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58話 待ち望んでいたピース(ついに来た!)

 開け放った窓から蝉の声が飛び込んでくる。徐々に朦朧とする意識を奮い起こすため、大きく伸びをして椅子にもたれた。逆さまになった世界の中で、見慣れた人間たちが私を見下ろしている。


 とはいえ、生きている人間ではない。私とシエルとロイの肖像画だ。


 家族写真よろしく、椅子に座ったシエルの後ろに私とロイが並んでいる。その横には初期からいる領民たちの集合絵もある。シエルの父親の見舞金で画家に描いてもらったものだ。


 自分の姿を残したくなかったので、他に欲しいものはないのかと話を逸そうとしたのだが、これ以外は欲しくないと言い切られたので泣く泣く折れたのだ。


 あとからロイに聞いたところによると、ブリュンヒルデにはシエルの肖像画はないらしい。母親が描かせなかったそうだ。……おそらくエルフでないから。


「サーラ様! 休憩している暇はありませんわよ! 今日中にこの受注書の山を崩しませんと!」


 分厚い眼鏡の奥でチョコレート色の目を吊り上げたコリンナが発破をかけてくる。彼女は学生最後の夏休みだというのに、連日グランディールで事務作業に追われていた。


 この世界の学校は九月始まりなので、夏休みが終わると同時に卒業となる。


 卒業したらどうするのかと話したら濁された。私的にはシエルのお嫁さんになって欲しいけど……新年の騒動以降、二人の関係は一向に進んでいない気がする。


 こんなことなら、新年パーティーのときに公女様にもっと突っ込んで聞いておけばよかった。国の垣根も、お互いの立場も関係なく、結ばれる方法って何だったんだろう……。

 

「サーラ様? 聞こえていますか? 繰り返しますが、休憩している暇はありませんのよ!」

「勘弁してよ。もう無理よ。目も肩も腕も痛いもん。私はコリンナみたいに若くないんだってえ……」

「まだ二十代ではありませんか! いいから手を動かしてください!」


 いつにも増して厳しい。まあ、それもそうだろう。机の上にはありとあらゆる書類が山積みになっている。それもこれも、春に出荷したライス酒が好評だったからだ。


 ため息をつきつつ、書類を一枚手に取る。今年の冬から作るライス酒の予約票だ。その横には秋に収穫するライスの発送先リストや、化粧品の受注書もある。


 ここ数ヶ月、グランディールの評判は右肩上がりだった。あえて元の世界の言葉で言うと、バズったのだ。


 インターネットが存在しないこの世界では、口コミが重要な役割を帯びてくる。度重なるフードイベント、他にはない自由な領地経営、腕のいい医者を要する病院、治安の良さ、北の伯爵にまつわる醜聞など複合的な要因が重なり合い、今やグランディールはルクセン中の注目を集めていた。


「まさか、一年でここまで成長するとはねえ。初めて来たときはスライムしかいなかったのに」

「そのくだり、初めてのフードイベントでやりましたわよ。しみじみしていないで、仕事を……」

「サーラ!」


 コリンナの言葉を遮って、ロイが執務室に飛び込んできた。その顔は真っ赤だ。珍しくテンション高めのロイに、コリンナが目を白黒させている。ロイは歩くのももどかしそうに私の元へ駆け寄ると、飼い主を散歩に連れ出す犬みたいにローブを引っ張った。


「すぐ! すぐ来てくれ!」






「可愛い〜!」

「可愛すぎますわ〜!」


 目をハートにしたミミとコリンナが揃って声を上げる。その視線の先には生まれたばかりの小さなケルベロスが五頭横並びで寝ている。


 三頭は真っ白、二頭はシベリアンハスキー柄だ。ポチとシロの子供たちである。


「よく頑張ったね、シロ」


 シエルが床に伏せた三つの頭を順番に撫でると、シロは嬉しそうに鼻を鳴らした。その隣では、得意げな顔をしたポチが尻尾を千切れんばかりに振っている。まだまだ子供だと思ってたのに、もう父親か……。


 ケルベロスは二年でポチぐらいまで体が大きくなる。ただ、精神の成長はヒトより少し早いぐらいだそうだ。これからしっかりしつければ、数年後には立派な魔物便の従業員に育っているだろう。


「シロの容体はどう?」


 私の問いかけに、床に跪いてシロを診察していたレーゲンさんが歯を見せて笑った。

 

「体力は減っているが、食欲もあるし問題なさそうだな。二、三日もすれば走り回れると思うぜ。ケルベロスは丈夫だからな」

「よかった。それにしても、レーゲンさんって魔物も診れるのね」

「スライムも散々診てやっただろ。何かあれば、いつでも病院に来いよ。最近は医者も増えて余裕が出てきたからな」


 白衣を颯爽と翻して、レーゲンさんが小屋を出て行こうとする。そのとき、領主館の裏口からネーベルが現れて、まっすぐこちらに向かってきた。どうも来客らしい。背後に身なりのいい紳士を連れている。


 歳の頃は三十半ばぐらいだろうか。落ち着いた茶髪と茶色の瞳を持つヒト種だ。この暑いのに、グレーの三つ揃えのスーツをきっちりと着こなし、黒光りする革靴を履き、手には黒革の鞄を下げている。


 紳士は小屋の中にいる私たちに気づくと、高そうなシルクハットを左手で外して深々とお辞儀をした。


「初めまして。帝都のアルヴァンティア銀行より参りましたエンゲル・リブラと申します。グランディール辺境伯におかれましては、ご尊顔を拝謁する機会をいただき、誠に恐悦至極です」

「えっ、銀行?」

「銀行ですって?」


 私とコリンナが同時に声を上げた。みんなの視線が集中する中、シエルが満面の笑みを浮かべる。その目には「やっと来た!」と喜びの文字が今にもこぼれんばかりに踊っていた。


「待っていましたよ、リブラさん。さあ、どうぞ。執務室にお通ししましょう。ミミ、お茶を頼んだよ」

「は、はいっ!」


 シエルがエンゲルさんを先導し、ミミがその横をすり抜けて領主館に駆けて行く。ネーベルは用が済んだとばかりに、レーゲンさんを連れて行った。ロイはひとまずその場に残し、私とコリンナがシエルたちの後に続く。


「い、いよいよ来ましたわねサーラ様。なんだか緊張してきましたわ」

「シエルのことだから上手く丸め込むと思うけど、相手は銀行マンだからなあ……」


 アルマさんが甘い話に気をつけろと言っていたのを思い出す。この場にいたらさぞや驚くだろう。


 ミミが震える手でササラスカティーを運んできたのを機に話し合いが始まった。ハリスさんのときのようにヒートアップすることなく、粛々と進んでいく。


 エンゲルさんは最初から契約を結ぶつもりで来たようだった。移住者の増加に従って、メイン通りの貸店舗を数件建て終えたところだったので、そこを提供し、一ヶ月後に業務を開始することで落着した。


 コリンナが上機嫌に議事録を作成する気配を背中で感じながら、和やかに談笑している二人を眺める。

 

「いやあ、こんなに話がスムーズに進むとは思いませんでした。まだお若いのに、グランディール辺境伯は誠に決断が早くていらっしゃる。まるで熟練の商人のようです」

「父と家庭教師の教育の賜物ですよ。こちらにはご家族で?」


 何気ない一言に、エンゲルさんはぴたりと笑みを止めると、傾けかけていたカップをソーサーの上に置いて両手を組んだ。

 

「実は……私の妻と息子は首狩り兎(ジャックラビット)の獣人なのです。帝都では少々生きづらそうでしてね……。ここなら獣人が多く住んでいると耳にしまして、支店建設の話が出たのを機に異動を願い出たわけです。さっきの……ミミさんとおっしゃいましたか。彼女も首狩り兎の獣人ですよね? 生き生きと働いてらして、とても素晴らしい」


 寂しそうな笑みに、さっきまで聞こえていた万年筆の音が止まった。シエルはしばし黙ってエンゲルさんを見つめた後、静かに「ありがとうございます」と返した。


「同族が増えて、あの子も喜びます。ここでは種族の違いで理不尽な扱いを受けるようなことは僕が許しません。どうぞ安心して移住してください」

「……そう言ってもらえてよかった。不束者ですが、家族共々何卒よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げ、エンゲルさんは執務室を出て行った。

ついに銀行がやって来ました。これでグランディールも一端の都市となるでしょうか?


次回、エンゲルの家族もやって来ますが……。

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