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61話 救いの手を差し伸べるものよ(そんなものなくても人は立てる)

「よしよし、パール。お上手ですわね。その調子ですわよ」


 領主館前の広場で、コリンナが手を叩く。目の前にはうねうねと体の形を変えるパールがいた。この前、一部を凍らせてネーベルを攻撃したのを知り、他の形にも擬態できるのではありませんかと言い出したのだ。


 その予想は当たり、形を変えた後で体表を凍らせることで、彫像みたいに色々な姿を取れるようになった。光魔法の効果で氷は見えず、形に適した像が、プロジェクションマッピングみたいに自動的に映し出される。今は……よくて狸といったところだ。


「んー、すごいんだけど、ますますおデブちゃんになってきたわね。どうして分裂しないんだろ」


 天高く馬肥ゆる秋……とはよく聞くが、スライムが肥えるとは聞いたことがない。この前、胸にのしかかってきたときにも感じたが、最近は抱っこするのも辛くなってきた。成体は人頭大ぐらいだと聞いていたのに。

 

「サーラ様が好きだからですわ。分裂したら寿命が尽きてしまうでしょう? 少しでも長く一緒に居たいのですよ」


 予想外の言葉に、二の句が継げなくなる。ようやく絞り出したのは、「……そうかな」の一言だった。

 

「そうですわよ。ね、パール」


 パールが嬉しそうに跳ねる。その姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなった。地面に膝をついて両手を広げる。狸もどきの姿から元に戻ったパールが甘えるように擦り寄ってきた。


 もし子供がいたら……と思いかけてやめる。ありもしない偶像を押し付けるのは失礼な気がしたし、パールが人間だったなら、ここまで関係を結べたかわからないから。


「ほら、マルク。急ぎなさい。モタモタしないで」

「はい、母さん」


 両手に何冊も本を抱えたマルクくんが、メイン通りを横切っていく。帝都から呼び寄せた塾講師の元へ行くのだろう。あの収穫の日から、マルクくんは毎日勉強漬けだった。少なくとも、私は彼が外で遊んでいる姿を見たことがない。


 シエルがエンゲルさんにそれとなく聞いたところ、帝都でもそうだったらしい。どうも、マゼンダさんはマルクくんをエンゲルさんと同じ銀行員にさせたいみたいだった。


『ロイが言う通り獣人コンプレックス……だろうね。馬鹿げた偏見だけど、獣人ってヒト種より物覚えが悪いとされてるんだ。脳の作りは一緒なんだから、そんなわけないのにね』


 ぐ、と唇に力が入る。あれから何度も観察しているが、やはり抑圧されているようにしか見えない。マゼンダさんは領民と打ち解ける気がないようで、常にマルクくんのそばにいた。まるで自分から離れるのを許さないとでもいうように。


 なんとか隙を見つけては話そうとしているのだが……今のところ成功していなかった。そんな私を心配するロイとは最近距離が開いている。


 深入りしてはいけないとわかっているが、どうにも気持ちが落ち着かない。パールを撫でながら、遠ざかっていく背中をぼんやりと見つめていると、日課の見回りをしていたミミが、跳ねるようにマルクくんに近寄って行った。


「あ、あの、マルクくん。今日もお勉強? たまにはお外で遊ばない? 私、今日はお昼で勤務終わりだから……」


 立ち止まったマルクくんが何か言おうと口を開く。しかし、それより先にマゼンダさんが二人の間に割って入った。

 

「ミミさん。マルクは忙しいの。貴重な時間を奪わないでちょうだい。それにあなた、まだお仕事中ではなくて? 一体どういう教育をされたの? 上司の方に報告させていただきますからね」

「やめて、母さん。塾にはちゃんと行くから。……ごめんね、ミミちゃん。また時間のあるときに」


 悲しそうに微笑み、マルクくんがマゼンダさんを連れて去っていく。それを見送るミミの肩は可哀想なぐらいにしょげていた。


「ミミ」

「サーラさん、コリンナさん……とパール。見てたんですね。あはは、また失敗しちゃった。私がもっと頭が良かったら、一緒に遊ぶのを許してくれるのかなあ」


 獣人だから避けられてるとは言えなかった。項垂れる頭をコリンナと一緒に撫でる。


「大丈夫ですわ。まだ来たばかりですもの。時間に余裕ができればマゼンダさんだって許してくれますわよ」

「そうなのかなあ。銀行のお勉強の他にも、経営とか数学とかも勉強してるって言ってたし……」

「言ってたし……って誰に聞いたの?」


 エンゲルさんからそこまで細かい話は聞けていない。まさかネーベル経由だろうか。首を傾げる私たちに、ミミがはっと口を塞ぐ。コミュ障でもこれはわかった。何か悪さしてるときの顔だ。


 コリンナが「ミミ?」とお姉さんらしく聞くと、ミミは舌を出してこっそり私たちに耳打ちした。

 

「実は夜、マルクくんとこっそりお話してるんです。マルクくんの部屋は二階だから、シスさんの背中に乗っけてもらって。シスさんが疲れちゃうから、あまり長居はできないんですけど」


 シスはミミと同じ組の自警団員の鳥人だ。泥棒を捕まえていたときも背中に乗せてもらっていたから、ミミたちにとっては日常茶飯事なのだろう。でも、夜に従業員寮を抜け出すとは何とも大胆なことをするものだ。ピグさんが聞いたら泣くぞ。

 

「ミミ、あなたったら夜に出歩くなんて……。まだ十三歳じゃありませんの。そんなの危ないですわよ」

「それぐらいしか思いつかなくて。マルクくんも喜んでくれてるし……。もう、会いに行っちゃダメですか?」


 潤んだ目で見上げられ、コリンナが珍しく怯む。

 

「そ、それは……。褒められたことではありませんけど、マルクさんが望んでいるなら……。ねえ、サーラ様」

「まあ、一人じゃないしね。それにしても、本当に逞しくなったわね。私とシエルを地下室に閉じ込めたときから片鱗はあったけど」

「やだなあ。あれはもう時効ですよ。ねえ、コリンナさん」

「そ、そうですわね! もう時効だと思いますわ!」


 脛に傷のあるコリンナが慌てて同意する。二人のおかげで、この場はひとまず和やかなムードで終わった。


 けれど、ミミの努力を嘲笑うかのように、マゼンダさんの行動は徐々にエスカレートしていった。





 

「エルネア教会を建てる?」

 

 事件とは突然起こるもの。初めてアマルディに上陸したときからわかっていたことだが、今日ほど痛感したことはない。


 さっきから微動だにしないシエルの眼前には、頬を上気させたマゼンダさんと、見るからに偉そうな初老の男性がいる。


 男性は白で統一された法衣を着て、ゲームの神父が被っているようなミトラという冠を被っている。冠には女神を示す黄金のエンブレムが誇らしげに縫い留められていて、その周りに散らばる星が男性の地位の高さを表していた。


「帝都からお呼びした、ストゥルス司教様です。領民の皆様の心の平穏のためにも、エルネア教会は必要だと思いまして」


 まるで恋する乙女のように、ふふ、と笑う。それはマゼンダさんがグランディールに来て初めて見せる笑顔だった。


 そう。実はマゼンダさんは熱心なエルネア教信者で、グランディールでの生活に慣れて行くにつれて、ヒト種やエルフの領民たちを中心に、誰彼構わず布教活動を行うようになっていた。


 領民からの苦情を受けたエンゲルさんが何度嗜めても効果は薄く、シエルがやんわりと注意しても聞く耳を持たないみたいだった。


 グランディールは多種多様な種族が住み、何よりラスタ国民が多く訪れる場所だ。他所の領地に比べてエルネア教への依存度は低く、むしろ嫌っているものも多い。


 それでも話を聞いているうちに感化されるのは人間のサガというもので、私たちが手をこまねいている間に、「教会ぐらい建ててもいいのでは」という声が徐々に上がり始め、そろそろ何とかしないとダメだと危惧していた最中、この特大級の爆弾を放り込んできたのだ。


 コリンナも、ロイも、もちろん私も固唾を飲んでシエルを見つめている。周りで遠巻きにしている領民たちも、エルネア教徒を除いて、心配そうな顔で成り行きを見守っていた。


「……何度も申し上げているように、グランディールに教会は必要ありません。冠婚葬祭なら僕が代行しますし、様々な種族が集うこの場所では、祈りの対象が限定されるべきではありません」

「いけませんなあ。そのような頑なな態度を取られては。信仰なきものは女神様のお膝元に参れませんぞ。聖書にもありますでしょう。『救いの手を差し伸べるものよ』……」


 つらつらと聖句を並べ立てようとする司教に、シエルの顔がカッと赤くなった。

 

「救いの手ならすでにあります。いや、そんなものなくても人はいつだって立ち上がれるんだ。カミサマでないと救えないというのなら、それは呪い以外の何ものでもない! あなたたちの言うことはただの詭弁だ!」


 ――言ってしまった、と誰もが思った。


 オブラートには包んでいるが、お前らはインチキだと言っているに等しい。普段のシエルなら絶対に口に出さない言葉だろう。誰に何と言われたって、いつも通りの調子で司教たちを煙に巻いたはずだ。


 けれど、マゼンダさんが布教活動を広げていく中で、シエルの様子は著しく不安定になっていた。夜も上手く眠れないみたいで、いつも目の下にクマを浮かべていた。まるで悪夢を見た後の私みたいに。


 私たちがいくら心配しても何も言わず、レーゲンさんの診察も受けようとせず、こちらも何とかしなければと思っていたところだったのだ。具体的に生命魔法で眠らせる計画まで立てていたのに、なんて運の悪い。


「な、な、なんと不敬な……! かのブリュンヒルデ家のご子息のお言葉とは思えませんな! だから、あなたはエルフの血を……」

「司教様、申し訳ありません。辺境伯はお疲れでございますの。わたくしはリッカ第三公女様にお仕えする侍女のコリンナと申します。ええ、()()リッカ公爵様の血縁でございますわ。お話は改めてお伺いしたいと思いますが、いかがでしょう? ああ、そうそう。さぞかし長旅でお疲れでしょうし、司教様にはホテルの部屋をご用意させていただきますわ。それと……」


 シエルと司教の間に割り込んだコリンナが早口で捲し立てる。その隙にロイがシエルの首根っこを引っ掴んで病院に引きずって行く。


 無理やり寝かせるつもりなのだろう。その後を追いかけながら、領民たちが上げる戸惑いの声を聞く。


 そのざわめきは、いつまでも私の耳に残り続けた。

今までなんやかんやまとまっていたグランディールに初めての亀裂です。司教が言いかけていたのは「だから、あなたはエルフの血を受け継げなかった」です。コリンナはナイスフォローでした。


次回、サーラはある決心をします。

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