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63話 雲が晴れた先に光は差すだろう(せめて熱を抱いた闇になる)

「殺したって……どういうこと?」


 声が震えないように慎重に話す私に、シエルは一瞬痛みをこらえるような顔をして、「順を追って話すよ」と言った。

 

「なんとなく、事情は察していると思うけど……。僕はロイやマルクくんと逆なんだよ。ヒト種として生まれて、エルフとして生まれなかったから、母さんは心を病んだんだ」


 いつもとは違う、消え入りそうな声。そっと手を握ると、シエルは少しずつ過去を話してくれた。それはとても……とても痛みを伴うものだった。


 シエルの母親――ヘレン・グランディールは聖女の血を引くとはいえども、特別な力を持たない典型的なヒト種だった。シエルの父親のハウエル・ブリュンヒルデと出会ったのも、たまたま仕事でラスタに赴く彼に一泊の宿を提供しただけだ。


 恋とは突然落ちるもの。経緯はともかく、ヘレンを見初めたハウエルは彼女を荒廃したグランディールから連れて帰った。


 ヘレンは何故見初められたのかわからないままだったが、唯一の家族である弟がブリュンヒルデ領の北側にあるヴェヒター領に婿入りしたのもあって、易々諾々と求婚を受け入れた。


 ハウエルは若妻を心から愛していたが、持ち前の不器用さからヘレンには伝わらなかったらしい。自分が結婚できたのは立地のいいグランディール領の統治権を持ち、後継ぎに相応しい子供を産める若さがあったからだと思い込み、何としてでもエルフの血を引く子供を産まなければと気負っていたそうだ。

 

 けれど、生まれたのは限りなくエルフに見た目が近いヒト種。ロイの母親が獣人の血を引く我が子に絶望したのと真逆の理由でヘレンは絶望した。そして、恐怖した。このままでは捨てられるかもしれないと。


「物心ついてからずっと、どうしてエルフじゃないのって言われてた。父さんは子供を平等に扱ってくれたけど、兄さんと姉さんからはどうせすぐに死ぬんでしょって下に見られてたし、周りの人間も僕を憐れみの目で見てた。……家庭教師と、ロイを除いて」


 家庭教師はシエルをブリュンヒルデ家の人間として持ち上げることもしなければ、力のないヒト種と侮ることもしなかった。学校に通う街の子供に接するように、厳しく、時に優しく、シエルに知識と技術を叩き込んだ。


 最初は上手くいかなかった魔法も、人を扱う術も、みるみるうちに上達した。その頃にはロイという同士にも出会い、泣き虫から卒業して、いつもにこにこと明るく振る舞えるようにもなった。けれど、どれだけ頑張ってもヘレンはシエルを見てくれなかった。


「それでも、たまに夜食におにぎりを作ってくれたりして、愛されてるって思う瞬間もあった。たとえ短い夢でも、そんなささやかな幸せを享受できるだけでよかったんだ。でも……ある日、エルネア教会の司祭が母さんに言ったんだよ。『可哀想に。あなたの信仰がもう少し篤ければ御子息はエルフに生まれてきたでしょうに』って……」


 そして、ヘレンは居もしないカミサマに縋るようになった。あの女と……私の母親と同じように。


「ずっとね、壁に向かって話してるんだ。カミサマ、私はあなたを心から信じています。だからシエルをエルフにしてくださいって。やめさせようとしたら泣くんだよ。泣いて、喚いて、自分を傷つけようとするんだ。そのうち、髪の毛を切ることも許されなくなって、僕は息が詰まりそうだった。父さんの声も、僕の声も聞こえやしない。医者を何人も呼んだけど、誰も母さんの心を癒せなかった。……さすがにあの姉さんも同情してたね」


 ふふ、と力なく笑うシエルに胸が抉られそうだった。同時に、お腹の中で沸き立つマグマが今にも頭から吹き出しそうだった。どうして、人は人の心につけ込むのか。それがどんな結果を生むと考えもせず。


 ロイの手が私の背中に触れる。心を落ち着かせようとしてくれているのだろう。それに応えるために静かに微笑む。小さい頃のシエルがそうしていたように。


 私の内心の怒りに気づいているのかいないのか、シエルは続きを話し出した。『母親を殺した』ときのことを。


「……あの日は、僕の十八歳の誕生日だった。母さんは相変わらず壁に向かって話していて、僕のことなんか見向きもしなかった。それどころか、『あなた、いつエルフになるの? ちゃんとカミサマにお願いした?』って聞くんだ。僕、もう我慢できなくて『いい加減にしてくれ!』って叫んだんだよ。『僕はエルフじゃないし、エルフにはなれない。永遠にヒト種なんだ』って」


 それはシエルの初めての反抗だった。剥き出しの感情をぶつけられたヘレンは静かになり――翌朝、湖で浮いているところを発見された。『ごめんなさい』と乱れた字で記した書き置きを遺して。


 話し終えたシエルから、うう、と呻き声が漏れる。両目を覆う手の下からは、涙がとめどなくあふれていた。


「僕があんなことを言わなければ、母さんは今も生きていたんだ。僕が殺したんだよ。僕が、僕が」

「違う。違うわ、シエル。あなたは何も悪くないのよ」


 泣きじゃくるシエルを宥めるように抱きしめる。ロイはシエルは人を傷つけるのが怖いと言っていた。海ではカナヅチだとも言っていた。それは全て、ヘレンに対するトラウマがあったからだ。


 シエルは私の腕の中で鼻を啜り、くぐもった声で「温かい」と言った。それには確かに安堵と喜びが混じっていた。


「……サーラは母さんに見た目が似ているんだ。夜を溶かしたような黒髪黒目で、どこか遠くを見るような眼差しが特にね……。熊から守ってもらったとき、本当に嬉しかった。まるで母さんに守ってもらったみたいで」


 ああ、シエルのお姉さん――エイシアがグランディールを訪れたとき、『あなたはあの女とは違う?』と言ったのはヘレンに重ねていたのか。初めて会ったシエルが私を雇うと決めたのも、ヘレンに似ていたからなんだろう。


 私は子供を産んでいない。だから、親の気持ちはわからない。世の中の母親は、きっと子供にたくさんのものを与えようと心を砕いているのだろう。ヘレンも……シエルの母親も、シエルにエルフとしての人生を与えたかったのかもしれない。でも……。


 美味しいご飯も、綺麗な洋服も、整えられた部屋も何もいらない。ただ、悲しいときに寄り添ってくれたらそれでよかったの。






「ごめんね、子供みたいに泣いちゃって。来年には成人なのに恥ずかしいね」


 ベッドから身を起こしたシエルが、温めたササラスカティーを飲む。その目は赤くて腫れている。


 けれど、声色も表情もいつも通り……いや、いつもよりすっきりとしている気がする。涙と共に、被っていた仮面も溶けたのかもしれない。


 その頭を撫でながら、ふふ、と笑う。自然にこぼれた笑みだった。

 

「今はまだ子供でしょ。……いいのよ。大人だって泣きたいときぐらいあるもの」

「さっき、ロイの前で泣いてたときみたいに?」


 揶揄う口調にぐっと喉が詰まる。完全に本調子に戻ったようで何よりだが、今度はこちらが恥ずかしい。さっきから私を優しい目で見つめてくるロイもたまらない。なんで、あんな醜態晒しちゃったんだろう?


「私の話はいいの! それより、今後のことを相談したいんだけど」

「ああ、マルクくんのこと? さっき、サーラがお茶を淹れ直してくれている間にロイから聞いた。偽りのカミサマをぶち壊すんだっけ?」


 そうなのだが、改めて聞くと厨二病みたいなセリフだ。こっちも、なんであんなこと言っちゃったんだろ?


 逃げ出しそうになる足をその場に留めつつ、マゼンダさんが司教に寄付を要求されていることを話した。


「ふうん……。まだそんな奴いたんだ。聖女様に睨まれるのが怖くないのかな」

「今の聖女様って六十年前に任命されたんでしょ。もう結構なお歳なんだし、昔ほど力が及ばないってことじゃないの?」

「それもあるかもしれないけどね……。まあ、いいや、続けて。サーラはどう考えてるの?」

「ええっとね……。私、カミサマは大っ嫌いだけど、信仰を持つこと自体は別に悪いことじゃないと思ってるの。それで救われる人もいるのは確かだから」


 シエルの含みのある言葉に首を傾げつつも、自分の考えを口に出す。随分とすらすら話せるようになったものだ。


「マゼンダさんにとって、信仰は心の要。下手に否定して壊しちゃったら元も子もないわ。だから、とりあえず司教を彼女から引き離したいの。心の傷を癒すのはそれからよ。カウンセリ……心の治療ってかなり長期戦になるものだから」

「なるほど。司教(カミサマ)に自ら帝都に戻っていただくように仕向けるわけだ。いいね。教団には積年の恨みがあるし腕が鳴るよ」


 不敵に笑うシエルに、出会った当初の悪徳営業マンぶりを感じ取り、「やりすぎないでよ?」と釘を刺す。

 

「でも、マルクくんに威勢よく言ったものの、手段が思いつかないの。どうしたら大人しく引っ込むと思う?」

「そりゃ、色々あるよ。常套なのは弱みを握ることだね。信仰を盾に寄付させているなら、他の被害者がいるかもしれない。エンゲルさんは証拠を握ってるの?」


 小さく首を横に振る。司教が寄付を要求したのは全て口頭で書面には残っていない。実際の出金記録を出したところで、浄財だと逃げるだけだろう。


「じゃあ、どうしよっかな。姉さんは手伝ってくれないだろうし、この際、何か証拠をでっち上げるか……」

「やめてって。目の前の相手が血の通った人間だって忘れない領主になるんでしょ」


 やいやいと言い合う私たちを前に、ずっと黙っていたロイが苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと呟いた。

 

「……癪だけど、一人いるんじゃないか。教団と深く繋がってて、裏の情報に詳しいやつ」


 しばしの間を置いてシエルと見つめ合う。そうだ。いた。黒フードを被った神出鬼没な変態が。

シエルがおにぎり好きなのは、唯一ヘレンの愛情を感じられたからです。サーラに優しくされたとき、シエルは内心めちゃくちゃ喜んでいました。


ただ、最初は恐れもありました。だからこその囮です。あの時はサーラの気持ちを考える余裕がなかったのも確かですが、事前に話して拒絶されるのが怖かったんですね。シエルの自己完結癖はトラウマの影響です。


さて、シエルと同じく、なんでも自己完結していたサーラですが、きちんと相談できるようになりました。次回、司教に挑む前に手強い変態に挑みます。

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