブ姿ではなく、上半身裸で綿のズボンだけを身につけていた。闇の魔力に覆われた肌にはびっしりと刺青が見える。生命魔法の魔法紋を彫り込んでいるのだろう。
「こんな夜更けにどうしましタ? もしかして夜這いデスカ?」
「そうよ。さっさと中に入れて。人に見られたくないの」
ネーベルは動じない私を面白そうに眺めると、黙って中に招き入れた。何気にシエル以外の男性の部屋に入ったのは初めてだ。
予想通りというか、ネーベルの部屋には生活感が欠片もなかった。従業員寮に備え付けの家具以外にあるのは、机の上の筆記具や壁にかかったローブぐらいだ。
そして――少し乱れたベッド。ごくりと喉を鳴らす私の両肩を、ネーベルが背後から掴む。
「まさか本当に来るとは思いませんでしたヨ。対価を払うということデスネ? 自己犠牲もここまでくるとご立派なものデス」
「その前に教えて。あんたなら確実に情報を集められるの」
「もちろン。どんな秘密もワタシの前では赤子も同然デスヨ」
ネーベルが薄く笑う。彼がどんな顔をしているのかこちらからは見えない。そのままベッドにうつ伏せに押し倒されて、体が強張るのがわかった。
「そんなに緊張しないデ。酷い目には遭わせませんヨ」
「……そう。案外紳士的なのね」
肩の力を抜き、そっと目を閉じる。これでマルクくんは救われる。過去の自分も。
上手く騙せてよかった。
「なんでもあんたの思い通りにいくと思わないことね」
目を開いて光魔法を縫い込んだベールを脱ぎ、ネーベルの背中に杖を突きつける。それを合図に、私の姿を模したパールがネーベルに怒りの頭突きをかまし、他のスライムとの連結を一斉に解いた。
ざざざ、という音と共に人頭大のスライムたちがベッドから飛び降りる。
人間の真似をするにはパールだけでは容量が足りなかったので、仲のいいお友達とくっついてビッグスライム化したのだ。床を蠢く白いスライムたちに、ネーベルは珍しく呆然としている。
ベッドに残ったのはパールが着ていた私の服だ。その首元あたりから、『おあいにくさま』とくぐもった声が漏れる。
無言で服を払い除けたネーベルが手にしたのは、ネックレス型のスピーカーの試作品だった。私の首元にも同じものが下がっている。ロイの闇魔法を通じて、声を送る仕組みだ。
「対価はあんたの命よ、ネーベル。私はあんたの魔属性を完全に浄化できる力を持ってる。あんたが動くより早く、無力化させられるわ。そんな体たらくでレーゲンさんを守れるの?」
「そうきましたカ。てっきりワタシに体を捧げる覚悟ができたのかと思いましたヨ」
「変態相手に色仕掛けなんてごめんよ。そもそも、あんた私のこと女だと思ってないでしょ? どうせ、さっきのも本気じゃなくて揶揄ってただけのくせに」
「ハハ、御名答。何を企んでいるのか気になりましてネ。アナタのことハ、ただのイケすかない小娘だと思っていますヨ」
床のパールが抗議するように跳ねた。あんな変態に触られて怖かっただろうに、本当にいい子だわ。背中に突きつけた杖をぐいぐいと押し込む私に、「痛いデスヨ」とネーベルが不満気に抗議する。
「不本意デスガ、背後を取られた以上、抵抗はしませんヨ。窓の外に騎士様も控えているんでショウ? アナタ……いエ、雪玉を押し倒した瞬間、殺気が漏れましたかラ」
「さあ、どうかしら。試しに呼んでみる?」
この計画を話したとき、ロイは最後まで反対した。それをなんとか宥めすかして、見張りをお願いしたのだ。私が合図をすれば、すぐに窓を破ってくれるはず。
「結構デス。たダ、一つだけ教えてくださイ。この雪玉からはアナタと同じ気配がしましタ。いくらアナタの魔力を与えて成長させた個体といえどモ、ここまで似るはずがありませン。一体、どういう手を使ったのデスカ」
「私の髪を食べさせたのよ。あんたはロイみたいに鼻が効かないからね。濃い聖属性の力に氷属性の魔力が混じっていたら、高確率で誤認すると思ったわ」
せせら笑う私を無視したネーベルが、さっき払い除けた服に手を伸ばす。そこにはライス粒みたいな細かい文字で、魔法紋をびっしりと書き込んである。書いている途中、耳なし芳一の気持ちになったのは秘密だ。
「認識阻害の魔法紋、触感誤認の魔法紋、虚像を映し出す魔法紋……レアな魔法紋のオンパレードデスネ。そこまでして他人を助けたいものデスカ。あの女はアナタの母親でもないシ、あの子供は昔のアナタでもありませんヨ」
杖を握る指がぴくりと動いた。やっぱり、初めて戦ったときに私の心を読んでいたのか。でも、今更知ったことじゃない。私はもう、あの女に怯える子供じゃないもの。
「そんなのはわかっているのよ。でも、あんな健気な子を放っとけないでしょうが。これはね、大人の義務ってやつよ」
ネーベルが高らかに笑った。
「義務! アナタからそんな言葉が出るなんてネエ。ナラ、いっそのこト、あの女を殺した方が早いのでハ? 人の秘密を暴くよリ、そちらの方がワタシとしても楽なのデスガ」
「何言ってんのよ。そんなことできるわけないでしょ。マゼンダさんはマルクの母親なのよ」
「そうでショウカ? ワタシは母親を殺しましたヨ。生きるのに邪魔だったのデ」
杖の先端が食い込むのも厭わず、ネーベルがこちらを振り向いた。その両目は血のように真っ赤に染まっている。警戒は欠片も解いていないので、操られることはないが――ネーベルの心の柔らかな部分に初めて触れた気がした。
「だからなんなの? そんなことで私の動揺を誘おうったって甘いのよ。大人しく情報を渡すか渡さないか早く決めて! いい加減、腕が疲れてきたのよ」
あえて突っぱねると、ネーベルは一瞬だけ呆気に取られたような顔をして「ククッ」と肩を揺らした。
「わかりましタ。ここまで熱烈に求められてはネ。アナタに恩を売るのも面白そうデスシ」
「あら、残念ね。恩ならすぐに返すわよ。私はたぶん、あなたが求めているものを持っているわ。それを渡すから、身を粉にして働いてちょうだい」
ぴく、と形のいい眉が動いた。口元が更に深く弧を描く。
「フフ、いつの間にそんなにしたたかになったんデスかネエ。ご領主様のおかげでショウカ。――デスガ」
ぐるんと視界が回る。足を掬われて床に転がされたと気づいたときには、パールが闇の鎖でぐるぐる巻きにされているところだった。
俊敏な動きでベッドから降りたネーベルが、チェシャ猫みたいなニヤニヤ笑いを張り付かせたまま私を見下ろす。
杖を取り上げないのは、私を舐めているのか、それとも揶揄っているのか……おそらく両方だろう。本当にタチの悪い。
「アナタもまだまだ甘いデスネ。ワタシが紳士的な男で感謝するべきデスヨ」
「変態紳士に感謝するほど落ちぶれてないのよ。さっきはパールに譲ったけど、いつかその顔ぶん殴ってやるからね!」
気合いと共にパールの闇の鎖を解除し、その場に立ち上がる。すかさず私たちの間に飛び込んできたパールが体表を波立たせて威嚇した。
それに誘発されたように、周りのスライムたちも一斉に戦闘体制に入る。ここにいるのは私が手塩にかけて育てたアイススライムたちだ。たとえ魔属性相手でも、牽制ぐらいはできる。
「ハハハ! スライムを従えて戦おうとするなんて、本当に面白い人デスネ。どうでショウ。このままワタシのものになりませんカ?」
「お断りよ、この変態!」
ヤケクソで放った氷魔法は難なく躱されてしまったが、部屋の温度をかなり下げることには成功した。
変態紳士に挑むサーラ。昔の彼女なら思い詰めて一人で行動したでしょうが、人に頼ることを覚えたので丸く収まりました。何気にパールのスキルがめきめき上がっています。
『私』が二人いるのでややこしいですが、視点は全てサーラのものです。喉を鳴らし、体をこわばらせたのはサーラから見たパールの姿、目を閉じて肩の力を抜いたのはサーラ自身です。
さて、次回。いよいよ偽りのカミサマに挑みます。




