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59話 過去が後を追ってくる(どこまで私を苦しめるの)

 爽やかな秋風が頬を撫でていく。


 ついこの間まで夏の暑さに苦しんでいたのに、時が過ぎるのは早いものだ。ぼんやりと鱗雲を見上げる私の耳に、興奮した様子の男性の声が届く。

 

「ほう、素晴らしいですな! ここまでの豊作は滅多に見られませんよ。去年の収穫量を拝見させていただきましたが、今年は二倍をゆうに超えていますね。土壌がいいのでしょうか? それとも水……?」

 

 一面の稲穂が実る田んぼの前で、エンゲルさんが首を捻っている。今日は銀行がいよいよ営業を開始する前日。そして、ライスの収穫日だ。


 そんな忙しい最中に何故エンゲルさんがルビィ村に来ているかというと、いわゆる信用調査とやらである。農具を新調するにあたり、早速融資をお願いしたからだ。


 お揃いの野良着に身を包んだシエルとコリンナは、にこやかな笑顔を保っているものの、若干ピリピリしている。


「ブリュンヒルデ家の援助もあり、取引先には高位貴族の方もいらっしゃる……。ライス酒や化粧品の利益も順調。資本金もある。……ふむ、問題ないでしょう。これから部下とも精査いたしますが、ご融資は可能かと。本店より決済が下り次第ご連絡いたします」

「ありがとうございます!」


 シエルとコリンナが同時に声を上げた。すっかり息が合っている。


 コリンナは魔法学校を卒業後、公女様の侍女に専念するかと思いきや、グランディールで働き続けていた。どうも公爵と公女様から今年いっぱいまで猶予をもらったみたいだった。


 なんでも来年、アマルディがラスタから独立して中立国になる話があるそうで、その調整にかかりきりになっているとか。


 元々、特別区として存在していた場所だ。独立させることで過去のしがらみから外れた交流が可能となり、ルクセン、ラスタ双方の技術発展を促そうとする目論見だそうだ。


 何度かラスタ王家を通じてルクセン側にも承認の打診をしていたみたいだが、北の伯爵の事件以降ルクセンとの取引が活発化したこともあり、話が早まったらしい。


 もし独立が叶ったら、アマルディはますます繁栄するだろう。グランディールとの関係が変わることはないだろうが、今みたいに頻繁にコリンナの姿を見られなくなるかと思うと、少し寂しい。


 ……私も変わったものだ。


「いや、それにしても見事だ。この光景を見れば息子も喜ぶでしょう。あの子も辺境伯と同じでライス栽培に目がなくてですな。将来はライスの研究者になりたいと言っているのです」

「同志が増えて嬉しいですね。ご家族も、本日来られるとお聞きしましたが」

「ええ、そろそろ到着するかと……。ああ、来た来た。おおい、こっちだ!」


 エンゲルさんの声に応えて、八本足の馬(スレイプニル)が引く荷台に乗った獣人の少年が手を振った。


 その隣には少年によく似た獣人の女性が座っている。二人とも見事な白兎だ。青いビー玉みたいな瞳が太陽の光を反射して綺麗だった。


 二人は魔物便から降りると、エンゲルさんの横に並んで会釈した。


 女性は家庭教師風の白いブラウスとラベンダー色のスカートを身につけ、ツンとした表情で私たちを見下ろしている。少年は高そうなネルシャツを着て、サスペンダー付きの茶色の長ズボンを穿き、愛想の良さそうな笑みを浮かべていた。


「初めまして。妻のマゼンダと、息子のマルクです。息子は今年十三歳になったばかりで……ミミちゃんと同い歳だね」


 私の隣に並んだミミがソワソワしている。今まで同種族で同い歳の子供はいなかったから緊張しているのだろう。苦笑したピグさんに「ほら、挨拶は」と促されてマルクくんの前に出る。


「初めまして、ミミ・ロッコです! ようこそ、グランディール領ルビィ村へ。あの……今日はライスの収穫日なの。よかったら、一緒に収穫する?」

「え? いいの?」


 マルクくんの顔がパッと明るくなる。さっきまでの愛想笑いではなく、心からの笑顔みたいだった。


「実は、さっきから気になってたんだ。遠目からでも豊作なのがわかったよ。まるで金色の絨毯みたいで、とても綺麗だった」

「ほんと? 嬉しい。ここはピグ兄ちゃ……兄たちが一生懸命田んぼのお世話をしているの」

「わかるよ。こんなに状態のいい田んぼを見るのは初めてだ。ミミちゃん……だっけ。父さん、僕、彼女と収穫に行ってくるよ」


 子供は打ち解けるのが早い。手に手を取って駆け出そうとしたところで、マゼンダさんが「マルク」と声を上げた。


 たった一言、名前を呼んだだけ。けれど、マルクくんは一瞬で顔色を変えると、その場に足を止めた。まるで地面に縫い止められたように。


「マゼンダ」


 エンゲルさんが咎めるように呼ぶ。けれど、マゼンダさんはエンゲルさんに答えることなく、もう一度「マルク」と呼んだ。

 

「……ごめんね。やっぱりやめとくよ。僕、ライスを収穫するのは初めてなんだ。要領も悪いし、みんなの足手纏いになっちゃうから」

「そんなの気にしなくていいよ。収穫の仕方は私が教えるし……。このサーラさんだって、最初は何もできないどころか、せっかく収穫した稲束を踏んじゃったりしたけど、なんとかなったのよ」

 

 さりげなく私の恥ずかしい過去を晒しながら、ミミが心配そうにマルクくんの顔を覗き込む。けれど、マルクくんは決して首を縦に振らなかった。


 その後ろでマゼンダさんが満足げに微笑む。エンゲルさんは眉を寄せるものの、それ以上何も言えないようだった。


 シエルをちらりと見ると、口元に笑みを浮かべたまま微かに眉を寄せていた。その視線の先には背中を丸めて俯くマルクくんがいる。地面を見つめる青い目に浮かんだ曇りに、私はひどく胸をかき乱された。






「……典型的な自己否定タイプの親だな。獣人の自分も、獣人の血を引いた子供も許せないんだろ」


 コーヒーを飲み干したロイが、静かな口調で呟く。その隣では手帳を手にしたシエルが、唸りながら頭を掻いていた。


 残暑厳しい秋とはいえ、人気のない食堂は肌寒い。窓の外からは秋の虫の音が聞こえてくる。空には煌々と光る満月。私の手元にはビール。まるでこの世界に来たときみたいだ、と声に出さず呟く。


「マゼンダさんは移民で、エンゲルさんと結婚する前は南方の大農園の下働きだったみたい。獣人だからってひどい扱いを受けていたようだね。マルクくんはそのときにできた子だって。エンゲルさんは二人を愛しているけど、口出しできないんだろうなあ。自分の血を引いていないわけだから」

「収穫のあとはどんな感じだったんだ。打ち上げしたんだろ?」


 やんちゃ盛りになってきたケルベロスの赤ちゃんの子守りのため、ロイは収穫にも打ち上げにも参加していない。


 さすがにエンゲルさんは付き合いで参加していたけど、みんながわいわいと騒いでいる中、マゼンダさんと二人きりで打ち上げの様子を眺めているマルクくんはとても寂しそうだった。


 それを気にしたミミが果敢にも誘いに行ったが、マゼンダさんに冷たい視線を向けられて引き下がらずを得なかった。マゼンダさんの獣人への忌避感は重症なようで、同じ種族のミミが近づくことも好ましくない様子だった。


 あの目……。ガラス細工みたいに綺麗なのに、奥に潜むのは虚だ。あの女もよく同じ目をしていた。現実も、目の前にいる私も忘れて、カミサマだけを見つめているような歪な……。


「大丈夫? サーラ」


 シエルの声にはっと顔を上げる。心配そうな緑色の瞳と金色の瞳とかち合い、逃げるように椅子から立ち上がった。


「ごめんなさい。ちょっと疲れちゃったから、先に寝るわ」

「送る」

「大丈夫よ。階段上るだけなんだから」

「いや、送る」


 強引に私の隣をキープしたロイが、体を支えるように背中に手を回した。その力強さに田植えの日に見た裸体が脳裏を過って、思わず狼狽える。


 咄嗟にシエルに視線を向けたが、彼は何も言わなかった。手帳に目を落としたまま、顎に手を当てて何かを考え込んでいる。


 それ以上断る術も思いつかず、なすがままに食堂の外に連れ出された。こんなに強引だったことあったっけ?


「暗いから足元に気をつけろよ」

「う、うん」


 夜も更けた領主館の中は、日頃多くの人が行き交っているとは思えないぐらい静かだった。幸なのか、不幸なのか、誰にも遭遇することなく階段を上り切り、自室に辿り着く。


 ロイの腕は背中に回ったままだ。火属性持ちだからか、それとも筋肉量が多いからか、背中に伝わる体温がやけに熱く感じる。


「ありがとう。もう遅いからロイも早く寝てね。おやすみ」

「サーラ」


 そそくさと部屋に入ろうとして阻止される。ドアノブにかけた右手にはロイの左手が、ぴったりと閉じたドアにはロイの右手が。いわゆる……扉ドン? アマルディでコリンナのストーカーと対峙したときと同じ体勢だ。


 でも、あのときとは全然違う。だって、こんなに鼓動はうるさくなかったし、頬は熱くなかったもの。


「な、何?」


 ロイは答えない。言葉を探しているようだ。長い逡巡の後に、喉仏が上下に動く。


「あの親子のこと、サーラが気にする必要ない。俺たちが過剰に反応してるだけかもしれないし、もしそうじゃなくとも、これはマルクが越えなきゃならないことだ」


 一瞬で体が冷えた気がした。ロイはきっと、私を心配して言ってくれているのだ。あの親子に自分を重ねるな、これ以上深入りするなと。


 私もそう思う。たった半日足らずの出来事でマゼンダさんを判ずるには時期尚早だし、マルクくんがどう思っているのか聞けていない以上、抑圧されていると決まったわけでもない。


 いくら私たちが疑いの目を向けても、家庭という閉ざされた空間を支配する存在が化け物なのか、女神様なのか、それは当事者でないとわからないのだ。でも……。

 

「……でも、思わなかった?」


 その呟きはひどく震えていて、惨めで、滑稽だった。

 

「苦しいとき、悲しいとき、誰か助けてって、思わなかった? マルクくんも今、同じことを思っていたら?」

「サーラ」

「昔、ひどい目に遭ったからってなんなの? そんなの、子供に何か関係ある? なんで、親の痛みを押し付けられなきゃなんないのよ。ロイだってわかるでしょ。わ、私たち、いつまで苦しめば……」

「サーラ!」


 ぎゅうっと音がするほど抱きしめられる。全身を包み込む熱に息ができなくなり、呻き声を上げる。


 私を支える強い両腕。このまま身を預ければ楽になれる? 溺れるものが藁を掴むように、ロイの背中に両手を回そうかと思ったが――彼に縋り付く自分とカミサマに縋り付く女の姿が重なり、咄嗟に風魔法で突き飛ばした。


「やめて。私たち恋人でも何でもないのよ。……弱音を吐いてごめん。明日にはいつもの私に戻るから」


 ロイの返事は聞かなかった。素早く部屋に飛び込んで鍵をかけ、先にベッドで眠っていたパールの横に倒れ込む。


 頭の中はぐちゃぐちゃで、まるで闇魔法の中に取り残された気分だった。あんなことを言うなんて私らしくない。馬鹿げている。いつもならなんでもない顔ができたのに。


 どうして、ロイに縋ろうと一瞬でも思ったんだろう?


 その答えは出ないまま、ゆるゆると意識が闇の中に溶けていく。


 案の定、悪夢を見た。私とあの女の間の溝が徹底的になったときの夢を。

サーラのトラウマ回開始です。

次回はサーラが朝倉沙夜だった頃のお話です。後半はいつも通りですので、ご安心ください。

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